燕空旅人 『………あの、違うものが良ければ、これから買って来ます』
「あの、もし良かったら、この後お茶を飲みませんか?ここで院生たちの抹茶碗が使われているらしいんですけど」
展示会場から出る前に、「しらすあなご」さんをお茶に誘おうと意気込んでいたら、逆に誘われた。
展示会場に入ってから、よほど楽しいのか「しらすあなご」さんは陶芸作品について色々教えてくれた。一番最初の電話でも好きなものについては熱く語っていたので、やっぱりこの展示会に誘って良かったなぁと思った。
1階でも2階でも「しらす」さんの楽しそうな様子は変わらなかった。おじいさんの日向崎さんや伯父さんについても話が止まらない。よっぽど好きなんだなぁとほのぼのとしてしまった。
かっこよくエスコートを、と思っていたけれど、「しらす」さんの案内が楽しくて、顔がゆるんでしまって仕方がなかった。かわいいなぁと思ってしまう。
一度ぶつかりそうになって肩に触れた時、マスク越しでも「しらす」さんの髪の匂いが届いた。女の人の匂いだなと思ったら、ちょっと息が止まりそうになった。
あの時、「しらす」さんが振り返らなくて本当に良かったと思う。
目が合ったら、全部が全部、露わになってしまいそうで。
分かっていたけど、やっぱり異性として「しらすあなご」さんが好きだ。
会えば自分の中で何か落ち着くのかと思っていたら、真逆だった。
このまま手を繋いで持ち帰りたい。
現実的じゃないけど、それが偽りのないオレの心境だった。
友人じゃなくて、オレの彼女として他の男から遮断してしまいたい。
この1時間弱でそこまで結論が出てしまった。
だが性急過ぎてもよくない。
会って1時間で告白するのはよくない。
もう少し会ってからじゃないとドン引きされる。
それに、今まで積み重ねてきた、作品を仲立ちとした付き合いで、ちゃんと「しらす」さんはオレの言葉をちゃんと受け止めてくれることを知っている。だからこそ、勢いじゃなくて、ちゃんとした言葉で伝えたい。
そのためには、顔を合わせて話をすることをもう少し繰り返してからじゃないと、オレの本当の言葉が出てこないような気がした。
でも、次に何で会えばいいのか全然思いつかない。
とりあえず、このまま帰したくないからお茶に誘おう。お店を探す間も歩いて時間をかければ。
そんな姑息な事を考えていてバチが当たったんだろうか。
「しらすあなご」さんがおすすめしてきた喫茶店は、「千種庵」。
………さっき行ったな。
院生の作品が使われてたのか。抹茶碗の良し悪しなんて分からないから、ちゃんとした器を使ってお茶を点てるんだなと思っただけだったけれど。確かに工業製品ではない、人の手で作られた抹茶碗だった。
もちろん、断ることは出来なかった。
キラキラとした目の「しらすあなご」さんが、耳まで真っ赤にしてお誘いしてきたんだぞ。行くの一択だろう。
ただ、見せてきたチラシの文字を読んで理解したのが、返事の後だっただけで。
ただ、「千種庵」を出てまだ2時間も経っていないのに、もう一度来てしまっただけで。
ただ、店員さんが代わっていればいいなと思っただけで。
…………店と同じで、店員さんがシフトで代わっていたりもしない。さっきと同じ人だ。だから、一瞬「あれ?」って目をされたのは分かった。マスクでも隠れていない目が全てを物語っている。すぐに接客用のスマイルに戻ったのはさすがだと思ったけれど。
「いらっしゃいませ。2名様でよろしいでしょうか?」
「はい。あの、このチラシをそこの展示会で見て」
「……はい。ご用意できますので、席の方へどうぞ」
店員さんの心の声は分からない。分からないけれど、さっき来た時より目元がとてもいい笑みを浮かべているのは分かった。
ですよね!分かります!
さっき時間合わせのような待ち方をしていた客が女性を連れて戻ってきたら、そうなりますよね!
分かります!
でも、オレはどうしていいのか、全然!分かりません!
