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革命のデゼスポワール  作者: 宗篤
第一章 王立陸軍士官学校
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第十四話 敗走

「きゃあああああああああああ!!!」

 眼前で展開された、あまりにも非日常的かつ壮絶な光景に生徒たちは完全に錯乱した。取り分け女生徒たちは大きな悲鳴を上げて取り乱した。

 泣き叫ぶ者、大切な荷物を放り出して逃げ惑う者、逆にその場で固まり恐怖で一歩も動けなくなる者、それぞれが十人十色の行動を見せる。

 もちろん緊急事態が起きたことを理解し、危機に対して対応しようと構える冷静な人物もいないではなかったが、全体からしてみれば非力的なほど少ない人数だったのだ。

 よって時と共に混乱は拡大していく一方だった。命を下す者を失い、その場の混乱を収めることができる人物がいなくなったのだ。

 軍ならば将軍から士官、下士官、兵長、一兵卒まで階級に別れてそれぞれの職分を理解し、上下関係が確立している。例え誰か一人二人失われても組織として動けるようになっているのだが、ここにいる彼らは皆、対等の生徒であり、まだそこまでの域に達していない。誰もがどうすればいいのか分からずに、本能の赴くままに勝手な行動を取るだけである。

 辛うじて理性を保っていた者たちも周囲の雰囲気に飲まれてしまい、理知的な行動を取ることができず、それがその場の混乱の悪化に拍車をかける。理性を失った生徒たちは算を乱して我先にと勝手気ままに逃げ惑うばかりであった。

 ラウラやヴィクトールら、ほんの僅かな生徒たちは個々人で動くよりもまとまって行動したほうが生存確率が高いと説得を試みたが、大半の生徒は恐怖に他人の言葉を聞く心の余裕も無かったし、そもそもあまりの喧騒に声が通らず、その声を耳にした者も極僅かだった。

 我先にと次々に隊列が欠けていく状況では戦意の残っていた僅かな生徒たちも抗戦を諦めざるを得ない。

 銃器を使った近代戦ではよほどのことが無い限り一人二人の武勇で戦局をひっくり返すことなどできはしないのだ。戦いは数だ。少数の兵で残っても周囲を囲まれて集中砲火を浴びて全滅するだけである。

「こんな状況では事態を好転させることは難しい。それにどう考えても、この場所を守り抜くことや時間を稼ぐことが戦いの帰趨(きすう)を左右するとも思えない。ここで死ぬのは無駄死にだ。まずは後退して敵の手から逃れ、味方に敵の存在を知らせることだけを考えるべきじゃないだろうか?」

 傍にいたアルマンもラウラも同じ思いだったらしくヴィクトールの提案に頷いて賛同する。

「まったく同感だな。少しでも勝機があるなら命を賭してでも戦うだけの価値はあるかもしれないけども、こんな状態ではね・・・万が一にも勝利を得ることは有り得ない。やるだけ無駄さ」

 ラウラは一人蒼白な顔をして震えているエミリエンヌの肩にそっと手を置き、優しく声をかけた。

「行くわよエミリちゃん。その小さな体じゃ体力を消耗しているとは思うけど、背負ってる荷物を棄てて軽くなれば走ることくらいはできるよね?」

 言葉無く頷くだけのエミリエンヌの肩からラウラは重い背嚢を下ろすと開き、中を探って必要なものだけを取り出す。

「どんなことをしてでも前線に物資を届けるのが私たちに課せられた使命と言うものだけど、今は部隊を指揮する士官がいない緊急時で私たちは半人前の兵士だもの。生真面目に命令を守らなくても許されるはずよ。でも、いざと言うときの為に小銃だけは離しちゃダメよ」

「う、うん」

 エミリエンヌは真っ青な顔をしながらも小さな手で小銃をしっかりと握り締めた。

「そうと決まれば逃げるとするか」

 そう言うよりも早く、ラウラと同様に背嚢から銃弾と火薬、水筒と干し肉とパンを取り出して手早く荷造りを終え、アルマンは既にいつでも移動できる体勢を整えていた。

 それを見たヴィクトールはアルマンらを見習って必要最小限の手荷物を慌てて作り出した。

 とはいえ若く血気溢れるヴィクトールにはただ逃げるということは気に食わないことであったので、その手つきはしぶしぶといったものであった。愚痴も口から漏れようというものである。

