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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第二章 アイリスの三公女
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第三十話 薄氷の勝利

 その男は鋭い目をしてニヤニヤと見るからに嫌な笑いを口元に浮かべ、ヴィクトールにゆっくりと近づいた。その歩調に合わせてさらに二つの似たような人影がヴィクトールの前に現れる。

 一人として見覚えはない。美人がにこやかな顔で近づいてくるならばともかくも、相手がこのようなむさくるしい男たちで、しかも良からぬ他意が見え隠れするような態度で接せられるとあってはヴィクトールとしては身構えざるを得なかった。

 警戒を見せるヴィクトールのその態度を、男たちは弱腰からくる態度だと見て取り、優位に立ったと思い込んで一層いやらしい笑みを口元に浮かべ唇を歪ませた。

 喧嘩も戦争も相手に気を飲ませ、先手を取ったほうが有利なのは言うまでもない。彼らはヴィクトールに対して優位に立ったと思い込んだのである。

「入学早々、この士官学校で上級生を殴って懲罰を喰らい、次いでアイリスの三公女と決闘騒ぎを巻き起こし、そして今度はラインラントで功績を立てた・・・か。今や学校の中はどこへ行ってもお前の話で持ち切りだ。凄いじゃないか。有名人だな」

 言葉だけならば褒めるような語句が並んでいたが、その口調には表情と同じようにどことなく(とげ)がみられた。

「いえいえ、とんでもありません。噂は広がるにつれ大袈裟になるもの。どれもこれもがちょっとしたことばかりで、先輩方のお耳に入れるような大したことをしたわけじゃありませんよ」

 そんな相手にヴィクトールはへりくだって見せた。別に相手におもねったわけではない。

 どうやら相手は喧嘩腰である。とはいえ喧嘩をするにしても相手の力量がわからない。それどころか相手の意図も敵意のほどもどの程度なのか分からない。本気で潰しにかかっているのか、あるいは生意気な後輩を少し締めておこうと思ったのか、それともちょっとばかし警告代わりに脅そうとしているのか。そのどれかによってヴィクトールが取るべき態度は変わってくるだろう。

 喧嘩を避ける目的で相手に譲歩するのは馬鹿のすることだが、だからといって喧嘩腰の相手に喧嘩腰でいきなり応じては話し合いはできないだろう。

 とはいえこちらに非がないのに一方的に殴られるのは御免こうむるところである。マゾではないのだ。ヴィクトールは油断なく三人すべての挙動に目を配りつつ、囲まれないように体勢を移動させる。

 しかしもし暴力事件などといったことに発展しないのであるならば、ヴィクトールとしても多少譲ることも(やぶさ)かではない。

 なにしろ言葉で言うのはタダであり実害はない。そこでヴィクトールは少し下手に出ることで相手の様子を窺うことにしたのである。

「謙遜か!? だがそういうのは謙遜じゃなくって、単なる嫌味なんだよ! 本当にくそうぜぇ奴だな! 気に障る! 目障りだ!!」

 だがヴィクトールのその行動もまったく効果が無かったようだった。

「ですから先輩の誤解ですってば。弱ったな・・・どうすれば理解してもらえるのか・・・とにかく、まずは落ち着いてもらえませんか」

 平和的解決を図ろうとするヴィクトールに対して、その男は顔を近づけて凄むばかりで聞く耳を持とうとはしなかった。

「クソガキが! 調子に乗ってるんじゃねぇぞ? あぁ!?」

 返ってきたのは罵声だった。ヴィクトールはうんざりした。

 ぶっちゃけこういう輩がいるからこそ、ヴィクトールはラインラントにおいて立てた首功をラウラにあっさりと譲ったのである。

 いつの時代も目立つということはそれだけ他者から嫉妬と反感を買うということなのである。

 ラウラならばさすがは辺境伯という名家の出であると貴族社会内で好意的に捉えられるであろうが、名ばかり貴族のヴィクトールでは逆に嫉妬や反感の対象となるだけである。その負の感情からもたらされる極一部の人間の悪意ある行動をひとつひとつ()ね除けていくのは煩わしいうえ時間の浪費だ。

