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カボチャ頭のランタン  作者: mm
03.All That Glitters Is Not Gold
63/518

063 迷宮

063


 迷宮核の顕現による魔精の嵐に身を委ね、全身を駆け抜ける魔精の荒々しさは失われた血肉の隙間に塩の塊を塗り込むようなものだった。やがて訪れるはずだった悪心と昏倒は、それを上回る激痛の前に呆気なく()()りとなった。

 その耐えがたい痛みすら、ランタンは余裕の表情の下に押し込める。

 視界の中でリリオンが魔精酔いに屈しながらも、どうにかしてランタンに近寄ろうと腕を伸ばしていた。当初魔精酔いの影響に身動きの一つもできなかった少女の成長にも、ランタンは僅かに口角を緩めただけだった。

 ランタンにその手を掴む余裕はなかった。膝を折らないだけで精一杯で、激痛を覆い隠す表情の余裕さは、ただその痛みに慣れようと努めているだけだった。

 苦痛に歪む顔を見せたくはない。

 任せろ、とそう言って一人で戦った手前、見栄は張らなければならない。最後に少し、手出しをされてしまったが。

 ランタンは弱々しい吐息を漏らして、ゆっくりと肩を下げると強張った指先を解いた。血と皮膚が焼けて焦げ付き、戦鎚の柄が掌から落ちると痛みがあった。

 ランタンは自由になった右手の二指を口腔に突っ込み、そのまま喉の奥深くへと押し込んだ。そうして血の塊を掻き出し、粘性の唾液を吐き捨てて、それから大きく大きく息を吐いた。

 自らの吐息が金臭く、顔を顰める。血の臭いを嗅ぎたくないと物質系迷宮を選んだはずのに意味がなかったな、と思う。

 水筒を取り出そうとしたのだが背嚢が手元にないことをふと思い出す。

 ないものはしかたがないので、まずはできることを行う。

 ランタンはぼろぼろになり血に濡れて身体に張り付いた戦闘服を破り捨てるように脱ぎ捨てる。露わになった身体はいつものように酷い有様だった。

 べろんと皮膚の剥がれた右肋骨の挫創。外殻破片の貫いた杙創(よくそう)に、全身に広がる雷撃傷。外傷が多いが、骨は無事だ。肋骨が少し折れているくらいで。

 やはり雷撃が厄介だったな、とランタンは思う。

 雷精魔道の威力は金蛙以前にも身を以て知っている。その備えをしていないのは、過信やら面倒くささやら、いちいち全ての危険に備えていたらキリがないという諦めのせいだ。

 雷撃傷は皮膚表面への熱傷ばかりではなく、神経や臓器、体内深部へも届くことがある。喰らえば筋肉の硬直は免れず、それだけでもそれなりの隙にはなるし、頭部を通電すればその場で意識を失いかねず、心臓を通電すれば心室細動で即死もありえる。

 もっとも即死級の雷撃などそうそうお目にかかれるものではないが。

 ランタンは体内に埋まった破片を指を突っ込んでほじくり出し、取り出したそれをじろじろと眺め回した。そしてそれが想像した昆虫ではなく、ただの破片であることに安堵して、次々と体内から取り出してはその場に投げ捨てた。

 傷の手当は乱暴だが手慣れている。雷撃を喰らうのも、体内に異物が忍び込むのもランタンは初めてではない。

 そうこうしている内に引きつった顔をしたケイスが荷車ごとやって来た。血濡れのランタンを見て声を失うほど驚いている。ランタンはその場から動くのも大きな声を出すのも億劫だったので、立ち止まったケイスを指先だけで招き寄せる。

「その辺に転がっている迷宮核とか、蛙の残骸とか拾い集めておいてください。あと僕の背嚢降ろしてもらっていいですか?」

 よろよろやって来たケイスの首に掛かった魔精鏡が揺れている。大方、霧越しにランタンたちの戦闘を観察していたのだろう。最終目標(フラグ)撃破後にすぐ最下層にやって来るために。そしていくらかの好奇心から。

 しかし霧越しに見えるのは青いシルエットだけで、特に探索者の姿はほとんど魔精鏡に写ることはない。金蛙の派手な立ち回りは見えても、血を流すランタンの姿は想像できなかったようである。

