第22話 大翔がアマンスになった日
「かったるいな……」
それが、アマンスがこの世界に転生して最初に口にした言葉だった。
目覚めたのは、バニシュ王国の軍人の家。
父は国の英雄と呼ばれるほどの将軍で、母は早くに亡くなっていた。
厳格な家だったが、アマンス――いや、日之出大翔としての彼は、どこか他人事のように受け止めていた。
(転生ってマジか……いや、夢じゃないっぽいな)
前世の記憶は鮮明だった。
日本の高校で、何となく生きていた日々。
空気を読まず、面倒なことは避け、でも人との距離感だけは絶妙に掴んでいた。
この世界でも、最初の数年はそのままだった。
「かったるい」が口癖。 口調も性格も、完全に『日之出大翔』のまま。
訓練も、勉強も、政治も全部「かったり」と言ってはサボり、父に叱られていた。
それでも、妙に憎めない性格だったのか、周囲の兵士や使用人たちには可愛がられた。
「坊ちゃんは、変わってますな」
「いや、あれで人の懐に入るのが上手いんだよ」
そう言われながらも、彼はどこか本気になれなかった。
だが、すべてが変わったのは、帝国との戦争が本格化した年だった。
父が戦場で命を落とした。
国の英雄。
誰もが信じていた不敗の将。
その死は、王国中に衝撃を与えた。
そして、彼の周囲の友人たちも、次々と戦場で命を落としていった。
その時のことをアマンスは生涯忘れない。
あの日、戦の終わりを告げる鐘が、王都の空に重く響いていた。
バニシュ王国軍の将軍である父の葬儀は、王都の中央広場にて執り行われた。
その場には、王族、貴族、軍人、民衆、身分を問わず、数千人が集まっていた。
アマンスは、黒の礼服に身を包み、父の棺の前に立っていた。
その顔には、感情がなかった。
いや、感情を出してはいけないと、無理に押し殺していた。
棺の上には、父の愛用していた剣と、王国の紋章が刻まれた軍旗が置かれていた。
その隣に、白い花束が並べられていく。
「……うう、将軍……」
父の副官だった老兵が、震える手で花を添えた。
その目には、涙が溢れていた。
「俺たちを……守ってくれた……最後まで……」
その声は、嗚咽に変わっていった。
アマンスは、黙ってその様子を見ていた。
その背後には、かつて訓練所で共に過ごした仲間たちの遺族が並んでいた。
「う、ああああああ、息子が……私の息子が、どうして! どうして! レミル……まだ十五だったのに……! どうして……!
少年兵だったレミルの母親は、棺の前で膝をつき、泣き崩れていた。
彼女の叫びは、空に吸い込まれていった。
隣では、かつてアマンスと剣の稽古をしていたエルドの父親が、拳を握りしめていた。
「……あいつは、将軍のこと、ずっと尊敬してたんだ……」
その言葉に、アマンスの胸が痛んだ。
さらに、かつて「一緒に王国を守ろう」と誓い合った少年兵アーニの妹が、棺の前で立ち尽くしていた。
「お兄ちゃんは……最後まで、勇敢に戦ったって……お兄ちゃん、うう、ううう」
その言葉が、アマンスの耳に突き刺さった。
気づけば自分もゆっくりと棺の前に膝をついた。
そして、白い花を一輪、そっと添えた。その指先が、微かに震えていた。
その震えは、悲しみではなかった。
罪悪感でも、怒りでもない。
(……何やってんだよ、俺は)
心の中で、声が響いた。
それは逃げ続けてきた自分への、静かな嫌悪だった。
そのときだった。
「ラヴィーネだ……!」
誰かが叫んだ。
その声は、棺の列の後方から響いた。
振り返ると、兵士一人が、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、地面に拳を叩きつけていた。
「帝国の……あの女騎士……! 銀の鎧を纏った、冷たい目の……!」
その言葉に、周囲の遺族たちが反応した。
「俺の息子も……あの女に斬られた!」
「お兄ちゃんも……! ラヴィーネ……あいつが……!」
憎しみの声が、次々と広がっていく。
まるで、静かだった葬儀の場が、怒りの炎に包まれていくようだった。
「なぜ……なぜ、あんな奴が……奴は帝国の英雄などと称えられている!」
「王国の英雄たちが死んで……あいつが、帝国の英雄だと……!?」
「ふざけるな……! あいつこそ、我らの仇だ……!」
嗚咽と怒号が混ざり合い、空気が震えた。
アマンスは、膝をついたまま、その声をすべて聞いていた。
(かったるいとか言って、逃げて……見ないふりして……父さんが死んで、皆が死んで……それなのに、俺は……俺は、何もしていない)
