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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第二章 アイリスの三公女
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第三十四話 挫

 その分厚い胸板の前で両の拳を打ち付けて気合を入れると、ガスティネルはおもむろに一歩踏み込んで、挨拶代わりに軽いジャブを放った。

 ヴィクトールは腋を閉めて身体に向かってくる相手の拳に、自分の手甲を合わせることで身体の外側へ受け流す。

「・・・!」

 完璧に防御したにもかかわらず、想像以上の重さで押され、ヴィクトールは思わずよろめいた。

 体勢が崩れる。その僅かな隙を見逃さずにガスティネルは前進して圧力を掛けつつ、立て続けに二、三発、体重の乗った重い攻撃を加える。

 その全てをヴィクトールは精確な技術で上腕ないし前腕で受け止め、頭にも身体にも当てさせはしなかった。

「ほう・・・!」

 ガスティネルはヴィクトールの完璧なブロッキング技術に舌を巻く思いだった。これまで闘ってきた相手とは二枚も三枚も格が違う、そういった感じであった。

 だが如何せん、ガスティネルとの間には体格的な差がある。ガスティネルにとっては牽制の一発であっても、それはヴィクトールにしてみれば己が放った必殺の一撃と同じような破壊力を持つのである。

 ややもすればガードごと吹っ飛ばされそうになり、後退りせずにはいられない。体勢も崩れてしまい、身体がやや右に開いてしまう。

 ガスティネルはその隙を見逃さず、弧を描くように腕を全力全速をもって振り回して襲い掛かる。

「なっ!? は、早いっ・・・!!!」

 それまでの大男にありがちだと思われていた、やや緩慢な動きはヴィクトールを警戒していたため、そしてヴィクトールを油断させるためだったのだ。

 ヴィクトールの固いガードの外側から攻撃するために距離が長くなる弧を描く動きで腕を動かしたが、今までとの緩急の差で防げない、いや、防げるはずがないとガスティネルは勝利を確信した。

「残念だったな。お前は四発だ。もう少し楽しめるかと思ったが・・・ルイにも及ばなかったな」

 次の瞬間、ガスティネルのその拳は空を切った。ヴィクトールの鼻先ぎりぎりを擦って通過しただけだった。

 ヴィクトールは己の背筋と腹筋をフル活用して上体を後方に傾けてかわしたのだ。

「・・・!」

 ヴィクトールは右足を後ろに引いて床面を固く踏みしめ後方へ傾いた重心を元に戻し、その反動力を使って右拳を眼前のガスティネルの右腕に潜り込ませるようにして捻り上げる。前に向かってくるガスティネルの無防備な顎にアッパーを叩きこもうとしたのだ。

 それに対してガスティネルは当たる寸前に首をひょいと捻り、ヴィクト-ルの拳を頬で受け止めた。

ほぼ死角になる位置からの攻撃であること、ヴィクトールの優れた拳闘技術、前進する己の力をも反発力として加わることなどを加味すると、頬であっても脳震盪を起こしてもおかしくはないはずである。

だがガスティネルは戦果を確認するために視線を上げたヴィクトールと目を合わせると、ニヤリと笑みを浮かべる余裕すらあった。

「いいパンチだ。躊躇(ためら)いもなく相手の懐に入り込む度胸もいい」

 ガスティネルは右手を大きく振り回してヴィクトールを弾き飛ばすと、大きく雄たけびをあげて突進する。

 いいパンチを貰ったことで頭に血が上ったのではない。産まれて初めて自分と互角にやりあえる相手と巡り合えた喜び、絶対的強者だけにこれまで感じえなかった愉悦に全身が打ち震えたのだ。

 対してヴィクトールは頭を冷静にし、腰を落として重心を低くし、拳を構えなおす。そのまま近距離戦に、なによりも押し倒されての格闘戦に持ち込まれなくて幸いだった。ガスティネルのような巨体、上に載られたらまずヴィクトールでは跳ね除けられない。距離を取っての打ち合いなら、まだ勝機はないわけではない、とヴィクトールは静かに闘志を燃え上がらせる。

 もっとも、勝機と言っても限りなくゼロに近いものであることも十分に承知してはいた。

 ガスティネルは先程までの荒っぽい攻撃を一変させ、腕をたたんで、今度は隙が小さく、また軽すぎない、細かく的確な拳撃でヴィクトールに圧迫を掛ける。

 ヴィクトールは再び身体を傾けてその攻撃を(かわ)し、反撃の機会を伺う。ガスティネルの視界外、視界外へと巧妙に外周を円を描くように移動して、一撃に懸けて急所を狙う。

