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イベントが終わり着ぐるみを脱いだら、Tシャツが汗でぐっしょり濡れていた。
冬でも着ぐるみの中は暑かった。風船配りをしているあいだ、ヘマをしないか焦ってたし。おまけに暖房がしっかりかかっていたからなあ。普段の数倍は汗をかいただろう。
「やれやれだ。やっと終わったかあ」
控室に用意されていた椅子に、どっこいしょと腰を下ろす。
「へへっ」
気持ちのいい疲労感だった。重い鎖から解放されたみたいだ。体が軽く感じる。
「ふうー」
長い息を吐きながら、ゆっくり背中を倒し、椅子の背にもたれた。
思いきって、やってみてよかったよ。
あんなに喜んでくれたんだもんなあ。
子供たちの笑顔を思い出し、余韻に浸っていたところ。
「佐古くん、おつかれさまー。入ってもいい?」
桃ちゃんが外からドアをノックしてきた。
「はい、いいっすよ」
と返事をしたが。どういうわけか桃ちゃんはドアの向こうから顔だけを出し、コンビニのレジ袋を差しだしたのだった。
「水分補給用に、スポーツドリンクを買ってきたよ」
廊下に立ったままで、中に入ってこようとしない。まったく意味不な行動だ。
今度はなんだってんだよ。
うーむ、女の人は何を考えてるのかわからんなあ。
おれは立ってドアに近づき、桃ちゃんの背の高さにあわせてかがんだ。
「ありがとうございます。念のために訊きますけど、またパンダじゃないですよね?」
「あっ、あたりまえじゃない。そこまで用意周到じゃないわよ」
桃ちゃんは口を尖らせた。でも次の瞬間、
「あ、だけど、そのアイディアすてきだね。今度は飲料メーカーとのコラボを提案してみようかな……」
と、ブツブツ言い出す。
おいおい。油断も隙もないよ、ほんとに。
「今終わったばっかなのに、また仕事の話ですか? 少しぐらい休憩させてくださいよ」
おれが愚痴ったら、桃ちゃんは「あはは」と笑った。
「佐古くん、がんばったもんね。本当にありがとう。君に頼んで間違いなかったわ。ちゃんと期待に応えてくれたし」
「それ、いやみですか?」
「ぜんぜん。佐古くんがステージの上から転げ落ちたことなんか、わたし覚えていないよ」
「やっぱ、いやみじゃないですか!」
「いやみじゃないわよ。転んだおかげでウケたんだから、みんな演出だと思ったんじゃないかな。わたしと君を除けば、だけどね!」
なんじゃ、そりゃ。おれが何かやらかすと、確信していたわけか。
それって、ほめられてるのかなー。
これも桃ちゃんなりのほめ方だと思えばいいかー。などと、勝手に納得のいく答えを出す。
「それより、中に入ってきたらどうですか? 他の人が見たら、変に思いますよ」
しばらく会話を続けても、桃ちゃんは未だ部屋に入ってこようとしないので、何気にそう言ってみた。
「え? う、うん。入りたいのは、やまやまだけど……」
桃ちゃんの声の調子が少し重くなったのを感じた。歯切れが悪い。
いつもの彼女らしくない。
「どうしたんですか?」
心配になったおれは、その理由を考える前に彼女に問いかけた。
「佐古くん、汗をいっぱいかいてるから……」
「はあ」
「わたし……」
声が小さくて聞きとれない。
「ん? なんて言ったんですか?」
かーっ、じれったいなあ!
ドアの端を右手でつかみ、手前に大きく引こうとしたら、
「いやっ!」
桃ちゃんはコンビニ袋をおれに向かって投げつけた。
「うわっぷ!」
おそらくペットボトルだろう。おれの鼻先をかすめたあと、ガコン! と大きな音を立てて袋ごと床に転がった。
「ごっ、ごめんなさい、佐古くん! また、あとで来るからっ」
彼女は早口でまくしたてると、強くドアを叩きつけた。それはもう、本当に、ものすごい勢いで。
バタバタと足音が遠ざかっていく。
おれの心の中を、ぴゅーっと冷たい北風が通り抜けていった。




