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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第一章 王立陸軍士官学校
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第十八話 逃げ込んだ先

「見損なったわ!!!」

 ラウラは眉を吊り上げ唇を歪め憤怒の表情でヴィクトールに怒鳴りつける。自慢の美貌もかたなしの般若のような顔をしていた。

「引き渡した結果、わ、私がどんな(はずかし)めにあうか分かって言っているの!?」

 ラウラは敵兵に自分が引き渡された後、兵士たちによってたかって慰み者にされる悲惨な未来図を予想したのだ。

 だが冷静に考えればそれはありえない。

 戦に巻き込まれれば庶民は身包みはがされ、女は犯され、男は大した理由もなく殺されることは珍しくない。

 この世界にはジュネーブ条約などないのであるから、それはしてはならない行為だとすら考えられていないのだ。少し前ならば奴隷として売りさばかれることさえあったような時代なのである。

 だが貴族は別である。なにしろ貴族の捕虜は身代金と引き換えにして解放されるのが通例だ。その身に危害を加えてはいけないことになっている。

 それに双方共に王を抱いて貴族が国体を支える形の国家である。王や貴族は庶民に比べて別格に尊いと支配者層は考えている。

 他国の貴族に対しても同様の感覚を持っていた。国境を越えて婚姻することが当たり前だったせいもあるが、由緒ある貴族や王族にとって自国の国民よりも敵国の貴族の方が同じ種別の人間であるという感覚が強かった。

 ヴィクトールはそういったことを述べて最後にこう付け加えることで皆を、とりわけラウラを説得しようと試みた。

「だから感情的にも、自身たちの権力体勢を保持するためにも貴族に庶民が手を出すようなことがあってはならないと考えるはずさ。行動の自由は許されなくても丁重に扱われるはず。身体に害が及ぶようなことはありえないさ」

「それは希望的観測よ! 憶測で物事を進められては困るわ!! わ、私は嫁入り前の女なんだからね! 何かあってからじゃ取り返しがつかないのよ!!」

 自分の意思を無視して汚らわしい男たちに玩弄される想像でもしたのだろうか、ラウラは汗をかいた首筋を何度も手で拭う。

 ヴィクトールは反論を試みたが、口を開く前にその場に怒号が満ち溢れ幾人かの生徒がヴィクトールに詰め寄った。

「正気か!? いくら命が惜しいといっても他人を売り渡すなどおよそ人間の考えることではない!!」

「そうだ! それに抵抗もせずにみすみすか弱き女性を敵の求めに応じて引き渡すなど、フランシア軍人としての名折れ!」

「お前が由緒正しい貴族でないから、こんな恥知らずのことを思いつくのだ!」

 貴族出身の、それも名のある名家の出身の生徒たちほどヴィクトールを責める急先鋒と化した。ヴィクトールはこれまでの学園生活で悪目立ちすぎたことで内心反感を買っていたのだ。

