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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第二章 アイリスの三公女
29/92

第二十九話 トラブルは続く

「ジヌディーヌと揉めたんですって!?」

 翌日、ヴィクトールが教室に入るや否や、ラウラが血相を変えて近づいて来て(わめ)き立てた。何故か隣の教室でなく、わざわざこの歩兵科の教室でヴィクトールが来るのを待ち構えていたようだ。

「・・・やけに早耳だな」

 ヴィクトールはまだ昨日の事は誰にも話してなかった。というよりも昨日の出来事は勝手に向こうから話しかけてきて、勝手によく分からない理由から喧嘩を売られ、なんだか中途半端な有耶無耶な形で終わった事件であった。

 平たく言えばジヌディーヌが演じた一人芝居のようなものだ。その馬鹿馬鹿しさに誰にも話す気にもなれなかったというのが本当のところだ。

 それにヴィクトールとて紳士の端くれ、ジヌディーヌの言動は不快ではあったが、淑女(レディ)の面子を立ててやる気も少しくらいはあろうというものだ。

 というわけで現に同室のアルマンですら今横で間抜け面をヴィクトールに向けている有様であり、そのような状況の中、いったいどこからその情報を手に入れたのだろうかとヴィクトールは不思議に思った。

「例の狂犬一年生が今度は恐れ知らずにもターバート伯爵夫人に噛み付いたって、女子寮では昨晩からその噂で持ちきりよ!!」

「エミリはそんなの聞いてないよ?」

 耳聡いエミリエンヌの耳にも一切の情報が入っていなかったのか、目を丸くして可愛らしく小首を(かし)げる。

「あ、ごめん・・・女子寮と言っても全体じゃなくて、貴族の女の子の間で・・・かな?」

 ラウラの言葉に自身が疎外されたと思ったのか傷ついた表情を浮かべるエミリエンヌを見て、ラウラは取り繕う。

「だって言いふらしているのが当のジヌディーヌ本人なのよ。あの子、平民とは口も利かないじゃない?」

「やっぱりラウラっちもエミリを平民だからって差別してんの?」

「ごめんね、エミリちゃんを()け者にしてたわけじゃないのよ」

 頬を大きく膨らまして抗議の意を表したエミリエンヌに対して、ラウラは赤子をあやすように優しく頭を撫でる。

「ただ何故か私がその火中に巻き込まれた形になっていて、説明だとかして回るハメになって今朝まで話す余裕がなかっただけなのよ」

「何故、ラウラが俺のことで巻き込まれる?」

「あ・・・そうそう、そうだ! それで文句を言いに来たんだった!! ヴィクトール、なんてことをしてくれるのよ!!」

 ヴィクトールの言葉に歩兵科の教室に朝からわざわざやってきた理由を思い出したラウラは眉を吊り上げ、怒りの表情でヴィクトールの机に(てのひら)を叩き付けて教室中に鳴り響くような大きな音を立てる。

「なんてこと?」

「ジヌディーヌの実家は所領こそ大きくないものの、フランシアでもここ数代にわたって国務卿を輩出した名門宮廷貴族の出なのよ! 先代はカルルマン三世の右腕として長年フランシアを支えた辣腕(らつわん)家、いまも宮中にはその息のかかった貴族や官吏が大勢居るわ! 法律違反を揉み消すことなどお手の物、その気になれば違法なことであっても大概なことは行うことが出来るのよ!」

 その長いセリフを大きな声で一息で吐き出すと、ラウラは腰に手を当てて眉を吊り上げ怒り顔を作ってヴィクトールに向けた。

「ヴィクトール、貴方は私の騎士の一人と思われているのよ? 貴方がジヌディーヌに突っかかっていったということは、ナヴァール辺境伯家がダルリアダ公爵家に喧嘩を売ったということなのよ!」

「俺はラウラの騎士とやらになったつもりはないし・・・・・・そんなつもりも毛頭ないが」

 ヴィクトールの言葉にラウラは少しばかり傷ついた表情を浮かべたが、気を取り直して会話を続ける。

「少なくとも貴族の子の間じゃそうとらえられても仕方がないってことなのよ!!」

「そんなものなのかねぇ、貴族の考えることはよく分からないな」

 自分が貴族出身であることをすっかり棚に上げてヴィクトールは首を捻りつつそう呟いた。

「二つの家の間で政争・・・ううん内戦が起きるんじゃないかって噂が飛び交っているのよ!! ナヴァール家に災難が降りかかる・・・もしそんなことになったらどう責任とってくれるのよ!?」

「単なる学生同士の(いさか)い、子供の喧嘩じゃないか。そんなことくらいで政争が起きてたまるものか」

「ヴィクトール、貴方は歴史を知らないわね! 個人の感情の行き違い・・・後世の人間から見てくだらないことからでも歴史的な大事件に発展することもあるのよ! 私の言葉は決して荒唐(こうとう)無稽(むけい)な言葉ではないわ!!」