その事実が、胸を締めつけた。
アマンスはゆっくりと立ち上がった。 その姿に、周囲の遺族たちが気づいた。
「俺がやる」
その声は、静かだった。
だが、確かに響いた。
「俺が……新たな希望になる」
遺族たちは、息を呑んだ。
「帝国が、ラヴィーネが、俺たちの誇りを踏みにじったなら……俺が、皆の仇を討つ。俺が、ラヴィーネを倒す」
その宣言に、広場が静まり返った。
「俺は、もう逃げない。かったるいなんて言って、目を逸らすのは終わりだ!」
その言葉は、彼自身への宣告だった。
「父の誇りを継ぎ、仲間の命を背負い、王国の魂を守る」
彼の瞳には、炎が宿っていた。
いつも「かったるい」とやる気のなかった男の言葉。しかしそれがどれだけ本気の熱がこもっていたのか、その場に居た者たちに伝わった。
「俺が、王国の剣となる。俺が、ラヴィーネを討ち、王国の誇りを取り戻す」
その瞬間、遺族たちの瞳に、涙とは違う光が宿った。
沈黙が、広場を包んでいた。
アマンスの声が消えたあと、誰もが息を呑んでいた。
その言葉の余韻が、空気を震わせていた。
そして……
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」」」
それは、抑えきれない衝動のような歓声だった。
「アマンスが……あの坊ちゃんがあんな檄を!」
「鳥肌が……! なんという熱……!」
「見える……将軍が……! 将軍の姿が……!」
次々に、兵士たちが声を上げる。
その声は、歓喜と感動と、何よりも希望に満ちていた。
「いや……彼なら……ひょっとしたら……!」
「将軍をも超えるのでは……!」
誰かがそう呟いた瞬間、広場の空気が爆ぜた。
「アマンス! アマンス! アマンス!」
兵士たちが拳を突き上げ、叫び始める。
その声は、波のように広がっていった。
民たちも、涙を流しながらその姿を見つめていた。
「……あの子が……あの子が、王国を……!」
「将軍の息子が……!」
「希望だ……! この国の希望だ……!」
老いた者も、若き者も、誰もがその場で立ち上がった。
誰もが、アマンスの姿に『未来』と『希望』を見ていた。
その中心で、アマンスはただ静かに立っていた。
拳を握りしめ、空を見上げていた。
その瞳には、迷いはなかった。
ただ、燃えるような決意だけが宿っていた。
「「「「「アマンス! アマンス! アマンス!」」」」」
その名が、王都の空に響き渡った。
その日、王国は一つになった。
悲しみの中で、希望が生まれた。
そしてこの日、日之出大翔はアマンスとなった。
その日以来、アマンスは変わった。
彼の中で何かが切り替わった。
これぞ転生チートなのか。 ヤル気になった途端、彼は驚くほどの速度で成長した。
剣術、戦術、騎馬、指揮、どれも吸収するように身につけていった。
そして、何よりも彼の武器は『人間力』だった。
前世から変わらぬコミュ力。
年上の将軍たちにも臆せず話しかけ、年下の兵士たちには気さくに接し、同世代の仲間たちとは冗談を交わしながら信頼を築いた。
「アマンス隊長は、ほんと話しやすい」
「隊長の指揮なら、命を預けられる」
そう言われるようになった頃、彼はすでに王国の若き旗頭となっていた。
だが、その頃から、周囲の空気も変わっていった。
「アマンス、普段の口調はどうにかした方がいい」
「由緒正しい家系の将として、恥ずかしくないように」
仲間たちは、彼を思って助言した。
「戦場では、兵たちの士気にも関わる。威厳を持て」
「王族や貴族との会談では、粗野な言葉は避けろ」
彼は、最初は「かったるいな」と言っていた。
だが、仲間たちの真剣な眼差しに、少しずつ考えを改めていった。
「……まあ、外面くらいなら、演技してやるか」
そうして、彼は『仮面』をかぶるようになった。
戦場では、
――そなたら、我が命に従え
――自分は、アマンス、王国の剣なり!
だが、仲間たちと酒を酌み交わすときや、夜の焚き火の前では……
――ったく、かったるいな
――お前ら、今日は飲むぞ~とことんな!
そのギャップこそが、彼の魅力だった。
兵たちは知っていた。“仮面”の下にある、本当のアマンスを。
そして、皆が彼を慕った。
「隊長は、俺たちのことをちゃんと見てくれてる」
「隊長の本音が聞けるのは、俺たちだけだ」
そうして、アマンスは王国の希望となった。
だが、その希望は、帝国の侵攻によって砕かれた。
敗北。 捕縛。 そして、地下牢。
そしてアマンスは、今も『仮面』をかぶり続けた。