 それにすべてを防ぎきることは難しい。

 もちろん軍人となるからには戦場で数々の手柄を立て立身出世をし、歴史に名が残るような英雄になるというごく普通の少年が持つような漠然とした野心がヴィクトールにもないわけではない。

 それには当然、称賛の声や憧憬の眼差しだけでなく嫉妬や反感を受けねばならないことも覚悟の上だ。

 だがそれは出世や栄光と引き換えにするならばという条件がつく。士官学校卒業前の人間に軍人としての階級はない。本来ならば昇格ものの勲功であっても実際に昇格させるわけにはいかないのである。つまり今回のことは実利が全くない。

 ならば別に自分の功績と声高に主張することもない。そう計算を働かせてみたのであるが、どうやらその目論見は早くも失敗したようだった。

 世間的にはそれで通ったとしても、生徒たちの多くの目のあるところで為された事実、士官学校内では真実が知れ渡っているので、よくよく考えれば誤魔化しきれるものではないのが当たり前であった。

 その証拠が目の前に今、こうして存在している。

「あぁ!? 何を黙ってるんだぁ? びびってんのか!?」

「悪いんですけど何か先輩方の勘違いじゃないですかね。調子に乗ってるつもりもないし、そもそも私は目立とうとしてだとかそういった考えで行動したことは一度もないんですが。いつも巻き込まれたとんでもない事態に慌てふためいて右往左往、なんとか窮地を脱する方法はないか、ただそれだけを考えて行動していただけですよ。事実であること事実でないことが混ざった噂が独り歩きし、士官学校内に広まっている様子。私にしてみれば迷惑なことです」

 害意のなさを表すかのように両掌(りょうてのひら)(おもて)を見せて(なだ)めすかしてみるが、敵意を剥き出しにしたその態度を変える様子は見受けられなかった。

 どうやら確たる理由があってヴィクトールに文句を言っているのではなく、単に目立つヴィクトールが気に入らないだけのようであった。

 最初からヴィクトールの態度や言い訳など問答無用に喧嘩を売りに来たのであろう。

 これ以上、面倒ごとにつき合わされるのは御免被りたいというのがヴィクトールの嘘偽らざる気持ちなのだが、どうやら世間様ではそうは問屋が卸してはくれないようである。

 ヴィクトールは肩をすくめて溜息をついた。

 だが相手にはそのヴィクトールの気持ちは伝わらなかった。ヴィクトールのその仕草が却って道化じみたものに見えたのか目の前の男たちは一層怒りを表に出した。

「ふざけんな!」

 もう対話の時間は終わったとでもいうのだろうか、三人の中で終始指導的な立場に立って怒鳴っていた男がヴィクトールの肩を掴もうと右手を伸ばす。

 ぬっと伸びてきたその手をヴィクトールは身体の内から外へと半円形を描くように左手を動かすことでなんなく振り払った。

 ヴィクトールと比べて相手が非力だったわけではない。どちらかというとその男とヴィクトールとではさして差があるようには見受けられなかった。

 それもそのはず、ヴィクトールは己の力だけでなく、相手の力を利用しただけ。相手の力に真っ向から逆らうのではなく、相手の力のベクトルに別のベクトルを合算して新しい力のベクトルを合成し相手の身体を想定外の方向に動かす。その想像外の身体の動きにぐらつく相手を空いている右手で突き崩すことで、なんなく処理したのである。

 崩れた体勢を整えようとすることばかりに注意が向いて、無防備にさらけ出されたその背中にヴィクトールは回し蹴りを叩き込む。

「グハッ・・・!!!!」

 横蹴りでも前蹴りでもなく回し蹴りである。回し蹴りは足の筋肉の力だけでなく腰を回すことで生じる回転力を加える分だけ威力のある攻撃ではあるが、その分だけモーションも大きいし、遠心力で振られる分、重心が移動することもあいまって一時的に安定性を失う動きである。