「と言われてもなぁ・・・もう既に起きたことを取り消すことなど俺には出来ないぞ」

「私にだってできないわよ! そんなことは神様にしかきっとできないわ! でもすまなかったとか悪かったとか私に一言あってしかるべきじゃない?」

「そう言われてみると確かに俺が迷惑かけたことになるみたいだな。悪かった」

「わかればいいのよ」

 ヴィクトールが頭を軽く下げると勝ち誇ったかのようにラウラは朗らかに笑った。そんなラウラにアルマンが首を傾げ訊ねる。

「おかしくないですか?」

「何が?」

「ナヴァール辺境伯家は南部の守りの要、フランシアには欠くことのできない武門の家。大臣であろうとも国王であろうとも無視できない重みを持っている。ことあるごとに貴女がそう自慢なされていたではありませんか。相手が名門ダルリアダ公爵家であっても恐れることなどないのでは? それともあれは単なる諧謔(かいぎゃく)(たわむ)れ、言葉遊びだったとでも?」

「う、嘘じゃないわよ! ナヴァール家は王家すら一目置く重鎮なのよ! ダルリアダ公爵家だって恐れはしないわよ!」

 その言葉は先程のラウラの困惑顔を見る限り決して真実であると言い切れるものではないのであろうが、自分の産まれた家を何よりも誇りに思っているからであろうかラウラは自身ありげに言い切った。

「そこまでおっしゃるのならば何も心配することはないのでは?」

 そう言うと軽く笑うアルマンに合わせてエミリエンヌも軽やかな笑い声を立てた。自分が馬鹿にされたと感じたのかラウラは顔を紅潮させる。

「わ、私が心配しているのは私の家のことじゃなくってヴィ、ヴィクトールのことよ。どんな厳しい手段や汚い手口を使ってくるか・・・いくら私でもかばいきれないわ! どうするのよ!?」

「無視するに決まっている。あっちが一方的に敵視しているだけだ。相手にする必要は少しもない。そもそも女に手を上げる趣味もないしな」

「そうだよ! 相手にしなきゃいいんだよ!」

 士官学校では人目がある。いかにダルリアダ公爵家の威光があってもめったなことはできないはずだ。多少は闇討ちを警戒しなければならないだろうが、昨日の一件を考えるにジヌディーヌの取り巻きは腕っ節と言う点においてはヴィクトールに遥かに及ばないというのが現実であるようだとヴィクトールは判断したのだ。

 ならばいくらジヌディーヌが腹に据えかねたといっても、こちらからあえて手を出しさえしなければ事件にすらなりはしないだろうというのがヴィクトールやアルマン、エミリエンヌたちのお気楽な考えのようだった。

「そう上手くいくかしら? 彼女は結構しつこい性格らしいわよ? ひとたび侮辱されたと感じたら、その屈辱を晴らすまで許さないかも。貴方、消されても知らないわよ!!」

 だがラウラはそうは考えていないことは言葉から明白だった。貴族に産まれつくということが高貴なる義務といった人格の正の側面を教育されるだけでなく、生き馬の目を抜く宮中を渡り歩くための陰湿さや狡猾(こうかつ)さといったマイナス面をも持たねばならぬということを知っているからこそ口から出た言葉だった。

「そうなったら・・・そうだな・・・降って来る火の粉は出来る限り振り払い、せいぜい大火傷(やけど)をしないようにするしかないか」

 しばらくはまた厄介なことになりそうだとヴィクトールは溜息混じりに呟く。

「いや大丈夫さ、ヴィクトール」

 この回避する手段が簡単には見当たらないように思える危機的状況を気軽に否定して見せたそのアルマンの言葉にラウラは呆れ、噛み付いた。

「どうして!?」

「どうしてと言われましても・・・その時は庇ってくださる方がおられるではないですか。なにしろ我々は名高いナヴァール家のラウラ嬢の騎士らしいですからね」

「あ・・・そうか! 確かにそういうことになっていた気がするな。そういった手があったか!!」

 何かとラウラの付属物扱いされることにさえ普段は嫌な顔をするのに、今この時だけはヴィクトールはアルマンの言葉に現金に顔を輝かせた。

「ちょっと・・・! いつも騎士扱いされることを否定するくせに、都合のいいときだけ私の騎士みたいな顔をしないでよね!」

「まさか誇り高いナヴァール辺境伯家の子女ともあろう者が苦境に喘ぐ友人をお見捨てになったりしませんよね?」

「うっ・・・!」

「ラウラちゃん・・・仲間見捨てるの?」

「ううっ・・・・・・!!!!」

 エミリエンヌのつぶらな瞳に訴えかけられるように覗き込まれるとラウラは否定的な言葉を口にする事ができなくなった。ラウラはエミリエンヌにだけはとっても甘いのである。妹・・・いや可愛いペット感覚なのであろう。

