第3話 英雄の一騎打ち
アイソレイト帝国。
帝都の空は、晴れ渡っていた。
戦争の終結を祝うかのように、雲ひとつない青空が広がっている。
帝国軍の勝利。
長きに渡る戦争は、ついに終わった。
敵国のバニシュ王国は滅び、帝国はその領土を拡大し、民衆は歓喜に沸いていた。
そして今、帝都の大通りでは、勝利の凱旋パレードが始まろうとしていた。
先頭に立つのは、帝国の英雄、女竜騎士ラヴィーネ・フォン・エルステッド。
若き天才騎士にして、鉄の女と呼ばれる孤高の存在。
彼女の活躍なくして、この勝利はあり得なかった。
白銀の鎧に身を包み、漆黒の竜にまたがるその姿は、まさに神話の戦乙女のようだった。
その美貌は、兜を外した瞬間に人々の視線を釘付けにし、無表情で行進するその姿に、老若男女問わず歓声が上がる。
「ラヴィーネ様! 素敵です!」
「何と美しい……!」
「我らが英雄万歳!」
「帝国の誇りだ!」
花束が投げられ、紙吹雪が舞い、子供たちが手を振る。
貴族たちはバルコニーから拍手を送り、商人たちは旗を振り、兵士たちは敬礼を送る。
だが、ラヴィーネの瞳は、何も映していなかった。
彼女は、ただ前を見ていた。
歓声にも、祝福にも、何一つ反応を示さず、無表情のまま馬を進める。
その姿に、部下たちはざわめいた。
「隊長、今日くらい笑顔を見せてくだされば、もはや言うことなしなのに……」
「いやいや、隊長はこの孤高さこそが良いのだ。誰にも媚びない。だからこそ、皆が憧れる」
「それにしても、あの美しさ……まるで氷の女帝だな」
「いや、氷じゃない。炎だよ。隊長は冷たい表情を見せながら、内に秘めた熱がある。俺は知ってる」
部下たちは口々に語る。
だが、ラヴィーネの耳には届いていなかった。
彼女の心は、収容所の地下牢に囚われた男、バニシュ王国の騎士アマンスのもとにあった。
バニシュ王国の騎士。
敗軍の将。
その男との壮絶な一騎打ちと、その誇りを穢してしまったことを思い返していた。
―――――それは、数日前の帝国と王国の戦場の中心。
瓦礫と炎が散る荒野の只中で、二人の騎士が対峙していた。
漆黒の竜の背に、白銀の鎧を纏ったラヴィーネ・フォン・エルステッド。 その瞳は冷たく、だが奥底に揺れる炎を宿していた。
対するは、傷だらけの鎧に身を包んだアマンス・グレイブ。 剣を握る手は血に濡れ、だがその眼光は鋼のように揺るぎなかった。
「……ここで決着をつける。帝国の女竜騎士よ」
「望むところよ。バニシュの誇りを、ここで断ち切る」
言葉と同時に、地面が震えた。
ラヴィーネが魔法陣を展開する。空気が震え、雷鳴が走る。彼女の右手に宿るのは、雷属性の魔剣ヴァルキュリア。 その刃が空を裂き、雷光を纏って唸る。
「雷よ、我が刃に宿れ! 雷閃・双牙!」
一瞬で距離を詰めたラヴィーネが、二連の斬撃を放つ。
アマンスはそれを紙一重で避け、逆に剣を振り上げる。
「剣気・裂空!」
アマンスの剣から放たれた斬撃波が、空気を切り裂いてラヴィーネに襲いかかる。 ラヴィーネは竜の翼を広げ、空へ跳躍。その瞬間、彼女の背後に魔法陣が浮かび上がる。
「竜炎・降雷!」
空から雷と炎が混ざり合った魔力の奔流が降り注ぎ、アマンスの周囲を焼き尽くす。だが、彼は剣を地面に突き立て、魔力障壁を展開して耐えきった。
「……やはり、強いな」
「あなたも……想像以上に」
二人は息を切らしながらも、再び剣を構える。
次の瞬間、アマンスが地を蹴った。その速度は、まるで風のようだった。
「瞬閃・影踏!」
ラヴィーネの背後に回り込んだアマンスが、刃を振るう。
だが、ラヴィーネは竜の尾を操り、反撃の一撃を放つ。
「竜尾・反衝!」
尾がアマンスの腹部を打ち、彼は数メートル吹き飛ばされる。だが、その空中で彼は剣を構え、魔力を集中させた。
「蒼剣・天穿!」
蒼い魔力が剣に宿り、槍のように放たれる。ラヴィーネはそれを竜の翼で受け止めるが、衝撃で地面に叩きつけられる。
荒野の中心で、二人の英雄の力が交錯する。
ラヴィーネとアマンス――帝国と王国、それぞれの誇りを背負った二人の騎士が、命を削るような一騎打ちを繰り広げていた。
その周囲では、両軍の兵士たちが距離を取り、息を呑んで見守っていた。
「……すげえ……」
帝国兵の一人が、思わず呟いた。
「隊長の魔法剣、あんな雷の纏わせ方……見たことねぇ……」
「アマンスの剣技も異常だ。あれ、完全に人間の動きじゃねぇぞ……」
「これが……本物の騎士の戦いか……」
一方、バニシュ王国側の兵士たちも、目を見開いていた。
「隊長……あんなに傷を負ってるのに、まだ動けるのか……」
「ラヴィーネって女騎士、噂以上だ……魔法と剣と竜を同時に操るなんて……」
「くそ……あれが帝国の英雄か……だが、隊長なら……隊長ならきっと……!」
兵士たちは互いに剣を構えながらも、誰一人動こうとはしなかった。
この戦いは、もはや軍同士の争いではない。互いの軍の大将同士、誇りと誇りがぶつかり合う、騎士の魂の激突だった。
「……見ろよ、あの空……」
「雷が……竜の形になってる……」
「魔力が空気を裂いてる……こんなの、戦場じゃねぇ……神話だ……」
ラヴィーネが雷を纏った剣を振るえば、地面が裂け、空が震える。
アマンスが蒼炎の剣を振るえば、風が唸り、炎が舞う。
「隊長、負けないでくれ……!」
「アマンス様……俺たちの誇りを……!」
兵士たちは拳を握りしめ、叫びそうになるのを堪えていた。
この戦いに、声を挟むことすら許されない。それほどまでに、二人の戦いは神聖だった。
そして、剣と剣がぶつかり合うたびに、火花が散る。 魔力が爆ぜ、衝撃波が周囲の岩を砕く。
「……文句はない……」
「この戦いの勝者こそが、国同士の行く末を決める……英雄の誕生だ」
若い兵士たちは、目を潤ませながらその姿を見つめていた。
そして、誰も目を逸らさなかった。 誰も、逃げようとはしなかった。この戦いの結末を見届けることこそが帝国と王国の未来を決める歴史的瞬間の証人となるからだ。
そして――
「……これが、最後よ」
「……ああ、終わらせよう」
ラヴィーネの剣が雷を纏い、アマンスの剣が蒼炎を宿す。 二人は同時に地を蹴り、空間が歪むほどの速度で交錯する。
刃と刃がぶつかり合い、魔力が爆ぜる。 雷と炎が混ざり合い、周囲の兵士たちが思わず目を背けるほどの閃光が走る。
そして――
「これほどまでとはね……つ……強い―――私の……完敗だわ」
竜ごとラヴィーネは弾き飛ばされ、落馬ならぬ落竜して地面に落ちる。顔を上げたその眼前には、アマンスの剣先があった。