「だからといって敵を目の前にしてただ逃げまわるだけというのは性に合わないな」

「賛成だ」

 ヴィクトールの感情的な色合いが幾分混じったその意見に冷静な顔のアルマンが同意を示した。

「それに背後を見せて逃げるなんて、敵の良い的になるだけだ」

 だがヴィクトールと違って、それはアルマンらしく感情よりも理性に基づいた言葉であったようだ。

 そう、敵を眼前にしての撤退こそが軍事においてはもっとも難しいとされる。向こうから弾が飛んでくるかもしれない、切り込んでくるかもしれないと思うからこそ、敵だって草叢(くさむら)に姿を隠して接近してこないのである。敵に戦意は無く、背中を向けて逃げ出すばかりで反撃が無いと知れば、彼らはすぐさま姿を潜めている草叢(くさむら)や木立を出て無防備な生徒たちの背中にありったけの銃弾を叩き込んで一方的な殺戮(さつりく)の宴を始めるであろう。生徒たちを待つ運命は全滅という未来図ということになる。

 犠牲を少なくするためには本来ならば組織だって撤退戦を行わなければならないのだ。しかし教官を失った以上それは無理な相談である。

 ならばせめて少しでもまとまって抵抗することで犠牲を減らしつつ撤退するほうがよい。見知った顔のクラスメイトたちを見殺しにでもしたら寝覚めが悪いというものだ。

 それに却ってその方が自身の生存確率も高くなるかもしれないとアルマンは考えたのである。

「そうね。一方的にやられるのは嫌ね。せめて一矢報いておきたいわ」

 悔しさを滲ませたラウラの言葉は、大貴族に産まれたものの矜持、自らに才あることの誇り、そして叶わぬことなどあまり無かったであろうこれまでの生活から来た万能感がもたらした稚気(ちき)を多分に感じさせるものであった。

 いささか子供っぽい考えだが、その考え方は嫌いじゃないとヴィクトールは思った。

 もっとも口では(おご)り高ぶるような言葉を吐いても、ラウラは冷静さを完全には失ってはいない。震えているばかりのエミリエンヌを戦力として計算しないとすると、僅か三人でしかない自分たちだけで敵の攻勢を食い止められるなどといった夢物語を夢想しているわけではなかった。

 まだ冷静さを保った極僅かな他の生徒たちの中からラウラたちの行動に理を見て手伝ってくれる者が出てくれなければ、この作戦はすぐさま一頓挫を免れないと判断する程度には適度に頭脳は冷え切っていた。

「まずはあそこの木立まで移動しましょう。あそこならば左右からの攻撃を考えなくてもよさそうだし、道の先に次に退避するのに適した岩があるのが見えるわ」

 ラウラはさっと周囲を見回すと、逃走経路と防衛陣地、両方に適合した地形を素早く発見した。

「異存は無い」

「そうするとするか」

 相談したわけではなかったのにヴィクトールもアルマンもまったく同じ結論に辿りついていたので、一も二も無く了承する。


 銃撃に混乱した生徒たちが思い思いに四方に散ったために狙いが付けにくいのか最初の第一射以降は銃撃もまばらで、四人は銃撃で足止めを喰らうことも無く、背を屈めて足早に駈けるだけで目的地まで容易にたどり着くことが出来た。

 一方的に敵を視認してからの先制攻撃である。浮き足立っているところで一気にかたをつけようと銃弾を雨霰(あめあられ)のように降らせてくるのではと覚悟していただけに、まずは自分たちの思い通りにことが進んだことにヴィクトールたちは一様に拍子抜けする思いだった。

 だがそこまでは良かったものの、事態はそれ以上、ヴィクトールたちの思い通りには進展してくれなかった。

 砲口内を清掃し、火薬と弾丸を押し込んだ銃身を向けた先には敵の姿だけでなく味方の姿もあったのだ。逃げる味方を援護しようにも、こうも近接して敵味方が混在していては撃つわけにはいかなかった。

「こうも混戦では!!」

 敵の指揮官は生徒たちの醜態を見ると相手の錬度が低いと判断して、銃撃ではなく近接戦闘のほうが効果があるとふんだのだ。

 その考えはこの戦場においてはまさしく正しく、効果は覿面(てきめん)だった。

 姿の見えない敵に遠くから銃撃されるよりも、敵に眼前に接近され殺意も露に切りかかられるほうが何倍も恐ろしいのだ。

 銃撃戦程度ならばなんとかこなせたであろう生徒たちも、白兵戦となれば話は別だ。

 もちろん士官学校生徒は貴族の出が多い。多少は剣術の心得のあるものも少なくない。その中からやけくそがちな勇気を持って反撃を試みた者も少しはいたが、敵兵の剣技の前に圧倒され子供と大人の喧嘩のようにまるで相手にされていなかった。

 ヴィクトールは器用に同級生を避けながら敵兵のいる方向に弾を打ち込み、牽制する。

 そのような撃ち方では敵兵に当たることは無かったが、少なくとも敵の足を止めるという効果は一時的にしろ得られた。だがそれは所詮、時間稼ぎに過ぎない。

「クソッ! 戦闘訓練も碌に受けてない、実戦経験も無い俺たちじゃ歯が立たないのか!!」

「違う・・・!」

 違う、とラウラは思った。

 確かに生徒は奇襲で心理的に大きなダメージを受けただけでなく、実戦においては経験不足な分、度胸や後一歩の覚悟などが足らないところがあるが、それでも平民出身のそこいらの兵士には劣らないだけの腕があるはずだ。

