朝倉とハクチーの学習
昼の十二時、駅前は昼休み中の勤め人や学生などでにぎわっていた。
そんな中、ハクチーは不安そうな表情で、朝倉を見上げている。だが、それも仕方ないだろう。
なにせ彼女は、今から自分で切符を買って電車に乗るのだから……。
今朝、朝食を食べ終わった後のことだ。突然、朝倉が口を開く。
「おいハクチー、ちょっと出かけないか?」
「どこ出かける?」
「とりあえず電車に乗ろう」
「うんわかった」
即答するハクチー。彼女は、朝倉とお出かけするのは好きらしい。すぐに立ち上がり、靴を履いた。
そして、ふたりは近くの駅にやってきた。ハクチーは、朝倉がいつものように手続きをしてくれるのを待っている。
だが、今日は勝手が違っていた。朝倉は、券売機の前で立ち止まりハクチーを呼ぶ。
「ハクチー、今日はお前が切符を買うんだ」
「えっ?」
困惑するハクチーに、朝倉は優しく語りかける。
「いいか、お前もひとりで電車に乗る方法を覚えておかなきゃな。だから──」
「電車には朝倉と一緒に乗る。だから覚えなくていい」
食い気味に答えるハクチー。どうやら、新しいことを覚えるのが不安らしい。ゴリラのような体格のヤクザを素手で殺せる強さの持ち主なのであるが、妙に気弱なところもある。
「駄目だ。いいか、俺が病気になったらどうする?」
「そしたらハクチーずっと朝倉のそばにいる。病気治す。電車なんか乗らない」
「じゃあ、俺が死んだらどうする?」
「ハクチー朝倉を守る。絶対に殺させない」
こんなことを真顔で言われ、どうしたものかと思った。が、次の手が浮かぶ。
「俺は、ハクチーが電車に乗れるようになってくれれば、とっても嬉しいな。だから、切符買えるようになったら、御褒美にケーキとチョコとドーナツ買ってやる」
「ホントか? ハクチー切符買えるようになったらケーキとチョコとドーナツ買ってくれるか?」
「ああ、全部買ってやる」
食べ物で釣るとは、なんと原始的な……などと思いつつも、目を輝かせているハクチーを見ていると、自然と顔がほころぶ。
「わかった! じゃあ覚える!」
勢い込んで答える彼女の前で、朝倉は小銭を取り出した。
「いいか、これは百円玉だ。前にも教えたし、覚えてるよな?」
「うんわかった」
「これを二枚、この穴に入れる。やってみろ」
「わかった」
ハクチーは、震える手でそっと硬貨を握った。不器用な仕草で、どうにか穴に入れていく。
「で、ここを押す。やってみろ」
朝倉に言われ、ハクチーは恐る恐るタッチパネルに触れた。と、ピッと音が鳴り画面が切り替わる。
途端に、ハクチーは飛び退いた。まるで、危機を察知した野生動物のようだ。
警戒心もあらわに、朝倉に尋ねる。
「朝倉これ壊れてないか?」
「大丈夫だ。壊れてない。もう一回、ここを触ってみろ」
言われたハクチーは、朝倉の言う通りにしてみた。すると、ピピーッという電子音と共に切符が出てくる。
それを見たハクチーは、驚きと嬉しさの入り混じった表情で朝倉を見る。
「朝倉! 出たぞ!」
「そう、これが切符だ。お前は今、切符を買ったんだ。凄いぞ」
「おおお! ハクチー買えた! 切符買えた!」
嬉しそうに言いながら、切符を手に取りまじまじと眺める。
その時、不快な声が後ろから聞こえてきた。
「ちょっと、何あの子?」
「頭イッちゃってるんでしょ。あれじゃあ、小学生以下だよな」
聞いた朝倉は、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、中学生あるいは高校生くらいの男女二人組であった。
男の方は、髪を明るい色に染めておりストリート系のファッションに身を包んでいる。女の方は、露出多めの服装と濃い化粧が特徴的である。若いヤンチャ系カップル、といったところだろうか。
しかし、朝倉は相手が何者だろうと関係なかった。ツカツカ近づいていく。と、男の表情も変わる。首を揺らしながら、女の前に立った。
「何? 何か文句あんの?」
完全に舐めきった態度で聞いてきた。おそらく、喧嘩にもそれなりに自信があるのだろう。しかも、今は女の前である。この手の男は、気に入った女の前ではとかく暴力的に振る舞いたがるものだ。
もっとも、今回は相手が悪かった。朝倉は、銀星会のヤクザと殺り合ってきた男だ。こんな少年など、そこらの害虫と同レベルである。目の前をブンブンやかましく飛び回るなら、つまんで捨てるだけだ。
