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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第二章 アイリスの三公女
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第三十二話 消えた二人

 廊下を歩く生徒たちの中にシメオンが見たのは楽しげに談笑するラウラとエミリエンヌの姿である。

「あれはラウラ嬢か。その横にいるのは・・・・・・確かいつもヴィクトールらの周りをちょろちょろしている女だな」

 彼女か友人かはわからないが常に行動を共にしている。つまり二人とも大きくヴィクトールに関わり合いがある人物である。そしてヴィクトールという男は彼女らの身に何らかの苦難があれば、他人のふりをして素知らぬ顔をしているような人間ではないとシメオンは観察していた。

 上級生やラウラと諍いを起こしたことから分かるように、良くも悪くも子供っぽい正義感に捉われ、シメオンのような大人の大局的な考えができないのだ。

 つまり彼女らの身柄を確保すればヴィクトールの行動を縛ることができる。

 いや、『彼女ら』と言ったが、狙いは二人ではない、一人だ。

 フランシア屈指の大貴族、ナヴァール家の人間に手を出せばシメオンとて後難が恐ろしい。その点、エミリエンヌならば問題はない。

 だがそのことよりもエミリエンヌが平民の出であるところがシメオンにとっては重要であった。

 シメオンはこの騒ぎを一回りも二回りも大きくするのにエミリエンヌという存在が利用できると思いついたのである。


 だが今すぐというわけにはいかないな、とシメオンは即時の実行は断念した。

 今は何よりも人目があるし、他人から見ると自惚れと思えるほどの自信家のシメオンではあるが頭脳のほうはともかくも、こと体力勝負ということになると自信が無かったからである。

 まさかエミリエンヌみたいな子供にも間違えられる小柄な少女を取り押さえるくらいはできないということはないだろうが、年頃の淑女がごく普通に興味を持つ、ファッションや化粧といったことよりも、乗馬や砲術のようなものを好む変わり者として貴族社会で知られている肉体派のラウラをも取り押さえるのは難しいと感じていた。

 もちろん男と女には肉体的な差が顕著にあるし、ラウラはそういったことが好きだとは言っても、あくまで貴族のご令嬢の趣味範囲であるから、メスゴリラのようにムキムキな筋肉体質ではないので身柄の確保くらいなら不可能ではないだろうが、取り押さえようとする際に手間取って騒がれでもしたら厄介だ。

 その騒ぎを聞きつけて集まってきた他の生徒や教官たちは必ずやラウラの味方をし、シメオンを取り押さえようとするだろう。

 大貴族の子女のラウラとシメオンとではどちらの味方をしたほうがいいか考えるまでもないことだし、それでなくても目に入るのは男が少女に無理を強いている場面である。常識人ならばどちらの味方をすべきなのかは一目瞭然である。

「それに・・・後々のことを考えると、現場を見られるのは不味い」

 シメオンの予定ではこれをフランシアを揺るがすような大事にするつもりなのである。そんな事件が起きたとなれば士官学校の名誉にかけて犯人を捕らえようとするに違いない。

 もちろん、シメオンはそれに対する策も考えてはいるのだが、さすがに実行している姿を見られていては言い逃れも誤魔化しもできないだろう。

 事件後にフランシアから逃亡するのならともかくも、シメオンとしてはまだまだフランシアに留まって、軍内部に深く静かに根を下ろし工作活動を続けて手柄を立てていきたい。

 つまりシメオンが逃亡などするつもりはない以上、実行役として別の人間が必要となってくる。

 それにはシメオンと普段接点がなく、簡単に踊ってくれる馬鹿がいい。

「そうか・・・! こういったことに打ってつけの連中がいたな・・・!」

 シメオンはほくそ笑むと軽やかに歩み始めた。


「あんたがジヌディーヌか」

 ガスティネルは眼前の、どこからどう見ても貴族のご令嬢といったその華奢な少女の高慢な顔を見て、宮廷貴族とか言った存在と自分とはどうやら馬が合わないということを再認した。

 シメオンの企てが上手くいったこと例の一回生から聞いたジヌディーヌは喜び勇み、自らガスティネルの下を訪れていた。

 普段は同じ貴族と言っても野蛮で下品な存在である見下し、目も合わせないにもかかわらずである。

「そういう貴方がガスティネルですね。なるほどテレ・ホートの男だけあって(たくま)しいこと」

 ジヌディーヌは物怖じしない目で頭二つは高いガスティネルの顔を見上げ、自分の腰よりも太い上腕部や筋肉で隆起した両肩を惚れ惚れと見つめた。

「俺たちにヴィクトールとかいう男が気に食わないから懲らしめてほしいというわけだな?」

「ええ、あの小生意気な男に一泡吹かせられるのなら、悪いようにはいたさなくってよ」

「だが俺たちのやり方は荒っぽい。ちょっとばかし大事になるかもしれんぞ。あんたに類が及ぶかもしれぬ」

 少し脅すような言葉をジヌディーヌに言ったのには理由がある。

 やると決めたのだ。前途にどのような障害があろうとも、結果としてどのような不利益を被ろうとも最後までやり遂げるのがガスティネルという男の生き様である。

 とはいえ少しでも実害を少なくしておきたいという防衛本能が働かないでもない。

 なにしろヴィクトールは良くも悪くも有名人だ。それをぶちのめしたとなれば学内で騒ぎにならないわけがない。そうなれば教官も何らかの処分を下さねばならないだろう。

 しかもガスティネルは十分に加減をしたつもりでも怪我をさせてしまうことだってある。逆に万が一にもガスティネルが加減をできないほどの実力であるならば、なおのこと無事で済む可能性は低い。

