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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第二章 アイリスの三公女
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第三十六話 犯人はどこに

 目を大きく見開いて口を半開きにしたガスティネルの表情は一見、嘘をついているようには思えないものだった。

 だがそれは冷静に二人を眺めている周囲の者の捉え方であって、今のヴィクトールにとっては違う。表情を観察するまで気が回る余裕が無かったのだ。

 だからその言葉はそうではなくてガスティネルが己がしでかした悪事を無かったことにしようとしらばっくれているのだと思った。

「俺をおびき寄せるために人質として捕らえた二人の少女のことだ! 返してもらうぞ!!」

 ヴィクトールの詰問に反応したのはガスティネルではなくソフィーだった。

「なんですって!? ラウラさんを(さら)ったのですか!!?」

「ああ」

 ソフィーはラウラの古い友人だと言っていた。ならばヴィクトールと同じ憤りを共感してくれるものばかりと思っていたのに、ソフィーはガスティネルを非難するのではなく、怒りではなく驚きの表情をヴィクトールに向ける。

「それはまた、実に命知らずな・・・」

「貴女がラウラのことをどう考えているかは知らないが、少しばかりお転婆で勝気なところはあれど、ごく普通の可愛らしい乙女だよ!? 友人なら少しは身の心配をしたらどうなんだ?」

 ヴィクトールは暢気なソフィーに怒って見せた。だが彼女は何故か艶っぽい目でヴィクトールを見返し、笑いかける。

「あらあらうふふ・・・そのお言葉、ラウラさん本人に目の前で言ってあげればよろしいのに。きっと喜びます」

「からかうなよ」

「からかっているのではなく、事実を申し上げたまでです。気持ちというものは言葉にしてあらわさないとうまく伝わらないものではなくって? 少々おせっかいが過ぎると自分でも思いますが」

 真面目なことを言っているつもりでも、ソフィーの表情はどこまでも悪戯っぽく、誠心というものがどことなく欠けていた。

「まてまて、何を話しているかよくわからないが、物事の大前提を間違えてやいないか? 俺たちはお前をおびき寄せるために女を(さら)ったりなどしていないぞ? だいたい、そんな必要がどこにある?」

「何を今さら! 闘う前に俺が望みを果たすにはあんたを倒さねばならないというようなことを言った! その言葉を忘れたか!?」

「・・・確かにそんなことを言ったな。だがあれは何か他の用を済ませたいのなら、俺と戦わなければここから一歩も行かせやしないという意味だ。それ以外の他意はない」

「なんだって!?」

「そんな汚い手を使うのは俺の好みじゃない。そもそもお前に喧嘩を売る前段階として女を攫う、そんな必要がどこにある?」

「どうしても俺に相手をさせたかったんじゃないのか?」

「そうだが、だがお前が拒否したとしてこの狭い学内でどこに逃げるというんだ。どんなに素早く逃げ回ったとしてもいつかは捕まる。それにこっちは人数も多いんだ。逃げるなら囲んでしまうだけだ」

「そうだ! 俺たちをテレ・ホート出身者だと思って馬鹿にするな!」

 言われてみればそうだ。

 テレ・ホートの連中といえば荒っぽい連中であることは間違いないが、卑劣な連中であるというわけではない。

 それにラウラはナヴァール辺境伯家の総領姫だ。もし彼女の身に重大な何かが起これば、伯爵がその復讐を行わないとは言い切れない。下手をすると彼らの家族にも災難が降りかかるだろう。何も好き好んでそんな面倒を起こしたくないだろうし、その必要もない。

「・・・じゃあ、いったい誰が・・・?」

 全てが振り出しに戻って、また一から手がかりを探さなくてはならなくなったと落胆し困惑するヴィクトールにガスティネルはもう一度同じ言葉を吐いた。

「やったのは俺たちじゃない」

「それはもう分かった」

「・・・だが、やった連中の心当たりが無いわけではない」

「・・・!」

 ヴィクトールとソフィーにはっと顔を見合わせる。

「俺たちがお前に喧嘩を売ったのには理由がある。仲間がやられたからだ」

 ガスティネルのその言い分にはヴィクトールからしてみれば随分と現実とは乖離しているように思えた。

「・・・! 最初に喧嘩を吹きかけてきたのはそっちだぞ!! 俺じゃない!!」

「まあ待て。俺の話を聞け」

「・・・」

「そう、確かにその連中がお前に先に喧嘩を売ったというのが実情のようだ。それは俺も承知している。だが俺たちテレ・ホートの人間は侠気でこの世を渡り歩いているんだ。だから喧嘩の理由がなんであれ、誇りのために俺はお前に挑まねばならなかった。ま、これは余談だがな」

