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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第二章 アイリスの三公女
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第二十六話 Iris de Dalriada

 さて危うく囚われの身となる窮地を脱したヴィクトールたちの冒険談は仕官学校内でひとしきり話題となった。あの脱出行を共にした生徒たちはその勇気を誰からも賞賛された。

 それだけでなく士官学校の青年たちの冒険は大きく人々の口に膾炙(かいしゃ)して世間にも知られることとなった。

 ならばヴィクトールはこの士官学校一回生の時点で大きく外にその存在を知られることになったかというとさにあらず。未だ一般には名も無き市民Aでしかない。

 有名になったのはラウラのほうである。

 実戦経験豊富な老練のメグレー将軍にしてその発想の奇抜さを賞賛した作戦を立て、死地からの脱出の道筋を示したのはヴィクトールだが、全体として部隊の指揮を執っていたのはラウラであったから、そのリーダーとしての資質を認められたという側面もある。

 だが真の理由は別にあった。ありふれた没落貴族という、それほどキャラとして面白みの無いヴィクトールよりも『アイリスの三公女』の一人であり、しかも美人のラウラの方が広告塔としてなにかと都合が良いと軍は考えたのだ。

 軍はラインラントでの敗戦を糊塗(こと)する意味合いもあって、積極的にラウラの英雄的行動を賞賛した。

 今やラウラは仕官学校内だけでなく、フランシアにおいてもちょっとした有名人である。

 ラウラはこれでは自分がヴィクトールの功を横取りしたみたいで嫌だと抗議したが受け入れられず、ヴィクトールに頭を下げて何度も謝った。

 とはいえヴィクトールとしては別に気にしていなかった。このことでラウラが得たのは評判と賞状と小さな勲章くらいで実利があったわけではなく、むしろ偉い人と会って会話しなければならないといったわずらわしい作業が増えただけで、有り難味があるようにはヴィクトールには思えなかったからだ。

 士官学校内の人間ならば本当のことを知ってくれている、それで十分であるというのがヴィクトールの考えである。

 具体的に言えば、困難に陥ってもパニックに陥ることなく挫けず冷静に物事を行ったことで、将来的に見所があると大いに教官がたの心象を良くしたことで満足していた。

 これで入学早々付きまとっていた悪評から解放され、放校の恐れが無くなったということがヴィクトールにはなによりも喜ぶべきことであった。


「ラウラさん、おはようございます」

「おはよ! 今日もいい天気ね!」

 すっかり校内一の有名人となったラウラは校内を少し歩くだけでたちまちどこからか声をかけられる。

 声をかけてきたのが顔も名前も知らない生徒であっても、ラウラはいちいち取り澄ましたり無視したりせずに気さくに返答するのが常だった。

 上流階級の出なのに気取ったところがなく、生来の明るさと人あたりのよさもあって評判は上がる一方だった。

 一年のマドンナ、士官学校のメインヒロイン、そんな趣きすら感じられた。

 だがそんな輝いた学生生活を過ごしているラウラを苦々しい思いで見ている者もいないではなかったのである。


「ふん」

 校舎の外をいつものように挨拶に応えながら歩いているラウラの姿を学び舎の窓から見て一人の少女が不満げに鼻を鳴らした。

 ふんわりとしたボリュームあるオレンジ色の巻き毛を腰まで伸ばし、その気位の高さと気の強さが現出したかのような高い鼻をした少女だった。

 美人であるか美人でないかといったら十分すぎるほど美人であるのだが、ラウラをさらに一回り・・・いや、ふた周りは気を強くしたかのようなキツイ目付きをした、見るからに冷たそうな少女でもあった。

 彼女こそ三公女の一人、ダルリアダ公爵の妹、ターバート伯爵夫人ジヌディーヌである。

 伯爵夫人といってもこの年で既に既婚と言うわけではない。独身である。先代ダルリアダ公爵が死去した折、ジヌディーヌにターバートの伯位を遺言で分与したのである。珍しいことである。それだけ父に愛されていたのであろう。

「大きな顔をしちゃって気に入らないわ。たかが辺境伯風情の娘が『三公女』とか呼ばれて私と同列に並べられているだけでも許せないのに、ちょっとばかりラインラントで功績を挙げたからといって、この学園の女王気取りだなんて」

 大いに甘やかされて育っただけにジヌディーヌは心に浮かんだことを思うがままにすぐさま口にしてしまう。それが咎められるようなことが今まで一人としていなかったのであろう。

