第二十話 貴方は面白い人ですと少女は笑った。
腹中の秘策を説明し終えたヴィクトールに返ってきたのは作戦の成否に対して疑問の声の大合唱だった。
「無茶だ! この人数で戦うなんて!」
「十分な数の武器があっただけで戦えるものか! 僕らはまだ素人のようなものなんだぞ! 敵兵に満足に弾を当てられる者も少ないんだ! 数だって差がありすぎる!」
「この作戦は希望的観測を並べすぎている! 失敗したら僕らはむざむざ敵に殺されに行くようなものじゃないか!!」
皆が諸手を挙げて喜んで大賛成してくれるとまで楽天的に夢想していたわけではなかったが、自分の策に自信があっただけにこの反応は意外でもあった。少しは賛成してくれる人もいると思っていた。
「別に敵を撃退しよう、あるいは撃破しようといったわけじゃないんだ。この作戦に必要なのは敵に向かって攻撃することだけ。俺たちに必要なのは敵に立ち向かう勇気と一致した行動、ただそれだけなんだ。できないはずはない」
ヴィクトールは言葉だけでなく身振り手振りを使って懸命に皆を説得しようとするが、なかなか芳しい反応は返ってこなかった。
「敵に向かっていくだけならできるかもしれないが、包囲の一角に兵力を集中させ、突破して逃げるなんて無茶だ! 無謀すぎる!!」
ヴィクトールの示した策とは極論で言えば敵中突破である。もっとも徹底抗戦も降伏もしないのならばそれ以外に取るべき方策はない。
とはいえ包囲された状態からの脱出は一般的には難しい。包囲されているということは敵と味方の兵力差が断然あるということである。しかも銃器と言うものが実用化されてからこのかた、格段に防御する側が有利になったということも否めない。
そして包囲網の突破とは数の少ないほうが数の多いほうに対して攻撃を仕掛けるという兵理の常識から反することを行うということでもある。
ぎりぎりの選択とか最後の手段といった意味合いが強い行動であるから、尻込みを見せる気持ちも分からなくもない。
「できる! この作戦で俺たちに求めることは敵に弾を当てることではなく、敵に向かって弾を撃つことと、敵が混乱している隙に敵中を突破することだけだ! その為の仕掛けは今説明したじゃないか! きっと上手くいく!! 俺を信じろ!!」
「だからそれが上手くいかなかったらどうなるんだよ! 俺たちは敵が銃を構えて待っているところにのこのこと出て行くことになるんだぜ? 的になるためにわざわざ出て行くようなものじゃないか!!」
「僕らは長時間の行軍で体力を失っている。今度、敵に後ろに張り付かれたら、昼の時のように安全な距離まで敵から離れることができるかどうか分からないんだぞ! 運よく敵の包囲を突破できたとしても、そこから逃げ切れるかどうか!」
突破されたからといって敵が素直にそこで諦めてくれるかというかと疑問が残るというのが生徒たちがヴィクトールの策に反対する大きな理由の一つだった。
ヴィクトールからもたらされた不確かな情報によると三公女の身柄確保の為に敵はここまで執念深く追跡してきたという。
この拠点の確保が戦略目標であるならばともかく、そうでないのならば逃げ出した敵を追跡しないはずがない。三公女の身柄を確保するまでは可能な限り作戦を続行するはずである。
「大丈夫、混乱した敵は追撃する余裕さえ失うはずだ。ゆうゆうと逃げ出せるさ!」
だがヴィクトールは自分が考えた作戦に絶対の自信を持っているからか、皆が危惧しているそういった予見を一蹴した。
「しかし・・・!」
問題となっているのは歴然とした事実の把握ではなく、行動の結果に対する予測である。
未来に起こるであろう現実に未だ無い不確実なものを話し合いで納得させることは難しい。それが少数派の意見であれば尚更だ。
ヴィクトールはヴィクトールで自案を引っ込めるつもりはない。
そんななか、ヴィクトールも反対派も共に感情的になった結果、議論ではなく相手を言葉で打ちのめすことに夢中になり、本来の目的を見失っていると一人、冷静に事態を見つめる目があった。
いつまでも平行線を辿る会話で時間を浪費するのは愚の骨頂である、外にいる人間が目を覚まさせなければならない。あまり目立つのは本意ではないのだが、緊急時に己の都合ばかりとやかく言うのは器量が小さいというものだとその人物は思った。
「みなさまがた!」
車座の外で議論にも加わらず、静かに佇んでいたソフィーが大声を張り上げると皆の視線が一斉に彼女に集まる。それだけ意外性があったのだ。
