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深夜一時半。おれは必死こいて、机に向かっていた。鏡を見たら、きっと目が血走っていると思う。それほど真剣に勉強をしているのだ。
一夜漬けが当たり前だった数日前までのおれ。ここのところ、夜遅くまで起きている。
「熱でもあるのかしら?」
そんなひとり息子の変わりようを見て、母ちゃんは首をかしげた。
今日も母ちゃんは部屋に入るなり、ぼそっと言った。
「あら、ま。明日は槍が降るかもね」
と、ノートをのぞきこむ。
「ここ、字まちがっとるよ」
やべっ。目ざとく、誤字を発見されてしまった。
「うっさいな。勝手に見んなよっ」
ノートを腕で覆いかくし、母ちゃんをにらむ。
「なんか用かよ。とっくに寝てると思ってたのに」
「いやね。この子ったら、文句ばっか。生意気言っちゃって」
母ちゃんは、フフフと楽しげに笑った。
「眠気覚ましのお茶を持って来てあげたのよ。ほら、感謝しなさい!」
「ん?」
首をちょっと伸ばして、盆の上の湯呑をのぞき見た。湯気のたったお茶の真ん中に茶柱が浮かんでいる。
「あ、ああ……ありがと」
そこで、はじめて自分の体が冷えきっていることに気づいた。さすが、おれの母ちゃんだ。十六年と五か月、母親業をやっているだけのことはある。
「縁起がいいでしょう。必ず茶柱の立つお茶なんやって。そういうのがあるんやよ」
頼んでもいないのに、母ちゃんはべらべら話しだした。ふだん「星占いなんか当たらないわよー」と一蹴してるくせに、こういうゲン担ぎにはこだわるのだ。
「へえー」
いつもなら母ちゃんの長話をうるさく思うのだが、今日はちがった。おれにしてはめずらしく、耳を傾ける気になっていた。すかさず訊き返す。
「必ず茶柱が立つ? そんなんあるの?」
母ちゃんは待ってましたとばかりに、目を輝かせた。
「口コミで大評判なのよ。お母ちゃんも婦人会の人から聞いたの。わたしの情報網も捨てたもんじゃないでしょう。あんたが知らなかったぐらいなんだから!」
ということは、またネット・ショッピングしたんだな。父ちゃんに内緒で。好きだなー。
「あ、そう……」
おれは半分あきれながらも、湯呑を受けとった。
あー、あったかい。
湯呑の熱が冷えきった指先を温めてくれる。
白い湯気が顔にかかり、お茶の香りが鼻腔をくすぐった。
あれ、待てよ?
湯呑をまじまじ眺める。
ぴん、とひらめいた。
なるほど、そうだったのか……――!
「サンキュー、母ちゃん!」
小難しいビジネス本やハウツー本とにらめっこするまでもなかったぜ。まさか、母ちゃんの口から答えを知ろうとは……。
「どうしたのよ、いきなり」
母ちゃんは目をぱちくりさせた。
「ケース・クローズド! やっと謎が解けたんだよっ」
息子の歓喜の声を聞いて、母ちゃんはつぶやいた。
「将文、いつのまに高校生探偵になったの? お母ちゃん、ぜんぜん知らんかったわ」
……うん、さすがだ。やっぱり、おれの母ちゃんだぜ。




