29 それから②
「それで本当に君は誰? アリシアの同郷の人なんだよね。でもここまでわざわざ会いにくるんだから友人なのかな?」
ヒューイの質問に、セオが唇を噛む。答えようがないのだろう。
ヒューイはそんなセオを見据えて小さく笑った。
「一度断った相手の許へわざわざ来るんだから、それ相応の理由があるんだよね?」
やっぱり誰か知っていた。アリシアは驚愕した。
ヒューイは唇を噛みしめたままのセオに向かって続けた。
「ないのなら、もう二度とここには来ないほうがいいよ。さすがに自分でもわかっているだろうけど」
「お、俺はただ――!」
「俺が君にきてほしくないんだよ。見る目がないやつは嫌いなんだ。特に、輝く宝石を見誤るような奴は」
今度こそ完全に返す言葉のなくなったセオは、青ざめた顔で両手をきつく握りしめた。
そこへ、
「アリシア――!」
とローブ姿の修道士たちが血相を変えて走ってきた。ジェスを含め菓子工房の職人たちに、筆写室の者たち。それにハンナとラウルまで。
「どうしたんですか?」
アリシアが驚いて問うと、
「ヒューイ司祭がものすごい勢いで走っていって、どうしたのか聞いたら、アリシアに会いに変な男がきたと言ったから心配で――」
駆けつけてくれたのか。なんだか、じんとした。
黒ローブの中に長い金の髪を見つけて、アリシアは声を弾ませた。
「ハンナ! ハンナも心配して来てくれたの?」
ハンナが真顔でこくりと頷く。筆写室の面々が言う。
「というか、ハンナが一番最初に飛び出していったよ」
「相変わらず無言でね」
「俺なんてハンナが勢いよく引いた椅子の足で踏まれたんだからな!」
アリシアは嬉しくてハンナに笑いかけた。
「ありがとう」
ハンナはまたも無言で、こくりと頷く。そしてほんの少しだけ口元を緩ませた。
修道士たちに囲まれて笑うアリシアを、セオが大きく目を見開いて見つめる。
そんなセオにラウルが笑顔で近づいていく。
同時にヒューイが、後ろからアリシアの肩と首元に両手を回した。驚き恥ずかしくなるアリシアだが、すぐにこれはローブの袖で耳をふさがれたのだとわかった。
けれど、ふさぎきれていない。セオの耳元で小声で話すラウルの声が、風にのってかすかに運ばれてきたからだ。
他の修道士たちには聞こえていないだろうが、アリシアはセオの真正面にいる。
「僕、実はヒューイ様の少し後ろで、ずっとあなた方の様子をうかがっていたんですよ。アリシアさんの同郷なんですよね? それで思ったんですけど、ひょっとしてあなたは近いうち結婚するんですか?」
「えっ? そうだけど。隣町の女性ともうすぐ――」
「それはおめでとうございます。でも残念なことに、あなた、その女性のことがあまり好きじゃないんでしょう?」
ずばり言い当てられたようで、セオが驚愕の顔をした。
もちろんアリシアも驚いた。どうしてわかるのだ。
ヒューイだけが小さく笑っている。
「あなたはその女性よりも、アリシアさんの方が好きなんですね? でも彼女との結婚話は断れないし、かといって今アリシアさんがあなたに振り向く希望も持てない。だからせめてアリシアさんがまだあなたのことを引きずっていたり、あなたが会いにきたことでダメージを受ける様子を見て、自分をなぐさめたかったんですよね。
そういう人間のことを、最低な嫌な奴、というんですよ。でもまあ、結果的にダメージを受けたのはあなたの方でしたね。可哀想に」
皮肉なほどの同情を込めた「可哀想に」に、セオの顔色が変わった。
そうだったんだ。
アリシアはようやくセオが会いにきた意味がわかり、素直に驚いた。
でも不思議と、心が暗くなったり悲しくなったりということはない。きっと一人ではないからだ。
目の前にはラウルがいるし、振り返ればハンナや修道士たちがいる。そしてすぐ隣には――ヒューイもいる。
笑顔を絶やさないラウルの前で、図星をつかれたセオが青ざめたまま震えている。
不意にヒューイに覗き込まれた。アリシアの表情から、ラウルの言葉が聞こえていたことを知ったのだろう。明らかに狼狽している。先ほどまでのセオに対する余裕な態度とはまるで別人だ。