 かといって平民出身の生徒たちもヴィクトールの味方はしてくれなかった。

「ヴィクトール、貴族だ平民だとか言う前に僕らは同じ士官学校の生徒だ。仲間を売り渡すようなことはしたくないよ」

「俺たちはまだ戦えるじゃないか」

 先程までの弱気の虫はどこへやら、景気のいい言葉と主戦論だけがその場を支配する。

「味方と合流して奥深くまで侵攻した敵を迎え撃ち、長く伸びた隊列を打ち崩して逆に攻勢をかけよう!!」

 自分たちで迎え撃とうと言わないあたり、まだ腰が引けているのである。

「どう? これでもまだ反対する?」

 皆の意見を背にするようにラウラは勝ち誇った顔でヴィクトールを見下ろした。

「わかったわかった。どうやら賛同者はいないようだし、皆の意見に従うよ」

「最初からそう言えば良かったのに。それからヴィクトール、あとでこのことはきっちりと落とし前をつけてもらうからね!」

 ラウラは腹の虫がまだ治まらないのか、もう一度ヴィクトールの頬を軽く張って背を向け棄て台詞を吐いた。

「お前な・・・お前の案は方法論の一つとしてはなくもないが、ラウラさんの気持ちや性格を考えてなかっただろ? あの提案をするのは無謀すぎる。いろんな意味で」

 アルマンは呆れ顔だった。

「あれはラウラが怒るのは当たり前よ! ヴィっくんが悪いよ! エミリでも擁護できない!!」

 いつもならば無条件で味方してくれるはずのエミリエンヌにまで責められ、ヴィクトールは赤くはれ上がった頬をさすって自分を慰める。

 横で固い靴が地面を蹴りつける音がした。

 見ると乗馬靴、見上げるとソフィーがいつの間にか横に来て立っていた。

「何故、あのような提案をしたのですか?」

 ソフィーは笑みを浮かべながらヴィクトールに尋ねた。ソフィーだけは他の生徒のようにヴィクトールに対して怒っても呆れてもいないようだ。

「君も反対かい?」

「いえ、貴方の意見には見るべきところがあります。何よりも私情を廃し冷徹なほどに現状を把握するその考え方はいいですね。気にいりました」

 言葉の端々に見える上から目線にもだが、何よりもどこかもったいつけたような大仰な話しぶりにヴィクトールはどことなく居心地悪さを感じ、肩をすくめた。

「そりゃどうも」

「ですが皆様方と同じように反対したいという気持ちもあります。何といってもラウラさんは幼い頃からの友人ですからね。ですからそう主張した根拠をもっと知りたいと思ったわけです」

「俺たち生徒たちが一人でも多く助かることを・・・いや、ラインラント方面軍全体を考えた時に一番損害が少なくなる方法を考えたのさ。三公女の身柄を引き渡すことで俺たちはこれ以上の被害者を出さない。追撃戦を続けていたら三公女だって怪我をするか討ち死にするかも分からないんだ。捕虜になるのは屈辱的かもしれないし、変換条件に外交的なカードとして使われるかもしれないけど、少なくとも死ぬ可能性はない。それに交戦しながらの退却では成否に関わらず俺たちの脚も遅くなる。敵が前線に総攻撃をかけていると本部に伝わるのが遅くなり、それだけ我が軍がこの攻勢に反応する時間が遅れるじゃないか。前線で戦っている友軍を救うには総司令部が動かないと話にならないだろう? ラウラには悪いがこれが一番被害を少なくする手段だと思ったのさ」

「なるほど貴方のその考えは正しいですね。その知に敬服いたします。ですがだからこそあえて言わせてください。その考えは正しくても先程の貴方の行動は間違っていましたね」

「・・・どこが?」

「貴方の考えは少しだけ足りませんでした。王立士官学校は平民に開放されましたが、多くはまだ貴族です。騎士道精神は未だ皆の心に残っていましてよ。嫌がっている女性を見たら皆が女性の味方をするに決まっているではありませんか。貴方はまずラウラさんを説得してからあの話をすべきだったのです。もっとも味方を引き渡すことで生き延びることは良心を持った人間には辛いこと。周囲の目も気になるでしょうし賛成する人はそうはいない。ですからそれでも説得は難しかったでしょうけど」

「ああ・・・確かにそうだ。」

「それにラウラ一人を説得できなくてどうします。それでは敵兵と交渉して三公女の身柄と引き換えに見逃してもらえるよう説得させられることなどできますか?」

「そうは言っても・・・あの気分屋の我侭なお嬢様を短時間で説得するなんて至難の業だよ。周囲の雰囲気に押されて折れてくれることを期待したんだ。皆が助かるために自分が犠牲になるのなら・・・高貴なる義務ノブレス・オブリージュってやつでね」