「……聞いてます?」

 ため息を漏らしたランタンがもう一度聞くと、ケイスは飛び上がるようにして戦利品を集めに走った。ランタンは足元に差し出された背嚢の中から水筒を取り出して、傷口を洗うよりも先にまず口を濯いだ。一度、二度と吐き出した水がまだ赤い。

「ランタンっ」

 魔精酔いから復活したリリオンが近付いてきたので、ランタンはちょうど良いとばかりに少女に水筒を押しつけて、それを傾けさせた。少女はランタンの言われるがままだ。どぽどぽと流れ落ちる水流に頭を差し出して髪を洗い顔を洗う。

 身体を汚す血をすっかり洗い流して、傷口も丁寧に清めていく。冷たく(しみ)る痛みは、怪我からくる痛みとは違ってむしろ心地良い。

「ねえ、変なあとがあるよ」

「んー? ああ電紋だね。雷の通った跡だよ。リリオンにもできてるかもしれないから、後で確認するね」

 樹形図に似た熱傷が身体に刻まれていた。

 それはランタンの白い背に描いた陰鬱な風景画のようだった。その付近に開いた杙創がまるで枯れ木から腐り落ちた果実のようで、一際深い傷からは、果実が地面に弾けたように血が止まらない。

「こういう傷はね、取り敢えずガーゼを突っ込んどくんだよ。そうすれば血が止まるでしょ? でも入れっぱなしにするとガーゼが吸った血が腐るから注意ね」

 ランタンはそう言って実際に傷口を塞いでみせる。それを見るリリオンの顔がみるみる青くなっていくのは、直径一センチにも満たない小さな傷口に、ガーゼが二枚も三枚も押し込まれるからだった。

 ランタンは青い顔のリリオンなどお構いなしに、自分の身体を実験台にしながら次々と傷の手当ての仕方を教えた。これを知っているのと知っていないのでは生存確率に大きな差が出るし、知らないと帰路が死ぬほど辛いと言うことをランタンは嫌になるほど知っている。

 ランタンは自らの折れた肋骨を内側から引っ張り出して繋いだりもする。ギルド医にしてもらう三倍痛いのは純然たる技術の差だろう。何事も初めはこんなものだ。

「言っとくけど応急手当だからね。地上出たらまず医者に行くよ」

「うん、ランタンが行きたくないっていっても連れてくからね」

 ランタンは上着ばかりではなく、ズボンも下着も脱いで新しい服に着替える。

 痛みと出血からくる意識の酩酊がランタンの羞恥心と常識を剥ぎ取っているのだった。逡巡もなく全裸になったかと思うと血濡れの下半身も露わに、平然として丁寧にしっかりと清める。その洗い水は相も変わらずリリオンに注がせたもので、水の冷たさに()()()()が反応して小っちゃくなった。

 そのさまをリリオンが物珍しそうにじっと見つめ、のんびりと丁寧に身体を拭いて傷のために身体の動きもぎこちなくのろのろと着替え終わるまでの一部始終を、ケイスが作業の手を止めて目を凝らすのも全く気にしなかった。

 それから勝手知ったると言うように荷車から薬箱を取り寄せて、その中身をがさごそと漁った。幾つか戦闘前に飲むような薬も散見するが時既に遅し。だがさすがは商工ギルド、死の淵からでも蘇ることのできそうな品々が揃っている。その代わり探索の稼ぎが吹っ飛びそうでもあるが、と考えて黄金の燦めきににやりと笑った。

 取り合えずギルド医務局まで持てばよいので、ランタンはことあるごとに愛飲している薬を引っ張り出した。

「痛み止め、造血剤、栄養剤、治癒促進剤。促進剤はリリオンも飲んどきな、雷撃喰らってるし」

 粒状の造血剤をざらっと口の中に放り込み、ランタンはそれを栄養剤と治癒促進剤のちゃんぽんで飲み下した。そして痛み止めを静脈に注射した。それでようやく本当に一息吐いた。他のものはさておき、痛み止めの効果が発揮されるのは早い。

「リリオンは痛いところはない?」

 ランタンが聞いてもリリオンは答えづらそうにしている。質問者が自分よりも目に見えて重傷なのだから、それもしかたのないことだろう。だがランタンはそんなことには露とも気が付いていない。