 それは実家を出た今も変わらない。今でも彼女が一言なにか言うだけで、周囲を取り巻いていた男たちがおべっかを次々と口にする。

「ジヌディーヌ様がお気にかけることなどないですよ!」

「そうですとも! ジヌディーヌ様のお美しさの前ではラウラなど比べるのもおこがましいほどです!」

 歯の浮くようなお世辞だが、いつもそのような()びや褒詞に囲まれて育った彼女にはそれが実のない空虚な言葉かどうか真偽を考えるだけの人格が成熟していなかった。

 その全てを真に受けたジヌディーヌは気分を大いに直して余裕の笑みを浮かべる。

「それもそうね」

 あっさりと人のおだてに乗るところは人の良さなのか、あるいは単に人を見る目がないのであろうかは分からない。

「だいたい一時の話題になっているに過ぎません。そのうち皆飽きて次の話題に移ります。それに例の一件だって、詳しく聞けば他の人が立てた策が上手くいったことが成功した要因で、ラウラは実際にはたいして役に立っていなかったとか。真の功労者が自身の取り巻きの一人だったから手柄を奪ったというのが裏の事情だそうです」

 彼らの話はもちろん我々の知っている真実とは異なっている。ただ彼らの耳に入った段階、あるいは彼らの口から出る段階ではここまで変質していたということである。

 真実はたいてい歪めて伝えられるというところか、あるいは人は得た断片的な情報を繋ぎ合わせて己が望む物語を作ってしまうというべきか。とにかくこれは彼らの間で通用している認識であり、彼らだけの真実だった。

「・・・やっぱりね。そんなことだろうと思いました。本当に最低の人ね」

「人の手柄を平然と奪うなど上に立つ者としての器量が足りませんね。辺境で育った山育ちの猿なのです。ジヌディーヌ様とでは格が違いますよ」

「うふふふふ、ありがとう」

 別に例え本当にラウラがそのような下劣な人間性を所持していたとしても、それに対して彼らが優れた人間性を持っていることにはならないのであるが、相手を下に見下ろすことで自分たちが上になったかのような錯覚に陥るのは人間の常である。ジヌディーヌはたいそう機嫌を良くした。

「だとしたら、功を取られたその男は内心、いい気はしていないかもしれませんね」

「それはもちろんそうでしょう。あれほどの功績を他人に奪われるなんて、どれほど心酔していても我慢できないでしょう。ラウラへの想いも醒めてしまっていると考えるのが適当かと」

 その言葉を受けて、あることを思いついたジヌディーヌは、目を大きく見開いて両方の口角を釣り上げて笑みを浮かべる。

「おもしろいことになりそうだわ」


 ヴィクトールたち仲良し四人組といえども、四六時中、常に行動を共にするわけではない。

 それぞれが別個の人間である限り、個人的な用件というものがあるし、一人になりたい時だってあるのだ。

 それにどんなに仲が良くても二十四時間一緒にいては息が詰まるし、軋轢(あつれき)も産まれる。

 ほどほどの距離感と言うものが大事なのだ。友情でも恋でも少しだけ離れている時間こそがより関係を育むのである。もちろん離れすぎては冷めてしまうのは言うまでもない。

 というわけでヴィクトールはその日の放課後、珍しく一人で行動し、今回ブルグント軍がラインラントにおいてどのような方策をもってフランシア軍を破ったのか、教官がたに片っ端から訊ねて回って迷惑な顔をされたり、かと思うと図書室の資料室に籠って古い資料を引っ張り出して戦術と言うものに対して思いをめぐらしてみたりもした。

 目の前で実際に起きたことだけに敵が何を考え、どうやってフランシア軍を打ち破ったのか興味を抱いたのだ。

 といっても向学心に燃えて積極的にやろうと言う気になったわけではなかった。

 エミリエンヌとラウラはクラスの女子たちと男子禁制のお茶会とやらに行ってしまい、アルマンは何やら所要で街に出かけなければならないとかで別行動を取ったことで、一人では夕ご飯まで特に他にやることが無かったというだけではあったのだ。

 腹も空いてきたし、夕日も真っ赤に染まっている。そろそろ帰ろうと図書室を出て校舎の廊下を一年生の寮へと向かおうとすると、前方から女生徒を中心とした六人ほどの集団が歩いてきた。

