最強の手駒
「朝倉おなかすいた」
「そうか……わかった。今からご飯作るよ」
そう言うと、朝倉は立ち上がり台所に向かう。考えてみれば、もう十時である。一時間ほど前に起きてから、ふたりは何も食べていなかった。
一方、ハクチーと名乗った若いホームレスは、ずっとテレビを観ている。その表情はほとんど動かず、楽しいのか楽しくないのか、それすらわからない。
朝倉は思わず苦笑した。
昨日、繁華街で出会ったハクチーは、摩訶不思議としか言いようがなかった。まるで捨てられた子犬のように食べ物をねだり、さらには朝倉の家まで付いて来てしまったのだ。
朝倉は迷ったが、仕方なくハクチーを家に上げることにした。あの裏カジノ襲撃事件のことを、どこかの誰かにポロっと話されたら……マイナスにはなってもプラスにはならない。
夜には夕飯を食べさせ、布団を敷いて一晩泊めてあげたのだ。風呂にも入れるべきか迷ったが、さすがにそこまでする気にはなれなかった。
昨夜、帰るまでの道すがら、ハクチーに様々なことを尋ねた。両親、住所、学校、これまでの生活などなど。しかし、まともな答えはひとつも返ってこないのだ。一応、質問の意味は理解しているようなのだが……。
「お前、両親いないのか?」
「リョウシンいない」
「えっと……じゃあ、家はどこだ?」
「イエない」
「家ない? じゃあ、学校も行ってないのか?」
「ガッコウ知らない」
さすがの朝倉も、これではお手上げである。
ただ確かなのは……まともな社会生活を送っていない。それどころか、小学校すら通っていないであろうということだけだ。
とにかく、まずは一晩泊めてあげよう。どうするかは、その後だ……朝倉はそう結論を下した。
今、朝倉は台所で卵を割り、目玉焼きを作っていた。ご飯は炊けているし、味噌汁もまだ残っている。後はふりかけか何かで誤魔化そう……。
「ハクチー、できたぞ」
そう言って、ハクチーの前に持っていく。
と、ハクチーは箸も使わず手づかみでご飯を食べ始めた。目玉焼きも手づかみだし、味噌汁は顔を突っ込み飲んでいる。まさに野獣そのものの食べ方だ。
朝倉は苦笑した。こいつとは、長く暮らせないな……などと思いつつ、次の計画について考える。
今回の特殊効果を使った強盗は、完璧なまでに上手くいった。だが、次回も同じ結果が出るとは思えない。何より、同じ手を二度続けるのは危険だ。
となると、次は別の手で行こう。だが、単独でできる手は……などと考えているうち、いつの間にかまぶたが重くなっていった。
そして朝倉は、完全に眠ってしまった。この男、裏カジノを襲うため何度も下見をしていたし、襲撃の前日などは、緊張のあまりほとんど寝ていない。ここにきて、疲れが出てしまったのだろうか。
軽く寝息を立てている朝倉を、ハクチーはちらりと見ただけだ。再びテレビの画面へと視線を戻す。
朝倉が目覚めた時には、既に夕方近くなっていた。目をこすりながら辺りを見渡す。ハクチーは相変わらずテレビの画面に釘付けだ。朝倉はその時、自分に毛布がかけられていることに気づいた。
「ハクチー……これ、お前がかけてくれたの?」
「うん。風邪ひくよと言ってた。テレビで観た」
視線はテレビに向けたまま、ハクチーは答える。どうやら、ハクチーにはテレビから得た知識しかないらしい。両親がいない、というのは本当なのだろう。さらに、今までは周囲にまともな大人が居なかったと思われる。常識というものを教えてくれる存在が……。
ただ、そんなハクチーが自分に気を使ってくれたのが嬉しかった。
「そうか。ハクチー、ありがとうな」
「いえいえどういたしまして」
そう言いながら、ハクチーはこちらを向いた。その顔には、笑みが浮かんでいる。
その時、ひとつの考えが浮かぶ。
「ハクチー、買い物行くか?」
「うん行く」
ふたりは三十分ほど歩き、駅近くのコンビニに入った。
と、店員がハクチーを見るなりギョッとした表情になる。だが、朝倉はそれを無視して店内に連れて行った。
ハクチーは、想像していたよりおとなしかった。一応、店内では騒がないよう注意はしておいた。それでも、子供のようにはしゃぎ、いろんな物を欲しがるかと思ったのだが……黙ったまま、朝倉の後を付いて来るだけだ。何か警戒しているのだろうか。
だが、不意に朝倉の腕をつつく。
「朝倉これ欲しい」
そう言って、ハクチーはおにぎりを差し出した。朝倉は頷き、カゴに入れる。
「他はあるか?」
「じゃあこれも欲しい」
今度はクリームパンを差し出す。
朝倉はその時に気づいた。そのふたつは、朝倉とハクチーが初めて会った時にあげた物だ。まさか、記憶していたのか?
