ハクチーの初仕事
夜の六時過ぎ、朝倉はハクチーを連れて繁華街を歩いていた。ハクチーは目立たぬよう、黒ずくめの格好だ。髪も短い上にキャップを被っており、一見すると男の子にしか見えない。
一方、朝倉は真面目そうな若者……といった扮装である。これまで公序良俗に反するようなことは何もせず成長してきた。ただし女性に対する下心は人並み以上に持っている、といった役柄だ。
まず朝倉がカモとなり、相手に接触する。向こうの罠にハマったふりをして根城に行き、逆に相手を皆殺ししにするという作戦である。
と同時に、今日はハクチーの初仕事だ。とはいえ、あまり無理はさせないつもりであった。
「あ、お兄さんたちでしょ? 連絡くれたの?」
駅前で待っていた朝倉たちに話しかけてきたのは、美しく着飾った女だった。年齢は二十代前半、小柄だが肉感的な体つきである。
彼女の名は水月舞香だが、これは偽名であろう。だが、彼女の本名などどうでもいい。
今日、水月という名の女は死ぬことになるのだから……。
「はい、そうです。はじめまして、僕は瀧本智也です。こっちは、弟の正広です。なんか知らないんですけど、あだ名がハクチーって言うんですよ」
「ハクチー? 変なあだ名だね!?」
「そうなんですよ。で、色々とありまして……普通学級には行っていないんですよね。こいつにも楽しい思いをさせてあげたいんですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫! あたしの友だちがやってる店だから、多少のことは大目に見てくれるよ!」
そんなことを言いながら、女は朝倉の腕を引いていく。
朝倉はされるがままになりながらも、ハクチーの動きにも注意を払っていた。もし、ハクチーの動きに少しでも迷いや乱れがあるようなら、この計画はすぐさま中止し帰るつもりであった。
しかし、今のところ問題はない。ハクチーは無言のまま、ピッタリと朝倉に付いて来ている。その動きは普段通りだ。緊張しているような素振りはない。
やがて朝倉たち三人は、とあるマンションの地下へと降りていく。そして、ひとつのドアの前で立ち止まった。女がスマホを操作すると、ドアが開く。
室内は、思ったほど派手なものではなかった。むしろ、薄暗く店内の様子が見づらい状態である。照明は弱く、柔らかいソファーとテーブルがある。朝倉とハクチーはソファーに座らせられ、水月は朝倉の隣に座った。
ここは、銀星会がバックについているぼったくりバーである。店員も女も、全てが銀星会の関係者だ。
最近では、ぼったくりバーもネットで客を探す。見た目の綺麗な女が、SNSで加工した画像を晒して接触し、DMで言葉巧みに誘ってくる。
朝倉の方も、万全の対応だ。頭が弱いが金はそこそこ持っているカモの役を、きっちり演じていた。
SNS上でも、それは変わらない。こういったバカ女に引っかかりそうな役柄になりきり、そういった男が書きそうなコメントを次々と送信していく。
結果、さほどの時間をかけることなく会うことができた。これで、朝倉とハクチーをぼったくりバーまで案内してくれたわけだ。
さっそく、朝倉の隣には案内してくれた水月が座る。さらに、店員らしき若者が三人出てきた。いずれも、昔は悪かったですよ……というような雰囲気を発散している。
そんな店員らに、朝倉は怯むことなく注文する。
「とりあえず、料理の方をお願いします。手づかみで食べられるハンバーガーみたいなのないですか? あったら、お願いします」
「えっ?」
「聞こえなかったですか? では、もう一度。手づかみで食べられるハンバーガーみたいなのがあれば、じゃんじゃん出してください」
朝倉は、にこやかな表情を作り繰り返す。店員たちは、一瞬顔を見合わせた。まさか、こんな注文がくるとは思っていなかったのだろう。
だが、ひとりの店員が笑顔で応じる。
「あっ、ハンバーガー系ですね! 今、作ってきます!」
「あと、ソフトドリンクもお願いします。とりあえず、オレンジジュースでいいかな」
「わかりました!」
そう言うと、ひとりが店の奥に引っ込んだ。おそらく、近所のファーストフード店から配達させるのだろう。
そんな中、朝倉は水月と話しながら、さりげなく財布を広げた。と、中には百万以上の札束が入っていた。
彼らは目の色を変える。なにせ、裏の業界では未だ現金の使用頻度が高い。電子マネーだと、いろいろ厄介な点が多いからである。
こりゃ、カモがネギの上に調味料まで背負って来た……とでも言いたげな様子だ。
やがて、ハンバーガーやフライドポテトなどが皿に盛られ運ばれてくる。と、朝倉はハクチーの方を向いた。
「ハクチー、どんどん食べろ。好きなように、な」
そう言うと、ハクチーの目の色が変わる。出されたものを、手づかみでバクバク食べ始めた。今まで、こういったものはあまり食べたことがないのだろう。
一方、店員たちは呆れた顔をしながらハクチーの食べっぷりを見ている。もっとも、止めようとはしない。
