第26話 何とかする
戦場で、ラヴィーネはアマンスの父を斬った。
王国の誇りとして称えられた将軍。
ラヴィーネの剣が、その命を奪った。
アマンスの友人たちも、次々と戦場で命を落とした。 ラヴィーネと銀翼隊が、アマンスの仲間を斬った。アマンスが守ろうとしたものを、私は壊した。
そして、アマンスを捕らえたのもラヴィーネだった。
あの誇りを穢す一騎打ちの後で。
何よりも、本当はラヴィーネは殺されたはずだった。だけど死ななかったのは、アマンスが手を止めたからだ。
そして、今はもう分かってしまっている。
「やはり嘘だった……彼は嘘をついていた……私を殺すか躊躇ったのは『捕虜にするかどうかを迷った』と言っていたけど、そうじゃない……大翔はあの瞬間、私が花音だと気づいたから……やっぱり、あのときの私が考えたことは正しかったのよ……」
ラヴィーネは、ベッドの中で膝を抱えながら、嗚咽を漏らしていた。
「私が奪った……私が何もかも……私が彼から、大翔から何もかも……全てを! 全てを!」
涙が止まらない。 喉が詰まり、声にならない叫びが胸の奥で暴れている。枕に顔を押しつけても、涙は染み出して止まらなかった。
夜が深まっても、ラヴィーネは眠れなかった。
ベッドの中で膝を抱え、窓の外の月を見つめながら、ただ静かに息をしていた。
涙はもう枯れていた。
泣きすぎて、喉が痛い。
目も腫れて、視界がぼやけている。
それでも、頭の中は止まらなかった。
「私は……どうすればいいの?」
その問いが、何度も何度も胸の奥で繰り返される。
帝国の法に照らせば、王国の宿敵であった将の首を落とすのは当然だった。
だが、自分の進言を皇帝が聞き入れたことで何とかアマンスの処刑は避けられた。
さらに、意外な展開でセラフィナ姫が彼を気に入った。
姫は、アマンスとの対局を楽しんでいた。
彼の手筋に驚き、彼の言葉に笑い、彼の存在に興味を持っていた。
その好意を利用すれば、理由をつけて彼を外に出すこともできる。
――王国側の反乱を防ぐため
――アマンスの存在と名がそこにあるだけで、王国の統治がうまくいく
そんな打算的な名目で、アマンスを自由にすることも可能だった。
帝国の中枢に、王国の英雄を置く。
それは、王国民にとって屈辱であり、同時に希望でもある。
――アマンスが生きている
――アマンスが帝国に認められている
それだけで、反乱の火種は鎮火するかもしれない。
ラヴィーネは、そう考えた。
そうすれば、アマンスを守れる。
アマンスを傍に置ける。
アマンスを失わずに済む。
だが――
「だけど、それを彼は……拒否したのよね……」
思い返す、アマンスの言葉。
――そこまで自分を甘くみないでもらいたい
――自分もそなたも……互いに殺し過ぎた。多くの命を背負い、多くの命を懸け、そして託されて……だからもうそれは、自分とそなた、当人同士が納得さえしていれば……などという軽いものでは済まない
――民や、投降した兵は、新たにそなたたちと手を取り合うことは許されるかもしれぬが……自分だけは立場的に難しいのだよ
日之出大翔ではなく、この世界でアマンスとして生きた男としての答え。
この世界でラヴィーネとして過ごしてきた自分にもそれがよく分かった。
でも――
(分かってるわよ……でも……それでも、彼が大翔だと確信した以上、理屈じゃない……私は、あなたを守りたい……都合の良いことだというのは分かっている……彼の意思を無視しているのは分かっている……この世界の彼から全てを奪った私がどの口がって……だけど、だけど!)
それは、帝国の騎士としての責任ではない。
王国の統治者としての打算でもない。
ただ、花音としての願いだった。
「……私は、アマンスを……大翔を、救いたいのよ」
その言葉は、誰にも聞かれないように、静かに漏れた。
でも、その声には確かな熱があった。
彼の命を守りたい。
彼の誇りを守りたい。
彼の心を、もう二度と壊したくない。
それだけだった。
それだけ。しかし、それがどうしても難しい。
(大翔を救う……そのためなら帝国を……裏切る? 仲間を捨てる?)
自分の地位や、名誉を、すべて投げ捨てるのが代償であれば迷うことはなかった。
しかし、今の自分はアマンス同様に自分一人の身ではないというが大きな問題だった。
帝国は、彼女を育てた。
この世界の両親は自分のことを愛してくれた。
この国の民のために戦おうとした想いに嘘はない。
銀翼隊は、彼女を信じてくれた。
仲間たちは、命を預けてくれた。
そして、この世界で過ごした日々は、花音として過ごした頃よりも長い。
そのすべてを捨てて、彼だけを選ぶこと。しかも、アマンスとして拒否している彼を救うというのだ。
それが簡単なことではなく、何とも重いモノだった。
(なら、どうすればいいの?)
帝国を守る。
仲間を裏切らない。
その上で、彼を救う。
そんな都合のいい方法なんて、思いつくはずがなかった。
でも、ラヴィーネは顔を上げて、拳を握りしめた。
「……全部、救うわ」
その言葉は、震えていた。
でも、確かな意志が込められていた。
「帝国を守る。仲間たちを裏切らない。その上で、アマンスの問題も……大翔を救う」
方法なんて、まるで思いつかない。
道筋も、計画も、何もない。
でも――
「やるしかないわ!」
叫んだ。
「やってやる! やってやるわ、大翔!」
涙で濡れた顔を上げ、腫れた目で前を見据える。
だが、ラヴィーネは、もう迷っていなかった。
理屈じゃない。
打算でもない。
ただ、心が叫んでいた。
救いたい。
守りたい。
壊したくない。
そのためなら、何だってやってやる。
たとえ道が見えなくても。
たとえ誰にも理解されなくても。
たとえ彼自身が拒んだとしても。
ラヴィーネは、立ち上がった。
「あなたが私にどれだけ気を使い、あなたがどれだけアマンスとして振舞おうとも、あなたがこんな私をかったるいと思ったって、掌返しの女だと言われようとも……私は、やるなら徹底的にやるわよ、大翔!」
帝国のラヴィーネとして。
日之出大翔の恋人の花音として。
彼女は前を向いた。
その瞳には、涙の代わりに、確かな光が宿っていた。




