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カボチャ頭のランタン  作者: mm
03.All That Glitters Is Not Gold
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 切れるんじゃないか、と一瞬だけ不安になったが迷宮口から垂らされたワイヤーロープは荷車を持ち上げる瞬間にこそ高音で軋んだが、それから後はそれが幻聴なのかと思うほど静かなものだった。

 戦利品と荷車、人間三名とその他諸々を加えた一トンを超える重量が軽々と引き上げられていく。それは蜘蛛が自ら垂らした糸を登るように滑らかで、重量がある分だけ安定していた。だがそれが一度でもバランスを崩せばその重量の分だけ荒れることも目に見えてはいるので大人しくしている。

 もっともそれを荒れさせないのがミシャの技術(うで)であるのだが。

 ケイスが言うには技術に自信のない引き上げ屋は作業を二度三度と分けることがあるようだ。まず人を引き上げて、それらから戦利品が何かを教えてもらってから、運び屋と戦利品を纏めてというように。

 安全だが手間も時間も、費用も余分に掛かる。それに引き上げ屋からしてみればそれを行うことは自らの技術の未熟さを認めることとなる。

 ロープから伝わる重力の受け方や、重心の変化やその在り方、たったそれだけの情報で戦利品が何かを把握するにはそれ相応の経験や才能を必要とする。見栄を張らずともよいと思うのだが、何だかんだと自己の技術を過信しして戦利品を横壁に擦ったりする引き上げ屋もいるようでケイスが笑っていた。引き上げ屋当人や探索者からしたら笑い事ではないが。

 己の分を知ることも大切なことである。

 霧を抜けると原動機(エンジン)の嘶きが聞こえた。

 耳鳴りのような高音と、心音にも似た低音が同時に響いている。起重機(クレーン)の心臓部には相当な負荷が掛かっているようだった。

 安全迅速丁寧な仕事によって帰ってきた地上は明るい夕焼けに染まっていた。薄く空を覆う雲に光が反射して、見上げた空全体が燃えているようだった。

 まるで塞いだ傷口が開いて再び血を零したような、青白い顔に血色の戻ったような。顎を持ち上げ空を見上げる。猫のように目を細めたランタンにそろりとリリオンが近付いてその身体に触れた。

 そのごく僅かな重心の変化に荷車が揺れ、しかしミシャは慣れた手つきで素早く反応した。手元の繊細な動きが起重機の首へと拡大されて伝わり、その揺れが打ち消される。ランタンとケイスが同時に唸った。

 吊り下げ式ではなく檻式で引き上げられるとミシャの顔がよく見えた。荷車の上から見下ろすミシャの表情はやや硬い。吸い込まれるような集中した表情をしていて、大きな起重機の操縦席にある小さな姿はまるで竜に騎乗しているかのような凜々しさがあった。

 そして竜の傍らに、見慣れぬ大型の荷馬車がある。

 がっしりとした巨体の輓馬、それが四頭も繋がれて大人しくしている。荷馬車はケイスの運ぶ荷車を積み込んで余るほどの大きさで、総金属の無骨な造りはまるで戦車のような印象をランタンに与える。起重機の勇ましさと相まってまるでこれから戦争にでも行くかのようだった。

 そうなると燃える空が不吉に思える。ランタンは思わず街の方に目をやって、外壁の高さに視線を遮られた。変わらない日常が壁の奥にはある。

「あれは……」

 呟いたのはケイスで、その呟きに再び視線を戻したランタンは荷馬車に立てられた旗を目にした。夕日に翻った旗は黒地に金糸によって天秤と金槌が描かれていた。それは商工ギルドの紋章である。

 商工ギルドが何故、と思ったのはランタンばかりではなくケイスも同じようで、しかしその荷馬車の存在が疑問の回答であった。荷馬車の存在意義は荷物の運搬にある。

「契約に含まれてましたっけ?」

「いえ、聞いておりませんが……何かあったのでしょうか」

 荷馬車の御者は全く知らない男だったが、輓馬の首を撫でながらこちらを見ている女には見覚えがあった。

 豊かな金の髪とここからでもわかる柔和な表情。女はランタンから契約をもぎ取った説明女その人である。わざわざ現場まで来るとは仕事熱心なことだな、と皮肉気に思ったのはランタンが説明女に抱いている苦手意識のためだった。

