第40話 通り雨に打たれて
あーあ。やっぱり熱がでちゃった。
時雨さんのせいだぁ。あんなことするから。
というわけで、今日は学校お休み。おとなしく寝ていることにする。
くうくう眠っていたら、LINE通知が鳴った。
あ、藤木君だ。この前、交換したんだよね。もう授業終わったのかな。
> 結花ちゃん、大丈夫? 風邪引いたんだって?
> うん。でも、もうほとんど下がったよ。
> 今日の講義のノート、後でテキストファイルにして送っておくね。
> わー、ありがとう。ぴょんぴょん(うさぎスタンプ)。今、カフェから?
> そう。夜カフェの案をまた考えたから、時雨さんに報告しに。
> それは楽しみ。来月にはできるかなー。
> そうだね。楽しい夜になるといいな。お大事にね。
> はーい。明日はきっと行けると思う。またね。
私は最後にこぐまのスタンプを押してから、画面の電源を切った。
彼は私のことをいつのまにか「結花ちゃん」と呼ぶようになった。
でもそれはカフェにいる時か、二人だけの時。あとはLINE上での限定。大学では相変わらず「橘さん」で完全に分けている。
悪い気はしないんだよね。秘密めいていてくすぐったい気分なの。
*
ああ、いくら眠ってもまだ夢の中のようだ。
昨夜の余韻に酔っていたいから、目を瞑って思い返している。あの手の動き、感触、痺れていく感覚。
全てを順番に、何度も繰り返し呼び起こしている。まるで広がる雲の上にたゆたゆと乗っかってるみたいで、どこまでも遠くに流されて行ってしまいそう。
……なのに。ぐうぐうとおなかの虫が鳴る。色気より、だな。
時雨さんが作っておいてくれたお粥の土鍋に火をつける。蓋を開けると湯気が上がってやさしい匂いがする。たまごがふんわり入っててしあわせ。
テーブルに準備されている梅干と青葱を上にのせる。レンゲですくってふぅふぅいいながら、あたたかさに包まれて食べるの。うう、おいしい。熱もすっかり下がったよ。
ほうじ茶飲んで、しばらくおとなしくごろごろしてみたけど。昼間寝すぎたせいか夜になっても目が冴えてしまって、オフトンに入っても眠れない。
でも風邪がぶり返したらいけないから、毛布をつれてきて、おとなしくソファーでまるまってみる。
……みゅぅ。時雨さん、今夜は遅いなぁ。さみしいー。
*
真夜中になって雨が降ってきた。窓を叩きつけるような強い雨。
時雨さん天気予報見てるかな。カフェに置き傘あるから大丈夫だよね。
カチャ。
あ、帰って来た。
おかえりなさ……。
わぁ、時雨さん全身びしょ濡れ。あわててタオルを取りに行く。
「結花。だめじゃないか、寝てないと」
声が掠れている。やっぱり風邪うつしちゃったのかな。なのに雨に打たれたら。
私は時雨さんの顔を見て驚いた。顔色は真っ青で、目は真っ赤。何かあったの?
「大丈夫だよ。急に降られたから」
そう言いながらタオルで濡れた髪を拭いているけど、尋常じゃない雰囲気なんだ。シャツも体に張り付いて、ほんとに冷たそう。
「早くお風呂入った方がいいです。沸いてますから」
「そうだな。ありがと」
私はそっと時雨さんのくちびるにタオルを当てる。腫れて、端が切れて血が滲んでいたんだ。誰かに何かされた?
「あ、いや、たいしたことないから。風呂入ってくるね」
しばらく経ってお風呂から上がってきた時は、もういつもの時雨さんだったけど、声はやっぱり嗄れてる。
私はキッチンに行って、林檎をすってくず湯を作った。これなら痛い喉にもすっと入ってあったまるから。
一匙すくってはさましながら、時雨さんが口に入れていく。
「ありがと結花、おいしいよ。顔色よくなったね。熱下がった? いい子にしてた?」
「私は一日ゆっくり寝てたので、すっかり元気です。それより時雨さん、何かあったの?」
私にほほえみかけた後、時雨さんはしばらく黙って音楽をかけて、その曲に耳を傾けて何か考えていた。
ショパンの曲集。静かな湖面を行く「Ballade No. 1 in G Minor, op 23」、そして「雨だれ」。ポツンポツンとピアノの雨音が響く。
「ごめん」
一言そう絞り出すように言った時雨さんは、ずぶずぶとソファーに沈んで毛布にくるまれていく。膝かかえていると、いつもより幼く見えるね。
「もうだめだ。罪悪感でいっぱいになってきてしまった」
どうしたの、時雨さん?
「本当の私を知ったら、絶対に結花は離れていくよ。必ず嫌いになる。それがこんなに怖くなるなんて。こんなはずじゃなかったのに……」
え? 私といることを後悔しているの?
「たとえ人非人でも、詐欺師でも、実は三つ子でも……。きらいになんかならないよ? わざと何か言っても無駄だよ、時雨さん。離れるなんて私、絶対いやだよ」
ふっと笑った顔がゆがむ。
「ごめん。本当にごめんね」
何度も謝る時雨さんが小さく見えて、私は抱きしめてあたためることしかできなかった。
時雨さんが泣いている。




