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26話:スランプ



「ふふ~ん、ラッキー。このフルーツ美味しいんだよねぇ」


 二つの果実をチラチラと交互に見ながらクロアはせっかくだから味見しようと考える。そしてどちらの方が大きいかと悩んでいると、前方に身に覚えのある人物が歩いて来ることに気が付いた。


「あ、レオンさん」

「ん……おー、クロアちゃんか。あいつは一緒じゃないのか?」


 それは冒険者であり、アシリギの数少ない友人であるレオンであった。ギルドからの帰りなのか、背中に袋をぶら下げながらクロアに近づいて来る。


「アシリギは家で絵の製作中。最近ノってるみたい」

「へー、そうか。まぁあんな竜見た後だもんな。そりゃ熱も入るか」


 クロアの言葉を聞いてレオンは納得したように頷き、相変わらずな友人のことを想像して笑みを浮かべた。


「ん……?」


 ふとクロアはレオンの服装に目が行く。レオンの格好は一般的な冒険者と同じ、動きやすい服の上に胸当てや籠手、簡易的なプレートを身に着けている。腰には愛用である剣を携え、いかにも剣士らしい見た目をした格好だ。だがよく見るとその装備は普段とは少し違う。どれも新品で、以前よりも上等そうな材質をしたものであった。


「なんかレオンさん……前より良い装備付けてない?」

「え、ぁー、気付いた? ハハハ」


 クロアが指摘すると、レオンは恥ずかしそうに頭を掻きながら笑う。

 どうやらクロアの読み通り、装備を一新して以前よりも上等な物を整えたそうだ。

 レオンは自慢するように装備を見せ、鞘から剣をチラリと覗かせる。


「ほら、あの竜の騒動、勇者達が討伐したことになってるだろ? 俺気絶してたからあんま詳しく知らないけど、一応あの場に居たからさ、神官さんから口止め料貰ったんだよ」


 レオンはクロアの近くまで来ると周りを警戒し、聞こえないようにヒソヒソ声でそう説明した。

 確かにレオンは竜との戦闘の終盤は気絶していた。だがその後にクロアが説明した為、本当はアシリギが竜を倒したことを知っているのだ。その為女神官であるマリーから口裏を合わせる為にほんの少し気持ちを貰った、ということらしい。


「えー、何それ! 私貰ってないよ」

「それはアシリギ自身が話を合わせるって申し出たからじゃね? まぁクロアちゃんも欲しいなら直接言ってみなよ」

「それは強請ってるみたいだからヤダ」

「ハハハ、だよね」


 クロアは何となくレオンだけが美味しい目に合っていることを羨ましく思ってしまう。

 本当ならレオンは調査任務中に竜と遭遇してしまい、危うく死にかけるというとんでもないリスクを負っている為、多少なりの見返りはあっても良いはずなのだが。


「むー、まぁ良いや。私はさっき果物屋さんでオマケもらったし」

「おお、美味しそうなフルーツだね。そういや今日は昼飯食ってなかったな……」


 ふとレオンはクロアの持っている赤い果実を凝視し、お腹を摩る。すると狙ったかのようにお腹から音が鳴った。


「…………」


 クロアは呆れたようにレオンのことを見つめ、短くため息を吐く。そして片方の赤い果実を差し出した。


「一個上げる」

「え、良いのかい?」

「別に、アシリギとは半分こすれば良いし」


 たかが一個の果実に執着する程クロアも器が小さい訳ではない。少々他者を羨ましがることが増えていた気がするが、時には他者に与えることも必要だ。


「ありがと。この借りはきっと返すよ」


 冒険者の気質なのか、レオンはそう言うと赤い果実を受け取り、早速一齧りした。美味しそうに頬張っている姿を見るとクロアも何だか急にお腹が空き始め、果実が食べたくなってくる。


「それじゃ、私は行くね。絵が完成したら教えるよ」

「ああ。アシリギに楽しみにしているって伝えておいてくれ」


 クロアはそう言葉を交わしてレオンと別れ、真っすぐアシリギの待つ宿へと向かう。

 赤い果実がキラリと美しく輝く。クロアは我慢できなくなった為、一口齧りついた。







 アシリギが借りている宿、その部屋の中は大量の紙が敷かれ、所々に画材が散らばっている。生活感も全くなく、人が住んでいるのか疑う程異様な状態。その中心ではアシリギが床に上質な紙を敷き、竜の絵を製作していた。

 その集中力は凄まじく、アシリギは黙って手を動かし続ける。既に絵は大分完成しており、色をのせているところであった。

 いよいよ終盤。だがそれなりに疲弊があるのか、彼の額には汗が浮かんでおり、指先も僅かに震えていた。

 無理もない。アシリギはろくに睡眠も取らずこの数週間ずっと絵の製作をしていたのである。竜の鮮明な印象が頭の中に残っている内に絵を完成させたい為、彼は全神経を集中させて絵を描いているのだ。