「・・・」

「だがそいつらも自発的にお前をぶん殴りに行ったわけじゃない。考えてみるがいい。別にお前らと俺とは今まで揉め事どころか接点もなかったんだからな」

「どういうことだ?」

「そいつらを焚き付けて喧嘩を売らせたのじゃないかと思われる人物がいる。実はな、少し前にそいつが俺を(けしか)けようとしていたという事実もある。黒幕はそいつじゃないかと思うのだ。誘拐などといった大それたことをするだけの実力もある」

「御託はいい、そいつの名は!?」

「ターバート伯爵夫人ジヌディーヌ」

「な・・・!?」

「そんな!!」

 ガスティネルの口から出てきた名にヴィクトールは押し黙り、ソフィーは両手で口を覆い顔を青ざめさせた。

 確かにヴィクトールに対して意趣を持ち、そして誘拐などという大それたことを実行する能力を持つと考えられる唯一の相手である。驚きはしたが、名前を聞けば納得するしかない相手だ。

「なるほど・・・それなら全ての辻褄(つじつま)が合うな」

 納得顔のヴィクトールを見てガスティネルはにやりと笑って見せた。

「心当たりありってことか。どうやらそいつで間違いないようだな」

「ああ。ちょっとばかり関わり合いのある相手だ」

 ガスティネルとヴィクトールと違い、ソフィーはひとり納得しかねる様子だった。

「あの・・・何かの間違いではありませんか?」

「なぜだソフィー?」

「ジヌディーヌさんは少しばかり意地っ張りなところはありますが、ラウラさんを攫うなどといった卑劣な真似をする人ではないはずです」

「相手は有数の大貴族のお嬢様だぞ? 特権意識に凝り固まっている! 他人のことなど毛ほども思っちゃいない!」

「でもラウラさん相手にそれは・・・」

「君がジヌディーヌの何を知っているというんだ? 友人か?」

 ヴィクトールにしてもそれほどジヌディーヌのことを知っている訳ではない。だがあの短い僅かな接触時間だけでも高慢で鼻持ちならない、あまり褒められたものではない性格ということは十分に分かったのだ。だからこそ、そのジヌディーヌにやけに肩入れするソフィーの気がしれなかった。同じ貴族、同じ女性、同じ騎兵科という仲間意識だけで無条件に庇っているのではと疑ったのだ。図星を突かれたのかヴィクトールのその問いにソフィーは口を濁した。

「友人ではありませんが、少しばかり知っていると申しますか・・・」

「君には申し訳ないが、相手はフランシアで五本の指に入る大貴族のご令嬢だ。どうせ表面的な上辺の付き合い。本性など分かりはしない!」

「ですが・・・」

「それに本人がやらなくても、周囲の人がやるって可能性はあるじゃないか!!」

 ヴィクトールはそう怒鳴った後で困ったように眉を寄せるソフィーと彼女の大きな瞳の中に移るきつい顔をした自分の姿を見て我に返る。

 自分の中のジヌディーヌに対する憤りを無関係な、それも自分の味方をしてくれた気のいい少女にぶつけてしまったと己の小ささを恥じた。

 気まずい空気が流れる。

「とにかく、このままにはしておけません。わたし、教官方にお知らせしてきます」

 ソフィーはその言葉も終わらぬうちに背を向けると早足で駆け出す。例の男と目つきの鋭い女の二人の友人も一緒だ。

 謝る時間を与えられなかったヴィクトールはただ「頼む」と声を投げかけるしかなかった。

 それに対してソフィーが小さく手を上げて返答してくれたことだけがせめてもの救いである。


 立ち去った彼女の代わりというわけではなかろうが、ヴィクトールの周りにアルマンら歩兵科のクラスメイトたちが集まってきた。

 幾人かは騒ぎを聞きつけてソフィーよりも先にこの場に来ていたのだが、さすがにヴィクトールに加勢してテレ・ホートの連中と事を構える気概まではなく、遠巻きに事の成り行きを見守っていたのだ。

 来たばかりのアルマンが真っ先にヴィクトールの下に駆け寄るのを見て、彼らも歩を同じくして近づいたのだ。

「ヴィクトール、大丈夫か」

「ああ、怪我はない。それよりもエミリエンヌたちは見つかったか?」

「いや・・・」

 別々の場所を手分けして探していた彼らだが、ここに集まってこう話す所を見ると誰一人としてラウラやエミリエンヌの居場所を突き止められたものはいないということなのかとヴィクトールは推察し落胆した。

