終幕
突然、銃声が響いた。
朝倉は舌打ちする。銀星会のバカな組員が、先走って銃を撃ったのだ。こういう時は、臆病なものほど銃をぶっ放す。怖いからこそ、その怖さから逃れるために銃声で己を誤魔化そうとするのだ。
案の定、兄貴分らしき男の罵声が聞こえてきた。
「バカ野郎! 無駄撃ちすんじゃねえ! 弾丸がもったいないだろうがぁ!」
「す、すみません!」
なんと愚かな連中なのだろうか。あれでは、いる場所が丸わかりだ。
まあいい。ああいうバカな連中なら、こちらもやりやすい。朝倉は、ゆっくりと階段を昇っていった。
上がりながら、朝倉の胸の中に様々な思い出が去来する。劇団の仲間たち……伊達や山崎や東郷、そして緒方。
もし死後の世界があるのだとすれば、あいつらは確実に天国だ。今頃、幸せに暮らしているのだろう。いや、そうであって欲しい。
でなければ、あまりにも不公平だ。あんな理不尽な死に様を晒したのだから──
思わず涙が溢れてきた。手で拭い、そっと呟く。
「お前らの仇は討ったぞ。田中健太郎は、もうおしまいだ。あと、残るは銀星会だけだ」
そう、銀星会は田中健太郎のスキャンダルにより、かなりのダメージを受けた。その前にも、ハクチーの暴れっぷりにより、相当の数の兵隊を失っているはずだ。
さらに、ここで朝倉の仕掛けた罠により、銀星会はさらに多くの兵隊を失う。もう、以前のような勢いを取り戻すのは不可能だ。それどころか、他勢力に呑み込まれる可能性も高い。
いずれにせよ、銀星会も終わりだ──
それにしても、あの成宮はいい仕事をしてくれた。
環境大臣である田中健太郎がひとりになるタイミングを、一円の情報料ももらわずに教えてくれた。しかも、その情報に間違いはない。時間も場所も、寸分の狂いもない。
しかも、その代償は……自分の居場所を銀星会に教えること、だ。情報を情報で売るとは。なんとも変わった男である。
そんなことを思いながら、朝倉は階段を上がって行った。が、思わず顔をしかめる。
いったい何が起きたのか、階段が瓦礫の山で塞がれているのだ。前回きた時に、きっちり確かめておくべきだった。
舌打ちしつつ、朝倉は周囲を見回した。こうなっては、外階段を使うしかない。
その時、またしても聞こえてきた銃声。
「バカ野郎、無駄撃ちするなって言ってんだろうが!」
「す、すんません! 人影が見えたんで」
「アホがぁ! あれはウチの人間だ! 仲間撃ってどうすんだ!」
聞こえてくる内容は、まるでコントのようである。朝倉は苦笑しつつ、外階段へと向かった。
通路の突き当りにあるドアを開け、外階段を上がっていく。と、響き渡る銃声。そして肌を突き刺し肉を貫く痛み──
撃たれたのだ、と気づくより早く、朝倉は反射的に撃ち返していた。同時に階段を上がっていき、すぐにその場を離れる。
直後、声が聞こえてきた。
「朝倉がいたぞ!」
「五階に向かってるぞ!」
「さっさと殺せ!」
罵声と、耳をつんざくような銃声。しかし、朝倉はすぐさま動いた。痛みに耐え、素早く中へと入る。こうなると、あとは中の階段が使えることを祈るしかない。
その時だった。突然、片足が動かなくなる。
何が起きたのか、右足の感覚がなくなってしまったのだ。懸命に動かそうとするが。動いてくれない。
ひょっとして、銃弾がどこかの神経を貫いたのか。
まあいい。あと少しだ。あと少しで、屋上まで行ける。
そう、幸いにも、ここの階段は使用することができた。あとは、二階分だけ上がればいい。そこまでなら、足一本でも充分だ。
朝倉は、痛みをこらえながら階段を上がっていく。
だが、最上階に辿り着いた時だった。今度は、左足が動かなくなったのだ。朝倉は両手で這うようにして動きながら、どうにか屋上へと到着した。
必死の形相で這いずり、どうにか青空の下に出る。
最期くらい、青空を見ながら死にたかった。
朝倉は、その場に寝転んだ。もはや、麻痺は下半身全体に広がっている。立つことすらできない。
だが、それでも計画に支障はなかった。あとは、持っているスイッチを押すだけだ。そうなれば、この廃ビル数カ所に仕掛けられていた爆薬が爆発する。
無論、ビルひとつを丸ごと吹き飛ばすようなものではない。だが、土台となる部分を爆薬により破壊する。そうなれば、このビルは形を保てなくなり崩れ落ちる。そうなれば、中にいる人間も死ぬ。