 身体を横を傾けて脇を通り過ぎようとしたら、その前方を塞ぐようにして半円状に取り囲まれた。

 悪い意味で有名人なヴィクトールである。近頃はめっきりなくなったが、名を売りたいはねっかえりが喧嘩を売ってくることもしばしばあった。

 その類の人種か、とすっかり油断していたヴィクトールはぎょっとして顔を上げ、慌てて身構えて万が一の事態に備える。

 だが前に立ちふさがった少女の口から飛び出してきたのはどちらかというと友好的な一言であった。

「ごきげんよう、ヴィクトールさん」

 気品ある、優雅な口調で少女の唇は言葉を発する。とりあえず敵意が見られないことでヴィクトールはやや警戒を解いた。

「ご・・・ごきげん・・・よう?」

 なまじ友好的なだけに、その言葉を発した対象がまったく見知らぬ人であったことに困惑し、ヴィクトールは気の抜けた返答をして押し黙った。

 じっと目の前の一団を観察する。乗馬ズボンをはいている者がいるところを見ると騎兵科、それもヴィクトールと同じ一年のようだ。

 そのことを踏まえて考え、雰囲気から察すると貴族、それも上流の貴族の子弟の集まりといったところだろうと見当をつける。

 だがヴィクトールはそんな彼らが自分に何の用があるのかと不思議に思った。何故ならラウラ以外で立派な貴族と呼べるような親しい人は皆無なのである。

「・・・・・・・・・・・・」

 口篭ったままのヴィクトールに少女は奇異の目を向ける。

「・・・どうかしまして?」

 まじまじと見たが、やはり目覚えが無い。ひょっとしたらラインラントで共に行動した仲間たちの中にいたかもしれないとひとりひとりその顔を思い出してみるが、だがいくら思い出そうとしても、やはりその声にも、その顔にも、一度見たら忘れそうにないオレンジのふっわふわの髪にも見覚えは無かった。

「・・・いや、どこかであったっけ? ごめん、思い出せないんだ」

「でしょうね。これが初めてです」

 とんでもない返答が帰ってきたことにヴィクトールは思いっきりしかめっ面をして顔を歪めた。

 だが同時に嫌な予感に身を震わせる。

 何故ならついこの間、これに極めて似たような展開があったことを思い出したからだ。

 しかもこれに似た言葉を聞いた後、うんざりするような事態に見舞われた記憶があるだけにヴィクトールとしては嫌でも身構えざるを得ない。

「それで・・・どこのどなたか存じませんが、通していただけませんか? 俺は貴方がたに特に用があるわけじゃない。学生寮に帰って夕飯を食べたいだけなんだ」

 特に敵対的な様子は見られないことから、ヴィクトールは相手を怒らせないように下手に出てみた。

「貴方に私に用が無くっても、私が貴方に用があるのです」

 だがどういった理由なり根拠なりがあるのかは分からないが、相手は(がん)として自分の主張を譲ろうとはしない。

「そう言われてもな・・・」

「紳士たるもの淑女の為に時間を割くのが当然とは思いませんか?」

「・・・・・・今は立派な軍人になろうとするので手一杯でね。とても立派な紳士など目指してる余裕なんてないよ。それにそもそも俺は君の名前も知らないし」

「あら、それは私としたことが迂闊(うかつ)でしたわね。確かに自己紹介を忘れておりました」

 少女はヴィクトールに対して鷹揚に僅かに頭を下げるだけで挨拶した。

「私の名前はジヌディーヌ・・・ターバート伯爵夫人と言えば分かりますかしら?」

「三公女の一人・・・ですね。・・・なるほど」

 道理でラウラの時と同じような展開になり、同じような雰囲気を感じたわけだとヴィクトールはやけに納得する思いだった。

「何がおかしいのですの?」

「いや・・・初対面の時のラウラのことを思い出しまして・・・なるほど三公女と並び称されているような人はやはり我々とどこか違う」

「まぁ、私とラウラとどこが違いますの?」

 どういうわけかジヌディーヌはヴィクトールの言葉に喜色を見せた。だが問題がある。彼女はヴィクトールの言葉の意味を取り違えている。そこを指摘しなければならない。

「いえ、貴女とラウラとではなく、他の皆と三公女とが違うのです。高貴な産まれの人は人の上に立つことが当然と思っている・・・いや、いい意味で言っているのですよ。人の上に立つ者としての教育を受けている・・・と。ラウラと同じように貴女も立派な士官になるだろうな・・・と思っただけですよ」

 ヴィクトールとしてはそれは先の言葉に続いて大いに相手を持ち上げる言葉のつもりで言ったのだが、その言葉を聴いたジヌディーヌは何故か怒り出した。

「・・・な、なんですって!!?」

 ジヌディーヌは引きつった笑みを浮かべると敵意ある目でヴィクトールを(にら)みつけた。

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