「…………ふぅー」


 筆を置き、アシリギは肩の力を抜いて大きく息を吐き出す。そして一旦絵から距離を取ると全体のバランスを確認し、難しそうな表情を浮かべて腕を組んだ。

 全体的な構図は自分の想像通り、順調に進んでいる。色合いも崩れていない為、概ね問題ないだろう。中央に配置された竜も翼を広げ、十分迫力が出ている。だが、何かが欠けている。


「うーん、何か足りないんだよなぁ。背景だけじゃなくて他も必要なのか?」


 首を傾げながらアシリギは困ったように絵を凝視する。

 火山をバックに中心に竜が描かれた作品。アシリギは今回この竜をメインとし、作品集の一つとなるようなインパクトのある絵を目指していた。だがいざ描いてみると何かが足りないと感じたのだ。あの時マガフレギアと対峙した時の恐怖、禍々しさ、それらが表現出来ていない。これではただの「絵の中の竜」だけで終わってしまう。何とかそれを解消する為、アシリギは必死に思考を続けた。


「火山はきちんと描き込んでるし、それ以外を出しちゃバランスが悪いしなぁ。うーん、どうしよう……」


 今回のメインは竜である為、背景の火山も最低限野の描き込みで押さえている。あまりにも細かく描いてしまうと主役の竜が薄れてしまう為、きちんとバランスを考えなくてはならないのだ。だがこのままでは駄目なのも事実。まだアシリギはあの時竜を見た時の思いをこの絵にぶつけられていない。竜を間近で見た時の圧、熱風、それを感じさせる程の迫力にならなくてはならないのだ。


「ただいまー。あ、まだ描いてたの? アシリギ」


 アシリギが悩んでいると街に出掛けていたクロアが丁度帰って来る。その鞄にはたくさんのフルーツが入っており、今にも溢れ出しそうだった。

 アシリギはチラリとクロアの方を見ると頷き、すぐに絵の方に視線を戻した。今の彼は絵に集中し切っているようである。


「おけーり。フルーツはそこのテーブルに置いてくれ」

「はーい。随分完成に近づいたね。絵」

「まぁな。ちょっと行き詰ってるけど」


 クロアは出来るだけ音を立てないよう静かにフルーツを移動させる。そしてアシリギが描いている絵を覗き、興味深そうに観察した。


「調子悪いの?」

「ああ、悩んでる。何か足りなくてな」


 珍しく弱気になっているアシリギを見てクロアは意外そうな顔をする。そしてもう一度絵を確認し、何度か頷くと口元に手を当てた。


「へ~、良い絵なのになぁ。私には完成してる気がするけど」


 クロアからすればその絵は十分な完成度を誇っており、欠点などないように思えた。むしろとても素晴らしく、魔族の国ならば間違いなく多くの者から評価を得られるであろう作品であった。だがアシリギはまだこれでは満足していないらしい。


「確かにこれはこれで良いんだが、なんかそれ以外にも必要な気がするんだよな~……それが何なのかは分からないけど」


 アシリギは頭の後ろに手を回し、凝った肩をほぐしながら悩み続ける。

 ただ描き込むのではなく、何か別の糸口が必要だ。この絵は今これで一つの作品となっているが、更にその上を目指すには違う手段を用いらなくてはならない。アシリギはそれを必死に考えた。

 そんな彼の前に、突然フルーツがぱっと飛んでくる。


「お、っと」


 アシリギは反射的にそれを片手でキャッチする。そして前を向くと、そこにはフルーツを齧っているクロアの姿があった。


「まぁあんまり根詰めない方が良いんじゃないの? 糖分取らないと頭回らないし」


 クロアも作品を制作している時、煮詰まってしまうことがある。自分が目指していたものが完成しても、それが満足いくものではない場合があるのだ。そうなると厄介で、自分がどうすれば納得いくのか分からず、作品がそのまま不完全燃焼で終わってしまうことがある。そういう時は無理に制作を続けず、休むのが大事であった。


「それもそうなんだがな……は~、どうしたもんか」


 アシリギも言われた通り一度身体の力を抜き、フルーツを齧りながら休憩を取る。

 確かにこのまま続けても解決策は出ない。何せこの数日はずっと絵の付け足しを行っているだけで、その答えを導き出すことが出来ないままなのだから。故に今は休むしかない。一度絵から離れることで別の視点から考えるのが良いのかもしれない。

 それから二人はテーブルの方に移動し、クロアが買って来たフルーツを食べながらお茶をすることにする。




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