 輓馬の傍に立つと女は小さく見えるが、妙な威圧感があるような気がする。

「まあこの量ですから、気を利かせて荷馬車を回してくれたのでしょう」

「少量しか持ち帰らなかったらとんだ赤っ恥ですけどね」

 起重機は一度停止して首を振った。そのままに馬車の荷台に積み込まれるのかと身構えたが、そんなこともなく普通に迷宮口の脇に降ろされた。歩み寄ってくる説明女を何となく手で制して、駆け寄ってきたミシャにロープを外してもらった。

 まずはケイスから、そしてランタン、リリオンの順で。

 ロープを外されたケイスは説明女の元に駆け寄り足止めをして、その間にミシャはランタンに取りかかる。

 ランタンは怪我をすっかり服の下にしまい込んで、顔の青白さも夕日の赤で隠していたが、その身体から香る血の臭いをミシャは嗅いだ。だが何も言わなかった。ただ帰還の無事に胸を撫で下ろすだけで。

「あれ何?」

 声を小さくミシャに尋ねる。

「……ランタンさんがご用意したのではないっすか?」

「いや知らない。そう言ってたの?」

 契約した迷宮の区画に、契約した探索者と引き上げ屋以外が立ち入ることはあまり褒められたことではない。特に帰還時には探索者は弱っているし、気が緩んでいる。そこを狙う者どもへの対処として、法律として明文化されているわけではないが無断で立ち入ったものを強襲しても許される風潮がある。

「まあ、そのような感じのこと、っすかね。申し訳ありません、押し切られました」

 そう言って頭を下げたミシャをランタンは思わず撫でた。

 説明女にやり込められたことのあるランタンはその悔しさがよくわかる。

 説明女がどのような言を弄したのかはわからないが、言葉尻の曖昧な柔らかい言葉にミシャは煙に巻かれたのだろう。ミシャはしっかりしているが、それでも年齢の分だけ説明女が上をいったようだ。

「別にいいよ、実害はなさそうだし。それなりに量もあるし丁度いいさ」

「――そのようっすね。総重量千二百キロ」

「元は幾つだっけ?」

「二百八十キロなので、九百二十キロの増っす。大猟っすね」

 食料を捨てまくったし、ランタンもリリオンもケイスも痩せた。持ち帰った物の中には機動鎧の一部と剣もあるので金蛙の重量は正確な重量は導き出せないが、おそらくケイスの見立て通り八百キロ半ばほどが正解なのだろう。素晴らしい測定技術だ。

「これって多いの?」

「ええ、かなり多い方っすね。運び屋一人ではまずない重量ですよ、女性だと特に。ケイスさんはなかなかやり手っすね。――はい、じゃあ次はリリオンちゃん。あんまり引き上げ時には動かないでね」

「はーい。ケイスさんもミシャさんのことを褒めてましたよ。起重機の操作が凄い上手だって!」

「あらそれは、照れるっすね」

 あはは、と笑ったのは本当に照れているのだろう。

 ミシャしか知らないランタンはミシャの技術を信頼していても、それが当たり前であるが故に面と向かって賞賛したことはない。感謝の言葉は口にしても、賞賛は言った方も言われた方も照れてしまうものである。

「ミシャさん凄い!」

 大まじめにそう言ったリリオンにミシャはタジタジとなっている。

「まあ、あはは。いやあ、リリオンちゃんもランタンさんも凄いっすよ」

「何だよ急に」

「ケイスさんを雇ったご慧眼には感服するばかりっすよ。戦利品のこの輝きは金! メッキっすね」

「……」

「え、あれ? あの」

 冗談を言ったつもりが、冗談になっていないのだから質が悪い。不意に訪れた沈黙にあたふたするミシャを、ランタンはじとっと見つめてやれやれと肩を竦める。そしておもむろにミシャの脇腹を突いた。

「うひゃあ!? え、ちょ――」

 そしてリリオンもそれを真似する。

 ミシャの脇腹は柔らかかった。服の上からでは見ても分からないが、腰の辺りの肉付きが思いがけずに良く、それがはっきりと女の身体なのだと意識してしまった。この肉の柔らかさはリリオンにはないもので、ランタンは一度突いただけで二度と触れなかった。

