ハクチーの約束
西村陽一は、余裕の表情を浮かべていた。
先ほど別部隊から、朝倉らしき男が現れたが罠に気づき引き上げた、との報告が入った。だが、何の問題もない。本番はここからだ。奴が帰ってきた時、皆で仕留める。
あと一時間もすれば、奴がここに到着する……そんなことを思っていた時、突然の無線連絡が入った。
「西村さん! どうなってるんですか! 中に入ってた三人、いきなり連絡つかなくなりましたよ!」
無線で連絡してきた組員に、西村は飄々とした態度で答える。
「落ち着いてください。どうやら、何らかのアクシデントがあったようです。しかし、やることは変わりません。抵抗するようなら殺してください。とにかく、今は待ちです」
そう、今回もいつもと変わらない。ただ、じりじりと包囲網を狭めて殺す……それだけだ。
ここに残っているのは、ただのホームレスのはずだった。しかし、銃くらいは持っていたのかもしれない。
いずれにしても、相手はただひとり。ならば、さっさと片付け朝倉が帰って来るのを待つだけだ。
もう、勝利は九割……とまではいかずとも、八割は超えただろう。
この時点で、西村がもう少し接近していたら、何か違和感に気づけたかもしれない。だが、今の彼は一匹狼の時代とは違う。
西村は、楽をすることを覚えてしまった。しかも、自らのその変化にすら気づいていなかった。
それから十分もしないうちに、またしても別の組員から無線通信が入ったのである。
「ヤバいッスよ! ありゃあ人間じゃねえ! 化け物だ!」
何を言っているのだろうか。まさか、野良犬でも紛れ込んで面倒なことになっているのだろうか。
「そんな声を出したところで、何も変わりませんよ。冷静に考えてください。こちらが圧倒的に優位なんです。相手は、確かに異常な能力を持っているのかもしれません。しかし、銃で撃てば死にます。死ななければ、さらに弾丸を撃ち込むまでです。何も恐れることはありません」
化け物なわけねえだろ、と思いつつ無線を切った西村だったが、歩き出そうとしてつんのめった。気がつくと、足がブルブル震え出していたのだ。
これ、なんだ?
まさか、こんな死亡フラグないよな?
そう思った時、遠くから銃声が聞こえてきた。殺ったか? と思ったのも束の間、続いて聞こえてきたのはヤクザらしき者の悲鳴と、何かが飛んで地面に激突する音だ。
さらに、爆発音まで聞こえてきた。誰かが、手榴弾を投げたのだろうか。
おいおい。
俺の殺す相手、あんな化け物だったっけ?
・・・
ハクチーは殺し続けた。
敵の匂いを嗅ぎ付けると近づいていき、危険と思ったら、小さな体で草原を動き静かに離れる。これは、朝倉の家でアクション映画を観ていて学んだものかもしれない。
そして……敵を発見し不意を突けると判断したら、無音でジャンプし襲いかかる。ゴリラ並みの腕力で、次々とヤクザたちを撲殺していくのだ。その強さは、ひとりで暴れていた頃よりも格段に上がっていた。
何が彼女をここまで強くしたのか……それは、朝倉という男の存在だった。
(もし、ドアをぶち破って入って来るような奴らがいたら、構わないから全員殺せ)
この言葉に対し、ハクチーは答えた。
(うん、わかった。約束した)
この時、ハクチーは朝倉と約束してしまったのだ。ならば、朝倉との約束は絶対に果たさねばならない。
ハクチーはこれまで、何度も約束を破られつらい思いをしてきた。だから、朝倉にはあんな思いをさせない。
朝倉がいたから、ハクチーは変われた。
毎日、お腹いっぱいご飯が食べられるようになった。
いろんなことを教えてくれた。
ハクチーがバカにされたら、朝倉は真剣に怒ってくれた。
だから、ハクチーも約束守る。
・・・
「どうなってるんですか!? ここにいるのは、変なホームレスひとりだけって話でしたよ」
無線通信の声に、さすがの西村もついにキレた。
「だから何度同じこと言わせんだ!? あの家には、ただのホームレス……」
その時、またしても銃声が聞こえた。しかし、続いてヤクザらの悲鳴が響き渡るパターンは変わらない。
もう、相当な数が殺られているだろう。アメリカやイギリスの特殊部隊隊員でも、単独でこれだけの数を殺せるだろうか?