 大きく実力差があるのならともかくも、複数対一のなんでもありの喧嘩のような真剣勝負の場で率先して取るべき選択肢ではない。

 だがあえてヴィクトールは数多くの攻撃手段の中からそれを選んで見せた。相手に実力差があると見せつけるため、肉体的だけでなく心理的にもダメージを与えるために、である。

 他の二人が戦闘態勢に入っておらず、咄嗟(とっさ)に詰められる距離ではないと判断したからこその行動であった。

「こいつ・・・!!」

 彼らとて喧嘩馴れしている男たちである。だがなまじ恵まれた体躯(たいく)に生まれたばかりに、今までそれを生かして相手に圧力をかけるといった一辺倒な戦い方に終始してきた。

 だからそれを否定された時に取るべき選択肢を持っておらず、ヴィクトールの先制攻撃に気を飲まれた。

 これで機先を制した。とはいえ人数の差は絶対的な不利でもある。体格を見れば油断できない相手であることは一目瞭然だった。

 これまでの経験から滅多な者には後れを取らない、勝てるはずだという声と、相手を甘く見るな、その表情、体躯を見るに以前相手したような貴族のお坊ちゃんのような生ぬるい相手じゃない、一時の優勢さなど人数と時間とで押し込まれ敗北するという声とがヴィクトールの心の中で背反する。

 とはいえもう後戻りはできない。あとは先手を取った勢いのまま一気呵成(いっきかせい)に押せるだけ押し続けるだけだとヴィクトールは腹をくくって心中の迷いを振り払った。

 何しろ威力の大きい回し蹴りを叩き込んだといっても、腰椎の少し上あたりだったろうか、手応えは悪かった。

 ちらと倒れこんだ男のほうに目線を()る。

 思った通りだった。男は腕をついてすぐさま立ち上がる気配を見せていた。戦闘不能に追い込んだわけではない。

 だが数秒の、いいや一秒程度であるが時間は稼げる。ヴィクトールにはそれで十分だった。

 倒れこんだ男を無視して、別の男に向かって足を踏み込んで一気に間合いを詰める。

 男は慌てて拳を胸の前に構えて防御態勢を取り、近づいてくるヴィクトール目掛けて左拳を突き出した。牽制である。当たっても大したダメージはないが、ヴィクトールは体を(ひね)って簡単にそれを避けた。

 蹴りみたいな重い攻撃でなくてよかった、とヴィクトールは思った。

 もちろん蹴りに対して十分な体勢を取れるように腰を落として重心を深くし、足幅をいつもよりやや左右に広く取ってはいたが、それで攻撃を防げたとしても下手をすると足が止められてしまう。

 足が止まれば三方から包囲されてしまいかねない。少し厄介なことになったであろう。

 ヴィクトールが勝利するには足を止めないことが必要だった。

 ヴィクトールはパンチを避けるために身体を捻ると同時にカウンターの要領で左拳を放った。

 その辺の不良ならばそれで一撃KOも可能だったろうが、相手は素早く腕を顔近くまで持ち上げて固くガードを固めた。

 だがこちらもその攻撃は牽制。ヴィクトールは左拳を掴まれたりしないように素早く身体側に引くと同時に今度は逆方向に身体を捻り返して右拳を腎臓(じんぞう)目掛けて叩き込んだ。

 深く潜り込ませた右拳に手応えを感じたヴィクトールの左肩に激痛が走る。男が肘を打ち下ろしたのだ。

 慌てて拳で相手の身体を突き、地面を蹴って距離を取る。

 だが効果がなかったわけではないらしい。ヴィクトールに次の一撃を放とうとしたその男は下唇をかみしめ顔を真っ赤にして口から胃液をほとばしらせながら、どうと前方へと倒れ込んだ。