そう、ぼったくりバーならば、ハクチーがどんな食べ方をしようが誰も追い出したりしない。逆に、それをネタにして料金を吊り上げようと画策しているのだろう。
「お、お連れさんユニークな人ですねえ」
ひとりの店員が、引きつった顔で言った。一方、水月は朝倉に話しかけてくる。
「お兄さんは、飲まないの?」
「いやあ、恥ずかしながら飲めないんですよ。酒を一滴でも飲むと、ひっくり返って救急車呼ばなきゃならないんです。あっ、でも飲みたかったらどうぞ。好きなのじゃんじゃん飲んでください」
もちろん嘘である。今から一仕事しなくてはならないのだ。したがって、酒を一滴でも口にするわけにはいかない。
朝倉はリラックスした風を装い、ハクチーの食べっぷりを見つめていた。しかし、他の店員たちの動きからも目を離さない。
水月はというと、待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべる。
「わかった! じゃあ、今日は飲んじゃおっかな!」
そう言うと、高価な酒を頼みバンバン飲み始める。時おり、笑いながら朝倉へのボディタッチも忘れない。
朝倉はにこやかな表情で応じながらも、頭の中は冷静に計算していた。
会計の時には、さらに怖いおじさんかお兄さんが来る。
動くのは、それからだ。
ハクチーは、出されたものを全て食べ尽くした。口の周りを手で拭っている。一方、店員らは何やらボソボソと話をしていた。相当の額をふっかけてくるつもりなのだろう。
やがて、店の奥から見るからにいかつい中年男が出てきた。ワイシャツにベスト姿だが、どこから見ても堅気の人間ではない……そんなタイプの男だ。
朝倉は、そんな中年男に向かい口を開く。
「ひょっとして、あなたが店長さんですか?」
「はい、そうです。で、本日のお会計ですが……」
店長は切り出してきたが、朝倉は彼のことなど見ていなかった。既にハクチーの方を向いている。
そう、ここからが本番だ。いざという時のため、サイレンサー付き拳銃は隠し持っている。
「ハクチー、もう充分に食ったな?」
尋ねると、ハクチーはこくんと頷く。すると朝倉は、店長を指差した。
「では、いよいよ仕事開始だ。そこの店長さんを残して……全員殺せ」
言った途端、ハクチーは動いた──
彼女は、驚くべきアクションを披露する。ソファーに座っていた体勢から、何の予備動作もなく突然に天井近くまで飛び上がったのだ。この動きに、店員らはポカンと口を開け見ていることしかできない。
かと思うと、ハクチーはテーブルの反対側へと着地した。まず、ワイシャツ姿の店員三人に攻撃を開始する。
ハクチーが、ぶんと腕を振った。たったそれだけの攻撃で、ひとりの店員がふっ飛ばされ壁に叩きつけられる。
直後、反対側の手を振った。その一撃で、もうひとりが胸を押さえ崩れ落ちる。ハクチーの打撃により、肋骨をまとめて砕かれ破片が心臓に突き刺さったのだ。
続いてハクチーは、最後のひとりの首をつかんだ。
直後、一瞬で首をへし折る──
その間、朝倉も黙って見ていたわけではない。ベルトに装着していたダガーナイフを抜き、水月の喉に突き刺す──
ゴボッ、という音がした。水月が何か言いかけるが、声帯に穴が空き声が出ない。彼女は驚愕の表情を浮かべ、朝倉を見つめていた。
この状態では、もう助からない。
「悪いね。ま、君も裏の世界に生きてるんだ。こんな死に様を晒す覚悟はしてただろう」
そう言うと、朝倉はサイレンサー付き拳銃を抜いた。
店長に、銃口を向ける。
「店長さんよう、金庫開けてくれよ」
「あ、開ける! 開けるから、命だけは助けてください!」
「うるせえ。さっさと開けろ」
拳銃を突き付けられ、店長は慌てて事務室へと向かった。中にある金庫を、震える手で開ける。
中には、百三十万円ほど入っていた。
「大した額じゃねえなあ……ったく、お前ら本当に儲かってねえんだな。まあ、いいや。ありがとさん」
そう言うと、朝倉はハクチーの方を向く、
「ハクチー、こいつも殺せ」
「えっ?」
店長が間抜けな声を出した時、ハクチーは動いていた。彼の大きな頭をつかみ、瞬時にひねる。
首をへし折られ、店長は即死した。
「ハクチー上手くやった。全員殺した」
そう繰り返す彼女の顔は、どこか誇らしげであった。
チクリ、と心が痛んだ……ような気がした。もしかしたら、ハクチーは一緒に喜んで欲しかったのだろうか。だが、朝倉にはそれができなかった。
心の痛みを無視し、己に言い聞かせる。
人殺しまでしといて、今さら善人ぶるんじゃねえよ。
俺は、こいつの雇い主だ。
こいつに住むところと寝る場所を与え、腹いっぱい食わせ、風呂に入れている。服も、買ってあげている。
その代わり、こいつは俺の命令に従い動く……ただ、それだけのことだ。
仮に俺が利用しなくても、俺よりもっと悪い別の誰かがこいつを利用するだけのこと。
ならば、俺が利用させてもらう。ただ、それだけだ。