「でもそうはならなかった」

「ああ」

「やはり貴方は周囲の人がそう行動するように、話に説得力を持たすようにもう少し努力してみるべきでしたね」

「君ならできると言うのか?」

「むろん、私ならば・・・ラウラさんを説得するなどという、そんな無謀なことは考えることさえいたしません」

 ソフィーはそう言って笑った。ヴィクトールもその笑顔に引き込まれて笑った。

「ずるい答えだ。でも確かにそれが一番行動としては賢いことだね」

 ソフィーはヴィクトールに笑みを返す。そして視線を外すと急に下を向いて考えこむ。

「しかし不思議ですわね」

「お嬢様、何がでしょうか?」

 いつの間にか傍にもうひとつ人影が増えていた。影は女だった。その女が急に真面目な顔をして独り言を呟いたソフィーにその意味を訊ねる。

 前髪をぱっつんと切りそろえたショートカットのやけに目の鋭い女。女のほうだから・・・確かカミーユとか言う名前だったか。

「この演習が行われる日付がどこから漏れたのか、そもそも士官学校にわ───」

 そこでソフィーはヴィクトールが視線を向けて会話を聞いていることに気付いた。慌ててヴィクトールに向けて笑顔を作って会釈すると語尾を濁した。

「その・・・いろいろと、です」

 ヴィクトールは先程の会話に何か部外者に聞かれては拙いことでも含まれていたのだろうかと不思議に思った。


 会議は打ち切られ、当面の方針は決定された。

 会議をした流れを引き継いで、ラウラがとりあえず当面の指揮を取って生徒たちを取りまとめる。

 自業自得とはいえラウラはヴィクトールの傍によろうともしないし、目線をあわせようともしない、それだけでなく一切口を利いてくれない。

 いればいるでそれなりに邪魔に思う時もなかったわけではないのだが、いないならいないでやっぱり寂しいものである。

 幸いにしてヴィクトールが悪者になる形となったことで生徒たちの士気も旺盛で結束力も高まった。昼間進んだ距離を考えれば目標とする自軍の補給拠点まではそう距離はないはずであるとして夜通し歩くことになった。

 一刻も早く前線で起きた変事を伝えなければという思いもあったし、早く安全な場所に行きたいという考えもあっただろう。

 夜ならば敵も発砲をしてこないし、追跡速度も遅くなるという利点もあった。


 疲労と睡魔でくたくたになった身体を無理やり動かして生徒たちは歩き続けた。

 その甲斐もあって太陽が昇るよりも早く生徒たちは目的地へと無事に到着する。その間、襲撃はなかった。

 ようやく安住の地を得た思いの生徒たちに突きつけられた現実は非情だった。そこはがらんとしていて人っ子一人いなかったのだ。

「なんで誰もいないの・・・ッ!?」

 ラウラたちは必死になって手当たり次第扉を開けて人影を探したが、結局自分たち以外の影を発見することはできなかった。この補給基地は完全にもぬけの殻、既に放棄されていたのである。

 しかも悪い知らせは重なるものである。

 人がいないわけはない。何かの理由でちょっと外に出ているだけだと言ってラウラが引き止めるのも聞かずに更に先に進んだ一部の生徒たちが、敵の攻撃に遭い、死人を出して帰ってきたのである。

 モゼル・ル・デュック城への道は今や完全に敵兵によって塞がれていた。先回りされていたのである。

 話を聞いて顔面を蒼白にさせて固まったラウラの下にヴィクトールがかけよってきた。

「ラウラ、話がある」

「何よ! あんたとなんか口も利いてやらないんだから!!」

「いいから来い!」

「ちょっと放して!! いたいってば!!」

 抵抗するラウラをヴィクトールはこの基地に唯一ある構造物、尖塔の上へと引きずっていった。

「これを見ろ」

 北面を向いたラウラの右にはこれまで通ってきた道、左手にはモゼル・ル・デュック城へと続く道、前面には月夜に照らされた黒々とした森が広がっている。

「何よ、何も見えないじゃない!」

「暗がりを良く見ろ」

 深刻な顔でアルマンが前方を指差す。

 しばらく目を凝らしていたラウラはやがてアルマンとヴィクトールが見せようとしていたものが何だったのかようやく気付いた。

「あ・・・・・・!」

 ラウラは息を呑んだ。遠くの木々が揺れている。ここもあそこもかしこも。それは敵兵が近づき、包囲していることを表していた。

 敵は三公女を絶対に捕らえろとでも命じられているのか、あるいはこの補給基地を当初から目標としていたのかは分からないが、敵軍は執念深くこんな奥地にまで兵を進め、補給基地を三方から包囲する形を取っていた。

 生徒たちは今や絶対の死地にいたのである。

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