22. 森の中
シドは、道と言うには歩き辛い山道を歩いていた。この辺りには何もない、ただの森の中だ。
先日のアーマーベアは、この周辺から入ってきたのだろう。通行人が襲われなかったのは不幸中の幸いである。
シドが、慎重に気配を探りながら歩いていると、ソルランジュ領側から数人、人の気配がする。ここの道幅は広くない。シドは邪魔にならぬ様に道を外れて森に入ると、何とはなしに気配を消した。
5分程経った頃、3人の男達が通る。
恰好を見る限り、商人ではなさそうだ。徒歩でもあるし冒険者だろう。そして何やら、話し声も聞こえてくる。
「おい、まだ着かねーのかよぉ」
「この道を抜ければ街道に出るはずだ。そこから近いんだから辛抱しろ」
「山ばかりじゃねーか」
「仕方ないだろ、コンサルヴァはこの山を抜けた先なんだから」
「街に着いたら、俺は、酒吞んで寝る!」
「おい、素材の確認が先だぞ。先日大量に獲れたらしいから、まだ残っているはずだ」
「ったく、めんどくせぇなー」
どうやらこの者達は、どこかの冒険者ギルドから、素材採取の依頼で来たらしい。何の素材かは知らないし、シドは興味もないが。
冒険者達が通り過ぎた事を確認すると、再び道へ出たシドは、“いろんな奴らが居るな”と呑気に考えながら歩き出した。
それから延々と、シドは森の中を歩いていたが、日も暮れ始めてきた。
地図によると、少し先に行けば村があるようだが、村に宿はない。先日、マッコリー達と帰りに泊まった村は、マッコリーが村長と知り合いだった為に、先に連絡してあり、泊めてもらえたのだ。普通の村では通行人は、易々とは泊めてもらえないだろう。
そう考えたシドは、道から逸れて森へ入る。何処かに川があれば、その近くで野営する事にして、ザクザクと奥へ進んで行く。
結局、村の位置を越えて、村とニールの街との中間位まで来てしまった。そこでやっと、水音が聴こえてくる。
シドはまっすぐ、音の方角へ向かった。
今はもう、空は薄闇に染まっている。この辺りはじきに、真っ暗になるだろう。
川辺に辿り着き周辺を確認すると、近くの岩場の奥にポッカリと黒い穴が見えた。洞窟らしい。
(使える様なら、ここで1泊だな)
シドは亜空間保存から、灯してあるままのカンテラを出し、その暗闇の前に立つ。気配を探り、洞内を注視するも、特に反応も無い。そう思って1歩穴に入った。
すると入口から近い位置の壁が、ポワンと淡く光った。
シドは咄嗟に気を張り詰め、剣に手を置くと、その場で静止する。他に動きはない様だ。
そしてゆっくりと、その光のもとへ確認に向かう。
向かった先の光は、よく見れば文字であった。
“ ヘルメス ”
(おい…ここもダンジョンか?)
ダンジョンは個々に名前が付いているが、決して、人が勝手に付けている名前ではない。
ダンジョンは生まれた時より名を持っていて、ダンジョンの入口近くに文字が浮き出ているのだ。まるで表札の様に。
その為、先程発見された<ウラノス>も、名前を公表した通達が出たのだった。
逆に、名前の出ていない洞窟は“ただの洞窟”である為、区別もできると言う事だ。
ここでシドは思う。
(ダンジョンでは寝られないではないか)と。
他を探そう…。
そう思い、外に出ようとすると、奥から声がした。実際には頭の中へ、だが。
≪遊んでゆけ≫
えー。である。
身体を休めたいのだ。
「遠慮する…」
≪ほっほっほ。まぁそう言うな、我は暇での。誰も入って来ぬ故、内部が飽和状態なのだ。少し遊んで、魔物の数を減らしてゆけ≫
物凄い理屈だが、彼なりの理屈であるらしい。
≪もう、1千年程ここにおるが、数百年に一度位しか人が来ぬ。それでも良いのじゃが、内部に魔素溜まりが出来てしまっての、少し解消せんといかんのじゃ≫
「……」
シドは、魔物と相まみえたい訳ではない。休みたいのだ。
だが、彼も今のままでは引かないだろう。
「むぐぅ…」
シドの口から変な声が漏れる。
「<ヘルメス>交換条件だ。俺が迷宮再生で、その内部の魔素溜まりを解消するから、俺を1晩ここで休ませてくれ」
≪ほう。…おぬし、そうか“シド”であったな。うぬ、よかろう。それこそ我の希む処ぞ≫
「では、場所の提供を頼んだぞ」
そう言って、カンテラと腰の剣を地面に置く。片膝を付き、掌を地に添えた。