「どこ? どこが痛いの? 隠さないで言いなさい、怒らないから」

「……こころが痛い」

「心臓が痛いの?」

「――もう痛くない。平気だから」

 リリオンはじっとランタンの目を見つめてそう言った。その瞳は燃えるような、睨むような。

 ランタンはそんなリリオンのボタンを外して服の前を割ると、その隙間に手を差し込んだ。そして肋骨を撫で上げるように少女の小振りな胸を持ち上げ、掌に強く押しつけた。

 未発達でも柔らかい少女の膨らみは、その下に芽吹きを待つ種が埋まっていた。その更に下から掌を叩く心臓の力強い鼓動は、種の持つ生命力の強さを表しているかのようだった。

「不整脈はないね。うん、よかった。電紋もたぶん出てないっぽいし」

 そんなことを言ったランタンの声はただ純粋に優しくて、鼓動に握る掌の冷たさはただ少女を立ち竦ませるだけだった。その冷たさは、まるで己の無力さの証明のようで。

「そう言えば最後なんできたの? 守ってろって言ったのに」

 リリオンは答えず、そっと目蓋を閉じ、つんと鼻を上に向けて込み上げるものを飲み込むように息を飲んだ。そしてランタンの手を握って胸を弄らせるのが少女にできる唯一の抵抗だった。それはせめて自らの体温をだけでも渡すように。

「ランタン」

 呼んだ名の言葉頭がぽんと高く跳ねた。

「わたし、ケイスさんのお手伝いしてくるね」

「うん、――わかった。僕は」

「何もしなくていいからね! ちゃんと大人しくしてるのよ。寝ててもいいからね」

 リリオンは借りていた外套をランタンの肩にそっとかけて、少年の肩を抱いて荷台に座らせた。荷車は固定されていなかったが、その端にランタンが腰掛けてもびくともしなかった。

 リリオンが戦鎚を拾い上げて付着した血液を洗い流し、ランタンの膝元に返した。

「じゃあ行ってくるね。ちゃんと拾ってくるから!」

 離れていくリリオンを見送って、ランタンはふわふわと欠伸を吐き出した。脚をぷらぷら揺らしながら眦に浮かんだ涙を拭う。一度振り返ったリリオンに大人しくしていることをアピールして、大げさなことだな、と笑う。

 任せろと大言を吐いた割にみっともない有様で、ランタンは笑みを自嘲へと緩やかに変化させた。

 戦場からリリオンを遠ざけたのは、少女が雷撃に対する耐性や手段を所持していなかったからだ。戦闘中に雷撃への対応策に開眼する可能性がないわけではないが、それよりも最悪の可能性の方が大きいとランタンは判断した。

 リリオンを成長させるためには()()()()()と本当の危険を判別できるようにならないといけない。

 早期の判断で一度目の機動鎧戦のような失敗は避けることができたように思える。金蛙と少女の戦闘能力の差を推し量り、きちんと危険から遠ざけることができた。

 だがこれではまだ駄目なのだ。

 結局リリオンはランタンの言いつけを破って参戦した。それはきっと自分が不甲斐ないからだとランタンは思う。まだ幼い、雛鳥の探索者をランタンは先達として導いてやらなければならない。そんな責任感がランタンを掻き立てる。

 ――僕はもっともっとしっかりしなければならない。

 ランタンは僅かに俯いて戦鎚を見下ろした。声にはならず、がんばろう、と喉が震える。

 そんなランタンの下にリリオンが戻ってきた。雛鳥に餌を持ち帰る母鳥のように。

「ランタンランタン、まずこれね。絶対に持って帰るもの」

 そんなことを言ったリリオンは胸に丸い物を二つ抱えていた。それは何だか大人の女性の真似をする童女の戯れのようでもあり、すらりとした長身のせいでその丸みがしっくりきていて何となくリリオンの未来を想像させるようでもあった。

 掌に柔らかさが蘇る。

「ええっとどっちがどっちだったかしら」

 その丸みは個別に袋詰めされており、その内の一つをランタンは受け取った。袋の口を開けて覗き込むと、それは見事な青色を発色する迷宮核であった。左右のどちらの瞳かわからないが、大きさも魔精の濃さも申し分ない。

