朝倉とハクチー、動物園へ行く
それは、突然の思いつきであった。
「ハクチー、今日は動物園に行ってみるか?」
「動物園って、動物がいっぱいいるとこか?」
聞き返してきたハクチーに、朝倉は頷く。
「ああ、そうだ。どうする? 行くか?」
「うん! 行く!」
そして、ふたりは駅に行った。ハクチーは券売機で切符を買い、ニコニコしながら電車に乗り込む。
そんな彼女を、朝倉も微笑みながら眺めていた。昨日の正岡の話が、未だ頭の片隅に引っかかっている。ひとまず、その厄介事に対する答えを先延ばしにしたかったのだ。
ふたりは、昼過ぎに動物園に到着した。
中に入ると、楽しそうにあちこち観ていたハクチーだったが……突然、ゴリラの檻の前で立ち止まった。
ゴリラをまじまじと見つめるハクチーに、朝倉はそっと話しかける。
「ハクチー、あれがゴリラだ。賢いんだぞ。人間そっくりだろ?」
「こいつ、凄く強そう。ハクチー、こいつと戦いたい」
この言葉に、朝倉は慌てて周りを見る。万一、他の人間に聞かれたらマズい。
もっとも、今は平日の午前中だ。客もそれほどいない。したがって、檻の前で戦闘体勢に入りそうな少女に注目している者などいなかった。
「駄目だよ……ん?」
朝倉は、そこで異変に気づいた。ゴリラが、明らかにおかしな動きをしている。落ち着きなく檻の中を右往左往し、ハクチーから必死で目を逸らしている……ように見えるのだ。
「なんか、こいつ怯えてないか?」
思わず呟くと、ハクチーは答える。
「わかんない。でも、こいつと戦えないのか?」
「そりゃ無理だ。だいたいな、こいつは戦いたくないかもしれないだろ。そんな相手と無理やり戦うのは、ただの暴力だ。戦いとは呼ばない」
「ボウリョク? なにそれ?」
まさか、こんなやり取りを動物園でするとは思わなかった。朝倉は頭をフル回転させ、どうにか答える。
「暴力っていうのはな……えーっと、強い者が弱い者を、一方的に殴ったり蹴ったりして嫌な思いをさせることだ。お前が、戦いたくない相手と無理やり戦おうとするのは暴力だ」
「わ、わかった」
ハクチーは頷き、ゴリラの檻から離れていった。と、ゴリラが胸を撫で下ろした……かのような動きをした。
続いて、ふたりはライオンの檻の前に行った。
ハクチーはというと、またしても低い姿勢でライオンを睨んでいる。その様は、強敵に遭遇した獣そのものだ。朝倉は苦笑し、ハクチーの肩を叩く。
「ハクチー、まさかライオンとも戦うとか言い出さないよな?」
「こいつ強い。戦ってみたい」
ハクチーが答えた時だった。それまで寝そべっていたライオンが、素早い動作で起き上がった。そればかりか、牙を剥き出してハクチーを睨んでいるのだ。
「お、おい、こいつどうしたんだ?」
朝倉が言った時、突然ライオンが吠えた──
その声は凄まじく、園内に響き渡った。他の客たちも、思わずそちらを向く。何が起きたのかと、飼育員まで駆けつけてきたのだ。
しかし、ハクチーは怯まない。低い姿勢で、じっとライオンを睨みつけている。
と、ライオンの態度がみるみるうちに変わっていった。耳を伏せ、尻尾をだらんと垂らし、ハクチーの目線を避けるようにコソコソと動いている。これまた、怯えているようにしか見えない行動だ。
「なんだこれ……」
朝倉が呟いた時、飼育員がそっと近寄ってきた。若い女性で、ツナギのような制服を着ている。
「大丈夫ですか?」
聞いてきた飼育員。おそらく、先ほどの咆哮のことであろう。朝倉は笑顔を作り答えた。
「は、はい、大丈夫です。それにしても、凄い声ですね」
「ええ。でも、こんなことするの初めてなんですよ。どうしたんだろ……」
飼育員ですら、今の状態に困惑しているようだった。朝倉はあやふやな笑顔で会釈すると、ハクチーの手を引き別の場所へ行く。
だが、他に行っても似たようなことが起きた。