いや、それはないだろう。朝倉は頷いた。
「いいよ、買ってやる」
様々なものを買った袋をぶら下げ、朝倉とハクチーは店を出る。と、ハクチーは彼の腕を引いた。
「朝倉あそこ行きたい」
何かと思えば、ハクチーは少し離れた位置にある自然公園を指差す。木々に覆われており、真ん中に池がある。
ハクチーは公園が好きなのだろうか……朝倉は微笑みながら頷いた。
「いいよ。公園を散歩してみようか」
公園に着くと、ハクチーはベンチに座った。さっそく、おにぎりのビニールを剥き始める。海苔は残したまま器用に剥いた。
「朝倉できた」
そう言って、誇らしげな表情でおにぎりを見せるハクチー。
「凄いじゃないか。大したもんだよ」
朝倉はそう言ったが、まんざら大げさな言葉でもない。ハクチーは昨日、一度見ただけでこの手順を覚えたのだ。常識はゼロだが、学習能力は低くない。朝倉がそんなことを考えた時──
「ちょっとおじさん、そこ俺らの場所なんだよ。これから動画撮るから、さっさと消えてくんね?」
不意に前からの声。朝倉が顔を上げると、いわゆるチンピラ……としか言いようのない風貌の男が立っていた。撮影用なのか、スカジャンにリーゼントだ。その後ろには、友人らしきガラの悪い男が三人いる。
「ハクチー、行こうか」
さすがの朝倉も、少しムッとなった。が、チンピラ風を無視してハクチーに声をかけ、立ち上がった。こんなバカどもを相手にしている暇はないのだ。
朝倉に促され、ハクチーもおにぎりを食べながら立ち上がる。ふたりはそのまま立ち去ろうとした。が、彼らは行く手を塞ぐ。
「ちょっと待てよ。今の顔、気に入らねえな。こっちはな、社員がひとり辞めちまったせいで残業やらされちまって、ストレスMAXレベル到達してんだよ!」
そう言いながら、チンピラは朝倉の前に立つ。同時に、他の男たちも残忍な笑みを浮かべてふたりを囲む。
理不尽な話である。そんな事情など、こちらとは何の関係もないのだが……自分の気分の悪さを、行動原理の第一に置いている人種はいる。しかも、そうした人種はほとんどが暴力的だ。
あるいは、朝倉たちをボコボコにする動画でも加えようと言うのか。
いや「今の顔、気に入らねえな」という発言も無視できない。ゴムマスクの表情が、自分の想定していたものとは違い、明らかに喧嘩を売るようなものだった可能性もある。
まだ、表情筋の調整と練習が必要かも知れない……。
そんなことを思いつつ、朝倉は頭を下げた。
「嫌な気分にさせたなら、本当に申し訳ない! 俺たちはすぐ消えるから、あとは好きにやってくれ!」
朝倉はペコペコしながら、強引にすり抜けようとする。だがチンピラに胸を強く押され、思わず後方によろめいた。
すると、他の男たちが笑いだす。敵意を剥き出しにした下品な笑いだ。どうやら、自分たちをカモと判断したらしい。
仕方ない。こうなれば拳銃で威嚇射撃でもして追い払うか。そんなことを思いつつ、朝倉は立ち上がった。
「調子こいてんじゃねえぞ。殺すぞオッサン」
チンピラはというと、低い声で凄んでくる。しかし、その時――
「朝倉殺すって言った。じゃあお前ら殺す」
感情の一切こもっていない、無機質な声が響く。次の瞬間、ハクチーが動いた。
弾丸のような速さで移動したかと思うと、ハクチーの右手のひらが伸びた。チンピラの喉を掴む。
その瞬間、チンピラの口から押し殺したような声が洩れた。
しかし、ハクチーはおかまいなしだ。ボロ切れでも扱うかのように、右手一本でチンピラの体を軽々と放り投げる。
