第19話 ロイヤル嵐また
翌日。
帝国司令部の中庭。
ラヴィーネは石造りのベンチに腰を下ろし、肩を落として項垂れていた。
軍服の襟は乱れ、髪も少しだけ跳ねている。
普段は凛とした姿勢を崩さない彼女が、ここまで疲れ切っているのは珍しい。
「……疲れた~」
その一言に、近くの植え込みの陰で休憩していた部下たちが、ぴくりと反応する。
誰もがラヴィーネの疲れ切った姿に驚きつつも、直接声をかける勇気はない。代わりに、距離を保ったまま小声で囁き合う。
「……隊長、どうしたんだろ。あんなにぐったりしてるの初めて見た」
「昨日の任務、そんなに過酷だったっけ?」
「いや、昨日は宮殿の会議に呼ばれてたよな。たしか、王国の戦後処理と関連して……アマンスの件で」
「そうそう。捕虜の扱いとか、王国残党兵の帝都侵入事件の報告とか、色々揉めてるって話だったし」
「でも、それであんなに疲れるか? 会議って言っても、隊長は報告役だろ?」
「精神的に疲れてるのかもな」
「アマンスの関連……ああ……やっぱり俺の所為で……隊長は……」
「カイル、いい加減しつこい」
「うるさい」
「めんど」
「ダマレ」
「ちょ、な、何でだよ、皆さんも酷いですよ! 俺、ほんとあのときのことで眠れないんすから!」
部下たちは本当にラヴィーネがどうなったのかを心配し、しかしどうすればいいのかすぐに動き出せないでいた。
だが、そんな風に話していた時、ミリアが意を決したように立ちあがった。
「ミリア? ちょっと、どこ行くんだ?」
その動きに、副長とカイルが慌てて振り向く。
「隊長に、話しかけに行くの」
「えっ、今!? あの状態の隊長に!?」
ミリアは少しだけ震える声で言った。
「だって……隊長、言ってたでしょ? この間、悩んでるって打ち明けてくれたでしょ? 王国との関係のことで悩んでるって、話してくれたじゃない」
その言葉に、周囲が静かになる。
それは鉄の女であったラヴィーネが初めて弱みのような、自分で解決できない悩みを打ち明けてくれたことだ。
それを皆も思い出し、ミリアの言葉に頷いた。
「……そうだな。隊長があんなふうに話してくれたの、初めてだった」
カイルも、項垂れかけた姿勢のままぼそりと。
「俺も……あの時、ちょっとだけ救われた気がした。だから、今度はこっちが支える番か」
副長のレオニスもだ。
皆が顔を見合わせ、頷き合う。そして、ミリアを先頭に、揃ってラヴィーネのもとへ歩き出した。
ラヴィーネは、まだベンチで項垂れていたが、足音に気づいて顔を上げる。目の前には、隊員たちが並んで立っていた。
「あなたたち……?」
何事かとラヴィーネが問いかける。
だが、そのとき……
「隊長。先日相談してくださったこと……まだ悩まれているのであれば、私たちにもまた――――」
ミリアがそう言いかけた、その瞬間だった。
――バンッ!
司令部の中庭に面した扉が勢いよく開き、陽光の中から一人の少女が堂々と現れた。
金の髪が揺れ、軍服でも礼装でもない、どこか私服寄りの軽装を纏ったその姿は、誰が見ても一目でわかる。
「ラヴィーネ、いますわね? ほら、さっさと今日も行きますわよ!」
その人物こそまさに、この大帝国の皇女。セラフィナだった。
ラヴィーネは、ベンチに座ったまま固まった。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
(……うわ、うそでしょ)
引きつった笑顔が、どうにか表情の崩壊を防いでいた。
だが、目元は完全に諦めの色を帯びていた。
一方、隊員たちは――
「「「「ええええええええええええええええっ!?!?!?!?!?!?」」」」」
中庭が一瞬で騒然となった。
誰かが叫び、誰かが腰を抜かし、誰かが水筒を落として中身をぶちまけた。
「皇女殿下!? な、な、なぜここに!? え!? え!?」
それは、帝国の兵とは言え自分たちからすれば雲の上の存在。
由緒正しい貴族の家系であるラヴィーネと違って、他の者たちにとっては普段目にすることもほとんどないような相手が、まさかこの司令部に現れるなどと想像もしたことなかったからだ。
「お、皇女殿下!」
とにかく混乱しながらも、隊員たちは一斉にその場で並び、全員が一糸乱れぬ動きで敬礼した。
「ご機嫌よう。さ、行きますわよ! 昨日言ったでしょう? 昨日のは練習! 今日こそ本番! 本気の本気! あの忌々しいアマンスをぶちのめしますわよ!」
その捲し立てる勢いは、もはや嵐のようだった。。
「ちょ、ちょっと待ってください姫様、今はその……」
「待ちません! 昨日の屈辱を晴らすのです! あの男の余裕顔を粉砕するのです! さあ、ラヴィーネ、付き添いなさい!」
セラフィナの声が中庭に響き渡る。
ラヴィーネは引きずられながら、半ば抵抗しつつも、もはや抗えないと悟ったように足を動かしていた。
「隊長……」
「姫様……」
「い、行っちゃったね……」
隊員たちは敬礼の姿勢のまま、目だけで互いを見やる。
隊員たちは、敬礼したまま硬直していたが、誰ともなく小声で囁き始める。
「どういうことだ? なぜ姫様がここに?」
「っていうか、姫様、ああいう方だったっけ? 遠目で見た時はとても優雅で……落ち着いてて可憐で……」
「俺、噂ではメチャクチャ自信満々の天上天下唯我独尊って聞いたことある」
「おい、殺されるぞ」
「ワシはあんなに落ち着きなく喚かれている姫様は初めてみたぞい」
一体何ごとなのかと話をし合う隊員たち。そのときふと……
「そういえば姫様……アマンスって言ってたよな……?」
その名が出た瞬間、空気が変わった。
隊員たちの表情に、ふとした緊張が走る。
「……アマンス? って、やっぱりあのアマンスのことだよな?」
「そう。隊長も悩まれている……」
「まさか……そのことに姫様まで何か?」
「いや、ちょっと待て。そのアマンスを姫様があんな感情的にぶちのめすとか言ってたよな?」
「だめ、全然ワカンナイ。どういうこと?」
沈黙が落ちる。
ラヴィーネの背中が遠ざかっていく。
セラフィナは振り返りもせず、ラヴィーネの腕を引いたまま、司令部から出ていく。
隊員たちは、ぽかんとその光景を見送っていた。
そして――
「……行こう」
ミリアが、静かに言った。
その声に、皆が顔を上げる。
「隊長が悩んでるなら、私たちも向き合うべきだよ。……っていうか、どういうことなのか、アマンスのことで何が起こってるのか、姫様のことも、隊長が何に巻き込まれてるか気になって仕方ないし!」
その、「とにかく気になる」という本音をぶちまけて、だがその気持ちは分かると副長のレオニスが頷く。
「ああ……勢いに巻き込まれるのは怖いが、隊長を一人で背負わせる方がもっと怖い」
「俺たちの隊長だ。なら、俺たちが行くしかないだろ」
誰ともなく動き出す。
敬礼を解き、足を揃え、距離を保ったままラヴィーネたちを追いかける。
その背中には、決意と、少しの覚悟。




