10 魔法生物。
「おはよう、シェリエル」
朝、教室に入ると、アーウィンが出迎えた。私だけではなく、一緒にいたアイリーンとアルティにも挨拶する。
当然のように、私は驚いてしまう。
「……おはようございます、アーウィン殿下」
「前にも言ったけれど、アーウィンだけでいいよ」
アーウィンは微笑んで、扉に凭れた。立ち話をするらしい。
「えっと、何か?」
「……」
アイリーンに視線を送る。アイリーンは、先に教室に入った。
「その……オレ、君に何かした?」
「?」
「君に避けられることしたのかな。ほら、アルティとの鬼ごっこも断られたし、この前のパーティーのダンスもオレだけ断られた」
気まずそうに口を開いて、悲しげな目で見てくる。
そうだ。ダンスパーティーは、結局アーウィンと踊らずに帰ってしまったのだった。
異性に断れたことがないアーウィンは、気掛かりでしょうがないのかもしれない。
「それは謝りますわ。アーウィン殿下……いえ、アーウィンは何もしていません」
これ以上気にかけないように、笑みで答えた。
そうすれば、アーウィンは肩の力を抜く。
「そっか……それならいいんだ。じゃあ今日は一緒に遊んでもいい?」
「……」
ポカーンとしてしまった。
アーウィンの表情に、不安の色が浮かぶ。
慌てて答えた。
「ごめんなさい。今は遊んでいないのです。最近は図書室で本を読んでいまして……」
事実だ。図書室Bに通って、残りの時間を過ごしている。
不安の色が濃くなった。
「次遊ぶ時は、お誘いします」
「……うん。待ってる」
これで満足してくれたらしく、穏やかな笑みに戻る。
アーウィンは先に席に戻った。それを笑みで見送る。
「モテモテだな」
ひゃ!
耳に吹きかけられた色気たっぷりな低い声に、私はビクリと震え上がった。振り返れば、アロガン先生。
「何、可愛い反応をしているんだ。ほら、席につけ」
くつくつ、と私の反応に笑って、軽く背中を押す。
私は席についた。アロガン先生が出席をとっている間、考えてみる。ジェラルドやアーウィンが私に接してくるのはどう考えてもおかしい。
もしかして、ジェレミーが裏で何かしている?
そうに違いないと思い、移動教室の時にとっ捕まえた。
「もしかして、裏で吸血鬼王子達を操ったりしてないわよね?」
「何の話?」
「私に接するように仕向けていない?」
とっ捕まえたことが不意打ちになったらしい。ジェレミーは驚いた顔をしていたけれど、やがて吹き出した。
「オレが君とくっ付けようとしてるって言いたいの?」
「……そう思えるのだけれど」
「オレは一切そんなことしてないよ。傍観はしてるけれどね。ジェラルドとアーウィンが君を気にしているけれど、オレが仕向けたわけじゃない」
ジェレミーがおかしそうに、首を横に振る。
「何? ジェラルドとアーウィンのフラグが立っちゃったわけ?」
私は身を引く。
ジェレミーはオモチャを見付けた子どものような笑みで、私を覗き込んだ。
「悪役令嬢なのに?」
「……悪役令嬢じゃないっ」
私は待っていたアルティの手を引いて、次の授業に向かった。
「怒ってる? シェリエル様」
「大丈夫よ」
少し手を強く握りすぎたのか、私は歩調と共に緩める。
「ごめんって、シェリエル様」
ジェレミーが追いかけてきた。猫のように軽やかな足取り。
「悪役は嫌なんだよね。わかってる」
「そうよ。悪役は断罪されるのが鉄則だし、無駄な争いは嫌」
「争いが嫌って、またフェリュンに嫌われちゃうぜ?」
フン、と鼻を鳴らす。
「今日は召喚しないもの。大丈夫よ」
「そうなんだ、今日も楽しい授業だ」
ジェレミーの声が弾む。
魔法生物の授業は、召喚獣に関しては終わり。召喚が出来るかどうか試験があるそうだ。
今日は何でも翼を生やして、空を飛ぶらしい。