「・・・そうか」

 彼らが見逃したとは考えにくい。捕まえられたラウラやエミリエンヌだって抵抗するし騒ぎ立てるだろう。多少離れていても近くを通っただけで気が付くはずだ。

 口を塞ぐために殺すという手段もないことはないが、ジヌディーヌはラウラを嫌ってはいるが、さすがにそこまではしないはずだ。

 とはいえ学内に少女二人を監禁する場所などそうそうないはずだ。しかもこの人数で探して二人が見つからないなどありえないはずだがとヴィクトールは首を傾げざるを得ない。

 考え込んで動かないヴィクトールにアルマンが尋ねた。

「さっきの話では犯人はジヌディーヌ嬢の可能性があるって話だったが・・・どうするんだ?」

「あ、ああ・・・そうだな。直接本人に問い質してみるか」

 このまま当てもなく校内を探すよりは首謀者と目されるジヌディーヌに直接物事を訊ねるほうが手間が省けていいだろう。

 その考えはヴィクトールに行動の指針を与えるもの、光明のように輝いて見えるように思えたが、周囲の者にとってはそうではなかった。

 その言葉に幾人かは顔面を蒼白にする。

「ジヌディーヌ様に問い質すだって?」

「冤罪だったらどうする? 烈火のごとく怒るんじゃないかな?」

「本当のことだったとしても正直に答えるとは限らない。知らぬ存ぜぬで押し通されたら・・・」

 ヴィクトールと一緒になって彼女を責めるのはいいが、そのことで彼女の恨みを買い、なんらかの意趣返しをされるのは避けたいと尻込みしてしまう。誰もがヴィクトールのように地位や門閥を恐れぬ勇気が(あるいは無鉄砲さというべきか)あるわけではないのである。

 それに立身出世を夢見て、あるいは家族の期待を背負って士官学校に入ったのだ。ジヌディーヌの力なら誰かを退学にすることなど容易いことである以上、彼らを臆病者と責める気にはヴィクトールはとてもなれなかった。ここまで協力してくれただけで感謝の気持ちでいっぱいである。

「確かに だとしてもこの───」とガスティネルらを指さした。「先輩方を(そそのか)して俺に(けしか)けたのは紛れもない事実。そのことだけでも文句を言う権利は俺には十分あるはずだ。だから俺は行く。皆はここで待っていてくれ」と、一人で行くことを告げる。

 廊下をひとり歩き始めたヴィクトールの横にアルマンが早足で並んだ。

「よし僕もついていこう。ラウラさんはともかくエミリエンヌが心配だからな」

「心強いな。だがその言葉、ラウラが聞いたら怒るだろうよ」

「かもな。内緒にしておいてくれ」

 アルマンの笑いにヴィクトールも笑いで応える。

 そのジヌディーヌなど何ほどとも思っていないかのような剛毅さに心を動かされたのか、「お、俺たちも行くぞ!」と、次々とクラスメイトたちが後ろに従った。

「よし、じゃあ皆で騎兵科の教室まで行ってみるか」

「おう!」

 一年の校舎に戻る渡り廊下の真ん中でクラスメイトの一人が小走りで駆け寄ってくる。彼もまた、ヴィクトールを手伝いラウラたちの場所を探してくれた一人だ。

「ヴィクトール! どこに行く?」

「首謀者のところに行くつもりだ。お前もくるか?」

 話しながら歩き立ち止まらないヴィクトールにその男も歩調を合わせて横に並びかけしゃべり続ける。

「耳寄りな話を聞いたんだ! 聞いてくれ! たぶんラウラ様やエミリエンヌと関係がある話だ!!」

「何!?」

「少し前に馬運車が一台、学内から外に出ていったということだ。今こんな時間、行事も何もない時期に馬運車が出るなんておかしな話だろう?」

「確かにおかしいと言えばおかしな話だ」

「しかも中では何かがずっと暴れていたらしい。御者は(ぎょ)しがたい暴れ馬だから処分するんだって言っていたそうだ。門番が中を覗こうとすると急いで出ていったらしい。御者が生徒だけだったこともあり、違和感を感じたからよく覚えているそうだ」

「まさかその中にラウラやエミリエンヌがいたとでも? だがそれだけじゃ確かな情報とは言えないな」

 馬は繊細な生き物でもあり、賢い生き物でもあり、そして個性を持つ生き物でもある。そして軍馬に必要とされる能力は多岐に渡る上、難解でストレスのかかるものばかりである。それは競走馬の比ではない。ちょっとしたことで馬の心理的な歯車が噛み合わなくなり、軍用馬として使いものにならなくなることもあるのだ。色々と怪しい話ではあるが、無い話ではない。その不確実な情報を追うよりも、ジヌディーヌに話を聞くほうが解決の糸口になりえるのではとヴィクトールは思ったのだ。

 だが次の言葉がそのヴィクトールの認識を変化させる。

「さらには厩舎(きゅうしゃ)の方にも回ってみたが、学内に持ち出された馬はいないらしい。これって怪しくないか!?」

 その言葉はヴィクトールの足を止めるだけの説得力を持っていた。

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