「ま、まぁヴィクトールがどうしてもというのなら、助けてやらないでもないけど・・・」

「よかったよねヴィっくん! ラウラちゃんが助けてくれるって!」

 その言葉にヴィクトールは無邪気に喜ぶエミリエンヌの頭を撫でつつラウラに会心の笑みを向け、「じゃあ、どうしても」と言った。

 ヴィクトールにそう言われてしまってはラウラにはもはや断ることなどできはしない。外堀は完全に埋められたのだ。

「し、しょうがないわね。ラインラントで助けられた恩もあるし、このラウラ様が一肌脱いでやろうじゃないの!」

 ラウラのその態度にはヴィクトールだけでなくエミリエンヌもアルマンも笑い出す始末である。

「笑い事じゃないッ!!! ダルリアダ家と張り合うっていうのは並大抵の覚悟じゃ務まらないことなのよ!!」

 ラウラは大きく怒って見せたが、他の三人の笑い声が増しただけだった。

「安心してくれ。出来る限り自分のできる範囲のことは自分で処理するよ。まぁ相手は名の知られた大貴族だ。その誇りがある。子供の喧嘩に実家を巻き込んだりだとか、公権力を利用したりだとかまで考えたりはしないだろ。

だから俺がラウラに頼ることはないんじゃないかな」

「どうだか」

 そんなに甘いものじゃない、と少しは宮廷の、すなわち貴族の生きる世界の真の姿を知っているラウラは思った。

 確かに権力を持つものはその権力を維持するために不断の努力が必要で、支配体制を覆されないためにも下のものに対してめったな行動は取らないのが普通であるが、それでも権力を有したものは往々にして恣意的にその力を行使したくなるものである。

 権力者も人間、気に入らないことはしたくないし、自分の思うが侭に行動したいと思ってしまうものなのだ。もちろん多くの者はそれをした結果、周囲からどのような反発があるかを考えてしまい実行には移さないものだが。

 だがジヌディーヌは我侭一杯に育てられてきたし、何より若い。そこまでの自制心を求めるのは難しいかもしれない。

「それにしても次から次へと揉め事ばかりを起こして・・・何? ヴィクトールは権威とか権力に何が何でも抵抗したいとかいったそういう年頃なの!?」

 入学以来、その身に降りかかった事件のほとんど全ては受動的なもので、決して能動的なものではなかったのだから、ラウラのその言い分には大いに抗議したいという気もあったが、外から見ればそういうふうに見えてしまうのかもしれないということはなんとなくヴィクトールにも分かるだけに反論することはなかった。

「悪かったよ。反省はしている」

 対して返って来たラウラの言葉はヴィクトールを猛獣扱いするかのようだった。

「もう! 気をつけてよね!!」


 人間は感情の生き物である。ヴィクトールも当然、感情によって判断が左右されることがある。

 いや、多感な時期だけにほとんどの判断が感情に大きく左右されるといって過言ではない。今回のジヌディーヌへの対応がそれを如実に表している。

 しかし相手はフランシアを代表する大貴族の一員なのである。よくよく考えれば将来の軍隊での出世、あるいはフランシアにおいて生きていくことを考える上で敵対するのは得策ではない。

 確かに相手が不愉快で理不尽なことを言っていたとしても、余裕を持って受け流せばよかったのである。

 それに相手の程度が低いからといって己の対応を相手に合わせてしまっては、心理的、人間的なレベルを自ら落とすのも同じである。

 大人の対応と言うものがあったのではないかと少しばかり反省する。

 もっとも過ぎてしまった事をくよくよしないというのがヴィクトールの長所かつ短所でもあるので、一通り反省した後は翌日も翌々日もジヌディーヌたちから何らかのアクションがなかったこともあってこの出来事も綺麗さっぱり忘れさり、これで済んだとばかりにすっかり油断していたのである。

 だから気付いた時には極めて体格の良い二人の男に挟まれる形で前後を塞がれていた。

「一年のヴィクトールだな?」

 かけられた声から想像できる不機嫌さをその男は隠そうともせずに渋面をヴィクトールに向けて睨みつけていた。

 凶暴な光を秘めた目、太く逞しい二の腕、頑強そうな足腰。

 故郷の街でヴィクトールが普段相手にしてきたようなゴロツキと雰囲気はさほど変わらなかった。

 それでも間違っても士官学校の生徒、彼らに比べればまだ上品さが残っているのだが、どちらかというとあまりお付き合い願いたいような外貌ではなかった。

 袖色を見る限り相手は二回生のようである。

 相手は上級生だと自分の心に言い聞かせてヴィクトールは丁寧な態度を心がけ口を開いた。

「そうですが、何か?」

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