着替えて、学園の前庭に出た。校庭とも言える場所だ。芝生が生い茂っていて、昼休みにはサッカーをする男子生徒が占領をする。
「これから、翼を生やして空を飛ぶ。注意事項は一つ。決して合図なしに飛ぶな」
キリン先生が告た。先生が調合したという薬が、回ってくる。試験管に入っていて、緑色でドロドロしていた。匂いは嗅ぎたくない。
「全部同じ魔法薬だが、人それぞれの翼が生える。飲んだ時の症状、そして自分の翼の特徴とその感想を、次の魔法生物の授業までにレポートにしてまとめること。わかったな?」
「はい、先生」
魔法生物の翼の薬を飲まなければならない。
下にいるアルティと目を合わす。彼はキョトンとして私を見上げて待っていた。曖昧に笑って見せてから、私は意を決してゴクンと飲み込んだ。舌に残った液体の味は、苦いようで辛いようでとにかく不味いものだった。
背中に熱いものを感じる。二箇所だ。
上着を脱げば、ブラウスを貫いて翼が生えた。
見てみれば、金色に輝く蝙蝠の翼。というより、ドラゴンの翼だろうか。手を動かすように、バタバタと動かせた。
周囲を見てみれば、様々な色や形の翼を生やしている。
キリン先生が順番にどの種類の翼かを言い当てた。それは鳥のものだったり、妖精のものだったり、色々ある。
「それは金色のドラゴンの翼だな」
「はい」
やっぱり私の翼は、ドラゴンだ。
アルティは、興味津々で私の翼に触れた。
「羽ばたくのは、簡単じゃないが力まないように。高く飛びすぎて落ちてしまったら、怪我をするぞ。それでは飛んでよし」
パンッとキリン先生が手を叩いて合図をする。
待ってましたと言わんばかりに、初めに羽ばたいたのは漆黒の羽の持ち主。ジェレミーだ。黒揚羽の羽。スルリとすり抜けてしまいそうな彼にぴったり。グルリと宙を舞った。
初めてのくせに、華麗に飛んでいる。
私だって!
飛んでやると周りをしっかり確認してから、翼をバタつかせた。周囲の生徒は自分の翼の扱いにまだ戸惑っていたが、私の身体は浮き上がる。
「ほら、どうした、シェリエル様。そんなもん?」
「!」
目の前に現れたジェレミーが、挑発しては飛び去った。
にゃろうめ。
思い切って、羽ばたいた。呼吸と続けるように、羽ばたきを続けて、宙に留まる。
「楽しいだろう? シェリエル様」
「うん。……わっ!」
感動してたら、またジェレミーが目の前に。そして私の手を引っ張った。
「こんなの前の世界じゃ経験出来なかっただろ?」
グルンと一回転をする。世界が一瞬、逆転したけれど戻った。
自然と笑みになる。確かに前世の世界では経験出来そうにもない。楽しい。
「サリフレッド、ダンビル。あまり高く飛び過ぎないように」
地面にいるキリン先生は、まだ飛べない生徒に助言しながら注意をした。
「はい、キリン先生」
私達は返事をしては、踊るように飛んだ。
クルリクルリと旋回しては、笑い合った。
手を放したかと思えば、ジェレミーは逆さになる。本当に器用な人だ。流石にそれは真似しない。
それで落ちたら大ごとよ。
「シェリエル様っ! 楽しい?」
「アルティ!」
見てみれば、アルティが浮いていて、私の腰に抱き着いた。精霊だから、浮くのもお手の物か。
「うん、楽しいわ」
アルティをしっかり掴みながら、クルクルと宙で回る。翼の方をちょっと気を抜けられないけれど、楽しいものだ。
「やっぱり似ているよね、シェリエルとアルティは」
逆さまであぐらをかいて、ジェレミーが笑う。
「どこが似てるの?」
そう言えば、前にも言っていた。
「日向みたいな笑みがお揃いだ」
「日向の笑み……」
アルティの笑みは、日向みたいにポカポカとした笑み。
私もそんな笑みを浮かべているというのだろうか。
アルティの顔を、両手で包み込んだ。アルティは、ニコニコしていた。