西村は、そこでようやく自分がハメられたことに気づいた。
正岡は、情報に一部の嘘を混ぜていたのだ。本当に危険なのは、ホームレスの方だった。
(あの朝倉は、火傷のショックでアドレナリンが異常に出る体質になっちまった。だから、とんでもねえ腕力を発揮するんだよ)
「よくもまあ、こんな嘘を吐いてくれたなあ正岡さん。あんたの愛人もガキも、みんなまとめて生首さらしてやる」
虚空に向かい毒づきながら、西村は再び無線機を手にする。
(すみません。こちらの情報に誤りがありました。ここにいる変なホームレス少女こそが、銀星会の構成員を素手で殺害した模様)
無線通信が、いったん途絶える。続いて、凄んだ声が聞こえてくる。
「すみませんで済むと思ってんのかコラァ! こっちの兵隊が何人殺られたと思ってんだ……」
そこで通信は途絶えた。今度は、銃声すらしていない。
俺ひとりだけか?
そう思った瞬間、西村はパニックを起こした。とにかく、ここを離れなくては……という思いから、彼は走って丘を降りていったのだ。
それは、あまりにも愚かな行為であった。
目の前にいるのは、もはや男か女かもわからないものだ。
髪の右半分が焦げており、右目の周りは火傷のような痕になっている。さらに、左手の指はほとんどがちぎれていた。いや、手のひらそのものも半分近く欠損している。
普通の人間なら、痛みのあまり、のたうち回るレベルだ。しかし、この少女は痛がる様子もなく立っている。
のたうち回る以前に、この数をひとりで相手にしたら、普通死ぬぜ?
西村の体は、ブルブル震え出した。神の予定したシナリオは、七割から八割は読み切ったはずだった。
なのに、まさかこんなものが自分の前に現れるとは……。
恋愛ドラマの最終回で、主人公がいきなり見も知らんエイリアンに殺されて終わる……それくらいバカげている。
有り得ねえよ。
こんなの、読み切れる奴いんの?
そんな間抜けなことを考えていた西村。なぜか、妙に心が落ち着いてきた。これまで殺してきた人間たちの顔が、脳裏に次々と蘇る。しかし、目の前にいるホームレスは、そいつらよりは遥かにマシな存在に見えた。
この世界に足を踏み入れた以上、幸せなんてものに期待しちゃいけないよな。
腹を括った西村に向かい、ホームレスは口を開く。
「あとは、お前ひとりだけ。これで、朝倉との約束守れる」
その時、なぜか西村の口元に笑みが浮かんでいた。
なんと純粋無垢な存在なのだろうか。約束を守るためだけに、これだけの傷を負いながらも、逃げずに踏みとどまり最後まで戦い抜いたのだ。
「あんた、大したもんだよ。俺の負けだ」
西村は、爽やかな表情で言った。
もう、こうなった以上は百万にひとつの勝ち目もなかった。ならば、死ぬ時だけはカッコよく逝きたい。
でなければ、散々に嫌ってきた連中と同類になってしまう──
「俺を殺してくれる相手が、あんたでよかったよ」
そう言うと、両手を挙げた。最後の見栄……しかし、言っていることに嘘はない。
それにしても、敗北の理由が約束とは──
約束、か。
あんた、朝倉のこと本当に愛しているんだな。
俺も、あんたみたいな相棒がいれば状況も変わったかもね。
俺も結局、自分の生き様に裁かれたってわけか……。
・・・
西村は、死体となった今も笑みを浮かべていた。そんな彼を見下ろし、ハクチーは呟く。
「朝倉、約束守ったぞ……」
その一言を発した直後、ハクチーはバタリと倒れる。
草むらが、すぐに赤い色に染まっていった──




