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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第二章 アイリスの三公女
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第三十五話 ソフィーとの再会

 その影はガスティネルにも勝るとも劣らぬ巨大なものだった。

 影はヴィクトールとテレ・ホート勢の間に割って入り、テレ・ホートの巨人たちの狂乱振りにも一寸の怯えも見せず立ちはだかる。

 影は地面を這うように身体を低くして、その巨体をぶつけて先頭の男を倒すと、片手を地面についたままの姿勢で地面すれすれに足を回し二人目の男を転ばして、更に立ち上がるついでとばかりに三人目の男の腹部を右手で下から突き上げ昏倒させる。

「新手か!!」

 頭に血が上り、周囲が見えなくなった不意を突かれたせいもある。だがそれでも大の男三人を、それもフランシア一獰猛(どうもう)なテレ・ホートの男たちを一瞬のうちに片づけるとは恐るべき男である。

 圧倒的な破壊力を見せつけられて彼らの足が止まる。

 その彼らの横手にはいつの間に傍に忍び寄ったのであろうか女が立っていた。先程の声の持ち主ででもあろうか。切り揃えられた前髪と切れ長の鋭い目が印象に残る少女である。

 女だからと油断して、男たちは女が近づくのも全く警戒しない。だが外貌は一見すると華奢であるが、粛然(しゅくぜん)とした隙の無いきびきびとした歩様である。

 女は手近な一人の腕を取るとくるりと背後に回り込み、無造作に足をかけて身体を預けるようにして倒れ込み、地面に叩きつける。

「動くな。動くと折るぞ」

 低い、感情の籠っていないかのような冷たい声でぼそりと耳元で(つぶや)いた。

 彼らの手際の良さにテレ・ホートの荒くれ者たちもヴィクトールもあっけにとられ、口をぽかんと開いてしばし固まった。そこに再び、凛とした甲高い少女の声が響き渡る。

「ここまでです! 決闘は決着がつきました。双方、剣を収めなさい!!」

 一点に集中する視線の先には、オレンジに輝く美しい長髪が棚引く、ほっそりとした美しい少女が立っていた。

「なんだ貴様は!?」

「わたしが誰かということなどどうでもいい問題です。それよりも決着はついたのです、これ以上の騒ぎは無意味だと申し上げたまでです」

「なんだと!!」

「それともこれ以上の騒ぎがお望みですか?」

 自分の身体よりも二回りも三回りも大きな、殺気立つ男たちにも少女は平然とした表情で受け答えする。

 短気な彼らの手が出ないのは彼らに関わりない人物に対して暴力をふるうのが躊躇(ためら)われたからか、それともこの小さな少女の気迫に押されたからか。

 と彼らの一人がこの闖入者(ちんにゅうしゃ)たちの服装を見てあることに気が付いた。

「こいつら・・・一回生だ!!」

「なんだと!? 上級生に向かって生意気な!」

「勝手に割り込んで場を仕切ろうとするんじゃねぇ! ふざけんな!! まだ勝負は終わっていねぇぞ!」

 相手が格下だと見るや、彼らは気が大きくなったのか再び当初の気迫を取り戻し、少女に詰め寄ろうとした。

「決闘には決闘の作法、決着の仕方というものが存在したします。一人を多数で(なぶ)ることなど許されない! 一方の当事者が降参を申し出た以上、周囲の見届け人が手を出すのは御法度というもの。それともあなたがたは徒党を組んで私闘を行おうとでもいうのですか!? 士官学校内での私闘は禁じられております! 許されるのはしきたりにのっとった決闘だけでしてよ!!」

「上級生相手に賢しらだった口を利くな!!」

 再び一触即発の空気、だがそれが大乱闘に発展することは無かった。

「よせ!!」

 それはガスティネルの声だった。苦しげな、それでいて大きな声が発せられるとテレ・ホートの男たちは一斉に大人しくなり、声の主に振り返った。

 ヴィクトールに壊した感触はなかったが、薄氷の勝利を得るためにギリギリまで攻め込んだためだろう。ガスティネルは右手の肘を左手で抱え込むようにして押さえながらも立ち上がる。