 退学といったそれ相応の処分までも覚悟しなければならない。

 それはいい。自らが引き起こしたことに対する罰だ。甘んじて受ける。

 だが問題はヴィクトールの背後にいる(とジヌディーヌが言っている)ラウラの存在だ。

 ラウラの故郷、ナヴァールも広義にはテレ・ホートに入る。テレ・ホートの民はナヴァール内やその周辺にもいるということだ。

 歴史的に見れば辺境討伐の当事者としてのナヴァール伯と太古よりテレ・ホートに住むガスティネルらの地下の民とは支配・被支配という関係であり、共存する間柄でもあり、また互いに相争う間柄であった。つまり複雑な関係が今も存在するのである。

 今度の喧嘩がラウラの実家であるナヴァール辺境伯家と彼らテレ・ホートの民との間で揉め事の原因となることだけは避けたいところだ。

 そうなれば最終的にどちらが勝利するにせよ、大きな犠牲を払わねばならない流血の事態になることだろう。

 それを防ぐ方法がないわけではない。ヴィクトールとガスティネルとの問題に止め、ラウラをこの件に関わらせないことだ。娘に直接関係ない学生同士のいざこざでとやかく言うほどナヴァール辺境伯も分別がない大人ではあるまい。

 その為のラウラを牽制する役割をジヌディーヌに果たさせようとガスティネルは思っていた。

「ほほほ、御安心なさい。なにかあろうとも教官がたやナヴァール伯家には一切口を差し挟まぬようにしてさしあげますわ。大船に乗ったつもりでいなさい。それよりもわたくしがバックにつくからには一切の遠慮は無用、存分におやりなさい。必ず、あの生意気なラウラとヴィクトールに赤っ恥をかかせるのです」

「すまぬ」

「ほほほほほほほほほほほほ、気にしなくってよろしくってよ」

 学園内でラウラに目立たれ、ヴィクトールには慈悲で差し出した手をすげなくあしらわれ、ここのところ産まれてこの方感じたことのないストレスの溜まる展開ばかり続いたジヌディーヌは自身の希望通りにガスティネルがヴィクトールと戦うということに久々に鬱屈を忘れ、高笑いを上げた。

 言質だけとれば十分とばかりに背を向けのっしのっしとガスティネルは立ち去る。その広大な背中を見ながらジヌディーヌは怪しい笑みを浮かべた。

「ハサミにはハサミの、ペンにはペンの使い方があるというものです。あのような野蛮人たちでも使い方によってはわたくしの役に立つということですわ。シメオンは実に上手くやりましたね」


「君がエミリエンヌさんかな?」

 校舎の外れで突然、後方から声を掛けられた少女は、特徴的な頭の左右の二本の髪の房をピンと跳ね上げて、振り返って声の主を確認する。

「そうだケド・・・なぁに?」

 この士官学校に似つかわしくない間延びした子供っぽい返事はエミリエンヌのものである。エミリエンヌが振り返るって見ると、そこにはやたらガタイのいい見たこともない二回生が三人立っていた。

 もっとも社交的なエミリエンヌではあるが、ヴィクトールやアルマンと仲良くなる原因となった例の事件のこともあってか上級生に人脈を広げることはなかったので、二回生というだけで顔を知っていることはまず考えられなかったのだが。

「ヴィクトールという一回生を知っているよね? 彼が怪我をして大変なんだ・・・!! 一緒に来てくれないかな!?」

「ヴィっくんが怪我・・・?」

 字面だけ捉えると重大な意味を放っていた言葉だが、何故かエミリエンヌの心に響いてくるものはなかった。

「そう。命に別条はないものの、大変な大怪我でね。歩兵科の一回生は皆集まっている。君も心配じゃないかな? さ、行こう」

 男は作り笑いを浮かべ、エミリエンヌに手を差し伸べた。

「・・・行きたくないなぁ・・・」

 目の前の男たちにどこか胡散臭さを感じたらしく、エミリエンヌは差しのべられた手を掴むことなく小さく後退(あとずさ)った。

 エミリエンヌの知るヴィクトールは怪我をしたからと言って、心細さのあまりに友人を呼ぶような軟弱な男ではないのである。どこかが、いや、何かがおかしいとエミリエンヌは本能的に感じ取っていた。

