14.介入
魔物の軍の動きは単純だ。
朝、日の出と供にゆっくりと動き出し、日が沈むと動きが止まる。
ただ、それだけだ。
目の前に立ちふさがる黒い壁。
それは、あらゆるモノを飲み込み、粉砕しながら進んでいく。
数万にも及ぶ魔物の大群。それは軍隊アリの大集団にも似ている。
あらゆるモノを飲み込み粉砕し殺すドス黒いイナゴの群れだった。
そんな黒い波を待ち受けるのは、白銀の壁。
国境線にほど近い城塞都市を背後に大きく展開した人間達の群れだった。
黒と白。
決して相入れることのない二つの勢力。
それが『これが定めだ』といわんばかりの勢いでぶつかり合おうとしている。
「……そうはいくか。
誰かさんの思い通りになんぞ、してやるものかよ!
お前ら、良い加減、目ぇ覚ましやがれ!このウスラトンカチどもがぁ!
……ぶっぱなせぇえ!」
──雷霆よ、降り注げ。雷神よ、槌を振れ。
魔法使いの奴が大禁呪魔法をぶっ放す。
視界を焼く白銀の閃光。
聴覚を麻痺させる轟音。
俺の合図とともに、戦場のど真ん中に、紫電の雨が降り注ぐ。
それは地面を派手に切り裂き、そこに巨大な割れ目を作り出していった。
暫くして、轟音と地響きが、ようやく収まっていく。
……静まり返る戦場。
流石に、度肝を抜かれたらしい。
全員が息を呑み、地面に倒れ伏している。
戦場にこつ然と刻まれた巨大な地割れ……。
そのまだ土煙を上げている巨大な破壊の痕跡を背に、俺達は戦場へと降り立っていた。
「……うへぇ。……話には聞いてたが、とんでもねぇ威力だなぁ」
禁術まで学び、封印されていた数々の巨大魔法すら使いこなすようになった魔法使いは、すでに一国の軍に匹敵する力を身に着けていたのかもしれない。
もっとも、こんな馬鹿みたいな威力のある魔法、そうそう使い道が思いつかないんだが……。
「地割れを、背に、敵に、相対、する。……背水、の、陣?」
「なんだそりゃ」
「一歩も、引か、ないと、いう、覚悟、の陣」
ゼェゼェ言いながら喋るな、鬱陶しい。
「少し休んでろ。喋れる様になったら来い」
流石に、こんな超ド級の威力を誇る攻城兵器レベルな魔法をぶっ放した後遺症なのか、息も絶え絶えになって地面にへたり込んでいる。
そんな魔法使いに肩を貸して支えてやっている妻を横目に、俺は動けなくなっているらしい魔物の群れに歩み寄っていく。
「さてっと。……お前らの代表者は? いないのか?」
事前に魔法使いにかけてもらっておいた便利な拡声魔法のお陰で、俺の声は必要に応じてある程度の指向性をもった状態で魔物の群れ全体に響き渡らせる事が出来るようになっている。
そんな俺の問いかけに魔物達は揃って顔を見合わせて、しばらくして視線が一匹の巨大な魔物に集まって行った。
あのデカイ鎧姿のワニ男が、一応はリーダーみたいな扱いになってるらしい。
「お前か」
「……ナンダ?」
渋々といった風ではあったが、そいつが俺との交渉役にされたらしい。
周囲から小突かれるようにして前の方に出てくると、不貞腐れたように俺の問いかけに答える。
「あー、一応、名乗っておく。俺は……」
「魔王ダ」
魔王、ね。まあ、そうだな。
「そうだな。お前らにとっては、俺は魔王だな。
……で? なんで、こんな真似をした?」
「……」
「お前の目の前の魔王は、城を去る時に、お前達に何と命じておいたか、忘れたのか?」
下克上を挑みにきたってのなら、いつでも受けて立つぜ?
抜き放った剣を突きつけながら、そう言い放った俺に、そのワニ男は吠えるように答えた。
「ヤッパリダ! オ前、ヤッパリ人間ダ!」
「そりゃあ、まあ、俺は人間だからな。
……どうやら、魔王は継承したらしいが」
「人間ハ、魔物ノ気持チ、ワカラナイ!」
「……」
「俺タチ、不安ダッタ!怖カッタ!
オ前ガ、ドンナ命令スルカ、分カラナイ!」
なんだって……? 怖かった? 不安だった?
「……よくわからんな。もっと詳しく聞かせろ」
危険を承知で俺は剣を鞘に戻して、その場にドカッと座り込んだ。
そんな俺の前にワニ男も膝立ちの姿勢で座り込むと、ギャーギャーとつばを巻き散らかしながら、怒鳴りちらすようにして必死に何かを涙ながらに訴えかけてくる。
そんなワニ男の話を俺が聞く気になっているのを理解したのか、他にも数匹のガタイのいい奴が飛び出すようにしてやってくると、地面にあぐらをかいたままの俺を取り囲むようにしてキシャーキシャー、ウガーウガー、ウギャーウギャーとがなりたて始める。
そんな拷問のような時間が10分を超えた辺りで、良い加減俺はウンザリしてきていたんだが、必死の努力のお陰で、どうにかこうにか連中が何を訴えようとやってきていたのかを、それなりに理解出来た気がしていた。
「……つまり、彼らは、魔王となった勇者の言葉の意味が理解できていなかった」
「ええ。アナタが出した唯一の命令、人間領に攻め入るな、自由にしていろ。この二つの命令の意味は分かっても、その裏にある真意までは理解できずに、とりあえずの待機と休息だけを命じられたと思っていたのね」
目の前に、二人が揃っているだけじゃなく、こうして一緒に自分たちの話を聞いてくれているというのが何よりも鎮静剤として効果を出してくれていたのだろう。
圧倒的な力を見せつけられてすくみ上がって、ざわつきと悲壮感が漂っていた連中のまとっていた空気がようやく穏やかなものになろうとしていた。
「それで、奴らは、何を怖がってたんだ?」
「いつかとんでもなく理不尽な命令が、人間の魔王……アナタから下されるのではないかと、日々ビクビク怯えて暮らしていた、と」
ようやく復活した魔法使いを連れてやってきてくれた翻訳部隊の援護によって、俺はどうにかこうにか連中と意思疎通がはかれていた。
「いつか人間の魔王らしく、魔物のことなんて何も考えて無い、理不尽極まりない無慈悲で冷酷な命令が下されるのではないか。いつか魔物が人間の奴隷のように扱われる日々が始まるのではないか。それが怖くて怖くて仕方なかった、と……」
そうあっさりと連中の不安の種だった事柄を汲み取ってくれた訳だ。
いやはや、我が方の翻訳部隊は実に優秀だな……。
「……というか、原因、また俺なのかよ……」
流石にげんなりとなってくる。
でも、まあ、彼らの感じていた不安に心当たりがない訳でもないので、いちがいに馬鹿なことを抜かすなと笑い飛ばしたりはできないよなぁ。
あの時……数年前の僧侶の頼み方次第では、もしかするとありえたかもしれない未来だったんだ。
彼らの不安は、けっして的はずれなものではなかったんだからな。
「……安心しろ。そんなことには絶対にさせない」
たとえ俺の言葉に説得力はなくても。
「今の魔王を信じてあげて。……彼は、私を妻とした人間なのだから」
少なくとも、先代の魔王の言葉なら、彼らには通じるはずだから……。




