第十二話 お礼として踏み込める範囲
結は1週間の入院期間を終えて、今日無事に退院した。
病院で安静に過ごしたため、怪我そのものは落ち着いてきている。
入院を勧めてもらって良かったと、主治医の相良に感謝する。
しかし、思いのほか、今回のリハビリはハードだった。
疲労骨折の患部は足首だが、普段とは違う体の使い方をするため、様々な部分に痛みや筋肉のつっぱりが出てしまうのだ。
太ももやふくらはぎ、反対側の足や腰、背中。
そして、松葉杖を使用するため、腕や肩、首にも負担がかかる。
(こんなに、大変だったかな……)
食生活や運動量、そして、ある程度は年齢も影響しているのだろう。
現役でスポーツをしていた二十一歳と、社会人となった二十三歳。ここに、こんなにも深い溝があったとは……。
脳は、まだまだ動ける時の自分の肉体を記憶している。そのギャップに、結は思わず溜め息をついた。
退院時は入院時と違い、少しは動きがスムーズになり痛みも軽減していたため、一人で荷物の整理をして自宅マンションに戻った。
玄関ドアを開けると、一週間でも無人だった部屋は、少し空気がこもっている気がした。
(朝食の食器と洗濯物、走りに出る前に片付けておいて良かった……)
窓を開けてからソファに座ると、少し緊張が解けた。
そして、心配事の一つだった入院費用は、一週間以内に支払えば良いとのことで安心した。
先輩の清水に確認したところ、水曜日の午後なら半休を取っても良いそうだ。
その日に退院後の様子を見るための診察と支払いを済ませようと、スケジュールを組んだ。
また、タイミング良く、優太も水曜日の午後なら外回りの後に時間ができるとのことで、病院内で待ち合わせをすることになった。
「えっと、保険証に印鑑、クレジットカード、お借りしたお金と……」
当日に忘れることのないよう、すべて鞄に入れておこうと準備をする。
(お礼の菓子折り、何にしよう……。好物とかアレルギーとか知らないしなぁ)
本人に聞くのが一番早いが、「気を遣わないでください」と、たいていの人は答えるだろう。
しかし、お見舞いに有名な店のプリンやスマホの充電器ももらっている。
何も返さないわけにはいかない。
結は取引先への土産のために使った店をピックアップし、さらに新しい情報をスマホで検索した。
そして、あれやこれやと悩むうちに、水曜日になってしまった。
菓子店を検索してみると、クリスマスが近いことから、どの店もクリスマス限定の商品が出てきた。
そして、職場から一番近いデパートの地下、スイーツ専門エリアにある店に目星をつけた。
日持ちのするクッキーと、おかきを一つの紙袋に詰めて、メッセージカードを添える。
クッキーは、クリスマスツリーやジンジャーマンの型。
おかきは透明なセロファンに赤と緑のリボンが結ばれて、メリークリスマス! と書かれた金色のシールが貼られている。
西洋が元になっている行事では、おそらく洋菓子のほうが売れ行きは良いだろう。
しかし、甘いものが苦手な人もいる。
そのため、クッキーとおかきの両方を用意した。
リボンやシール一つでクリスマス感が演出されるのだから、不思議なものだ。
このラッピングを最初に始めた人は、素晴らしいアイデアを生み出したと結は感心した。
(こんなアイデアが私にもあれば……)
「……あ、時間!」
他人のアイデアを羨んでいる暇はなかった。
松葉杖で歩くことを考慮すると、倍の時間くらいの余裕をもって行動しなければならない。
幸い荷物は軽いものばかり。
紙袋を潰さないように気を付けながら、結は病院へと向かった。
待合室に到着したが、まだ優太の姿はなかった。
(お待たせするよりは良いよね)
しかし、なかなか優太は現れず、もうすぐ診察の順番がやってくる。
そわそわしていると、スマホにメッセージの通知が来た。
慌てて確かめると、ポップアップに優太の名前が表示せれている。
タップして開いてみると、『急な商談が入り、病院には行けない。お金は相良に預けてほしい』というような内容の文章が書かれていた。
結は緊張が解けたような、少しがっかりしたような気分になった。
(がっかり……?)
