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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第一章 王立陸軍士官学校
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第十七話 無難な提案、失礼な提案

 当初、その泥だらけの異様な風体に驚いただけだったのだが、やがてその泥の中のある顔が見知ったものであることに気付いて真っ青になった。

 口を半開きにして間抜けな表情のまま彫像のように固まるラウラの顔を見てソフィーは笑った。

「あらラウラさん。ごきげんよう」

「ひッ・・・!」

 ラウラにソフィーはいたずらっぽく笑うとヴィクトールからは見えないところで人差し指を立て唇に当てるとそっと片眼を(つぶ)る。

 腕が痺れてきたヴィクトールはソフィーをそっと地面に下ろすのに専念しており、その遣り取りを視界に収めることはなかった。

「なんだ知り合いか?」

 会話から推察してそう訊ねただけである。

「ええ。ラウラさんのことは幼い頃からよく存じ上げております」

 笑うソフィーとは対照的にラウラは何故か落ち着きがなかった。

「そ、そうなのよ。古くからの知り合いでね。あは、あははははははは!」

「ヴィクトール、これからはラウラさんと同様にわたしとも仲良くしてくださいね」

「ダメよ! 仲良くなんかしたらダメ! 絶対にダメなんだから!!」

「あらあらうふふ。そんなに必死にならずとも・・・どうやらラウラさんはヴィクトールさんのことがとてもお気に入りのようですね。大丈夫です。仲良くと言うのは友達としてですよ。ラウラさんから奪い取ったりはいたしません」

「ち、違うってば! 誤解よ誤解!! そういう意味じゃないってば!!」

 顔を真っ赤にして否定するラウラを見てソフィーはまた(ほが)らかに笑った。

「お嬢様、ご無事で!!」

 声を聞きつけて、前髪を切りそろえた女生徒と長身の男子生徒が早足で少女の下に近づいてきた。

 男子生徒は背が高いだけでなく幅も厚みもある。男子生徒は服の上からでも分かるほどの立派な筋肉の持ち主で、あれに喧嘩でうち勝つには相当な幸運が味方しないと無理だろうなとヴィクトールが思うほどである。

 女生徒のほうも細身ではあるが鹿のような筋肉の持ち主であろう。軍人のような隙のない機敏な動きで歩く姿だけでもそのことがわかる。

「カミーユ!! ジュスタン!!」

「お傍を離れてしまい申し訳ありません! 敵の攻勢を防ぐのに意識を集中させて直後の混乱に対応しきれませんでした。私の完全な落ち度です。このジュスタン、一生の不覚。責めはいかようにも受けるつもりです」

 その大きな体を縮めて深く最敬礼するジュスタンをソフィーは手を引いて立ち上がらせた。

「いいのよ。こうしてまた再び出会えたのだもの。それよりもよかった。二人とも無事で。わたし、そのことが何よりも嬉しいわ」

 ソフィーは生きていることを確認するかのようにカミーユの胸にそっと優しく手を押し当てる。

「お顔が汚れております。これをお使い下さい」

「逃げるときに少し泥を浴びました。ありがとうカミーユ」

 ソフィーはカミーユの差し出したハンカチで顔を拭う。よほど仲の良い友人なのだろう、カミーユは喜びのあまりに涙を流していた。

 その姿を見て、ソフィーを見捨てずにここまで来てよかったとヴィクトールは満足した。


 もうこれでソフィーに構う必要は無い。ヴィクトールにはアルマンたちと相談したいことがあった。

「さて、これからどうするかだな」

「これから?」

 不機嫌そうな声の主はラウラである。ラウラはまだヴィクトールがソフィーと仲良くやっていたことが気に入らないのか、内心の不機嫌さを隠さずに唇をひん曲げていた。

「逃げるんじゃないのか? まさか・・・こんな状況になっても敵と戦おうっていうのか? お前の不屈の精神と勇気には感服するが、それはちょっと無謀じゃないかな?」

 アルマンは選択の余地などないと思ったのかヴィクトールの意見を真面目に考察しようとしてくれない。

 どうやらここでヴィクトールの弁を真摯(しんし)に聞いてくれる者はエミリエンヌだけのようである。

 だがエミリエンヌはいつもヴィクトールの言うことならほとんど無条件に賛同してくれるものの、それだけに周囲を説得する戦力となるとは言いがたい。

 しかしそれで説得を諦めるヴィクトールではない。

 ヴィクトールは逃げるにしても、あらゆる方策を考えてベストを尽くして逃げたかった。

 ただ無秩序に逃げ、多くの士官学校の生徒たちを野辺の(むくろ)と化すのではなく、一人でも多くの友と帰還し、追跡する敵兵に一泡吹かせてフランシア軍人の意地と言うものを見せ付ける。そういう戦い方があるのではないかと思っていた。