「みなさまがた、ここで何時までも話し合っていてもきりがありません。こうしている間にも敵は迫っており、状況は悪くなっていく一方です。一度やってみませんか。ヴィクトールさんの作戦はいわゆる奇策と申すものの範疇であるとお見受けします。奇策とは手品のようなものです。種が分かってしまってはなんてことはない、くだらない子供だましのようなものです。ですが種が分かる前ならば大の大人さえ騙せ、驚嘆させることが出来るのもまた事実。勝算のまったくない愚策とも思えません。私たちが普通に戦って勝てるようには思えませんし、降伏する前にやれるだけのことはやってみるのは悪くない考えだと思いませんか?」
ソフィーはどうやらヴィクトールの策に乗ってみようと考えたらしい。他の生徒たちを助けるためならば自身の身柄を引き渡すことはやむをえないとは覚悟したラウラであるが本音を言えばそれは嫌なのである。
そうしなくてすむ可能性があるならばそれに賭けてみたいという気持ちはラウラにもあった。すぐさま擁護の弁を入れ援護を行う。
「そ、そうね。やってみるだけの価値はあるわ。降伏するにしても、何も抵抗せず降伏しては敵にだって見くびられ馬鹿にされる。こいつらと戦うのは骨が折れる、全滅させるには犠牲が大きいと判断されてこそ、降伏の価値が上がるものよ。捕虜としての待遇も違ってくるはずだわ。フランシアの軍人として恥ずかしくないだけの戦いをしましょう」
もっとも仲間を殺された敵兵の怒りで扱いが却って悪くなるという可能性も無いわけでもない。
だがそれを言えばまた厭戦気分が高まってしまい、議論は平行線を辿るに違いない。ラウラはあえて都合のいい言葉だけを並べて議論の結果を誘導しようとした。
「・・・」
「・・・ラウラさんがそう言うのなら・・・なぁ」
初めて出た戦場で起きた、立て続けのトラブルで恐怖のあまり理性も知性も半ばなくしている生徒たちだったが、いやがる女性を無理やりに己が命惜しさに敵に売り渡すことをするまでは決心がつかなかった。そこまで下種になりきれるほど腐った性根はしていなかった。
貴族であれ平民であれ士官学校に入れるという段階で恵まれた階級に産まれたと言って良く、そういった考えをしなければならないような犯罪に手を染めなければならないほど苦労をしたことがないとも言い換えることが出来る。
身柄を引き渡し降伏したくても、ラウラの意思をある程度は尊重しなければならないと考えていた。
それに確かに何もせずに降伏するというのも、いかに敵が強大で自分たちは半人前だとか様々な理由はあろうとも、とどのつまりは恥ずかしい行為である。
まだ若い彼らにとっては恥辱に耐えることはなかなかに難しいことであった。いや、恥辱に耐えるくらいなら死んでもいいと思えるというのが若さであるのかもしれない。
彼らは真に死を恐れるという境地に達していなかった。
駄目だったら降伏すればいいとラウラが仄めかした事もその選択肢を選ばせるという彼らの心理的なハードルを下げていたという側面もある。
「やってみるか」
あまり乗り気なようには見えないが、大勢が決し、表だって反対の言が上がらなくなったのを見てヴィクトールは失われた時間を取り戻すかのように矢継ぎ早に指示をした。
「よし決まった。ならさっそく準備を急ごう。各人、武器を持って武装するんだ。火薬も砲弾も忘れずに。それから残されていた馬を馬車につなぎ、大砲を南面の丘の上に引っ張りあげる。十人ほど残ってくれ。一斉にここからいなくなると敵に勘付かれるかもしれないし、ここでやることも残っている」
「こっちだよ!」
アルマンとラウラが小銃の詰まった箱を倉庫から運び出し、皆に声をかけて次々手渡していく。
武器と食料を配り終えると、女子や怪我人を中心とした先発隊を大砲を裏山に引っ張り上げるために出発させたヴィクトールは次の行動へと移った。
「馬屋にある飼葉をありったけ持ってきてこの辺りに積み上げるんだ」
「山は一つだけでいいのか?」
「念のため二つ作っておこう。それから南から見て建物の影にならない場所にないと駄目だろうな。かといってあまりにも目立つと策が失敗するかもしれない。不自然だと思われない程度にな」
「ではこことそことでどうだ?」
「悪くない。それから油の樽は食料庫にもあるはずだ。それも持ってきて欲しい」
「わかった、俺が行く」
既に生徒の姿は半減している。攻撃を受ければ防戦することもままならないだろう。敵も一歩一歩近づいてきている。やるべきことをやってすぐにこの場を離れたいのは誰しもが同じだ。
各人が分担して作業を行っていた。ヴィクトールも運んできた秣を積み上げて渦高く山を作る作業に従事する。
といってもこの場で行うことはそう多くはない。敵が攻め寄せる前に全ての作業が計画通りに終了した。
「よし、これでいい。撤収だ。急いでこの場を離れて先発した皆に追いつこう」