「わあー」

 ただリリオンはその柔らかさを指先に抓んだりもした。ランタンにはとてもとてもそんな恐ろしく、残酷なことはできない。ランタンはその凶行から思わず目を逸らした。

 ミシャは上げた悲鳴の間抜けさに赤面して、怖い顔でリリオンを睨んだ。その頃には既にランタンは素知らぬ顔でその場から離脱していて、リリオンは全ての責任を負うことになったのである。

 リリオンは隣を振り返ってそこに居ないランタンに気が付いたが、ランタンを追いかける暇もなくミシャにベルトを掴まれて捕らえられていた。デリカシーを学ぶにはいい機会である。

 そして離脱したランタンは少女二人の元から、大人の女性二人の元へと歩み寄った。

「お久しぶりです」

 声を掛けるとケイスがすぐに脇に退き、対峙した説明女は頬に笑みを浮かべた。この笑みが厄介なのだ。柔らかな笑みはその口腔に犇めく牙の一切を隠している。口を開くと吐き出される聞き心地の良い言葉には、その牙に秘められた甘い毒が注入されている。

 ランタンが負けじとにっこり微笑むと、何故だか輓馬が暴れ出した。嘶きは悲鳴に似て、鬣を揺らして首を振った。それでも駆け出さずそこにいるのは、きちんと調教されているためだった。

「落ち着け」

 御者が巧みな手綱捌きで馬を落ち着け、ケイスもその首元を撫でであやしていた。ケイスのその手つきは妙に手慣れていた。蛙の多く出るケイスの故郷は、農耕牧畜の盛んな地なのかも知れない。

「どうしたのかしら、ありがとうパティ」

「うん」

 説明女の呼びかけた声が親しげで、ケイスの返答もランタンたちに向けるものと違う気楽さがあった。二人は仕事だけの関係ではなく、友人なのかもしれない。

「――ランタンさま、お帰りなさいませ。まずは探索の無事と成功にお喜び申し上げます。素晴らしい戦果ですね」

 説明女はランタンの奥にある荷車を見つめて艶然と微笑んだ。

「魔道の装備に、迷宮核、雷精結晶と、金合金が八百キロ超も。さすがはランタンさまです」

 戦利品の内容はケイスから聞いたのだろうか。

「いえ、ケイスさんがいなかったら結晶程度しか持ち帰れませんでしたから」

「あら、彼女一人では何一つ()ることはできませんわよ。そうご謙遜なさらずに」

「その言い方はどうかと」

「パティを軽視しているわけではありませんのよ。探索者さまが居られなかったら運び屋は――」

 ケイスは特に何も思っていないのか、輓馬の首を優しく撫でている。馬はそんなケイスの耳を甘噛みしている。それを見ているとランタンは何だか説明女とのやり取りが虚しくなった。

「――なのでランタンさまが居なかったら」

「それはどうも。で、……契約にはお迎えなんてなかったように思いますけど、これは一体どういうことでしょうか?」

「きっと探索でお疲れでしょうから、僭越ながらご用意させていただきました。もちろん私どもが勝手にやったことですので、ランタンさまにご負担を求めたしませんのでご安心を」

「お金の心配なんかしちゃいませんよ」

「あらさすがはランタンさま、頼もしいことです」

 言葉の端々に生えた棘を自覚ししつつも、説明女がそれを許すものだからランタンはつい甘えてしまった。いけないな、と思いながらも警戒心を押さえられない。積極的な敵意があるわけではないのだが、苦手意識がどうにも先立って警戒心からつんけんしてしまう。

 これでは先日から何の成長がないではないか、とランタンは反省する。

 探索も成功して、戦果は上々。もっと心に余裕があって然るべきだ。

 説明女、商工ギルドの意図がどこにあるのかは見えないが、先入観を取り払ってあるがままを見たならば善意から荷馬車を用意してくれたように思える。

 説明女はただ商売をしているだけであって、悪意があるわけではない。羽振りのいい顧客を逃がさぬ為に、色々とおまけをつけることは良くあることだ。

「あ――」

「どうかされましたか?」

「――りがとうございます。わざわざ気を遣っていただいて」

 ほっと肩から力を抜いて礼を告げたランタンに、説明女が初めてたじろいた。

 自然と頬に浮かんだランタンの笑みはとても甘く柔らかい。そこには気の強さからくる羞恥と、探索の疲れからか哀れっぽい幼さがあった。一瞬にして説明女は罪悪感に囚われ、戸惑い慌てた。

