第7話 進言
前世の記憶が今、 帝国の謁見の間で、ラヴィーネの胸を締めつける。
アマンスは日之出大翔ではない。
無関係であるとラヴィーネは確認した。
しかし、「アマンスの処刑」という言葉を聞いた瞬間、やはりラヴィーネは大翔のことを思い出し、そして心を抑えることができなかった。
「お待ちください……陛下」
ラヴィーネはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。
「……恐れ多くも、陛下に進言申し上げます」
その一言に、場がざわめいた。 貴族たちが顔を見合わせ、部下たちが息を呑む。
ラヴィーネは命令のためならば、そして帝国のためならばいかなる命令も実行し、いかなる戦地にも飛び込んだ女。そんな女が皇帝に意見をする光景など初めて見たからだ。
皇帝にとってもその出来事に驚きながら、静かにラヴィーネを見据えた。
「申してみよ、ラヴィーネ・フォン・エルステッド」
ラヴィーネは、深く一礼し、言葉を紡いだ。
「アマンスの処刑……確かに、帝国の武威を示す象徴となるでしょう。ですが、それは同時に、帝国の未来を狭める行為でもあります」
「ほう……未来を狭める、とな?」
「はい。バニシュ王国の民は、敗北を受け入れつつも、未だ心に誇りを宿しております。アマンスは、その象徴であり、希望です。彼を処刑すれば、民は恐怖に怯えるだけでなく、反発の火種となりましょう」
「……反乱の芽を摘むための処刑である。そなたの言は矛盾しておる」
「いえ、陛下。民を力で抑えることは一時の安定をもたらすのみ。真の統治とは、心を掌握することにございます。武力と恐怖のみの統治は、今後の他国の侵略にも大きな障害となり、全ての国が最後まで徹底抗戦をすることになるでしょう」
「ほう……」
ラヴィーネの告げる「理由」に皇帝も身を乗り出して興味深そうに頷く。
ラヴィーネは感情的になりそうになる心を必死で抑えながら、あくまで淡々と冷静に理由を述べる。
「今後、帝国はバニシュ王国の力を全て吸い上げ、領土を大幅に拡大し、バニシュ王国の民を帝国民とし、王国の兵たちも帝国兵として戦地に送り込みます。しかし、忠義もなく、心に反抗心を持つ味方ほど恐ろしいものはありません。ですが、もしアマンスがいるのであれば……民や兵からの信の熱いあの男の協力を得られたならば……あの男なら帝国の秩序の中で、元バニシュ王国の兵や民たちを抑え、元バニシュ王国の民から帝国民へと導く存在となるでしょう」
その言葉に、周囲の貴族たちはざわめいた。
「まさか、あのラヴィーネが、情けをかけると?…」
「いや、理屈は通っている。だが、あの男は我が国の騎士を何人も斬った仇敵だぞ?」
「処刑こそが当然。なぜここまで……?」
「だいたい、それこそあの男は危険ではないか! それほどの男が反乱を企てれば、多くの者たちがついていくということではないか!」
ラヴィーネの後ろに控える部下たちも戸惑いを隠せない。
「隊長が……あの男を庇うなんて……」
「信じられない……」
「でも、あの一騎打ちの後、何かが変わったような気がしていた……」
「ひょっとして……あの事での償い……とか?」
「だけど、ここまで隊長が陛下に食い下がるなんて……」
謁見の間の空気が一変した。 ラヴィーネが皇帝に進言した瞬間、場は騒然とし、貴族たちは驚愕し、部下たちは動揺する。
その中で、銀翼隊の若き騎士カイルは、震える手で額を押さえていた。 彼の顔は青ざめ、目はラヴィーネの背中に釘付けになっていた。
「やべえ……やべえよ……」
誰に向けたわけでもなく、ただ自分の胸の奥から漏れた声だった。
「まさか……まさかやっぱり……俺の所為で……」
隣にいた副官レオニスが振り向く。
「カイル……?」