 それにはヴィクトール以外の皆の意見や、集団としての意識の統一が必要である。

 敵がすぐ傍にいる状況下ではクラスメイトたちもおちおち考えも(まと)まらないだろうが、幸いにして夜の暗闇が敵との距離を開けてくれた。この機会を逃したくない。

「逃げるのは当然だ。皆、荷物を棄ててきてしまった。小銃すら持ってない者も多いし、銃を持っていても、弾薬はそれほど持っているわけじゃない。長時間の戦闘は無理だ。ただ今までのように闇雲に目標も目的もなく逃げるのは無意味だ。精神的に大きな負担になる。逃げるにしても当面の方針を決めておくことで少しでも皆に希望を見せておくことが必要じゃないかな?」

「なるほど一理あるわね・・・」

 ラウラはヴィクトールの言葉にその卵のような美しい曲線を描く顎に手を当てて考え込んだ。嫉妬で頭に血が上っても、まだ完全に理性を失ったわけではない。

「そうね・・・その方がいいわね。」

「教官がいない今、誰かが命令を下しても誰も大人しく従わないだろう。皆に声をかけて会議の中で意見を集約する形で統一行動を取らせるような流れにしたい」

「誰が司会やるの? ヴィクトール? それともアルマン?」

「立派な貴族の出の人間が僕やヴィクトールのいうことを大人しく聞きますかね。貫目が足りませんよ。ここはアイリスの三公女であるラウラ嬢にお任せします」

 アルマンの言葉は理屈としてはまったく反論の余地のない正しい意見に思えたが、面倒な役割を押し付けられた形となったラウラはあまり感心してくれなかった。

「都合のいいときにだけ人を大貴族のご令嬢扱いする!」

「そう言わずに頼むよ」

 ヴィクトールに頭を下げられてようやくラウラの腹の虫も収まった。

 だが発言の前にラウラは一度ソフィーに視線を送った。その役をラウラはソフィーにして欲しかったのだ。だがラウラの希望に反し、彼女は黙って頷くだけであった。ラウラは小さく溜息をつき、次いで大きく声を張り上げて生徒たちを呼び集める。

「みんな聞いて! 私たちは自分の命だけを抱えてただひたすら逃げるだけだった。今まではそれでよかったと思うの。皆、始めての攻撃でどうすればいいのかわからなかったのだもの。でも私たちは敗走とはいえ、これで一回戦いの経験を積んだわ。もう未経験だからと言う言い訳は通用しない。それに敵も追撃を諦めてないようね。これ以上の犠牲を出さないためにも私たちは皆でまとまって行動すべきだと思う。私たちはこれからどうすべきか、どこへむかうべきか考えるべきだと思うのよ」

 ラウラは一拍間を置いて皆の反応を待った。

「そんなの逃げるしかないだろ」

「まさか・・・味方の救援が来るまで戦えって言うのか?」

「無理だよそんなの。僕らは戦闘訓練もまともに受けてないじゃないか」

 ぱらぱらと出る不規則発言は後ろ向きのものばかりで、とても建設的とは言えないものだった。

 教官や級友を失って、それだけ精神的な打撃が大きかったということでもある。

「私たちの置かれている状況は厳しいし、私たちが出来ることは限られているのは分かってるわ。でもその上でできることをすべきなのよ。誰かいい考えを持っている人はいないかしら?」

 だがラウラの呼びかけに(いら)えは無い。

 建設的な意見どころか、手を上げての正規発言すらない現状では議論の進展は望めない。閉塞したこの状態を変革するには何らかの突破口が必要である。

 ヴィクトールはアルマンに視線を送った。ちょうどアルマンも同じことを考えていたらしくヴィクトールと目が合った。

 だがアルマンは顎を動かしヴィクトールが発言するように(うなが)す。どうやら自分から率先して発言しようという殊勝な心がけは無いようだ。

 面倒は全て俺に押し付ける。少しくらいは引き受けてくれたっていいじゃないかとヴィクトールは嘆息した。

 だがヴィクトールにとって有難いことにそうこう時間を消費している間に発言する人物が他に現れてくれたのである。

 ソフィーが手を真っ直ぐに伸ばして発言の許可を求めていた。

「ええと・・・どうぞ」

 自分に司会の座を譲ったのは目立ちたくなかったからではないかと思っていただけにラウラはソフィーが発言の機会を求めたことに訳が分からなくなって動揺を見せる。

 そんな内心など知る由もないヴィクトールはラウラが見せる動揺の理由が分からずに不思議なものを見る目でラウラを見た。

「何事をするにしても明確な目的を持つことはとてもいいことです。極めて重要なことだと思います。ところで現状を考えると前線には多くの味方の兵が配備されていますが、わたしたちのいた後背地にまで敵兵が侵入してきたことを考えると、前線では激しい攻勢が行われていると考えるのが自然です。そちらに向かうのは死地に飛び込むようなものと申せましょう」