トラの檻の前で、構えるハクチー……その姿を見て、トラは初め威嚇の動きをしていた。が、すぐに態度が変わるのだ。尻尾をだらんと垂らし、耳を伏せてすごすご去っていく。もし、これが檻ではなくジャングルだったら、一目散に逃げて行ったのだろうか。
一方のハクチーは、妙に興奮している。
「こいつも強そうだ。やっぱり戦いたい」
そんな物騒なことを言うハクチーに、朝倉は苦笑した。
「ハクチー、お前は戦いが好きなんだな」
「うん、好き!」
満面の笑みを浮かべ答える。そういえば、正岡が言っていたのだ……ハクチーはかつて、路地裏で強盗をしていた、と。
ひょっとしたら、それは金だけが目当てではなかったのかも知れない。戦うため、人を襲っていた可能性もある。
これは、興味の対象を他に見つけさせないといけない。
「そうか。けどな、世の中には戦うよりも、ずっと面白いことや楽しいことがたくさんあるんだぞ」
「本当か?」
「本当だよ。これから、俺と一緒にいっぱい見ていこう。戦うばかりが楽しみじゃないからな」
動物園を出た後、朝倉はハクチーをとある場所へと連れていく。
「朝倉、ここは?」
ハクチーは、不安そうな表情で聞いてきた。
「レストランだ。入ったことないのか?」
聞き返す朝倉。レストランといっても、よくあるチェーン店だ。値段も安く敷居も高くない。
「うん、ない」
「じゃあ、入ってみよう」
そう言うと、朝倉はハクチーの手を引き店に入っていった。
ふたりは席についたが、ハクチーは妙におとなしい。戦いの場では暴れん坊少女なのだが、こういう場では借りてきた猫のようにおとなしくなってしまう。
そういえば、コンビニに行ってもスーパーに行ってもおとなしいのだ。他人の多いところは嫌なのだろうか。もっとも、店内は混んでいるわけではない。他には、サラリーマン風の男と主婦らしき中年女が三人いるだけだ。
やがて、ハクチーの前にカレーライスの入った皿が運ばれてきた。だが、ハクチーは食べようとしない。皿を、じっと見ているだけだ。
見かねた朝倉が、そっと声をかけた。
「ハクチー、ウチでもやってるだろ。それと同じことをすればいいだけだ。まずは、スプーンでカレーライスを食べてみよう」
「う、ううう……わかった」
ハクチーは緊張しつつ、スプーンでカレーをすくっていく。口に運び、どうにか食べた。
朝倉は、クスリと笑う。先ほど、檻を挟んでいたとはいえ、ライオンやトラを怯えさせたハクチー。そんな彼女が、たかがファミリーレストランでカレーライスを食べるだけで緊張しているのだ。
それでも、どうにか食べ終えた。朝倉は声をかける。
「どうだ、美味しかっただろ?」
「うん、美味しかった」
その表情は、いつもに比べると暗い。朝倉は困惑しつつ、さらに話しかける。
「俺の作るご飯より、よっぽど美味しかっただろ?」
「うん。でも、ウチで朝倉の作ったご飯を食べる方が好き。外で食べるご飯、なんか嫌」
言われた朝倉は、ハッとなった。
幼い頃に観たテレビ番組で、アフリカのとある民族の風習について語っていた。レポーターは、こんなことを言っていたのだ。
「彼らはですね、他人の前で食事をするのが恥ずかしい……という意識があるのですよね」
ひょっとしたら、ハクチーも同じなのかも知れない。
さらに、朝倉と暮らすようになり、テレビなどで様々な情報を得た……それにつれ、自分が他人と違うことを強く意識している可能性もある。
そんなハクチーを、無理やり外に連れ出し人の多いファミリーレストランで食事をさせる……これは、間違っていたのかも知れない。
朝倉は心の痛みを感じた。次からは、お弁当を作るか……などと思いつつ、ハクチーと共にレストランを出る。
「ハクチー、帰ったらカップラーメンとチョコパイ食べるか?」
「うん! 食べる!」
満面の笑みを浮かべるハクチーを見て、朝倉も微笑む。