 それは子供相手に理詰めで対応する大人気ない人の図を夕焼けに作り出していた。それを外側から見ているケイスが世の不条理を馬に語りかけるように遠い目付きをしている。

 ランタンはそんな説明女に小さく小首を傾げる。

「でも換金もいいんですけど、その前にちょっと探索者ギルドに寄っていただいても?」

「それは構いませんが」

「よかった、医務局に寄りたかったんですよね」

「……ランタンさま、お怪我を?」

「ええ、ちょっと電気責めを食らった挙げ句に身体を穴だらけにされまして、血が止まんないんですよね」

 ランタンが軽い口調で放った言葉を説明女は上手く飲み込めずに、ただ曖昧に微笑んで曖昧に頷いた。電気責めも穴も探索者特有の比喩的な表現なのかと、説明女はケイスに助けを求めたが、それは言葉のままの意味である。

 説明女は顔を強張らせる。

 物騒な世界であったが普通に生活を営んでいる分には身体に電気を流されることはないし、穴だらけになることもない。それらは説明女の生活とは無縁だったようだ。

「ご覧になりますか?」

「いえいえいえ、いいです」

 無邪気をよそおったランタンの一言に説明女は慌てて首を振った。豊かな金の髪がばさりと左右に振れて、そして自分の醜態に気づくと咳払いを一つ零した。ちょっと頬が赤くなって、説明女は跳ねた髪をゆっくりと手で撫でつけた。

「冗談ですよ。外で脱ぐ趣味はありませんし」

 商談では百戦錬磨でも、ここは商工ギルドの一室ではなく混沌渦巻く迷宮特区。現場に出てきたのは良いものの、なかなかどうして初心なようである。

 ランタンは慣れ親しんだ迷宮特区の外気を胸一杯に吸い込んで、まるで紫煙でも(くゆ)らすように太く吐き出した。

「こほん。では運搬時には探索者ギルドに寄らせていただきます。鑑定にお時間をいただきたいので、治療はご存分に受けてください」

「ええ、そうですね。あれらは商工ギルドに運びますか?」

「うちが所有している倉庫にですね。鑑定作業をご覧になりたいのでしたら――」

「いや、それはいいです。見てもよくわかんないし」

「そうですか。では、そうですね。鑑定は今日中に済ませてしまいます」

「――迷宮核は探索者ギルドに持っていきますよ」

「承知しております、残念ですが。その他の品は全てうちで鑑定していただいてよろしいですか」

「はい」

「では明日以降でしたらいつでも構いませんので、お手隙な時に商工ギルドへお越しいただくか、よろしければ場所を指定していただければ迎えを寄越しますが」

「いや、それには及びません」

 それらのやり取りはほとんど契約条項の再確認のようなものであった。ランタンも決まったものをひっくり返すような無粋は働かないし、説明女も契約の拡大解釈でランタンから富を奪い取ろうとはしなかった。

「まあよっぽど何かなければ明日お伺いしますよ」

「はい、お待ち申し上げます。パティ、積み込みをお願い」

「はいよ」

 起重機でひょいと積み込んでしまえば良いのにと思わなくはないのだが、それはランタンの口を挟むところではないので黙っていた。ランタンとミシャの間には契約があるが、ミシャと商工ギルドの間にはそれがない、とそう言うことだ。

 リリオンがミシャから解放されたように、荷車も起重機から解放されていた。ケイスは荷車の引き手(ハンドル)を強く握り込むと輓具を使用せず、ただ己の力のみでそれを牽いた。既に身体活性の魔道薬の効力は失われており、それはケイスの地力だった。

 奥歯を砕けそうなほどに噛んでいる。夕焼けに負けぬほどに顔が赤くなり、二頭筋も大腿筋もぶるぶると痙攣している。だがそれでも一歩一歩確実に前進して、次第に勢いが増した。そして荷馬車の急な角度のスロープを一気に駆け上った。

「すっごい足腰してるな」

 あらためて離れた位置から見るケイスの牽引姿はほれぼれするような力強さに溢れていた。開放された胸ばかりではなく、太股も尻も素晴らしく張っている。思わずその場で拍手をしたランタンにミシャがするりと近寄って、抓む肉のない脇腹をほんのりと優しく触った。

「何?」

「何でもないっす」

 へとへとになってランタンの隣に隠れるように寄り添うリリオンを見ると何でもなくはないのだが、藪を突いて蛇を出すのも馬鹿らしいので軽く頷き、リリオンを優しく撫であやしてやった。