「その女の言うとおりだ。俺たちは私闘を行ったわけじゃない。テレ・ホートの男なら負けた時でも誇り高くあるべきだ。お前らも負けを認めろ。一対一の決闘を持ちかけておいて、負けたからといって多数で袋叩きにして勝利を得るなど、そんなカッコ悪いことしちゃいけねぇ」

「しかし・・・」

「ガスティネルさん・・・!」

「俺の言うことが聞けねぇのか!!?」

 ガスティネルが一喝すると大男たちは一斉に顔を青ざめさせ、身を(すく)めて口を閉ざした。


 相手が負けを認めたことで、どうやらこれでガスティネルらとの間の揉め事は片がついたということだろう。

 したいこと、しなければならないことは多々あれど、まずしなければならないことはこの窮地を救ってくれた恩人に対して感謝の意思を示すことだろう。

「・・・どうやら助けてもらったようだな。感謝する」

 ヴィクトールが頭を深々と下げると、どうやらこの三人組のリーダーなのだろう、一番品のいい、先程の美人の少女が一歩前へ踏み出し、ヴィクトールの一礼に応えた。

「お気になさらず。借りたものを少しばかりお返ししただけです」

「・・・・・・?」

「どうなされました、ヴィクトールさん?」

 何処までも澄んだ青い目をした少女はヴィクトールをじっと見返した。

「・・・いや、君と俺とはどこかで出会ったことがあったかな?」

 少女の口ぶりから察するに互いにそれなりの知見があるような感じではあったが、ヴィクトールはこの少女の顔に全く心当たりが無かった。

 もちろんまったく初めて見る顔というわけではない。どこかで見たような見なかったような・・・そんな捉えどころのない、ふわふわとしたあやふやな感覚ならある。

 だが同じ士官学校の一回生である。廊下などで擦れ違ったこともあるだろう。その時、見ただけということも考えられる。

 それに彼女は楚々とした美人である。ヴィクトールも男だ。これほどの美人、はっきりとした縁があったなら、なかなか忘れることなどないと思うのだが・・・

「まぁ! わたしのことをお忘れになって!? 連れない方!」

 彼女はそう言って唇を尖らした顔をつくり、()ねて見せた。

「悪い。君みたいな美人、一度見たら忘れないと思うんだけど、記憶の(ふち)を探っても見た覚えがないんだ」

 かといって彼女の人違いということも考えられない。彼女はヴィクトールの名前を知っており、こんなに親しげに話しかけてくる。

 戸惑いを見せるヴィクトールに彼女は笑いかけた。

「命を助けていただいたではありませんか」

「命を? 助ける?」

 女性の命を助けるのは名誉なことだ。それもこのような美女の命を助けたというのなら男としては誉、隠すことではないし、上手くすれば何かのきっかけになるのではないかと夢想し、記憶から消し去るようなことはないはずだ。

 だが何度記憶を探っても、それらしい思い出が見当たらない。どこかで気付かぬうちにヴィクトールは善行を積んでいたとでもいうのだろうか。

 キラキラと目を輝かせてヴィクトールを見つめていた少女だが、いつまで経っても不審顔のままのヴィクトールに、どうやら本当に自分のことを覚えていないことに気付いて、眉を傾け悲しげな表情を作った。

「ラインラントでの実地研修でわたしたち一回生が実戦に巻き込まれ混乱した時、ジュスタンやカミーユとはぐれ、敵兵に捕まりそうになったわたしを助けてくださったことも覚えておられませんか? 足を(くじ)いて走れなかったわたしを抱きかかえて運んでくださったことも?」