「俺が……あのとき、余計なことして……勝手に飛び出して……アマンスを刺したから……隊長は……隊長は、あの男に償いをしようとしてるんじゃ……」
その言葉に、レオニスは目を見開いた。
「……カイル、それは……」
「だって、隊長……あんなに冷静だったのに……今、あんな顔して……あんな声で……」
カイルの声は震えていた。 彼の瞳には、ラヴィーネが皇帝に向かって言葉を紡ぐ姿が焼き付いていた。
「俺……隊長のこと、守りたくて……俺、怖くなって……このままじゃ隊長が死ぬって……それで……」
拳を握りしめる。その手は、あのとき槍で背後からアマンスを貫いた瞬間の感触を、今でも覚えていた。
「でも、隊長は……違ったんだ……お、俺、本当にとんでもないことを……」
カイルが激しい罪悪感に包まれながら涙した。
「……ほぉ……ラヴィーネ……」
皆の戸惑いの中、皇帝はラヴィーネを見つめていた。
その視線は、鋭く、冷たい。
「……そなたは、帝国の英雄だ。だからこそ、発言は重いぞ? 軽はずみに感情的な発言はいかがなものだ?」
「陛下。私は、感情で動いているのではありません。帝国の未来を見据えて申し上げております」
ラヴィーネは強く断言した。ラヴィーネを知る者たちが思わず違和感を覚えるほど感情的に。
「アマンスは処刑すべきではありません。大いに利用する存在であると断言します」
だが、一方で話の筋も分からなくはないと一同に思わせるものでもあった。
皇帝はしばらく沈黙した後、静かに言った。
「ラヴィーネよ。処刑は決定事項。情けをかける余地など――――」
その言葉に、場の空気が一気に張り詰める。
だが、ラヴィーネは一歩も退かなかった。
その瞳は、鋼のように揺るぎなかった。
「……ふむ……」
皇帝はわずかに眉を動かし、ラヴィーネのただならぬ気迫に気圧されるように視線を逸らし、一度告げようとした言葉を飲み込んだ。
そして、玉座の脇に控えていた老大臣に目を向ける。
「……どう思う、ヴェルナー卿」
大臣のヴェルナーは皇帝の顔色を慎重に伺いながらも、ゆっくりと前に進み出た。 その歩みは静かでありながら、確かな重みを持っていた。
「陛下。ラヴィーネ殿の進言は、確かに異例ではございますが、戦略的に見れば、理に適っております」
「戦略的に、だと?」
「はい。アマンスは、バニシュ王国の軍事機密、戦術思想、兵の配置、補給路、そして王国残党の潜伏先など、極めて重要な情報を握っている可能性が高いと思われます。生かして尋問し、協力を得られれば、帝国の安全保障において計り知れぬ価値がございます」
皇帝は眉をひそめる。
「……そなたは、奴が協力すると?」
「確証はございません。ですが、ラヴィーネ殿の言う通り、彼は民と兵の信を集めた人物。そのような者が、帝国の秩序の中で生きる道を選ぶならば……それは、帝国にとって最大の『抑止力』となります。反乱を起こす者たちにとって、かつての英雄が帝国に従っているという事実は、心理的な壁となるでしょう」
「……ふむ」
「加えて、諸外国への示威にもなります。帝国が『敵を殲滅し、武力支配するだけの国』ではなく、『敵を取り込み、支配と統治する力を持つ国』であると示すことは、外交上の優位性を生みます。恐怖だけではなく、統治の力を示すこと……それが、真の帝国の姿ではございませんか」
皇帝は、しばらく沈黙した。
その瞳は、ラヴィーネとヴェルナーを交互に見つめていた。
そして――
「……考慮しよう。だが、帝国の威信を損なうことは許されぬ。ラヴィーネよ、そなたの言葉が、帝国にとって価値あるものであると証明できるのか?」
ラヴィーネは、深く頭を下げた。
「……必ず」
その声は、静かでありながら、確かな決意に満ちていた。
謁見の間は、再び静寂に包まれた。 鉄の女が、帝国の頂点に立つ者へ、初めて心を込めて進言した瞬間だった。