 これほどの大物はランタンとしても久々である。苦労の報われる瞬間だった。

 そしてもう一つ。

 リリオンが袋を剥いて露わになったそれは黄緑色ではなく、そして黄色でもなかった。その瞳に封ぜられた雷は、最後の最後、金蛙の全力が込められた白雷であった。

 瞳の中心は眩しさに目を細めたくなるほどの純白であり、百億の針を突き刺したように放射状に力が荒れ狂い、その周囲に雷雲を跳ぶ龍のような紫電が迸った。目にしただけでその力の奔流に圧倒されそうになる。

 天然の雷精結晶である。それも極高品質の。

 リリオンがランタンの眼前に恭しくそれを差し出すと、ランタンはうっとりと指先で撫でた。つるりとした表面は滑らかで、水に濡れたような冷たさがある。

「――ああっ、痺れるっ」

「ランタン!」

「――嘘」

「どうして、そういうことっ」

 痛み止めでいい感じに酩酊状態のランタンは口元も緩やかに、ひひひ、と笑った。そんなランタンにリリオンはむくれながらも雷精結晶を律儀に袋詰めにしてから押しつけて寄越した。ランタンは袋の上からそれを一撫でして、荷台の隅へと転がした。致命的な亀裂でも入っていれば本当に痺れるようなこともあるが、この雷精結晶は傷一つない美品である。

 戦闘中は鬱陶しく思った黄金の目蓋も、今になってみればなかなかいい仕事をするものである。そんな風に小さくほくそ笑んだランタンに、リリオンが回収作業に戻る間際に言った。

「ケイスさんが言ってたんだけどね」

「うん」

「純金じゃないんだって、金蛙」

「……マジか」

「マジよ。じゃあわたし回収に戻るね」

 嘘、とは言わずにリリオンは背を向けて去っていた。間抜け面を晒しているランタンをその場に残して。

「金じゃないなら何なんだよ……」

 そう呟くと疲労がどっと押し寄せてくるようだった。

 しっかりしなければ、と固めたばかりの決意が砂像のように崩れてランタンは呻き声を吐き出しながら荷台に寝転んだ。不貞寝でもしようかと思ったが、肩甲骨や腰骨が網目に擦れてそれどころではない。

 結局起き上がって、その視線の先ではリリオンとケイスが金蛙の脚にロープを巻き付けてそれを引っ張っているところだった。黄金じゃないものを持って帰ってどうするんだよ、と半ば投げやりになったランタンは取り敢えず邪魔にならないように、荷台から降りて場所を空けた。

「あ、ランタン降りちゃダメよ」

「降りなきゃ載せらんないでしょ」

 ケイスはランタンと視線を合わせず、避けるように荷台へと回り込んだ。

 荷車を地面に固定すると、力任せに荷台へとその脚を引っ張り上げた。

 ランタンにはそれがどう見ても黄金にしか見えない。付け根から膝まででおよそ一メートルと半分ほどのそれはきらきらぴかぴかしている。

「これでだいたい四、五百キロぐらいですね。膝から爪先のほうはそれよりもいくらか軽そうなんですけど、幾つか荷物を捨てないといけませんがよろしいですか?」

 最後、金蛙に食わせた方の脚部はその体内で中途半端に溶かされていた。ケイスはいくらか軽そうと言ったがそれでも四百キロ近くはありそうで、ランタンは良くそれを投げられたなと我ながら呆れた。戦闘中は身体の機能が限界を超えるようで、思い出したように腰が痛む。

「こんだけでもういいんじゃないですか。金じゃないんでしょ?」

 作業を眺めながら言い放ったらランタンにケイスが怪訝そうな顔をして眉を顰めた。リリオンも小首を傾げている。

「ええっと何か勘違いをされていますか……?」

「黄金じゃないって聞いたんですけど、この子から」

 指した指をリリオンがはっしと掴まえた。

「ランタン、わたしは純金じゃないって言ったのよ」

 ぽかんとした顔のランタンに、ケイスを差し置いてリリオンが説明をしてくれた。どうやらランタンに先んじてケイスから色々聞いたらしく、その知識を披露したいようだった。

 あのね、と呟く。

「金蛙の身体はね、溶鉱炉みたいになってたのよ」

 口腔を覗き込んだ際に目にした黒色は、黒鉛だとリリオンは言う。そして黒鉛の内壁を外側から覆ったのは黄鉄鉱と呼ばれる鉄で、その表面、ランタンが目にする外側は正真正銘の黄金であったが、それは厚さ一ミリにも満たないメッキであった。

