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 トイレに行って、平静を装えるほどの落ち着きをなんとか取り戻したおれは、会議室へ戻った。だが、そこに桃ちゃんの姿はなかった。

 いったい彼女は、どこへ行ってしまったのだろう。

「すみません」

 近くの席で作業してる女の人に声をかけ、彼女の行方を訊いてみる。

「あの、春夏冬さんは、見かけませんでしたか?」

「え?」

 その人は顔をあげるなり、にっこり笑った。

「あ、佐古くん」

「あやのさん?」

「久しぶりねえ。元気だった?」

 おれが声をかけたのは、堀越のお義姉さんだった。あやのさんと会話を交わすのは、給湯室でおやつをごちそうになった日以来だ。

「はい。元気でした」

 つい、さっきまでは――。の言葉は口に出さず飲み込む。

 あやのさんは、目を丸くした。

「でも、佐古くん、マスクしてるじゃない。どうしたの、風邪をひいたのかしら?」

「あ、えっと。まあ、そんなところです。それより――」

 適当に言葉を濁しつつ、おれはもう一度あやのさんに尋ねた。

「春夏冬さんは、どこにかに行ったんですか? おれがトイレへ行ってる間にいなくなっちゃって、困ってるんです」

「ああ、桃ちゃんね」

 あやのさんは「そうそう」と思い出したように言った。

「そういえば、さっき席を外すところを見たわ。急用だったと思う。プロジェクト・リーダーと何か話したあと、急いで出ていったもの」

「プロジェクト・リーダー?」

「ええ、そうよ。ほら、あそこにいるでしょう。彼がプロジェクト・リーダーだよ」

 あやのさんの指を差した方向には、さっき桃ちゃんと仲良く話をしていた、あの男がいた。やつは書類を片手に周囲の人たちへ指示を出している。

 彼女の説明は、まだ続いた。

「今回のピヨちゃんミニ冷蔵庫は、彼の発案なのよ。企画・デザインから、全部手がけているの」

「へえ、すごいですね」

 自然と声が尖る。

 その気に入らないやつなんかのために、おれは働かされていたのか。ふひい、途中で気づいてよかった。危なかったぜ。

「ふふ、彼、ステキでしょう?」

 あやのさんがうれしそうに言った。

 桃ちゃんだけじゃなく、あやのさんまでも……。

 やつは、女子社員の憧れってわけなんだ。

 ますます面白くない。

「そうですか」

 ぶっきらぼうに返事をする。


 と、次の瞬間、あやのさんは驚くべき言葉を発した。

「彼、わたしの夫なのよ」


 ……はい?


 おれは呆然と、あやのさんの顔を見つめた。

「夫? 夫と言うと……あやのさんのダンナさん?」

「ええ、そうよ」

「じゃあ、ちょっと待ってくださいよ。あやのさんのダンナさんは、堀越の兄貴さんですよね?」

「前に話したよね?」

「ということは、ですね。あの人は、堀越の――」

「決まってるじゃない。陽一郎さんのお兄さんよ」

「だったら、春夏冬さんも知ってるんですか? 二人が結婚してること」

「もちろん。結婚式に来てもらったもの」

 と、あやのさんがうなずく。


 ひょっとして、おれ……。激しく勘違いをしちゃったのだろうか?



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