最近の遠慮がちな行動のせいで、アリシアの耳をきちんとふさぎきれていなかったのだろう。慌てた様子で聞かれた。
「大丈夫?」
ここに雇われてから何度も聞かれた言葉だ。本当に心配そうな顔で。
そのことも思い出し、アリシアは微笑んで頷いた。
「大丈夫です。セオがここへきた理由がわからなかったので、むしろ知れてよかったです」
そして苦笑して続けた。
「私のことを宝石だなんて言い過ぎですよ」
たとえセオを追い返すためだとしても。すると、すぐに心外そうな声音が返ってきた。
「本音だけど」
思わずまじまじと見上げる。ヒューイが少し顔を赤くして、けれど真剣な声音で「本音だから」ともう一度言った。
そうか。本音なのか。途端にカッと胸が熱くなり、落ち着かせようと視線をそらした。
すると唇を噛みしめたセオが、暗い顔で身をひるがえすのが見えた。アリシアは思わず声をかけた。
「チェスターに帰るの?」
「……ああ」
声が固い。決してアリシアの方を見ないさまは、一年前の故郷の村での時と同じだ。けれど今はアリシアを取り巻く状況がまるで違う。
きっともう二度と会うことはないんだろうな。
そう思い、
「元気でね」
と頑張って笑みを浮かべて言った。
セオがグッと息を呑む。そして泣きそうな顔で頭を下げて、勢いよく広場を走り抜けていった。
「おお、帰っていったぞ」
「っていうか、あれ誰だよ?」
「変態だろ?」
「そうか。じゃあいいな」
勝手に変態扱いして頷いている修道士たちに、アリシアは苦笑した。
「はいはい。変な男は退散したので戻りますよー。仕事の続き!」
「えー」と渋る修道士たちを、ラウルが追い立てる。
その群れの一番後ろを、アリシアはヒューイと並んで戻った。ゆっくりと歩きながら、ヒューイがぽつりと言った。
「ごめんね」
「……何がですか?」
戸惑いしかない。むしろ助けてもらったのに、どうしてヒューイが謝るのか。
ヒューイは頭を掻いて、言いにくそうにぽつりと口にした。
「アリシアがアーロたちの行方を捜していたことを知っていたのに、ずっと黙っていたから」
思わずまじまじとヒューイを見上げた。
そうだったのか、とようやく理解した。ここ半年の遠慮がちな態度や言動は、自責の念に駆られていたからだったのか。気にしないでとは何度も言ったけれど、アリシアを騙していたというわだかまりがどうしても残っていたようだ。
「本当にごめん。でも、それでも俺はアリシアを大事に思ってるよ。どこの誰よりも。それだけ覚えておいてほしい」
前にも言われた言葉だ。アリシアはグッと唇を噛んだ。
言わなければ、と思った。今こそ自分も気持ちを伝えなければ、と。
「あの!」
突然の大声にヒューイが驚いた顔でアリシアを見た。けれどそんなことを考える余裕はない。頬が熱い。きっとひどい顔をしている。
不安げな顔をしていたヒューイが、大きく目を見開いた。
「その、私もヒューイ司祭様のことが――!」
そこでヒューイも赤くなっていることに気がついた。そして嬉しそうな、本当に嬉しそうな顔で微笑んでいることも。
「――本当に?」
そう聞き返されて困惑し、アリシアの勢いは削がれた。
「どういう意味ですか……?」
「いや、アリシアの言葉の続きがわかった気がするから」
「ええっ! ど、どうして――」
うろたえながら、そうだった、そういう人だわ、と思い出した。変なところで他人の感情に敏感なのだ。アリシアがずっと許していたことには気づかなかったくせに。
情けなさと恥ずかしさで、アリシアはますます顔を赤くした。ヒューイが幸せそうな笑顔で覗き込んできた。
「前に、俺に聞いたよね? 司祭の結婚は手続きがものすごく面倒くさいから、それをしてもいいと思える女性に出会えたら結婚するんですね? って」
「えっ? はい」
確かに言った。
「出会えたよ」
ヒューイが笑ってアリシアを見る。そして優しい口調で言った。
「近いうち、アーロたちからもらった新婦用のスカーフを着けてよ。俺の隣で」
読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m