 だが今までヴィクトールが相手にしてきたような連中とはわけが違った。

 その巨体に似合わぬ素早いフットワークでガスティネルはヴィクトールの拳に己の拳を押し当て弾き返す。

 ガスティネルがテレ・ホートの同じような巨漢相手にも完全勝利できた理由の一つは豪放磊落な外貌に似合わない、その高い格闘技術にあった。

 とはいえやはりどうしてもその巨体に頼った戦い方をしている面もある。ヴィクトールと比べると若干、技術では劣っていた。

 その技術の差が力の差で押し込まれつつもヴィクトールが未だ立っていられる理由の一つであった。もう一つの理由はガスティネルの攻撃に完全に対応していること。極限の場における集中力、観察力こそがヴィクトールの真骨頂、生命線と言ってよかった。

 おかげでガスティネルは優位に戦いを進めているにもかかわらず、あと一歩崩しきれない。崩そうにもなかなかその隙が見当たらないのだ。

 なかなかやる、とガスティネルは口の中で小さく舌打ちをした。

 しかし体格を考慮すれば圧倒的にこちらが有利である。巨体から繰り出される攻撃は、防御するだけでも体力を消耗するし、拳を受けた腕にダメージは蓄積される。

 一気に畳み込まなくても、このままじわじわと体力を削っていけば最終的な勝利は揺るがないところである。

 だがそれではガスティネルは面白くない。

 ヴィクトールをただぶちのめして、それでテレ・ホート出身者に対する畏怖を保持できるわけではないのだ。

 何しろガスティネルとヴィクトールとの間には純然たる体躯の差が存在する。ただ勝利しただけでは、ガスティネルの強さよりもヴィクトールの健闘ぶりのほうが人口に膾炙(かいしゃ)する危険性があった。

 ここは一方的、圧倒的な完全なる勝利が欲しいところだった。

 その考えがガスティネルに余分な力を入れさせ、攻撃を雑に、大振りにならせた。

 一瞬生じたその隙をヴィクトールが見逃すはずがない。

 大降りのパンチを仰け反って回避し、左側に身体を流す。振り切った右腕が視界を遮るが、辛うじて残ったガスティネルの視界の隅でヴィクトールの右肩が動き始めた。

 再び死角からの急所への一撃、顎か下腹部かみぞおちへの攻撃であろうとガスティネルは咄嗟(とっさ)に判断する。

 だがその動きは先程とほとんど同じものだった。つまり一度見た攻撃手法でもある。

 自分もずいぶんと舐められたものだとガスティネルは不快を感じる。確かに先程はガスティネル相手に十分に通用したその攻撃はいわゆる奇手と呼ばれる類の攻撃だ。未見の相手であれば不意を衝けるであろうが、そんな奇策は二度は通じない。

 ガスティネルは上体を斜めに傾けて顎に襲い掛かるであろう拳に備え、左腕を下ろして下腹部を守ると同時に、身体を回転させカウンター気味に蹴りを叩き込もうとする。

 体重を乗せた攻撃。当たりさえすればそれで終わりだ。ガスティネルは勝利を確信した。

 だがヴィクトールの下からの攻撃はガスティネルには襲い掛からず、そしてガスティネルの左足は空を切った。

「何!?」

 その場所にはヴィクトールの存在自体がなかった。ヴィクトールの姿を求めてガスティネルの眼球が上下左右へと素早く動き回る。

 その甲斐あってガスティネルは視界ギリギリの右隅でヴィクトールの姿を捉えた。

 ヴィクトールはガスティネルの太い右腕が作った死角を利用して内側に潜り込んで攻撃を行うのではなく、さらに身体を左方へとスライドし完全な視界の外側から蹴りを放たんとしていたのだ。

 高く上げられた足の狙いはただ一つ、急所の頭であろう。

 だが身長差を考えると上手く当てるのは至難の業、ここから回避するのは容易くないが、急所への一撃だけは避けることができるはず。ガスティネルは身体を曲げ、首をそらせて少しでもダメージを減らそうとした。

 一瞬の後、ヴィクトールの左足が顔面の左側面から後頭部にぶつかる感触があった。蹴りの衝撃ではない。物がぶつかる、痛くもなく、重くもない、そういった中途半端な衝撃だった。