「じゃあどうするって言うんだよ!?」

「そうね。その意見は事実だけど、具体的にどうするかは述べていないわね。それについては考えがあって?」

 生徒の野次に便乗するような形でラウラがソフィーに先を言うように促した。もちろんソフィーがきちんとした建設的な意見を持っていると確信しているからこその行動である。

「もちろん。敵に襲われたときに私たちを引率していたノルベールという士官が教官がたに言った言葉を覚えていらっしゃるかしら? 私たちは戦うよりも後退し、メグレー将軍に前線の窮地(きゅうち)を知らせて急ぎ対策を取らせることが重要だと言ったの。だから一刻も早く後方の味方に知らせることがわたしたちの使命よ。かといってモゼル・ル・デュック城まで行くのは遠すぎますわね。でもわたしたちとの間には一度立ち寄った物資集積拠点があったわ。武器や食料があります。周囲から身を隠す柵もあります。生徒全員が床で寝るスペースはないけれども、夜露を凌ぐ屋根だってある。なによりもあそこならば守備兵がいます。あそこまで行けばわたしたちが助かる確率は格段に上がるんじゃないかしら」

 ソフィーの言葉に生徒たちは希望を見出し深く沈んでいた場は雨後の草原のように一斉に生気を取り戻した。

「そうか! その通りだ!!」

「あそこには食料も武器もある! 例え囲まれても数日は戦える! 数日戦えば必ずモゼル・ル・デュック城から援軍が駆けつけてきてくれるはずだ!」

「賛成します!」

「賛成! 賛成!!」

 お通夜の場所のような静寂が支配していた場が今やかなえの中のように沸き立っていた。

「じゃあ決まったわね! 他に対案は無いわね!?」

 当面の方針を決め、生徒たちの心を一つにまとめ、戦う気力を取り戻させ、集団としての行動を取れるようにした。これで当初の目的は達成した。ラウラは満足げに笑みを浮かべると議論を閉じようとした。

 とヴィクトールが発言の機会を求めて手を上げる。

 議論は望ましい場所に着地したのである。それでもあえて発言しようとするからには何か他に良案を思いついたのだろうか。ラウラはヴィクトールを指名し発言の許可を与えた。

「ヴィクトール。他に良い意見を思いついて?」

「いや、先程の彼女の意見はケチのつけようのない完璧なものだと思う。ただ皆に知らせておくほうがいいかもしれない情報があるんだ。そこにいる彼女を助けた時にちょっと敵兵と接触することがあったんだが・・・」

「ふんふん、それで?」

「敵兵の話を総合すると、どうも敵兵が執念深く俺らを追いかけてきているのは、敵中深く一気に前進して重要地点を確保するというような戦術的な意味合いがあるものではなく、我が一回生にいる高貴な存在、すなわちアイリスの三公女の身柄を押さえることが目的のようなんだ」

 いかに貴人であるとはいえ軍の重要人物ではない少女三人の為に軍隊を動かすという発想はなかなか理解しがたいものである。場がざわりと揺れた。

「つまり・・・?」

 それが本当であるならば当の本人であるラウラにしてみれば聞き流せない話である。ヴィクトールにその先を話すように促した。

「つまり三公女を引き渡せば敵は兵を退けるんじゃないかな」

 敵中深く進攻すれば補給も連絡も難をきたす。孤立した軍はやがて痩せ衰えて消滅する。それがこの時代の兵理学上の常識だった。

 つまり敵は三公女を狙うためだけに無理をして深追いしている。他の目的は無い。三公女を狙うために無理をしているのである。当然敵も疲れを知らぬ精兵揃いだろうから、生徒たちが追跡を振り切るのは至難の業だ。

 だが敵も敵中深く進行していることで心に不安を覚えているはずだ。

 身柄の引渡しを交換条件として捕まった生徒の解放や安全な退避を交渉すればまとまる可能性は低くないとヴィクトールは見た。

「なるほど。一理ありますね」

 助けてもらった義理からかソフィーだけはヴィクトールの意見に理があると見て、そう言ってくれた。

 逆に言うと他の生徒はなんて非人情的なことを言い出すんだとばかりにぽかんと口を開けてヴィクトールを眺めるばかりだった。

 ラウラは顔を紅潮させ、大股にヴィクトールに近づくと、


 パッシイイイイイイィィィィィィィィイイン!!!!!


 と夜の木々に眠る鳥さえも目覚め羽ばたき逃げ出しそうな大きな音の平手打ちをヴィクトールの頬に食らわせた。

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