「そう言わずに。大切な友人が怪我をしているんだよ?」

 業を煮やしたのか男の手がエミリエンヌの肩を掴み、その手に力がこめられる。大柄な男の握力はエミリエンヌのような小柄な女性には耐えがたいほどの力だ。

「・・・痛いッ・・・!」

 抵抗するように声を出すが、それを聞いても男が力を緩めることはなかった。男の威圧的な顔、そして嫌らしい笑みが視界に入る。

 後の二人はエミリエンヌを取り囲んで周囲から隔絶する。エミリエンヌは恐怖でそれ以上、大きな声が出せなかった。

「ちょっと! 私のエミリちゃんに何の用なのよ!?」

 三人の男と一人の少女の視線が一点に集中する。腕を組んだ少女が、肩幅よりも大きく両足を広げて大地をしっかりと踏みしめ立っていた。

 それは所用ですぐ戻ると言ったエミリエンヌがいつまで経っても戻ってこないことに不信感を抱き、ただならぬ現場を目撃して咎め立てしたラウラの姿だった。

「ど・・どうする?」

「どうするって・・・なぁ・・・」

 男たちはシメオンからエミリエンヌが一人の状態の時、なるべく人目のない場所で(さら)うように言われていたのだ。

 困った顔を突き合わせる男たちを尻目にラウアはつかつかと歩み寄り、エミリエンヌの手を取って引き寄せると背中に隠し、男たちの魔の手からその身を守ろうとする。

「いい? 用が無いのなら、エミリちゃんは私が連れていくわよ」

 反応がないことに半ばほっとし、その場を離れようとするラウラたちの前に、再び顔を見合わせ無言で頷いた男たちが立ちふさがる。

「な!? 何よ!? やる気なの!!?」

 悲鳴のようなラウラの声にも男たちは無言で手を前へ差し述べた。


 昼の休憩時間も終わりに近づき、思い思いの場所で食事休憩をとっていた生徒たちは午後の授業に備えて各々のクラスに戻ってくる。

 その賑やかだが穏やかな一団の中をかき分けるように突っ走って、アルマンが春の突風のごとく教室に駆け込んできた。

「ヴィクトール!! 大変だ!!!」

 直情径行型のヴィクトールと比べると冷静沈着であるはずのアルマンが驚き慌てる姿は珍しい。ヴィクトールだけでなく他の生徒たちからも視線が集中する。

「どうしたアルマン? 教官にめんどくさい仕事でも押し付けられたのか?」

 このところの過密なイベントスケジュールに面倒なことならばもう一寸たりともしたくないといった気持ちのヴィクトールは視線も合わせずに明らかに気乗りしない声で投げやりに返答をした。

「とにかくこれを見てくれ!」

 興味の無い、いや、興味を向けたくないヴィクトールだったが、目の前に突き出されたアルマンの手にしぶしぶながらも目を見遣る。

 アルマンが握ってくしゃくしゃになった紙片には『ラウラとエミリエンヌの身柄は預かった。返してほしければ言うことを聞け』とヴィクトール宛てに書かれていた。

 だが肝心の要求が書いていないという不思議な脅迫文だった。差出人の名前もない。

 軽い心当たりならないわけではない。ジヌディーヌの件、見も知らぬ二回生たちに喧嘩を売られるなど、ここのところ揉め事続きだ。

 とはいえそれらはちょっとしたいざこざ、ヴィクトール本人ではなく周囲の人物に危害が向けられるというほど強い悪意を抱くものではないはずだとヴィクトールは不審に思った。

 それにどこのどいつがたかが学生のいざこざで誘拐や脅迫といった犯罪行為を行おうなどと考えるというのだ。ことが露見すれば退学以上の厳罰は免れない。

「校内で誘拐して脅迫するだって? そんな馬鹿な。人を担ごうとする悪戯だろう。エミリかラウラの考えそうなことだ」

 それが常識的な考えというものだ。だからラウラかエミリエンヌが悪乗りし、ヴィクトールをからかおうとしているだけだと思って誘拐を真に受けず、口から湧いて出た適当な言葉で受け流す。

 どこまでも暢気(のんき)なヴィクトールの耳元で切れ気味にアルマンは大声を出して、その認識の甘さを訂正しようとした。

「だが校内のどこにも彼女たちの姿は見つからない! 確認したが寮にもいない! それどころか三十分前から見た者もいないんだぞ!!」

 既に尋ねられていたのだろう、数人のクラスメイトがアルマンの言葉に頷いて見せた。皆、エミリエンヌと特に親しい人物ばかり。ヴィクトールもよく知る顔だ。

 そして同じように騎兵科の生徒たちにもラウラのことを聞いて回っていることだろう。アルマンのことだからそういったことにぬかりはないはずだ。

「なんだって!?」

 ヴィクトールはようやく事の重大さに気付いて顔色を変えた。

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