 だが敵兵は巧妙な剣技を冷静沈着にまるで演舞のように披露して生徒たちを圧倒していた。敵兵は相当な手練(てだれ)に見える。

 いくら紛争地帯の最前線にいる現役兵であるとはいえ、信じられない錬度と質だった。一人や二人ならともかく、これほどの質の兵が揃っている部隊などそうは有り得ない話である。

 もちろんフランシアにおいて近衛第一連隊、五個ある槍騎兵連隊などの一騎当千を謳われる猛者揃いの精鋭部隊が存在するように、ブルグンドにも精鋭部隊は存在するだろうが、今この時この状況下でラインラントという辺境の、さらに僻地であるこの場所にそんな精鋭を単独で投入することは常識的に有り得ないことだ。

 いったい何故だろうか、敵軍が精兵を含んだ大規模で全面的な攻勢に打って出た上で、味方がその動きにまったく気が付かなかったという不運が重なりでもしたのだろうかとラウラは困惑した。

 困惑するラウラの精神に追い討ちをかけたのは敵ではなく、雪崩れるようにこちらへ向かってくる味方の群れだった。

「早く、こっちへ! 援護するわ!」

 最初こそ生き生きと誘導を行っていたラウラだったが、味方の援護と誘導に手一杯で、敵の足を止める射撃が出来ずに敵の接近を許す結果になってしまい、焦りだけが募る。

 しかも味方であるはずの生徒たちは全員といって良いほどラウラたちをその場に残したまま背を向けて逃げるだけであった。

「逃げるな! 背を向けて逃げるだけじゃ、背中から打たれて終わりだぞ!! 踏みとどまって一手になって戦ったほうが生き延びる確率は高いんだ! 武器を手にとって共に戦え!」

 アルマンの制止する声も生き延びることに必死な彼らの耳には届かない。耳の端にアルマンの声を引っ掛けて視線を僅かに向けるものもいないではなかったが、自分が加わっても僅かな人数では防ぐことが無理だと判断したのか、それとも自分が逃げる時間を稼ぎ出してくれる盾代わりになるとでも思ったか、足を止めて助力しようとする健気な同級生は皆無だった。

「クソッ!! 誰ひとり耳を貸そうとはしない!!」

 悔しがるヴィクトールにこのままでは拙いことになるとアルマンが新たな提案をする。

「計画は練り直しだ。もはや敵兵を食い止め秩序だって退却するのは不可能だ。こうなったら俺たちに出来る最低限度のことだけをやるしかない」

「最低限度のことって何!?」

「自分の命を守ることだ。ここで俺たちが踏みとどまっても、どのみち追いつかれて他の生徒たちも多く死ぬだろう。ならば全体として一人でも多く逃げ延びる・・・つまり俺たちは俺たちだけが逃げ延びることだけを考えるべきだろう。他の奴らの運命は神様にゆだねるしかない」

 逃げ惑う他の生徒たちを横目に、ヴィクトールと銃を交互に撃ち放って敵の足を止めながら、ラウラは周囲の状況と自身の置かれた現状とをもう一度できるだけ冷静に、そしてできるだけ素早く考え直す。

「・・・もう、それしかなさそうね・・・」

 ラウラはあまり気乗りはしなかったが、アルマンの言葉にこそ真実があると認めざるを得なかった。

「味方はもうすぐ沈もうとする夕日だけということになりそうね」

 天を見上げ呟いたラウラの言葉にヴィクトールはようやく敵と接触してからそれなりに時間を消費していたことに気が付いた。つまりある程度敵の攻撃を食い止めていたのである。

 最初に逃げていれば容易く逃げられる位置にいたヴィクトールらを結果として生徒たちの隊列の最後部近くまで追いやることに成った抗戦もまったくの無駄ということではないということになりそうだった。

 木々に阻まれ姿の見えない太陽は木々の隙間から見える空を茜色に染め上げている。夕暮れが始まりかけていた。陽が山の稜線に隠れてしまえば、敵からの銃撃は無くなる。音だけを頼りに銃弾を打つわけにはいかない。すなわち格段に逃げやすくなるということでもある。

 もっとも夕暮れに包まれた後、山道を彷徨するというのはややもすれば方角を見失いがちで危険な行動である。味方のいる方向に逃げているつもりでも、下手をすれば自らの足で敵陣の只中へと歩を進めてしまいかねない。

 だがここまで接近した敵との距離を広げて安全になるには闇の中を逃げて敵との距離を広げるしかない。

 闇の中、手探りで動くのは一種の賭けみたいなものであったが、その僅かな可能性に(すが)るしかないだろうとヴィクトールは思った。

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