第16話 人材登用
「し、失礼いたしましたっ!」
「ご、ご到着とは存じ上げず……!」
「申し訳ございません!」
「いいぇ、そ、その前に、ラヴィーネ隊長だけならまだしも、な、なぜ姫様までこのようなところに!?」
誰かが椅子を倒し、誰かがカードをばら撒き、誰かが自分の足につまずいて転びかける。
それでも全員が、ほぼ同時に地面に膝をつき、土下座のような姿勢で一度頭を下げた。
そして、すぐに一同慌てて立ち上がり、敬礼の姿勢を取る。
額には冷や汗が滲み、背筋は硬直し、誰もが恐怖に震えていた。
ラヴィーネは、そんな彼らの様子を静かに見つめていた。
セラフィナは、何も言わず、ただ微笑を浮かべていた。
そして……
「ラヴィーネ……そして……姫……だと?」
鉄格子の前で座るアマンスもまた驚いた様子で呟く。
「また、そなたが来るとはな。さらに、今回は思いもよらぬ大物まで……」
必死に冷静さを取り繕いながらも、アマンスは心の中で……
(カノ……まさかまた来るなんてな……っていうか、何で帝国の姫がいんのぉ!? この金髪ドリル、セラフィナとか言ってたけど、たしか色んな意味で有名な、あのセラフィナだろ? なんだ? 何が起こってるんだ? 何か、かったるい雰囲気を感じるんだが……)
それは、騎士アマンスではなく、前世の日之出大翔そのままの心の叫びだった。
寂しいような、嬉しいような。 そんな複雑な感情が、胸の奥で静かに揺れていた。
「わざわざ大帝国の皇女まで連れて……自分の処刑でも決まったか?」
とりあえず混乱しながらもアマンスが問うた瞬間、セラフィナが笑った。
「ふふ……噂のアマンスですのね。まさか、私が現れたというのにしばらく無視するなんて……だから看守含めて……死刑……かしら♪」
冗談交じりのその言葉に、ラヴィーネは眉をひそめる。
看守たちもビクビクしている。
「さて、冗談はさておき、まずは……」
セラフィナは、冗談めかした言葉の余韻を残したまま、ゆっくりと一歩前へ出た。 そして、スカートの裾を両手で軽く摘み、優雅に膝を折る。
「帝国皇女、セラフィナ・アイソレイト。王国の魂にして英雄とも称えられたアマンス殿。こうして直にお目にかかれて、光栄ですわ」
その所作は、まるで舞踏会の挨拶のように洗練されていた。
だが、その瞳には冷たい光が宿っており、礼儀の奥にある『選別の視線』が隠しきれていなかった。
ラヴィーネは、わずかに目を伏せる。
看守たちは、息を潜めたまま動けずにいる。
アマンスは、しばし沈黙した。その視線は、セラフィナの仕草をじっと見つめていた。
(……査定……してるのか? ただ、とりあえず俺も……)
アマンスはゆっくりと立ち上がり、背筋を伸ばした。
囚人服のままではあったが、その姿勢には騎士としての誇りが滲んでいた。
「バニシュ王国軍の騎士、アマンス・グレイブ。 現在は囚われの身ですが、名乗る資格はまだあると信じています」
その声は、静かでありながら芯が通っていた。
セラフィナは、くすりと笑みを浮かべた。
「ふふふ、なるほどね」
その言葉に、ラヴィーネの眉が再びわずかに動いた。
看守たちは、誰もが息を止めていた。
地下牢の空気は、再び張り詰める。
「生きることは諦め、見苦しく抵抗する様子はない。でも、負け犬の目はしていないですわね」
セラフィナはニヤニヤと笑った。
まるで品定めするように、彼をじっと見つめる。
「みっともなく牢の中にいるのに、英雄の風格は確かに感じる。容姿も悪くない。清潔にしたら、もっとよくなるでしょうね……なるほど。確かにあなたなら、ラヴィーネに勝っていたとしてもおかしくないかもしれないですわね」
ラヴィーネは、黙ってそのやり取りを見つめていた。
そして、セラフィナは品定めを終えて答えを出す。
「アマンス・グレイブ、私に忠誠を誓い、私のモノになりなさい。さすれば、手元に置いて可愛がってあげますわ」
その言葉に、アマンスは静かに首を振った。
「生き恥を晒す気はありません。たとえ国が滅んでも、自分はバニシュ王国の騎士であります」
その言葉は、囚人服の男とは思えないほど凛としていた。
だが、セラフィナはむしろ嬉しそうに目を細めた。
「まあ……断るのね。いいですわ、そういう反骨心。私、そういうの、嫌いじゃありませんわ。目の前の生に見苦しく飛びつかないところ、いいですわ」
セラフィナは汚れた鉄格子を素手で掴むほど身を乗り出す。その瞳は、まるで獲物を見つけた猛禽のように輝いていた。
「よろしくて? あなたが私のモノになれば、衣食住、三食付き。牢なんてすぐに出してさしあげますわ。服も整えて、髪も整え、ちゃんとした部屋を用意しますわ。ふかふかのベッドでね。それに、私が気に入るようになれば……そうね、あなたなら……男として初めて、私の夜伽の相手をさせてあげてもいいかもしれませんわね」
その声には、妙な熱がこもっていた。看守たちは顔を引きつらせ、ラヴィーネは眉をひそめたまま沈黙している。
セラフィナは、興奮したように言葉を続ける。
「あなたなら、きっと私を退屈させない。だから、絶対に私のモノにしますわ。逃げられると思わないことですわ」
アマンスは、しばらく黙っていた。
その場の空気が、彼を飲み込もうとしていた。
そして、ぽつりと――
「……かったる」
その一言が、場の空気を切り裂いた。
セラフィナは目を見開き、ラヴィーネは心臓を鷲掴みにされたかのように全身が震えた。
看守たちは、誰もが息を止めた。
アマンスは、我に返ったように口元を押さえたが、もう遅かった。
(……あ、言っちまった)
それは、騎士アマンスではなく、前世・日之出大翔の本音だった。この場に似つかわしくない、だが彼らしい一言。
セラフィナは、沈黙の中で笑った。
「ふふ……何かしら今の? ひょっとして、それがあなたの本性かしら? でも……いいわ。もっと気に入りましたわ! 簡単に手に入らない! だからこそ尊く価値がある! ああ、いいですわ! ラヴィーネ以来でしてよ、ここまで欲しいと思った人は!」
セラフィナは愉快そうに笑っていた。
だがその隣で、ラヴィーネは目を伏せる。
(い、今……また、かったるい……って? まさか……そんなはずはない。違うに決まって……けれど……)
今の「かったるい」その言葉に、胸の奥で否定したはずの疑念が静かに揺れた。




