26 真実②
けれど感謝の気持ちと同時に寂しさも込み上げた。
だから『妹のような存在』だったのだ。最初からヒューイにとって自分は『妹』でしかなかったのだ。
うつむくアリシアの前で、ヒューイが続けた。
「一緒にいるうちにアリシアがアーロの妹だと確信したよ。他人に優しいところや、自分より他人を大事にするところがそっくりだから。でも肝心の、アリシアがアーロをどう思っているか、はわからなかった。恨んでいるのか、それとも慕っているのか。
それを知りたかった。でももし俺がアーロを知っているとばれたら、アリシアは本当の気持ちを隠すだろうなと思ったんだ」
だから熱心な信者であるタニアに頼み、アリシアの兄への本心を確かめるために演技をしてもらったのか。
確かにあの時普通に聞かれたら、アリシアは固く口を閉ざしただろう。
「それでアリシアがアーロを怒っていても仕方ないな、とは思った。アリシアはそのせいで充分傷ついたから」
ヒューイの顔が悲しげに曇る。
アリシアはかすれた声で聞いた。
「……どうして私たち兄妹にそこまでしてくれるんですか?」
ヒューイにとって兄はただの友達だ。しかも規律に反した同業者。
アリシアなんて、ただの友達の妹でしかない。
ヒューイは真摯な表情で、ゆっくりと自分の思いを紡ぐように口にした。
「神は人に愛を説く。だから俺たち聖職者も信者に愛を説く。そんな聖職者が、たとえ戒律で決められていようとも、愛し合う者たちを否定するのは間違っていると思う。それがたとえ同性であったとしても。異性の方が正しいとされるのは子供を作る過程からだろうけど、それでもそれが全てではないよ。俺はずっとそう思ってきたし、今もそう思ってる。確かに規律は破ったけどアーロは間違ったことはしていない」
思わず涙が出そうになってアリシアは、グッと唇を噛みしめた。
自分は、自分たちは孤独ではなかったとわかった。兄とその恋人も、たとえ戒律を犯しても、見放されてはいなかったのだ。最初から――。
「ありがとう……ございます」
涙をこらえながらヒューイに礼を言うと、ヒューイはアリシア以上に安堵した顔をした。肩から力が抜け、そして体中からも抜けていくのが、見ているだけでよくわかった。
なぜヒューイがそれほど安堵したのかわからず、アリシアは面食らう。
その前で、ヒューイはその場にしゃがみこみ、両手で顔を覆った。
「――かった」
「えっ?」
「よかった。ずっとこれらのことを黙っていたから、嫌われたかと思った……」
呻きながらつぶやき、緊張状態から脱したように大きな息を何度も吐く。
そうだわ。
アリシアは思い出した。ヒューイが心配して差し出してくれた手を、嫌だと言って振り払って逃げたのだ。
「あ、あの時はごめんなさい。私、すっかり勘違いをしていて……!」
急いで謝るも、しゃがみこんだまま両手で顔を覆ったままのヒューイは聞いていない。めずらしく自分の感情に気を取られているように見えた。
聞いてほしくて必死に見つめると、不意にヒューイが顔を上げた。アリシアの手を掴んだまま引き寄せた。そして細い指を自分の額にそっと押し付ける。まるで神に祈るようにアリシアの手にそっと口づけた。
ドキリとしたが、まるで神への祈りに見えた。だからそっと微笑んだ。
それを見たヒューイは目をとじ、さっきよりきつくアリシアの手を自分の額に押し付けた。
告解室前の廊下についた窓から風が吹く。柔らかな初夏の風が、二人の髪や服の裾を揺らした。
ヒューイがそっと、けれど名残惜しそうに手を放した。
「私の前に辞めた子はどういう子だったんですか?」
アリシアがずっとハンナだと思っていた子は。
「そうだね、気の強い子だったよ。雇った時は物静かな感じだったんだけど、相談役や菓子工房の手伝いを任せてからわかった。あの子は他人の悩みを聞いたり手伝ったりではなく、自分が主役で輝いていたい子だったんだ」
なるほど。
「だからここを辞めたいと言われて、タニアのいる劇場を勧めた。負けず嫌いで向上心も人一倍あるし、今は女優の卵として頑張っているよ。たまに様子を見に行くけど、ここにいた時より遥かに生き生きとしている。適材適所だね」
そうか。アリシアはふうっと息を吐いた。
いつの間にか心が軽くなっている。笑顔でヒューイに言った。
「これから兄を捜します。もう一度尋ね人屋さんを捜して、見つからなかったら今度は自分で捜しに行こうと思います」
大聖堂からもヒューイからも離れるのは辛いけれど、兄に会いたいのだ。兄とその恋人に伝えなくてはいけないことがある。
ところがヒューイが困った顔で頭を掻いた。
「あー、それなんだけどね……」
妙に歯切れが悪い。まさか、と驚いた。
「兄がどこにいるか知ってるんですか?」
思わず大声を出すアリシアに、ヒューイがゆっくりと頷く。
「知ってる」
「どこですか!?」
「――ここ。シャルドだよ」
大聖堂のことではない。つまり、
「やっぱりこの街にいるんですか!?」
愕然とした。驚きのあまり言葉が続かない。
ヒューイがアリシアから微妙に視線をそらした。
「そう。まあ俺がそれを知ったのはアリシアを雇ってから、だけどね。尋ね人屋に捜してもらったら、この街にいるとわかった」
どこにいるか見当もつかなかったので尋ね人屋に頼んだという。名前と最後にいた詳しい場所がわかれば、比較的頼みやすいそうだ。そしてアリシアを雇った後で、このシャルドにいると連絡があった。
心臓が飛び出しそうになる、とはこのことだ。
「すぐに会いに行ったよ。元気だった。集合住宅の一室で、教会を追われる原因となった恋人の男性と一緒に暮らしている」
よかった、と安堵した。泣きたくなるほどホッとした。
それでもヒューイの顔は晴れない。どこか居心地悪そうな、そんな顔をしている。
予感のようなものがしてアリシアは恐る恐る聞いた。
「あの、私のことは……?」
「もちろんアリシアのことは伝えたよ。でも――自分たちのことは絶対に言わないでくれ、と頼まれた」
目の前が暗くなった。兄はそこまで自分に会いたくないのか。
アリシアの心の内を読み取ったらしいヒューイが慌てて言った。
「違うよ。そうじゃない。シャルドに仕入れにきていた同郷の者にばったり会って、自分たちのせいでアリシアの結婚が破談になったことを知らされたそうだ。とても顔を合わせられない、これ以上アリシアに迷惑をかけられない、と落ち込んでいたから」
そうか。アリシアは悲しくなってうつむいた。
「アリシアのアーロへの気持ちがわかってから、そのことも伝えたんだけど、アーロは自分のせいでこれ以上アリシアを不幸にできない、の一点張りで聞く耳持たなくて――」
ごめん、とヒューイが申し訳なさそうに頭を下げた。
けれど兄の融通の利かなさはアリシアが一番よく知っている。
兄が落ち込んでいるのはアリシアのせいもあるのだ。アリシアがおめでとうと言えなかったから。ずっと苦労して育ててもらったのに、たった一人の家族なのに味方にならなかったから。
でも今は違う。
アリシアはきっぱりと顔を上げた。
相談役の時に――彼女の正体はタニアだったけれど――自分の本心を知った。後悔した。だからその後悔を、これから正しに行くのだ。
「ヒューイ司祭様、兄の、兄たちの居場所を教えてください」
迷いのない口調で言うと、ヒューイがゆっくりと微笑んだ。