おもむろに近づいていき、襟首をつかんだ。そのまま、力任せに壁に押し付ける。
同時に、顔を近づけた。その目には、危険な光が宿っている。
「おい、今なんて言ったんだ?」
低い声で凄む。
少年は、その時になって初めて理解した。朝倉という男は、そこらの若者とはまるで違う。そう、彼のこれまで歩んできた道が、凄まじい殺気となって体に充満していたのだ。
何も言えず、ブルブル震える少年……と、そこで朝倉の腕をつかんだ者がいる。ハクチーだ。
「朝倉ダメ!」
叫ぶと、朝倉の手を無理やりこじ開け少年を突き飛ばした。さらに、朝倉の手をつかみ引きずっていく。
「約束した! 電車乗ったらケーキとチョコとドーナツ買うって! 買いに行こ!」
叫びながら、なおも引いていく。恐ろしい腕力だ。見た目からは想像もつかない。車に引きずられているかのようだ。
朝倉は、思わず声をあげる。
「ハクチー! わかったから止まれ!」
その声で、ハクチーはぴたりと止まった。朝倉を見上げ、口を開く。
「朝倉ときどき怖くなる。ハクチーに人殴っちゃ駄目いう。でも朝倉は殴りそうになる。おかしい」
「そうだよな。おかしいよな」
言いながら、朝倉は苦笑した。最初に会った時は、四人のチンピラを無表情で殺そうとしていたハクチー。しかし今は、自分の暴走を止めてくれている。
いつの間にか、立場が逆転してしまった。
そんなことを思う朝倉のシャツの裾を、ちょいちょいと引くハクチー。
「それより切符買った。約束したぞ。ケーキとチョコとドーナツ買うって」
「ああ、わかった。買いに行こう」
・・・
朝倉とハクチーがほのぼのとした雰囲気になっていた頃、完全に真逆の空気を醸し出している部屋があった。
室内は薄暗く、円卓がひとつに椅子が十脚ほどあるだけだ。
今、その椅子に座っているのは六人。皆、険しい表情を浮かべている。
「結局、小川を殺ったのは誰なんだろうな?」
言ったのは、近藤洋介だ。銀星会の若手を統括するリーダー格であり、キャバクラ『クラブ・クイーン』の決起会で幹事を務めたのも彼である。
キャバクラに比べると独房のごとく殺風景な部屋だが、防音設備は完璧であり盗聴にもきっちり対応している。ここなら、どんな話をしようが聞かれる心配はない。
今、この部屋にいるのは銀星会の若手たちだ。それも、近藤が特別に目をかけている者たちである。皆、ブランドもののスーツ姿だ。
しかし、ひとりだけ異なる服装の者がいた。安物のTシャツにデニムパンツという出で立ちの男は……そう、西村陽一である。前回の決起会と、ほぼ同じ格好だ。
「やっぱり、外国の連中ッスかね」
ひとりが言うと、近藤はウンウンと頷く。
「ああ、その可能性もある。だがな、外国人となると少々厄介──」
そこで、不意に口を挟んだのは西村だ。
「ちょっと待ってください。この一連の事件ですが、僕は組織的な犯行とは思っていないんですよ。むしろ少人数……いや、下手をすると頭のイカれた一匹狼の仕業かも知れないですね」
「でも西村さん、バーの方はともかく、カジノの手口はひとりじゃ無理じゃないですかね」
近藤が当然の疑問を口にする。
バーとは、最近襲われた二軒のぼったくりバーのことだ。カジノはというと、これまた狂言町で襲われた銀星会経営の裏カジノである。
この裏カジノは、まず爆発音が聞こえた。その後は銃声が響き渡り、直後に火災が発生し、さらには火だるまになった男が飛び込んできた……というとんでもない事件である。銀星会の構成員たちは、まず客を逃がすことに意識を取られており、何が起きたのか確かめている時間がなかった。
後で調べてわかったのだが、爆破の痕跡はなかった。それでも、銃声は確実に聞こえたし火だるまの男も見た。さらに、煙が充満していく様も見ている。
「それなんですがね……火だるまの男は、どこに消えたんでしょうね? 病院に収容された気配はないし、焼死体の報告もありません。おそらく、全てはトリックだったのではないかと。それなら、ひとりでも充分に可能です」
「は、はあ……」
それでも近藤は、単独犯という意見を受け入れられないようだった。
すると、西村はクスリと笑った。
「僕は、自分の意見を押し付けるつもりはありません。肝心なのは、銀星会に敵対する何者かを捕らえることです。皆さんは、外国人勢力もしくは他団体の台頭……という線でお願いします。僕は、単独犯の線で追いかけてみますよ」