 それに何故か右腋に左足が当たり、同じようにほどほどの大きさの衝撃が加わる。

 回し蹴りではなく跳び蹴りかとも思ったが、ガスティネル相手にそんな大きな隙を生じるような攻撃をすることは奇妙だし、何より衝撃が小さいのが奇妙だった。

 と、がくんとガスティネルの右腕が急に重くなり、己の意思に反して反り返る。

 ヴィクトールはガスティネルの無造作に突き出された右腕を両手で捕まえ、そのまま全体重を掛けてぶら下がり、肘関節を極めようとしたのだ。

「このガキ・・・! 小癪(こしゃく)な真似を!!!」

 ガスティネルは逆方向に曲がろうとする肘の関節の痛みに耐えながら前腕を引き寄せようとする。

 だがガスティネルがどんなに規格外の力の持ち主であっても、腕の筋肉だけではヴィクトールの背筋力を上回ることはできない。しかもヴィクトールは腕に飛びつき、そのまま全体重を使ってぶら下がるように関節を極めたのだ。これではガスティネルといえども簡単には振り払えない。

「さぁ? 降参するか!? このままでは腕が壊れるぞ!」

 ヴィクトールとしてはこれで終わりにしてほしいところだが、ガスティネルにはガスティネルの意地がある。背負っているものもある。そう簡単に諸手を挙げて屈服するわけにはいかない。

「う、うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 雄たけびと共に一瞬、ガスティネルの右腕が持ち上がった。

 これ以上力を入れればいかに頑強なガスティネルの肘であっても壊れるかもしれない。だがなんとか掴んだたった一つの勝機だ。ここで手を抜くわけにはいかないと、ヴィクトールは躊躇(ためら)わず更に力を加える。

 ガスティネルが喉の奥で苦しげにくぐもった(うめ)き声を出すと、右手の動きが止まる。そして膝から崩れ落ちる。

 だがガスティネルの反撃はまだ終わっていなかった。次の瞬間、僅かに動く右手と体幹の筋肉を使って倒れ込みながらもヴィクトールを地面にたたきつけた。

 ヴィクトールは背中をしたたかに強打して、肺腑から酸素を全て吐き出し呼吸が止まる。

 気が遠くなりながらもヴィクトールは両手両足の力を使い、肘の靭帯が伸びきるか、あるいは壊れるかのギリギリのところで緩めることなく引き続き締め付けた。

 そこまでだった。神経を突くような強烈な痛みにさしものガスティネルもそれ以上、抵抗を続けることができなかった。

「ま、まいった・・・」

 額に幾玉もの脂汗を(にじ)ませたガスティネルはその言葉だけを振り絞るのがやっとだった。

 それを聞いてヴィクトールは両手両足をガスティネルの右手から解き、激痛に右手を抱え込むガスティネルを横目に後退(あとずさ)って距離を取る。

 降参したと口で言って次の瞬間に襲い掛かられても困るし、ヴィクトールもガードの上からであってもガスティネルの強打を受け、背中を打ち大きなダメージを抱え込んでいたのだ。


「・・・・・・・・・・・・」

 絶対的強者であったガスティネルが負けたということを理解できないのか、この戦いを観戦していたテレ・ホートの荒くれ者たちは言葉もなく呆然と立ち尽くしていた。

「・・・ガ、ガスティネルさん・・・?」

 一人がその言葉をようやく口から漏らすと、皆が次々と正気に返り、口々に怒りを露わに怒鳴りはじめた。

「貴様! よくもガスティネルさんを!!!!」

「姑息な手段を使いやがって!」

「正面から戦えばガスティネルさんが負けるはずがないんだ!!」

「ガスティネルさんの仇討ちだ!!」

 この敗北を認めたくない彼らは、ガスティネルとの戦いで弱ったヴィクトールを皆で袋叩きにすることで、手っ取り早くテレ・ホートの者が負けたという不名誉を塗り隠そうとしたのだ。

「よせ! やめろ!! 恥に恥を重ねる気か!!」

 ガスティネルは仲間の暴走を止めさせようとするが、その低い声は大勢の人間の同じような波長の怒号の中にかき消されて彼らの耳には届かない。

 ヴィクトールは慌てて跳ね起きるが、次の瞬間には膝をついて腰から崩れ落ちた。

 ガスティネルの攻撃は思ったよりもヴィクトールの身体にダメージを与えていたようだった。

 この人数相手に勝てるとは思えない。しかもこんな状態では逃げようにも逃げ切れないだろう。

 万事休すだ、とヴィクトールは半ば諦めの気持ちだった。


 とその時、

「止めなさい!!」

 甲高い女の声が響き渡ると、黒い大きな影が一陣の突風となって現れ、その場に吹き荒れた。

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