これこそが、朝倉の描いた脚本のラストであった。
ふと、ハクチーのことを思い出した。あいつは、今も眠っているのだろうか。
「ハクチー、なんで人を殺しちゃいけないか、ちゃんと教えてあげられなかったな」
そう言って、朝倉は空を見上げた。
「ハクチー……人が死ねばな、涙を流す誰かがいるんだよ。誰かが殺されたら、悲しむ奴がいる。苦しむ奴もいる。俺みたいに、おかしくなる奴もいる。誰にも、こんな思いをさせちゃいけないんだ。だから、人を殺しちゃいけないんだよ」
そう、朝倉がその見本のようなものだった。
仲間であった劇団員を殺され、朝倉は狂ってしまった。復讐のため、人間ではないものになりたかったし、必死でなろうとした。
だが、結局はなれなかった。今は、それでいいと思っている。
「だからよ、ハクチー……人殺しなんてやめて、幸せに生きるんだぞ」
そう言って、笑みを浮かべた。
脳裏に蘇るのは、彼女との思い出だ。初めて会った時は、裏カジノで食べ物を漁っていた。おおよそ人間とは呼べないような姿だった。
それから……一緒にテレビを観たり、ご飯を食べたり、電車に乗って出かけたり、動物園に行ったり、遊園地に行ったりした。
随分と、人間らしくなったな。
(あさくらと ゆうえんちいった いっぱい いっぱい あそんだ ほんとうに たのしかった またいきたい)
ハクチーのノートに書かれていた一文だ。遊園地は、彼女にとって人生で一番楽しい体験だったのだろう。
ごめんな、俺はもう連れて行ってやれねえよ。
山野さんに、連れて行ってもらってくれ。
そんな思い出を掻き消す罵声が、下から聞こえてきた。
「おい、朝倉のアホは屋上にいるぞ!」
「バカな奴だな! 逃げ場のない屋上に逃げてどうすんだ!」
「こうなりゃ、生きたまま捕まえようや!」
ヤクザたちの声だ。好き勝手なことを言っている。もう、すぐそこまで迫ってきていた。
もっとも、今さら襲い。
朝倉は、スイッチを高々と掲げた。
「あとは沈黙だ」
シェイクスピアの、リア王のセリフを吐く。そして、ボタンを押した。
その時、目の前に信じられない者が現れる──
「朝倉! 早く帰るぞ!」
突然、ビルの屋上によじ登り叫んだ者、それはハクチーだったのだ。顔の半分に包帯を巻いており、左手にも包帯を巻いている。しかし、何事もなかったかのようにツカツカと歩いてくるのだ。
どうやら、外壁をよじ登ってきたらしい──
「バ、バカ! なんで来やがった!」
叫んだ時には、もう遅かった。ビルの倒壊が始まったのだ。まず数カ所に仕掛けておいた爆薬が爆発し、ビルの土台が破壊された。それにより、ビルは形を保てず崩れ落ちる。崩れるジェンガのように、残骸の山となるだけだ。
そうなれば、中にいる人間は生きていられない。
下からは、ヤクザたちの悲鳴が聞こえてきた。朝倉のいる場所も、当然ながら無事ではすまない。屋上そのものが裂け、世界がひっくり返ったかのように床が傾いた。朝倉の腹が裏返るように浮き上がり、背筋が凍るような恐怖が走る。
落ちると思った。もはや、この滑落は避けられない。瓦礫の裂け目へと身体が引きずり込まれる。足はもう動かない。必死に腕を伸ばすが、つかめるものは何もない。
奈落へと真っ逆さまに落ちる、その絶望を味わった刹那──
「朝倉!」
叫ぶ声がした。ハクチーだ。崩れゆく屋上を、彼女はまるで重力を無視するかのように飛び移っていた。割れていくコンクリートの板から板へと、軽々と飛び移っていく。落下する鉄骨の隙間を縫い、一直線に朝倉へ迫る。
彼女の片腕が伸び、朝倉の体をつかんだ。その瞬間、世界の全ての音が遠のいた。
ハクチーは、朝倉を担ぎあげたまま瓦礫の雨の中を疾走していく。彼女の動きは人間のものではない。足場など存在しない崩落の只中で、次の一歩を確信しているかのように迷いがない。
恐怖に震える朝倉を抱えたまま、彼女は瓦礫の雪崩を駆け上がり、落ちゆく大地を飛び越えていく。ほんの一瞬でも遅れれば、ふたりとも奈落に呑まれる。
それでもハクチーは迷わない。屋上の縁まで辿り着く。この間、ほんの数秒しか経っていない。
次の瞬間、屋上から飛んだ──