<ヘルメス>をイメージするよう目を閉じると、シドの体を魔力が包む。
すると<ヘルメス>の構造が、脳裏に浮かんできた。
こいつはデカイ、<ハノイ>よりも大きい。そして下の方で数カ所、靄がかかった様な部分が視える。これが“魔素溜まり”か…。理解した。
そこでシドは集中を入れ、そして詠唱する。
「聖魂快気」
<ヘルメス>をほぐす・混ぜる・捏ねる…そして戻す。
時間にして1分弱の短い間。
シドの纏う魔力が消え、集中を切ると目を開ける。
「具合は?」
≪おぉ!気分爽快、良い塩梅じゃ≫
一つ頷き、シドはゆっくりと立ち上がった。
今回の<ヘルメス>は、以前の<ハノイ>より大型だった。であれば、<ハノイ>で魔力がギリギリだった事からすると<ヘルメス>では“足りない”だろう。そう踏んで、効果が倍となる集中を試してみたのだ。
考えは当たり、魔力枯渇もなく迷宮再生を成功させることが出来た。
だが、やはりシドの持つ魔力の半分以上を、持って行かれてしまったけれども。
≪シドよ、礼を言う。一晩とは言わず、存分に泊まってゆくが良い≫
それは遠慮したい申し出である。
「いや、気持ちだけ貰っておく…」
≪ふむ。そうか、それは残念だの。ほっほっほっ≫
そう言ってから、シドの傍へ<ヘルメス>であろう黒いモヤが現れた。
今までずっと頭の中の声と話していたので、何処を見て良いのか判らずにいたのだから、有難い。
≪おぬしがここにおる間は、魔物を近付けさせん。好きに過ごすと良い≫
「そうか、助かる」
≪では何か他にも礼をせねばゆかんな≫
「…いいや、ここで泊めて貰うだけでいいんだが…」
シドの意見は無視らしい。
≪おおそうじゃ、“硬化” スキルが良いの、ふむ≫
そう言うが否や、機嫌良さそうにモヤが揺れた。
多分もう、追加されてしまったのだろう。だが、シドの体には何の違和感もない。
シドはもう諦めた、どうとでもしてくれと。
≪おや?シドは気に入らぬか?≫
「…そういう事ではない…礼を言わせてもらう」
≪うむ、それは良かった≫
「それで一応聞くが、その“硬化”というスキルは、どういうものだ?」
≪硬化とは、言葉の通りで、自身を硬くする事が出来る≫
「石化のように、動けなくはならないのか?体が重くなるとか…」
≪自身の肉体組織を、任意に硬化するだけだ。体は自由に動かせるし、重さも変わらん≫
「硬化の強度は、どの程度なんだ?」
≪それは使う者によるの。だが最低でも、剣で刺された位ならば、かすり傷程度になろう。魔法で焼かれれば、軽い火傷位じゃな≫
「そうか。時間の制限は?」
≪ 無い ≫
「…だいたい解かった。有難く使わせてもらう」
≪使うてくれ。それよりもシドよ、おぬし、面白いものを持っておるの≫
「んん?何のことだ?」
≪腰のソレよ。<ボズ>であろう?≫
何故か<ヘルメス>には判るらしい。
「ああ、コレか。<ボズ>から出た剣だと聞いている」
≪ソレは、おぬしを気に入った様じゃの。機嫌が良い≫
<ヘルメス>には何か感じるのだろうか。
「そうか。大事に使わせてもらっている」
≪うむ、良い心がけじゃ。……さてシドよ、我も少し休む。夜中は雨になるだろう、シドもゆるりと休んで行くがよい。今度来る時は中で遊んで行ってくれ…ではな≫
そう言って黒いモヤは暗闇に溶けて行った。
シドは口角を少し上げると、そこから視線を外し、野営の支度にとりかかった。
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森のダンジョンに一泊したシドは、夜半に降り出した雨音に何度か目を覚ますが、静かに流れる水音の調べに、またすぐに眠りに引き込まれ、野営の割にスッキリとした目覚めを迎えた。
シドは、近くを流れる川で顔を洗い、昨日のトムトを食べると出発の準備は整った。
「<ヘルメス>、良く眠れて助かった。またな」
そう言って壁の名前をひと撫ですると、ニールの街の方角へ向かい歩き出したのだった。
10月8日修正:上記文中、森の中ですれ違う冒険者達の会話で「この山を抜けた先なんだから」という人の行先が、“ロンデ”になっていて間違えておりました。正しくは“コンサルヴァ”です。大変失礼いたしました。(修正済み)




