第17話 遊び
「ふふ……それにしても、私の夜伽の相手という国宝級の待遇を前にしても微塵も迷わないとは……女としては屈辱ですけれど、あなたは自分自身のことでは揺らがないのですわね。……でもね」
所有物になることを断られたにもかかわらず、セラフィナの笑みはまったく崩れなかった。
そして、鉄格子越しにアマンスを見下ろしながら、声を弾ませる。
「昨晩、帝都にネズミが侵入したのですけれど、ご存じですの?」
「……ネズミ?」
アマンスは眉をひそめた。何のことか分からず、首を傾げる。
セラフィナは、まるで面白い秘密を暴露する子供のように、楽しげに続けた。
「ラヴィーネの話では、そのネズミは王国騎士の残党らしく、あなたを探していたようですわ? そして、戦闘の最中に『アマンス様』とか、『アマくん』とか、呟いていたそうですわ」
その言葉に、アマンスの目がわずかに揺れた。
ラヴィーネは黙ってその反応を見つめていた。
そして、アマンスは心の中で――
(……あんのバカたち)
顔には出さないが、心の中では思い切り顔を歪めていた。
心当たりある腹心たちが、帝都に潜入してまで自分を助けようとしていたとは。
嬉しいような、情けないような、そして何より苦しかった。
「いま、帝国中枢では王国残党や反抗的な者たちに対する処遇に色々な意見が飛び交っているようですけれど、流石に帝都に侵入した賊の類には容赦はできないですわね」
セラフィナは、笑みを浮かべたまま、言葉を続ける。
「だけど、もしあなたが……私のモノになるなら、話は別かもしれないですわね」
その言葉は、脅迫に近かった。
甘い声に包まれた、冷酷な選択肢。
ラヴィーネは、思わず一歩前に出た。
「セラフィナ様、それは……姫とはいえ、勝手に判断するのは――」
「お黙りなさい、ラヴィーネ。あなたは美しいけれど、今は私の舞台ですわ」
その言葉に、ラヴィーネは言葉を飲み込むしかなかった。
セラフィナは、再びアマンスに視線を向ける。
「どう? 私のモノになる気になったかしら?」
アマンスは、しばらく黙っていた。
そして、静かに顔を上げ、姫を見つめた。
「……もし自分が、仲間たちの命を守るためにその条件を飲んだら――」
「……?」
「結局、あいつらは『自分たちのせいでそんなことになった』と悔やんで苦しむ。だから、それはできない。自分には……考えるだけで、かったるいことだなぁ~、この問いは……」
そう言って、アマンスは本当に困った顔で、少しだけ笑った。
それは、誇りでも反抗でもない。ただ、仲間を思う者としての、率直な感情だった。
その反応は、セラフィナにとって予想外だったようで、彼女は目を細め、笑みがふと止まった。
彼女は、目を細めたままアマンスを見つめる。まるで、予想していた舞台の脚本が、突然書き換えられたかのように。
セラフィナは、言葉を返さなかった。
その沈黙は、彼女にしては珍しいものだった。
鉄格子の向こうで、アマンスは静かに視線を外す。
その背に、ラヴィーネは何かを感じ取っていた。
セラフィナは、ほんの一瞬だけ、戸惑いの色を瞳に宿していた。
「随分と部下の気持ちが分かるようですわね」
「これぐらい分かるのは、人間なら普通だと思うが」
「……ふん」
そして、セラフィナには分かった。「かったるい」と口にしたのは迷っているのではなく、「かったるいことになる」と分かっていても、それでも屈するわけにはいかないという拒絶が込められていることを。
(大翔……だめ……でも……でも、違う、違うのに……どうして? あなたは……アマンス……あなたは――――)
そして、再び口に出された「かったるい」に、ラヴィーネはどうしても動揺を抑えきれなかった。
そんなはずはないと思いつつも「でも、ひょっとしたら」という疑念がぬぐえなかった。
「しかしそれでは、あなたはそのために部下の命を救える機会をあえて逃すというのかしら?」
意地の悪い問いかけ。しかし、どうしてもセラフィナは想定していた自分のペースに持ち込めていないからなのか、その表情に先ほどまでの余裕がなく、どこか苦し紛れの様にも感じ取れる。
すると、その問いかけに対し、アマンスは逆に問う。
「では逆に、ソレで自分が頷いたとして……それで、そなたは自分を……『俺を手に入れた』と思うのか?」
ラヴィーネが隣にいることも忘れたような、率直な問いだった。その言葉には、媚びも恐れもなかった。
ただ、真っ直ぐにセラフィナを見据えていた。
セラフィナは、目を大きく見開いた。その瞳に驚きとわずかな動揺が走る。