 ケイスたちが戦利品の固定作業をしている間にランタンはミシャへと代金を支払った。

 単純な重量だけで言えば、帰還時の重量はランタンとリリオンの二人分の約十倍ほどであったが、その支払金額は十倍程度では済まなかった。ミシャに金額を聞いた際にランタンは吃驚して聞き返してしまったほどだ。

 重ければ重くなるほどに引き上げの金額は高額になっていく。

 例えば普通の探索班だと、体格はランタンよりもいいし装備だってしっかりしている。一般的な五名ほどの探索班だとそれだけで重量は五百キロ近いのではないかと思う。その重量に見合った代金を毎回毎回支払うとなると、魔精結晶だけを狙っていては一人頭の収入は雀の涙となる。下手に重量単価の安い戦利品を持ち帰ろうものならば、赤字もあり得る。最終目標を討ち取れば充分な利益は出るのだろうが。

 それは運び屋を雇うもっとも切実な理由なのかも知れない。

 重量を増すごとに使用する燃料も、起重機の消耗も、必要となる技術も雪だるま式に増加していくのだからしかたがないが、運び屋業を経てこなかった相場を知らぬ新人探索者の中には憤る者も、相場を知っていて尚文句を垂れる探索者もいるようだ。

「じゃあさ、むしろ回数分けた方が安くつくんじゃない?」

「んー、初動に最も燃料も負荷も掛かりますからね。やっぱり纏めて上げた方が安いっすよ、時間も短くて済みますし」

「ふうん、探索って金かかんだね……」

「何言ってるんですか探索者さま」

 すっからかんになってしまった腰のポーチを一撫でして、ランタンは金策について考えを巡らせた。医務局に行く前に銀行に立ち寄るか、それとも迷宮核を換金したほうが早いか。このままでは身体に開いた穴の一つも塞ぐことはできない。

「――ランタンさんならつけでもいいっすよ。お店まで持ってきてくれれば」

「いや、お金のことはちゃんとしないとダメだよ」

「そうっすか。ではこれはありがたく頂戴いたします。毎度ありっす」

 そう言ったミシャは集金箱に金貨をしまった。

 世の探索者はなかなか苦労しているようで、世間知らずなランタンは一年以上も探索者をやってきてようやくその一端に触れた。多くの探索者はもしかしたら迷宮に降りるために迷宮を攻略しているのかもしれない。冗談にもならないな、とランタンはひっそりと苦笑した。

「じゃあ私は荷馬車(あれ)が道を塞ぐ前に、次の現場に行かせていただきますね」

「うん、あ、そうだサンドイッチあげるよ。昨日作った奴だけど」

「……はあ、サンドイッチっすか? ありがとうございます」

 急にサンドイッチを押しつけられて戸惑いながら、もしかしたら体重を気にしたのかもしれない、ミシャが去って行った。そんな起重機の背中にリリオンが手を振って見送り、ほっと胸を撫で下ろした。

「女の人のお腹はつまんじゃダメなんだって」

「へえ、何でだろうね」

「わかんない……」

「じゃあ肉をつけてみようか」

 まだサンドイッチは余っている。ランタンは調子乗って作りすぎたのである。リリオンはコロッケサンドを美味しそうに頬張った。油の回ったコロッケは既にしっとりとしていたが、それにはそれなりの美味しさがあるものである。

「そう言えばリリオンってベシャメルソースって作れる?」

「できるよ」

 今度はクリームコロッケだな、と一口もサンドイッチを食べていないランタンは無駄に決意を固める。

「お部屋の近くにかまど組む? 部屋あまってるし」 

「んー、できなくはないかもだけど」

「そうしたらわたし毎日、料理作ってあげるよ。わたし料理できるからね」

 ミシャの姿がなくなり、リリオンが二つ目のサンドイッチをぺろりと平らげるころにようやく固定作業が終わった。

「お待たせしました。ではランタンさまは――」

「荷台でいいですよ、ねえリリオン」

「よくわからないけど。うん、いいよ」

「あら、そうですか?」

 説明女は御者の横に座り、ランタンとリリオンそしてケイスが荷台に上がった。固定されている荷車に腰掛けてほっと一息を吐くと、ゆっくりと荷馬車が動き出した。大型の荷馬車の存在は流石に目立つようで、なんだなんだと視線が注がれる。