「あ・・・! ひょっとして君はソフィーか!? ・・・確かにその声、その話し方は記憶にある・・・!」

 こと細かく描写され、ヴィクトールは目の前の少女が誰であるかようやく理解した。ソフィーならば確かに命を助けたとも言えないこともない。

 言われてみればソフィーの横にいる大男と冷たい目をした少女のほうには大いに心当たりがあった。二人とも一度見ればなかなか忘れられない印象的な姿かたちをしているのだ。

 だがソフィーの顔はあまり記憶になかった。それで目の前の少女がソフィーであるとヴィクトールはなかなか気が付かなかったのだ。

 ソフィーはヴィクトールが自分のことを思い出したのを見るとぱっと顔を輝かせたが、次の瞬間に悲しそうな顔を作った。

「私のことをお忘れになるなんて酷いお方です。薄情な方です」

「いや、その・・・なんだ。あの時は俺も気持ちに余裕がなく、他人の顔をしっかりと見る余裕がなかったし、夜の闇に包まれて周囲も真っ暗だったし、何よりも君の顔は泥だらけでとてもこんな美人だとは思わなかったんだ」

「まぁ! ・・・少し幻滅いたしました。女性に対して美人かそうでないかで態度を使い分けるなんて、立派な紳士のなさることではなくってよ」

「そうじゃなくって・・・まいったな。どう言えばいいのか・・・あまりにも意外で、君とあの時のソフィーとが繋がらなかったことを伝えたかったつもりだったんだ。それに俺は人を美醜で態度を変えるわけじゃない。美人だといったのは君を褒めたつもりだったんだけどな」

「わたしを褒めてくださったので?」

「ああ」

「それならばお礼を述べなければなりませんでしたね。ありがとうございます」

 ソフィーはヴィクトールの褒詞にも照れることも、舞い上がることもなく、あの時と同じように片足を引き、両手でスカートの裾を摘まんで正式なお辞儀をして見せた。

 あの時は泥だらけの顔のためにそうは思わなかったが、この美少女にはこのしゃちほこばった古式ゆかしいお辞儀が実によく似合う。

 その美しい(かんばせ)といい、僅かに笑みを浮かべた表情といい、ふわりとした柔らかな仕草といい、優雅という言葉がこれほど似あう少女も珍しい。

「ところで・・・どうしてこの方々と揉めておいででしたのですか? ヴィクトールさんはむやみやたらに他人に喧嘩を売る御仁ではありませんでしょう?」

「そうだ・・・! ここでのんびりしている場合じゃない!」

 いきなり大声を発したことでびっくりした目を向けるソフィーを放ったらかして、ヴィクトールはガスティネルの下へと駆け寄った。

 周囲はガスティネルの状況を心配した大男たちに取り囲まれている。その彼らをかき分けて中心部にいる巨大な熊のような大男の眼前へと近づく。

 勝敗はつき余計な手出しはしないと決めたのだ。彼らは複雑な思いでヴィクトールのなすが(まま)にまかせ見守った。

「完敗だ。やるな、お前」

 ガスティネルはヴィクトールが眼前に立つのを見て、大きく口を横に開いて笑みを浮かべ、無事な左手を差し出し握手を求めた。和解の合図というわけだ。

 (いか)めしい身体つきに反して意外と人懐こい笑みだ。愛嬌がある。だが、今はその愛嬌こそが腹立たしかった。何故ならヴィクトールにしてみればこの戦いは遊びや競技じゃないからだ。二人の大事な女性の身柄が懸かっているのである。

「そんなことより大事なことがあるだろ!!」

「そんなことより・・・?」

 ガスティネルは自分の好意で差し出された手がすげなく拒絶されたことにむかくと同時に、ヴィクトールが怒っている理由が分からずに戸惑いの表情を浮かべる。ヴィクトールは勝利者なのだ。歓喜と達成感とで精神が高揚することこそあれ、何かに追い詰められたような焦りを表す道理も必要も無いはずだった。

 だがそんなガスティネルの戸惑いなどヴィクトールに気にするだけの余裕は無かった。

「ラウラとエミリエンヌはどこだ!?」

 ヴィクトールの言葉に返ってきた(いら)えは思いもよらないものだった。

「・・・なんのことだ?」

 そこまで言ってもガスティネルはヴィクトールの言わんとしていることが分からない様子だった。

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