この間、わずか一秒ほどだ。朝倉も他の男たちも、未だに事態が飲み込めていない。ポカンとしたままハクチーを見つめている。
だが、ハクチーは止まらない。
手近な男の襟首を掴み、力任せにブン投げる。七十キロは超えているであろう男の体が、軽々と飛んでいき地面に叩きつけられた。
その時になって、ようやく相手方は反応した。
「や、やめろひょ……」
残るふたりのうち、片方はそう言いながら後退る。もうひとりの方は、足がすくんでしまっているのだろうか。その場に立ち尽くしたまま、呆然としている。
だが、ハクチーは躊躇しない。間髪入れず襲いかかっていった。
ハクチーが手をブンと振った瞬間、男のひとりは体を一回転させ倒れた。どんな殺陣でも見たことのない、美しい動きだ。
続いてハクチーは、もう一度手を振った。今度の相手は、腹を押さえ前のめりに倒れる。これまた、格闘技でも滅多に見られない見事なKOシーンである。
「お前、凄いな……」
朝倉は、呆然とした表情で呟いた。
周囲には、血を流し倒れている男たちが四人。一方のハクチーは立ったまま、平然とした表情で朝倉を見ている。息ひとつ切らせていない。
まず、この事実だけは確認せねばならない──
「ハクチー、みんな殺したのか?」
声を震わせ尋ねと、ハクチーはかぶりを振った。
「まだ殺してない。今から全員殺す」
そう言うと、ハクチーは手近な位置で倒れている男の首をつかむ。
朝倉は慌てた。このホームレスの少年は、とんでもない腕力の持ち主だ。このままだと、本当に殺してしまうだろう。すぐにハクチーの手を掴んで制した。
「ハクチー、そんなことしちゃ駄目だ。人を殺しちゃいけない」
「なぜ?」
「えっ?」
「なぜ人を殺しちゃいけない?」
ハクチーは、不思議そうに尋ねる。
だが、朝倉は答えることが出来なかった。ハクチーはある意味、純粋無垢な存在なのだ。法も道徳観念もまるきり知らない。そんな人間に語れるものなど、自分は持ち合わせていないのだ。
それでも、今は無理やりにでも答えを出さねばならない。と、頭に閃くものがあった。
「ハクチー、警官は知ってるな?」
「うん知ってる」
「彼らは拳銃を持ち、人数も多い。非常に厄介な連中だ。奴らは、人を殺すと集団で犯人を探す。ここまでのところ、わかったか?」
「うんわかった」
「警官に、この辺りをウロウロされると困る。だから、なるべくなら人は殺すな。わかったか?」
「うんわかった。なるべく殺さない」
素直に答えたハクチー。数人のチンピラを素手で、しかも息も乱さす一瞬で戦闘不能にしてしまえる……そんな力を持つハクチーだが、朝倉の言うことは聞くらしい。
朝倉は苦笑したが、その時に恐ろしいアイデアが浮かぶ──
こいつは、上手く使えば最強の手駒になるじゃないか!
・・・
その頃、狂言町では──
「なるほど、爆発したような音がした。銃声も聞こえてきた。さらに、煙が充満し炎上人まで登場……にてしては、おかしいんだよね」
ブツブツ言いながら、無人の裏カジノをひとり歩いている男がいた。Tシャツ姿の西村陽一である。彼はヤクザから襲われたカジノの調査を頼まれているのだ。今も鋭い視線をあちこちに向けながら、一通り見て回った。
と、いきなり床に這いつくばる。床の傷を、舐めるように見つめた。
「ここに、何箇所か焼け焦げた痕がある。けど、他にはない。焼死体も発見されていないし、病院に運ばれた形跡もない。銃弾の痕もない。爆発の痕跡もない。つまり……全部嘘だった、ということだね」