彼女は、誰もが自分の言葉に従うものだと思っていた。
条件を提示すれば、選択肢を与えれば、相手は揺れる。
だが、今目の前にいる男は、揺れなかった。
彼女が欲しいと思ってもなかなか手に入れられていないラヴィーネに関しても、ラヴィーネが今は帝国にとって重要な存在であるがゆえに、強引に私情を優先することをあえてしていないだけであって、そのことを無視してよいのならばどうにかできるだろうという考えもあった。
一方で、今はそうではない。
どのような脅しや甘い条件でも、目の前のアマンスを我が物にする方法が思いつかなかったのだ。
それほどまでにアマンスの揺らがぬ強い意志をセラフィナは感じ取ったのだ。
「思った以上にあなたは尊いようですわね。甘い言葉も脅しも無効であるなら、あなたを手に入れたとするにはどうしたものかしらね」
アマンスの言葉に、セラフィナはしばし考える。
その瞳には、手に入らないものへの戸惑いはありながらも、ならば諦めるという選択も無かった。
「あら? ……そういえば……」
そしてふと、彼女の視線が床に転がる盤面に向かう。
戦紋盤。先ほどまでアマンスと看守たちが囲んでいた、簡易の遊戯盤だ。
「そういえば、話は変わるのですけれど、あなたたち先ほどは随分と楽しそうにしていたけど……何でそんなことになっていたのかしら?」
セラフィナが問いかけると、直立不動で固まっていた看守たちが一斉に肩を跳ねさせた。一人が恐る恐る口を開く。
「そ、それはですね……姫様。あの、きっかけは些細なことでして……」
もう一人が続ける。
「はい。元々は、勤務の合間の暇つぶしでして。戦紋盤は、交代の待機時間に使っていたもので……」
三人目が、アマンスの方をちらりと見てから言う。
「で、たまたまアマンスが盤面を見て『配置が甘い』とか言い出しまして……それで、試しに一局やってみたら、まあ……その……」
「我々もムキになって……捕虜のくせに生意気だ、いくら王国の英雄だろうと、私も戦紋盤なら結構自信があったので、ちょっと軽くひねってやろうと思いましたら、アッサリ返り討ちに……」
「気づけばそのまま……盛り上がっちゃいまして……」
看守たちは、申し訳なさそうに頭を下げる。
だがその表情には、どこか照れくささと、ほんの少しの楽しさが残っていた。
すると、セラフィナは戦紋盤を見下ろしながら小さく笑った。
「なるほど。私の脅しも誘惑も効かない男が、牢の中で看守たちとは心開いて遊んでいたと……」
彼女の声には、皮肉ではなく、純粋な興味が滲んでいた。
アマンスは何も言わず、ただ盤面に視線を落とした。
そして、セラフィナは、そっと戦紋盤に手を伸ばす。
「……ならば、手に入れる方法は、少し違うところにあるのかもしれないですわね」
彼女は盤を持ち上げ、鉄格子の隙間からそっと差し出す。
「せっかくだし……一局、私とも遊んでみません? 私も戦紋盤には多少なりとも心得があるのですわ」
ラヴィーネ、そして看守たちもそのセラフィナの意外な提案に驚いた表情を浮かべる。
そしてアマンスも同様に驚いた表情を浮かべるも、すぐに口元に僅かな笑みを浮かべた。
「……流石に遊びにすら拒絶するほど、自分も心は狭くない」
その言葉には、皮肉も挑発もなかった。ただ、アマンスも純粋にセラフィナに少し興味を持ったと思われる柔らかな笑みだった。
セラフィナは、その反応に満足げに頷くと、すっと背筋を伸ばした。
先ほどまでの揺らぎはすっかり消え、いつもの自信満々な皇女の顔に戻っていた。
「よろしい。ならば、徹底的に叩き潰してあげますわ。そうすれば、あなたを屈服させて、私のモノにできるかしら?」
冗談交じり。しかし、叩き潰してやろうということだけは本気でセラフィナはアマンスと向かい合い、鉄格子越しにアマンスと向かい合うようにその場で座る。
皇女という身分で汚れた監獄の床にドレスでその場に座るというはしたない行為にも一切迷う様子もなかった。
(な、なぜこんなことに?)
ラヴィーネは、そう思いながら二人のやり取りを見つめていた。
だが、その中でふと思うところがあった。
(それにしても……戦紋盤、か)
ラヴィーネは目を細めた。どこか懐かしさが胸をくすぐる。
(そういえば、この遊戯を最初に知った時……思わず、大翔のことを思い出したわね)
前世の記憶。日之出大翔との思い出。
何故なら、その戦紋盤というゲーム、それは彼が得意としていた戦略遊戯『ArcSigil』。それとほとんど同じ構造をしていたからだった。