「メッキ……」

 リリオンが砕けた胴体の一部を拾ったようで、まるでランタンにとどめを刺すかのようにそれを見せてくれた。その破片は地層のようにはっきりと黒鉛と黄鉄鉱の二層構造になっている。よくよく目を凝らしても金メッキは薄すぎて、その境目を確認することはできない。

 ランタンはその破片に噛み付いた。

「食べちゃダメ!」

「……歯形つかないし」

「そちらはメッキですが、この脚は合金ですよ」

「お腹空いてるなら何か作ってあげるわよ」

「そうじゃなくて」

「あ、あのう……」

 破片をリリオンに突き返して、二人の頭の悪いやり取りに戸惑っているケイスにランタンは視線を向けた。ケイスが少したじろぐ。リリオンはきんきんとうるさいのでランタンは少女の唇を指で封じた。

「ええっと、すみません。何ですか?」

「ですから、こちらの脚は合金です」

 空洞ではない、中身のみっしり詰まった脚をケイスは一撫でした。

「こちらも表面は金メッキされていますけど、この切断面をご覧ください。仄かに緑がかって見えませんか?」

「言われればそんな気がしなくもない、ような気がする。じゃあこれは緑鉄鉱とかそんな感じのですか?」

 黄色の鉄が黄鉄鉱なら緑色の鉄は緑鉄鉱だろうという安直な考えは、即座に否定された。

「いえ、これは鉄の酸化した色でしょう。先ほども言ったようにこれは合金です。鉄と金の合金ですよ。配合比率は流石にわかりませんが、――まあ二本合わせれば五十キロぐらいの純金が精製できるでしょうね」

「ふうん」

 ランタンは素っ気なく頷いて、そんなランタンに唇の戒めを破ったリリオンが噛み付いた。人差し指を一度甘噛みして素っ気ないランタンに、どうして喜ばないの、と言った。

「五十キロっていうと、僕の体重ぐらいでしょ」

 貧相な自分の体重程度だと思うと何だか有り難みがなかった。何せ数トンはありそうな金蛙の、その全身が黄金でできていると勘違いしていたのだ。そんなランタンからして見れば五十キロ程度では文字通り()()に過ぎない。

「金の相場って幾らぐらいですか?」

「グラム辺りがたしか――」

 聞いたランタンは失禁するかと思った。

 ランタンは驚きを通り越して無表情になり涼しげな声で、じゃあもう一本の方もよろしく、とケイスに告げた。

 そんなランタンにケイスが感嘆の吐息を漏らした。莫大な利益にも傍目から見れば平然としたものであるランタンに、さすがですね、と呟いたりもする。ランタンはますます驚くことも喜ぶこともできなくなった。

「ですがその前に、食料品を廃棄してもよろしいですか。積載量に余裕を持たせたいので」

「ああ構いませんよ、帰還までの必要分を残して全廃棄でもいいですよ」

 先用後利の食料品は食べようが捨てようがきちんと代金は請求されるが知ったことではなかった。野菜どもが金の重量単価を上回ることは、食べるごとに寿命が延びたり、若返ったりしない限りはまずないのである。

「と言うかお弁当でも作っておきましょうか。サンドイッチぐらいしかできないけど、そうしましょう」

 ランタンは回収作業をを二人に任せて最下層を出て、取り敢えず驚愕驚喜を一つ叫んでから心を落ち着けるように無心でサンドイッチを作った。

 ハム、ベーコン、ソーセージ、炒り卵、茹で卵、チーズ、野菜、果物。

 それらのありものの他にも、廃棄するならばと油も使って揚げ物も作る。最も大量の廃棄物となったジャガイモを使用して挽肉の代わりにベーコンを混ぜて肉コロッケを作った。ついでにハムカツも。

 油の温度がよくわからないので最初の数個は黒焦げになってしまったが、パン粉だろうと溶き卵だろうとジャガイモだろうと文字通り捨てるほど用意できるので何も問題はない。

「油の臭いって素敵」

 そんなことを呟きながら油の中に種を放り込むさまは異様なほど不健康だった。だが積み込み作業という単純肉体労働を終えた二人を引き寄せる魅力を有していた。霧の中から荷車を牽きながらぬっと現れた二人は、飢えた犬のようにランタンに駆け寄った。