 ヴィクトールとしては追撃をくらわして確実に戦闘不能に追いやっておきたいところであったが、事態はその行動を許してはくれない。

 後ろに飛びのいたヴィクトールに横合いからもう一人の男が飛びかかってきたのである。

 ヴィクトールは身体を回転させてその男に正対し、その後、横に動くことで避けようとしたが、かわしきれなかった。

 タックルとも頭突きとも、その太い(かな)での打撃とも取れるような様々な要素が絡んだ攻撃である。

 もし正対するのが間に合わず、横から、あるいは後ろから喰らっていたらそれで全てが終わる、そうヴィクトールに思わせるものがある攻撃だった。

 いつぞやのように飛び込んでくる頭に膝を合わせて脳震盪(のうしんとう)を起こさせるような芸当が許される時間も距離も速度も与えられなかった。

 だが衝突に備えて歩幅を取り、両足を素早く後方に引いて踏ん張ることで転倒させられることなくヴィクトールは相手の足を止めた。

「なんだと!?」

 腰に食らいつけばこちらのものだとばかりに思っていたその男は想像しなかったその事態に驚き、思わず顔を上げてヴィクトールを見上げた。

 ヴィクトールは驚いた顔に対してにやりと笑みを浮かべて返事をすると、その顔に全体重を乗せた肘打ちを叩き込んだ。

 その衝撃に一瞬力が弱まった腕を振りほどいて相手を地面に引きずりおろし、その顔にもう一発蹴りをくれてやる。顎に当たった確かな手応えにヴィクトールは微笑む。これでこの男もしばらくは立ち上がってこれないはずだ。

 だがその間にも最初に回し蹴りを叩き込んだ男は立ち上がってヴィクトールの後ろに回り込もうとしていた。しかしその動きはヴィクトールの視界の隅に捉えられている。

 他の二人の相手をして自分にはまったく注意が向いていないだろうと高を括ったその男がヴィクトールの後頭部目掛けて不用意にパンチを放つと同時に、その男の視界からヴィクトールの姿が消え、次の瞬間足首に強い力がかかったかと思うと、男の視界が上へとぐるりと半回転し、地面で背面全体を強打する。

 ヴィクトールは身体を低くすると同時に足を回し、地面すれすれに回転させ相手の足を払ったのだ。いわゆる水面蹴りである。

 後頭部に過大な力がかかったその男は言葉にならない呻き声をあげながら頭を抱えて悶絶した。

「さてと・・・これで終わりですかね」

 大きくダメージをもらったのか、それとも気圧されたのか立ち上がる様子を見せない二回生たちを見てヴィクトールは内心大いに安堵しつつ、そう言った。

 もっとも三人ともまだその目に敵意を宿らせ戦闘意欲の衰える様子を見せない。気力なり体力が回復したら再び襲ってくるのは間違いないところである。

 この男たち相手に三対一で持久戦をやるのはどう考えても無謀である。

 ここは早めにおさらばしたほうがよさそうだった。

「たいしたものですよ、先輩。俺はこんなに何発もいいところに拳をくらったのは産まれて初めてです」

 赤くなった頬を親指で撫でながら、無様に地面に横たわった上級生たちを文字通り上から見下ろしてヴィクトールは軽口をたたき、勝者の余裕をもってその場を後にする。

「・・・くっ・・・!!」

 憎らしげにヴィクトールを睨み付けるが、手足を出すどころか反論を口に出す余裕すら彼らにはなかった。ヴィクトールは攻撃をよほど正確に急所叩き込んだらしい。

 余裕の表情を見せたヴィクトールだったが、とはいえ内心は表情とは別物だった。

 確かにその巧みな体裁きをもって一撃の急所を狙った敵の攻撃は外した。 外した、が交わしたではないのである。

 前に述べたようにヴィクトールは喧嘩馴れしているが、そのヴィクトールの目から見てもこの三人の上級生たちも十分に喧嘩馴れしていた。

 交わしきれなかった拳や蹴りは一発や二発ではなかった。

 あくまで倒れるほどの強烈なダメージを受けなかったというだけなのである。言ってみれば辛勝だったのである。

 こんな猿芝居をした訳は、強者の余裕を見せて実際以上に実力差があると勘違いさせ、リベンジを挑んでくる気を無くそうとしたのだ。

「イテテ・・・明日、腫れなければいいが・・・」

 少し歩いて距離を取り、後方から先ほどの男たちがついてきていないことを確認してから、ヴィクトールは歩みを遅めながら痛む身体のあちこちをさすった。

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