敵は俄かに活気付いた陣営地に警戒を強めて一旦足を止め近づこうとしなかったため、ヴィクトールたち最後まで残っていた僅かな生徒は安全にこの場を離れることができ、大きな山を越えたとヴィクトールは安堵する。
「もし」
生徒が残されていないか最後まで見回って、ようやくこの補給拠点を後にしたヴィクトールに横合いの木立から声がかかった。
予定していた行動を全て終えたと気を抜いていたヴィクト-ルは予期せぬ方向から声をかけられたことにびっくりし、慌てて身構え振り向いた。
「なんだ・・・ソフィーか」
いつの間にかソフィーが横で、ガタイのいい男と目付きのきつい女という例のお友達二人を従えて並んで歩いていた。
「敵とでもお思いになって?」
「いや敵ならば声をかけるよりも前に撃って来るだろうことくらいは分かっていたよ。ただ、俺が最後尾だと思っていたから横に他人がいたことにびっくりしただけさ。万が一と言うこともある。女生徒はラウラたちと先発させたはずなんだけどな・・・ごめん。その中に君が抜けていたことに気が付かなかった」
ヴィクトールたちが脱出していることに気付いた敵が攻撃をしかけ、困難な撤退戦を行わなければならない可能性を考え、純粋に体力的な問題から女性は前もって集発させておいたのである。それは騎士道的な考えだとして生徒たちにもおおむね好評を持って迎えられた。
にもかかわらず女性であるソフィーがここに残っているということはその命令が末端にまで伝わらずに、間違って取り残されたものだとヴィクトールは思ったのだ。
だがそうではなかった。
「いいえ、御気になさらず。自らの意思で残ったのです。少し貴方とお話したいことがあったので」
「俺とかい? 光栄だね。だけど今は命が係っている重大な時だ。できれば皆が揃って無事に帰還してからにしてくれたほうがいいな」
「あら自信家ですわね。皆を無事に帰すと確信しているかのような口振りですね」
「まさか・・・! 正直言えばそれは分からない。自信はあるけど確信は無い。だけど言い出した奴が成否は運否天賦などと口にしたら皆が失望しやる気を失ってしまうだろ? ならば勝算がある振りくらいはしておかないといけないと思ってさ」
「見事なお覚悟ですこと。本当に貴方は将来きっと立派な士官になられることと思います」
「そりゃどうも」
ヴィクトールだって褒められるのは嫌いじゃないが、こんな危険と隣り合わせの状況におかれているのに言う言葉がよりによってこれだなんて、この女はとことん浮世離れしているとヴィクトールは笑いをかみ殺すことに苦労した。
その失礼な態度はちょっとだけ表に出ていたらしい。お友達のうちの一人、目付きの鋭いおかっぱの少女の方がきっと更に目付きを鋭くしてヴィクトールを睨んだ。
もっとも当の本人のソフィーのほうは気付かなかったのか、気にしてないのか一向に無頓着に会話を続ける。
「貴方は冷血な人だと思っていました」
「・・・君の友人のラウラを敵に引き渡すと言ったから? そりゃ酷い。あれは色々と考えた末での結論だと言ったじゃないか。それにあれだけで俺の全てを判断されても困る」
「勘違いをされてはいませんか? 褒めていますのよ? 指揮官と言うものはある種の冷血さが必要不可欠です。結局のところ、指揮官の役割と言うのは部下を戦場に送り出して殺すことですからね。情に溺れて自分の部隊の戦死者を減らそうと兵力を出し惜しんだ結果、軍全体の計画に狂いが生じて大勢の戦死者を出されては軍としてはたまったものじゃありませんもの。国家としても大いなる損失ですわ。冷徹であることは士官としては悪いことではありません。だから先程も申したのです。貴方は良い士官になると」
ソフィーはそこでヴィクトールの前に出てくるりと回転し差し向かいになると、笑いながら上目遣いにヴィクトールに顔を寄せた。
「ですがそれだけではありませんでしたね・・・一度、皆で決めたことならば、それを貫き通す。しかも自分の意見を否定されて決められたことなのに、それを守る。貴方には義があります」
「それはどうも」
褒められているのか貶されているのか、あるいはその両方か。ヴィクトールにしてみれば喜んで良いものか悲しんで見せるものなのか、あるいは怒って見せるべきなのか判断が付かずにぶっきらぼうに返答する以外に道はなかった。
そんなヴィクトールの態度にソフィーはますます興味を引いたようだ。
「本当に貴方は面白い人です」
と、ソフィーは大きく口を開けて笑った。
今度ばかりはヴィクトールにも分かる。どうやら褒められているらしい。
それにしてもつくづく変なところを褒める女だった。同じく女性に褒められるならば容姿や性格を褒められるほうがよっぽど嬉しい。褒められたのにヴィクトールの心は嬉しさよりも不思議さで一杯だった。