とにかく、メッセージを返さなければ。
結はフリック入力で、手短に文章を作成して送信した。
相手は忙しい人だ。約束を反故にしたことを気に病ませてはいけない。
『お仕事、お疲れ様です。こちらのことは、お気になさらないでください。むしろ、直接お会いしてお礼をお伝えできず、申し訳ございません。お借りしたお金は、相良先生にお預けいたします。今回、本当にお世話になりました。ありがとうございます。では、本日はこれで失礼いたします』
送信ボタンを押して、ふぅ、と息を吐いた。
その直後、診察の看護師から名前を呼ばれた。
結は松葉杖と仕事用の鞄、デパートの紙袋を器用に持って、診察室へと入っていく。
すると、主治医の相良が回転椅子で振り向き、笑顔で出迎えてくれた。
「あぁ、佐倉さん。調子はいかがですか?」
「おかげ様で痛みもほとんどなく、松葉杖にも慣れました。うっかり歩いてしまうと、さすがに響きますが……」
「痛みが引いてきた頃は気を抜きがちになりますから気をつけてくださいね」
「はい」
相良ににっこりと微笑まれ、結は苦笑いをする。
「では、足首を診させていただきますね」
結が診察室にある白いベッドに横になると、相良が丁寧に触診していく。
「うん。特に問題はなさそうですね。もう少し期間が経ったらレントゲンを撮りましょう。足を床に付けても痛みが無くなったら、松葉杖も卒業しましょうか」
相良がキーボードで電子カルテに経過を書き込みながら、今後の治療方針を結に伝える。
松葉杖も卒業、との言葉に結の気持ちは浮上した。
やはり、道を歩いていても注目され、職場などでも心配される。
その度に、早くいつもの日常に戻りたいと願っていた。
診察が終わったため、結はプライベートの話をしても良いかとタイミングを見計らった。
「あの、橘さんにお借りしたお金なんですが……」
「あぁ。私にも連絡がきました。すみません。約束が反故になったようで……」
「いえ、そんな! お忙しいのにお呼び立てしたのはこちらですから。それで、あの、こちらを先生にお預けしてもよろしいでしょうか? お借りしたお金と、お礼の気持ちで少しですが、日持ちのするお菓子が入っています」
「あぁー。わざわざ、ありがとうございます。と、私が言うのもおかしいですが、アイツ喜ぶと思います。菓子類はかなり好きなんですよ、優太」
「そうなんですね! それは良かったです」
結は、それを聞いてホッとした。
「では、確かにお預かりします」
そう言った、相良は丁寧に紙袋を受け取った。
「よろしくお願いいたします」
結は軽く頭を下げてから、診察室を出た。
今日は平日で通常の診察があるため、あまり長居をしてはいけない。
診察室を出ると、軽く心拍数が上がっていることに気付いた。
(相良先生に預けるだけでこんなに緊張するなら、橘さんご本人にお会いしたら、どうなってたんだろ――)
それでも、何とかミッションをクリアした結は肩の荷が下りた。
そして、今日の診察代と入院費用を合わせて支払い、家路につく。
しかし、少しモヤモヤとした気分が残った。
あんなにお世話になったのに、お礼がこれだけで本当に良いのだろうか……と。
よくある「お礼に食事でも……」というセリフが浮かんだが、それはすぐに打ち消した。
なんだか下心があるように見えるからだ。
もし、逆の立場であれば、遠慮ではなく本心から断る。
(助けてもらったとはいえ、初対面……)
食事に誘うのは踏み込み過ぎだ。
そして、結自身が商談の時のように、異様に緊張してしまう姿が目に浮かぶ。
だから、これで良いのだと、自分に言い聞かせた。
まだまだ、じれじれの距離感です。
お読みくださり、ありがとうございました。




