第20話 練習の練習
帝国監獄。
冷たい石壁に囲まれた廊下を、部下たちは足早に進んでいた。
先ほど、セラフィナがラヴィーネを連れてこの方向へ向かったのを見たのだ。
「まさか、隊長と姫殿下が……本当に監獄に……」
「いや、でも、何故こんなところに……」
「まさか、またアマンスに会いに?」
「でも、姫様までなんでアマンスに?」
誰もが半信半疑だった。
監獄は任務で訪れる場所であって、姫様が遊びに来るような場所ではない。
だが、ラヴィーネが連れて行かれた以上、放ってはおけなかった。
「ひょっとしたら……アマンスを登用しようとしているんじゃないのか?」
「たしかにありえるかもね。王国との戦争も終わったことで、残った王国兵たちも今後は帝国兵として再編されるって話もあるし」
「でも、アマンスってただの兵じゃないだろ。王国側の英雄だぞ? それこそ、帝国にとっては象徴的な『敵』だったはずだ」
「逆に言えば、象徴的だからこそ、取り込めば効果は絶大ってことじゃないか? 民衆への印象も、王国残党への牽制も」
「姫様がそこに関わってくるってことは、単なる私情じゃなくて、政治的な動きかもしれない」
「それに、隊長が最近悩んでたのって、まさにその辺の話だったよな。王国との関係、捕虜の扱い、そしてアマンスの処遇」
「いやぁ、でもアマンス自身はどうなんだぁ? だって、あいつ自身も戦争で家族やら仲間やらが戦争で死んでる上に……その、俺らとの決着は……なぁ?」
「俺の所為――――」
「はい、カイルうるさいだまれしつこい」
「いずれにせよ、ここまで来た以上はワシも知りたいのう。姫様と隊長が何をされているのかを」
ひょっとしたら、物事はかなりの大ごとなのかもしれない。
「そういえば、さっき姫様が隊長を連れて行かれるときの、本番がどうとかっていうのも何のことだろうね?」
「ん~…………」
「ぶちのめすとか言われてたしな……」
隊の者たちは話しながらそう思うようになり、後を追う。
黴臭い監獄の奥へ進む。
廊下の奥へ進むにつれ、空気が張り詰めていく。
そして――
「もういっがい!!」
甲高い声が響いた。
直後、何かがガタンとひっくり返る音が石壁に反響する。
「お、おい、今の音!」
「……今の、姫様の声だよな?」
「何かガシャンって音がしたけど!」
「な、何があった? 姫様、隊長!」
「急げ!」
部下たちは一斉に駆け出した。
帝国の宿敵でもあった王国の英雄でもあったアマンスの監獄は最深部。
まさに太陽の光も届かぬ闇の世界。
そこから姫の叫び声が聞こえた。
「姫様! 隊長!」
部下たちが駆け付ける。
そしてそこには、予想外の光景が広がっていた。
「「「「「え………?」」」」」
檻の前には、専用の戦紋盤が置かれていた。
いや、今まさにひっくり返されたところだった。
駒が床に散らばり、盤は傾き、椅子が少しずれている。
そして、
「今のは練習の練習の練習ですわ! だから次こそ、本番の本番の本番! 真の本番の決戦ですわ!」
セラフィナは、顔を真っ赤にして立ち上がり、涙目で叫んでいた。
その言葉に、部下たちは一斉に目を見開いた。
「ナニヤッテンノこれ……」
「まさか……え? 戦紋盤?」
「え? なんで? なんで姫様とアマンスが戦紋盤してんの? しかも姫様が泣いてる?」
ぞろぞろと入ってきた部下たちは、誰もが目を丸くしていた。
監獄の最深部、帝国の姫と王国の英雄が、戦紋盤を挟んで対峙している。
しかも、姫は涙目で駒を握りしめ、アマンスは無言で盤を整えている。
「……これ、どういう状況?」
「隊長……」
「隊長?」
視線が壁際に向く。
そこには、ラヴィーネが立っていた。
腕を組み、頭を抱え、壁に背を預けている。
「あなたたち……なぜ?」
その声は、疲れ切った呟きだった。
「いや、隊長が連れて行かれたから、心配で……」
「先日、隊長からもアマンス絡みで相談されて……そんな中で姫様とアマンスに会いに行くっていうものですから……」
「私たち心配で心配で、そして気になって……」
「まさか監獄で戦紋盤とは思わなかったけど……」
部下たちは一斉に疑問を口にする。
すると、ラヴィーネは、深くため息をついた。
「……昨日だけで三十局。今もね。姫様は『練習の練習の練習』だと仰ってるけど、もう何が本番なのかわからないのよ」
「……隊長、それって……」
「ええ……姫様が全戦全敗で……」
その言葉に、部下たちは一斉に沈黙した。
そして、セラフィナが振り返る。
「そこ煩い! 集中するんだから黙りなさい!」
その一喝に、部屋の空気が凍りついた。
部下たちは反射的に背筋を伸ばし、口を閉じる。
「この一局に、帝国の威信がかかっているのです。アマンスを打ち負かすことで、我が帝国の優位を示すのです!」
「……姫様、それって……」
「黙りなさいと言ったでしょう!」
涙目ながら鼻息荒くして喚くセラフィナ。
これまでセラフィナのことを帝国の傑物ということだけしか知らなかった一同だったが、とてもではないが今のセラフィナからそんなものは感じなかった。
一方でアマンスは、淡々としながらも明らかに呆れたような表情で盤の駒を並べながら尋ねる。
「だいぶ賑やかになってしまったが……セラフィナ姫……まだ……続けられるのか?」
「は? 続きも何も、なんで練習で終える必要がありますの! 言ったではありませんの! 次こそ本番! そう、決戦に続きもくそもありませんわ! 決戦は一回こっきりなんですから!」
その言葉に騎士アマンスは頭を抱えながら目を瞑る。
「……かったる」
と小さく呟く。
一方で鼻息荒いセラフィナはハッとしたようにアマンスを睨みつける。
「言っておきますけど、昨日の練習中に一度、手を抜いてワザと負けるなどということをあなたはしましたが、そんなこと今日もやったら絶対に許しませんわよ? 真剣勝負に手を抜かれるような死ぬほどの屈辱は何があろうと許しませんわよ!」
そう喚きながらセラフィナはカードと駒を動かしていく。
そんなあまりにも我儘極まりないメンドクサイお姫様の様子に一同は……
「……これ、いつまで続くんだ?」
「隊長、これって……任務ですか?」
「……任務じゃないけど、逃げられないのよ……姫様が勝った時、それを証明するための立ち合い人が必要と言われてね……」
ラヴィーネは壁に頭をぶつけそうな勢いで項垂れた。
そして、部下たちはラヴィーネに、そしてかつての敵ながら、アマンスに心底同情してしまった。