店員さんと目が合ってから、オレは顔が真っ赤だったと思う。
「しらすあなご」さんが怪訝な表情をしている。とりあえず。
「……そこの席に座りましょうか」
2回来て、眺めの良かった方の席を薦めた。
テーブルにあったメニュー表を見る。うん、さっきと変わりない。
さっきと違うのは、テーブルの真ん中に透明アクリル板でパーテーションが置かれていることだけだな。さっきは1人だったもんな。うん。それ以外は一緒だ。
「ここ、日本画の美術館のカフェスペースなんですね。展示されている日本画に合わせて上生菓子を期間限定で食べられるんだぁ。わぁ、きれい」
知ってます。
「うん、そうだね」
無難に返事をするが、すでに背中の汗でシャツがぺったりと張り付いているような感触がある。
「あ、3種類あるんですね。抹茶に合わせるなら上生菓子がいいですね。どれにしますか?」
「………これ」
オレは2回来て食べているから、3種類の内でまだ食べていない上生菓子を指差して言った。
「決めるの早いですね!わぁ、迷うなぁ…」
「しらす」さんがかわいらしく迷っているのを眺めていたいけれど、オレは言わなければならない。
何故なら。
「……あの、実はホワイトデーのお返しにここの上生菓子を3つ全部買ったんだ」
「しらすあなご」さんから視線を逸らして、ショルダーバックから潰さないように注意して持ち運んでいた包みを出した。保冷剤が入った銀色の保冷バックだ。
帯のように「千種庵」と書かれた包装紙が巻かれているから、ここのだとすぐ分かるだろう。
じんわりと出ていた手のひらの汗がつかないように気をつけながら、「しらすあなご」さんに包みを渡す。目を合わせられない。
「………あの、違うものが良ければ、これから買って来ます」
手に持っていた包みの重さが消える。ああ、とりあえず受け取ってくれるのか。優しいなぁ。かっこつけたいけれど、全然ダメだ。
こんな体たらくで、「しらす」さんに異性として意識してもらおうとか無理じゃないだろうか。
ーーー詰んだ。
告白しようとか考えたさっきの自分をぶん殴ってやりたい。こんなホワイトデーのお返しひとつすら、さりげなく出来ないのに。
空になった手を引っ込めて、膝の上に行儀良く手を揃えてから、おそるおそる「しらす」さんの顔を伺う。ドン引きされてたらどうしよう。「ウケる」とか言って大爆笑された方がマシかもしれない。でも、それは「しらす」さんのキャラじゃないから、沈痛な面持ちで見てそうな気がする。
一瞬で想像出来うる最低な展開を並べ立ててから、「しらす」さんと視線を合わせるように目を動かすと。
真っ赤になった「しらすあなご」さんが硬直して座っていた。
手には、まだお菓子の包みを持ったままだ。
「……あの」
何か言って欲しくて、沈黙を破るようにオレが声をかけると、古びたブリキの人形のようにぎこちなく「しらす」さんが動いた。
「……えっと」
「…………」
「その、他のものがよければ、これからでも」
「…………」
「しらす、さん?」
「だ」
「だ?」
ダメですって言われるのかな。
怯えた気持ちで復唱すると、
「大丈夫です!むしろこれでいいです!わ、わたしも同じものでお願いします!すみません、ちょっとお手洗いに行かせてください!」
勢いよく「しらす」さんが答えて、そのまま包みとリュックを抱えたまま席を立って消えた。
椅子にコートは掛けてあるから、帰ったわけじゃなさそうだ。
冷静にそれだけ確認してから、注文をしてしまおうと振り向いただけで、にっこりとした目の店員さんと目が合った。
「ご注文承りますね」
「……このセット、2つお願いします」
「はい、かしこまりました」
ふふふふと笑い声が漏れそうなほど、店員さんの目が微笑ましいものを見る目になっている。
他にお客さんいないですよね?ちょっと突っ伏していいですかね。
オレは無言のまま、店員さんが立ち去った後、ひとりテーブルに顔を埋めた。




