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母ちゃんが倒れた? まさか、そんな。
あんなに元気だったのに。
『おい、佐古! 聞いてるのかっ?』
床に落ちた携帯から、堀越の声が流れてくる。
おれはハッとして、携帯を拾い上げた。
「ああ、聞いてる。すぐに向かうよ」
『おう。おれも行くから。気をしっかり持てよ!』
「うん、サンキューな」
携帯を切り、濡れたTシャツを脱ぎ捨てる。
だけど、どういうわけか、それ以上、手が動かなかった。
まるで冷たい水の中に全身が浸っているようだ。
痛いのを通り越して何も感じない。
とつぜん目の前を重いシャッターが下りたような気がした――。
「佐古くん!」
バサッと何かが頭から降ってきた。反射的に、閉じかけたまぶたがひらく。手に取ってみたら、それはタオルだった。
「ボーっとしてるヒマないよっ。汗を拭いたら、はやく着替えて! わたしは車を玄関に持ってくるから」
いつのまにか桃ちゃんがいた。彼女の方にも連絡が入ったらしく、すべてを承知しているかのようだった。部屋に置かれたパン太郎を段ボールの箱の中に詰め込む、彼女の姿が。
「春夏冬さん……」
桃ちゃんを見たら、熱いものが胸にこみ上げてきた。視界がにじんで、声が漏れる。
「うくっ。うっ。も、戻ってきてくれたんですねっ……」
のどを詰まらせながら言ったら、桃ちゃんは箱のふたを閉じて身を起こした。
「あたりまえだっつーの。こんなときに佐古くんをひとりにしないって」
桃ちゃんはそう言って、Vサインをした。
頼もしい言葉だった。おれはひとりじゃない。
「うう、ううっ。おれ、おれ……」
ぜんぜんツイていない、おれの日常。
こんなにもあっけなく、その日常が崩れるとは思っていなかった。
なんの変わり映えのない日々を送るのだと信じていた。
なのに、バカだよなあ。何を根拠に信じていたのだろう。おれの平凡な日常というやつは、ただ普通にあるんじゃない。周囲の人たちによって支えられ、守られていたのだ。こうして、自分の気づかないところで――。
「佐古くん」
桃ちゃんがツカツカとやってきて、おれの前に立った。
「しっかりしなさい!」
彼女の声がした瞬間、おでこがパチンと弾かれる。
「いでっ!」
ズキズキする部分を手で押さえつつ、桃ちゃんの顔を見た。
「お母さんが待ってるよ。さ、はやく行こう。一秒でもはやく」
と、おれに手を差しだした彼女。
ああ、この手がおれを冷たい水の中から引き揚げてくれたんだ。
「はい、春夏冬さん」
目元をこすって、おれはうなずき返した。