「ほら、アルティ。鬼ごっこをしようよ。タッチ、アルティが鬼」
「えいっ!」
ジェレミーが鬼ごっこを始めて、アルティを鬼にする。アルティはジェレミーに触れようとしたけれど、避けられた。空中で鬼ごっこが行われる。
私はバサバサと羽ばたいては、見守った。
「シェリエル様」
羽ばたきの音と共に聞こえてきたのは、ジャスパーの声。
振り返れば、天使。ーーいや、白い翼を生やしたジャスパーがいた。
「ペガサスの翼ですか? ジャスパー様」
「はい」
「召喚獣とお揃いですわね」
「そうなんです」
いつも真面目な顔をしているジャスパーが、微笑んだ。
「ところで、シェリエル様。今日も図書室に来ますか?」
「ええ。何故?」
「見せたいものがあるのです」
「借りていた本を返すので、行きます」
「よかった。じゃあ昼休みに」
頷いて見せれば、そう言ってジャスパーは離れた。
なんだろう。見せたいものって。
ジャスパーは攻略対象者だけれど、図書室で会っては挨拶して同じ空間で一緒に過ごすだけ。今は無害とも言えるから、いい友だちだ。
「タッチ。次はシェリエルが鬼ー」
「え? ずるいわ」
ジェレミーに肩を触れられた。勝手に鬼ごっこに加えられたものだから、むっすりしつつも追う。アルティとジェレミーを追い回した。
そんな楽しい魔法生物の授業も終わる。
昼休みはアイリーンと他の女子生徒とランチをすませた。それからアイリーン達とわかれて、アルティと二人で図書室Bに足を運ばせる。
ジャスパーはすでにいた。
「シェリエル様、アルティ。こんにちは」
「こんにちは、ジャスパー様」
「こんにちは」
お昼の挨拶をすると、ジャスパーは机の上に一冊の本を広げる。見せたいもの。
とある召喚獣の絵が書いてあった。種類はドゥエ。
「以前、キリン先生が話していた主殺しの召喚獣について書かれた本を見付けたのです。二面性を持つドゥエ、名をーー……アイガット」
「……アイガット」
絵に描かれていたのは、猫にも似た生物。どちらかと言えば、チーターに似ている。でも身体つきはライオンのそれ。尻尾は二つあって、チーターもの。人間みたいに頭には長い毛があって、背中まで伸びていた。後ろ足にはベルトらしきものが二つずつついている。
この召喚獣が、主を殺したと噂の召喚獣。
ゴクリと息を飲み込んだ。
「グラキロの森に追放されたと記しています。……行ってみませんか?」
「えっ?」
聞き間違いかと驚いた。
ジャスパーは真剣な表情でいる。
「さーんせい」
急にジェレミーが割って入ってきたものだから、私もジャスパーも震え上がった。驚きのあまり、胸を押さえる。
「ジェレミー……いつの間に」
「ついさっき。オレも行こう。楽しそうだ」
ジェレミーはご機嫌な笑みだった。空を飛んでいる最中に話を聞いていて、来てみたのだろう。
「待って。グラキロの森は危険な生物もいる危ない場所ですわ。それに主殺しの元召喚獣に会いに行ってどうするというのですか?」
「好奇心さ」
「……同じく」
きっぱりとジェレミーは答えて、申し訳なさそうにジャスパーも同意した。
魔法科トップの成績の生徒は、好奇心に勝てないということなのか。
「いいじゃん。ちょっとスリルを味わいに行こうよ。オレとジャスパーとアルティが居れば百人力だ」
「ちょっと! 勝手に行く方向に話を進めないでちょうだい。私とアルティは行かないわ、絶対に」
スリルを味わいに、危険な森に行けない。
ニタニタ笑うジェレミーにぴしゃりと言ってやったのだが、手を引かれた。
「ボクが守る」
日向の笑みでアルティが告げる。
私は引きつった笑みを浮かべた。
「ボクじゃ守れないと思う?」
今朝のアーウィンみたいに、不安げな表情になる。
効果は絶大だ。
「あなたが居れば、心強いわ」
20171002