「これ何?」

「コロッケ。ほらお食べ。熱いから火傷しないようにね」

 こんがりきつね色に揚がった小判形のコロッケにソースを垂らしてやると、リリオンはランタンの手ずからそれを一口。

「はふい、おいひい」

 油に濡れた唇が熱で赤くなった。はふはふと咀嚼すると、衣の割れる小気味いい音が響く。その音と油の匂いにケイスがゴクリと唾を飲み、そんなケイスにもランタンが食べさせてやった。

「……では失礼します」

 ケイスは髪を押さえて、首を伸ばすようにしてコロッケを食べた。がぶりと噛み付いたリリオンとは違い、コロッケのその先端を甘噛みするように。それは大きな口に不釣り合いな小さな一口で妙な色気がある。

「うん、おいしいです」

 大量のサンドイッチを作り終えて、尚余ったコロッケを二人はぺろりと平らげた。ランタンは内臓系のダメージが抜けていないので、水を飲んで飢えを凌いだ。

「ではランタンさんは荷台へどうぞ」

「……では、の意味がわからないのですが」

「ランタンは怪我してるし、ご飯も食べらんないから運んであげるのよ」

「いや、いい。歩くよ」

「じゃあわたしが抱っこしてあげようか?」

「じゃあ、の意味もわからない」

 金蛙の脚は荷台の端に二本並べられていて、座面の網目にロープを通して固定されていた。膝から爪先までの脚部は中途半端に溶解し、それに砕けて割れた胴体部の破片が付着して固まっていた。

 その横には野営で使用したマットが敷いてあり、すでにランタンを寝かせる用意が万端に整っている。それでも渋るランタンにリリオンは頭突きをするように額を合わせた。淡褐色(ヘーゼル)の瞳が近い。油に濡れた唇も近い。

「わたしは何もできなかったから、これぐらいはさせて。お願い」

 ランタンは圧倒され、押し倒されるように脚と川の字となったものの何となく気まずくてすぐに身体を起こした。そんなランタンにケイスが振り返って呟く。

「お休みなってくださって構いませんよ。その……、寝顔は見ませんので」

「それは別に構いませんが、まあ眠るのは追々」

「――わかりました。では、多少揺れますがご容赦を」

 出発の前にケイスが魔道薬を服用した。それは肉体を活性化させる類いのもので、出発の一歩目は約一トンもある荷車を抵抗もなく動かした。それは後ろから押す役目だったリリオンを置いてきぼりにするような滑らかさだった。慌ててリリオンが荷車を押した。

 速度がすぐに上がった。

 ケイスのカタログスペックは百二十キロ積載時に時速五キロだったはずだが、約一トンを牽引しながらそれ以上の速度を維持していた。リリオンの助力もあってのことだが、それにしたって異常である。

 余程に質のいい魔道薬だったのだろうか。自前で用意するには高級なので、おそらく商工ギルドの支給品だろう。先用後利の薬箱の品揃えを思い出いかえすとそれも不思議なことではない。

 ケイスの全身に力が満ちていて、髪をアップに纏めて露わになった項が上気してかっと赤く、それは日焼けと相まって赤銅に燃えるようだった。血が全身を巡り、筋肉が盛り上がってただでさえ大柄なその身体をよりいっそう大きく見せた。

 後ろから見るその背中は、何とも頼もしい限りである。

 そして膨張する身体を押さえ込むように、輓具が荷車に引っ張られて身体に食い込んでいる。輓具が身体に食い込むことで拘束具(ボンデージ)のように身体の線を強調し、そこにはくっきりと女の形が浮かんでいた。背中からでも確認できる胸の膨らみと、少しだけのくびれと、肉のついた腰。

 それに比べてリリオンのなんと慎ましやかで清楚なことか。上体を前に倒すように荷車を押しているリリオンの膨らみは、重力の力を得ても尚なだらかなものである。

「がんばって」

「うん、がんばるよ!」

 リリオンは一生懸命荷車を押している。次第に丸い額に汗が浮いて、ふうふうと吐く息が熱っぽい。それを見ているとランタンはどうしても手伝いたくなってしまうので、目を瞑ってついに横になった。

 振動は眠気を誘う揺り籠に似ていたが、女性陣の荒々しい息遣いは子守歌には成り得なかった。ランタンは何だかもやもやとして毛布を顔まで引き上げた。

 戦闘で昂ぶった熱がきっとまだ燻っているのだろう、とランタンは思った。


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