 金蛙の脚は剥き出しになっており外側だけを見ればそれはまさしく黄金なので、わっと口を丸くするものもいる。

「ちょっと物騒ですよね」

「でも流石にこれだけ目立つものを襲う者はおりませんよ。売りさばく場所もありませんし」

 地上を見下ろすランタンの、その手を急にケイスが握った。大きな手の中にランタンの小さな手はすっぽりと覆い隠された。

「少し早いですが、――お疲れ様でした。久々に探索をしている気分になれました」

「え、ああ。いえ、こちらこそ助かりました」

 ケイスとの契約はこれで終わる。運び屋の仕事は迷宮から戦利品を引き上げ、換金者へと渡したところで終了する。運び屋派遣サービスの使用料は商工ギルドへ支払い、ケイスへの賃金は商工ギルドから支払われる。

 ケイスとの繋がりはその程度のものだ。

「帰りなんかは特に楽しちゃって」

 ケイスは見習いの探索者ではなく、またランタンと専属契約をしているわけでもなく、ただ商工ギルドに登録され仕事があればどんな探索班にも派遣される運び屋なのだから。再度指名するかしない限り、これでお終いだ。

 だがケイスはランタンの手を両手に包み込んで放さなかった。小っちゃい手ですね、とケイスは呟いた。

「何ですか」

「――あの夜のお答えを」

 そう言われると恥ずべき盗み聞き男であるランタンは無言になるしかない。手を握らせることぐらいは許さなければならない。ランタンは気恥ずかしさを噛み殺すように下唇を巻き込んでケイスを見つめた。

「私は探索者に戻りたいです」

 おや、と思ったが表情は変えなかった。

「あなたを見ているとそう思う。私のような運び屋風情にも優しくて、鬼のように強くて、あなたは私が昔憧れた探索者そのものだった」

 ケイスはランタンの手を撫でる。指の一つ一つの細さを確かめるように。

「この三日間、私は夢の中に居るようだった」

「そう、ですか」

「ですが私ももう、三十なので夢を見てられるような年齢ではありません。そうありたい私にはどうにも成れないようです」

 夢は覚めて、遠い過去に見た憧れの現実を目の当たりにしたケイスは哀愁のある笑みを唇に浮かべた。

「運び屋もなかなかやりがいのある仕事ですしね。探索者だった頃はただの雑用としか思っていませんでしたが」

 単純な諦めの表情とは違った。甘くもなければ苦くもない。まるでその苦笑こそが素顔のような、そんな印象があってランタンは目が離せなかった。

「いつまで手を握ってるんですか?」

 そんな風に見つめ合う二人にリリオンが言った。ケイスとは逆隣でランタンの外套を引っ張った。わたしも触りたい、と頓珍漢なことを言っている。

 リリオンをケイスがランタンの頭を越して見つめる。二人とも背が高いのでランタンの存在はないも同然だった。二人の視線が、ちょうど旋毛の上辺りで絡まる。

 ケイスの視線には見守るような慈愛と、僅かな憐憫があった。旅に出る巡礼者を見つめるように、その先が茨の道であると確信するかのように。

「リリオンさん、すぐお返ししますので。ちょっとだけ借ります」

「は」

 ケイスは急にランタンを抱きしめた。

「ああちっちゃい、いい匂いがするなあ。うん、人の温かさだ」

 柔からかい、が汗臭い。

 ランタンは吃驚してケイスの胸を押しのけて、その胸に手が埋まることに更に驚いて、慌てて身体を離した。すると今度はリリオンがランタンを後ろから引っ張り寄せる。何故だかリリオンも驚いていた。

「なにを」

 脂肪を押し分けて掌を叩いた心臓の鼓動が、まだ手の中にあるようだった。早鐘を打つようなそれは興奮ではなく、恐怖の音だった。

「失礼、少し確かめたくて」

 ケイスは魔物を抱きしめたのだ。そこにある恐怖を克服するかのように。

 ケイスはこの上なく清々しい表情で夕焼けを見上げ、一仕事終えたように両手を上に突き上げた。そんなケイスをまだ吃驚しているランタンとリリオンが見つめ、そんな三人や四頭引きの荷馬車や、そこにある黄金の燦めきを往来の人々が見つめる。

 空にある一番明るい星を指差すように、通り過ぎ様に子供が燦めきを指差して歓声を上げた。


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