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 桃ちゃんにつれられて向かった先は、堀越ビルヂングにもうひとつある会議室だった。

 コの字型に並べられた机の上には、幅五センチ、長さ二十センチほどのメッキ品が所狭しと置かれている。エッジの部分は丸くなだらかな曲線状になっていて、これだけでは完成品だと思えなかった。そう、何かの部品っぽい代物しろものだったのだ。


 そこへ、パリッとスーツを着こなした、背の高い男性が足早に入ってきた。

「どうも、すみません。みなさん」

 男はホワイトボードの前に立つと、集まった人たちにあいさつを始めた。

「お忙しいところをお集まりいただき、ありがとうございます。あと、もう少しで数が集まります。今日もがんばりましょう」

 どうやらこの人が陣頭指揮をとっているらしい。行動がテキパキとしていて、いかにもやり手な感じの人だ。

 ……それにしても。この人、どっかで見たことがあるような。

 あー、でも気のせいか。

 だけど、やっぱり。うー、どこだっけなー。

 脳の奥をガサガサ探してみても、さっぱり思い出せない。


「ちょっと、佐古くん!」

 桃ちゃんがキッと目くじらを立てた。

「何ぼんやりしてるの。さっさとこっちに来て。作業を始めるわよ」

 さすが、桃ちゃんだ。おれが考えごとをしているうちに、彼女は空いている席を見つけスタンバッていた。白い手袋をはめた手で、おれを手招きする。

「はい、今行きます!」

 あわてて桃ちゃんの隣の席に座り、おれも手袋をはめようとした。

「あ、佐古くんはいいわ。そのままで。テープ係をやってほしいから」

「テープ係?」

「そこの箱の中に両面テープが入ってるでしょう? それを二十センチにカットして、紙をはがしやすいように端っこをめくってほしいの。貼りつけ作業と検品の方は、わたしがやるから」

「はあ」

 机の上の小箱を見る。その中には、たくさんの両面テープがあった。

「慣れたら、佐古くんにも組み付けをひとりでやってもらうからね。だから、ぼさっとしてないで、わたしの手元を見てしっかり覚えなさいよ」

「えっ」

 責任重大だな。桃ちゃんの言葉に、ピリッとした緊張感が高まる。

「わかりました」

「じゃあ、始めるわよ。ほら、テープ!」

 と、桃ちゃんが手の平を上にして差し出した。さながら、手術中の執刀医のようだ。

「はっ、はい!」

 おれはぎこちない手で両面テープをハサミでカットし、桃ちゃんに渡した。桃ちゃんはテープを受けとると、メッキ品の溝と溝のあいだの狭い部分に、慣れた手つきでするする貼っていく。そのあと、はみ出した部分のテープを切り、目視でチェック。

「はい、これでOK。一個完成っと」

 桃ちゃんは満足そうにうなずき、メッキ品をおれに見せた。

「これで終わりなんですか?」

 緊張感とうらはらに、実にあっけない工程だった。

 それでも、桃ちゃんは、「ええ、そうよ」と真顔で答えた。

「厳密に言うと、完成品ではないけどね」

「へ?」

「これはね、ミニ冷蔵庫のドアハンドルなの。エッジの部分のメッキ層にクラックが入ってしまったから、あわてて代替品を用意してるところなんだよ」

「クラック? クラックってなんですか?」

「ヒビとか亀裂きれつとか……まあ、そういうものよ」

「ふうん、そうなんですか……」

 一応納得し、うなずいたものの、いまいち実感がわかなかった。

 今まで完成品しか見たことがなかったから、こういう小さな部品が一個、一個集まって冷蔵庫になるのが不思議でしょうがなかったのだ。おまけに接着するのはテープだもんな。プラモデルを作るのと、そう変わらないじゃんか。


「ほら、はやく。見てないで、手動かして」

「は、はいっ」


 先ほど説明のあったとおり、両面テープをカットし、片側の紙をはがそうとした。が、めくれない。

 くそ! なんだよ、こいつ。おれに逆らうのか?

 慣れない作業のためか、右手の親指の爪に紙がちっとも引っかからないのだ。

「えい、くそ! このっ」

 何度も同じ行為を繰り返していたら、桃ちゃんが横から手を伸ばしてきた。

「佐古くん、貸してみて。ほら、こうするんだよ」

 器用にぺろっとテープの紙をはがしてみせる。

 うーん、おれのやっていたことと何がちがうのだろう。もはや両面テープの陰謀だとしか思えない。


「わかってんですけど……すいません、ぶっきーで」

 桃ちゃんは、「ううん」と首を横に振った。

「工業用のテープを触るのは初めてでしょう? 仕方ないわよ」

「はあ。そう言ってもらえると助かります」

「慣れないうちは大変だろうけど、がんばろう。ね?」

 彼女の情け深い言葉のおかげで、おれの体に元気パワーがみなぎってきた。

 よっしゃあ、おれはやるぜ! 見ていてください、桃ちゃん!


「できた!」

 やっとのことで、一枚だけはがすことができた。

「春夏冬さん、見てください。これ……」


 ほえ~。長いまつ毛だなあ。


 桃ちゃんの横顔を盗み見る。

 何度見ても、どんなに近くで見ても、マジでときめいてしまふ。

 もし堀越がバイトに誘ってくれなかったら、彼女とこうして共同作業を行うこともなかっただろう。

 これが、ほんとの共同作業かー。

 うひっ。なあんちゃって!


 よおし、やる気が出てきたぞっと。


 ますますうれしくなって、「よっしゃあ!」とおれは手をたたいた。

「春夏冬さん、この調子でバンバンやりましょう。おれ、がんばりますよ」


 桃ちゃんがパッとこちらを向き、輝くような笑顔を見せる。

 そして、口をひらいた。


「先輩!」


 せっ、先輩?


 悔しいことに、桃ちゃんの笑顔はおれに向けたものではなかった。桃ちゃんは、おれのうしろにいる、先輩とやらに微笑みかけていたのだ。

 なんなんだよ?

 彼女の視線を追って、振り向く。

 すると――。


「桃ちゃん、君も手伝ってくれていたのか。忙しいのに悪いね」

 さっき皆の前で挨拶をしていた男性が、こちらに向かって近づいてきた。

 ん? なんだよ、こいつ。

 じろじろと、ぶしつけな視線を投げたが、やつは平気でおれを素通りし、桃ちゃんとおれとのあいだに割り込んだ。彼女がおれの視界から消え、やつのスーツの色しか見えなくなる。


 ――ああっ!


 そこで、やっと思いだした。この男がおれと桃ちゃんのあいだに立ったのは、これで二回目だ。おれが以前、部屋をのぞいたとき、パソコンの前で桃ちゃんと親しげに話していた男だった。

 なんてこったい! こんなにも間近で、またもや目撃することになろうとは……。

 おれは、いったいどんな顔をすればいいのだろう。


「いいんです。わたしの方は、急ぎの仕事持ってませんから」

「うん、頼んだよ」

 おれの横で、桃ちゃんとやつの会話が弾んでいる。

 二人の会話を盗み聞きしているような、うしろめたい気分になってしまった。



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