第13話 帝国皇女
帝国宮殿の戦略会議室。
帝国軍の幹部たちが一堂に会していた。
昨晩の襲撃事件。アマンスの腹心たちによる隠密行動、そして逃げられてしまったことは、帝国の中枢を揺るがす事態となっていた。
ラヴィーネは、皇帝の命によりこの場に呼び出されていた。彼女は、昨夜の出来事の詳細を報告し、今まさに議論の中心に立たされていた。
「それ見たことか! だからこそ、アマンスは早々に処刑すべきだ!」
「いや、それこそ火に油を注ぐ! 奴を慕う元バニシュ王国兵たちが決死隊となって暴れ出すぞ!」
「だが、帝国の威光を示すには、見せしめが必要だ!」
「それが帝都を焼かれる引き金になったらどうする!」
「帝都の出入り口は封鎖していた。それでも奴らが捕まえられなかったということは、まだ帝都に潜んでいるか、それとも我らも知らぬ抜け道があるのか……」
「もし奴らが怒りのままに無差別に民を傷つけたらどうする?」
幹部たちの声が飛び交う。誰もが正論を語り、誰もが帝国の未来を憂えていた。
アマンスという男が、バニシュ王国でどれほど熱狂的に支持されていたか。 彼は、民の希望であり、兵の誇りであり、王国の魂だった。
その存在をどう扱うかは、帝国の未来を左右する選択だった。
そのときだった。
「……静まれ」
議論の熱が最高潮に達した瞬間、皇帝がゆっくりと立ち上がった。
その動きだけで、会議室の空気が一変する。
その一言で、幹部たちは口を閉じた。
皇帝の瞳は、鋭く、冷静に大臣を捉えていた。
「ヴェルナー卿。貴殿は以前、アマンスの処刑に反対した。だが昨夜の襲撃を見てなお、その意見に変わりはないのか?」
会議室に沈黙が落ちる。誰もが、ヴェルナーの返答を待っていた。
ヴェルナーは、ゆっくりと立ち上がった。
その顔には、動揺も焦りもなかった。
ただ、冷静な思考と、深い憂慮が滲んでいた。
「はい、陛下。私は今も、処刑には反対でございます」
ざわめきが広がる。
だが、ヴェルナーはそれを制するように、静かに続けた。
「前回は、民心の動揺を懸念いたしました。今回は、それに加えて、南部統治の要である第三王女、慈悲の姫と呼ばれたアリシア姫の件を申し上げます」
皇帝の眉がわずかに動く。幹部たちも、耳を傾ける。
「アリシア姫は、南部の王国民から絶大な信頼を得ております。彼女の慈悲深さと穏やかな統治姿勢は、帝国の支配を受け入れさせる上で、極めて重要な緩衝材となっております。しかし、先日……アマンスが敗れ、捕らえられたとの報を受けた直後、アリシア姫は激しく取り乱し、自室で自殺未遂を起こされました」
会議室がざわめく。 ラヴィーネも、思わず目を見開いた。
「幸い命に別状はなかったのですが、捕虜の王国兵からの情報では、アリシア姫はアマンスに対して、深い敬意と、個人的な想いを抱いていた可能性がございます。それが恋慕かは定かではありません。ですが、アマンスの存在がアリシア姫の精神の安定に関わっていることは、疑いようがありません」
皇帝は、静かに目を伏せた。
「アリシア姫の存在は、帝国の安定に直結します。南部は、王国民の人口の三割を占める地域。その地での反乱を防ぐには、アリシア姫の存在が不可欠です。ならば、アマンスの命を……交渉の条件として扱うこも考えられます」
「交渉……?」
「はい。アマンスを処刑するのではなく、『条件付きの生存』として扱えば、アリシア姫の安定を保ちつつ、王国民への統治の足掛かりにもなります。逆に、アリシア姫とアマンスの両方を失えば、やはり王国の統治は限りなく難しいものとなるでしょう」
沈黙が落ちる。
幹部たちは、互いに視線を交わしながら、言葉を探していた。
(アマンス……)
ラヴィーネは、黙って議論を聞いていた。 彼女の心には、昨夜の隠密の女の叫びが残っていた。
――国が滅びようとも、関係ない!
その言葉が、今も胸を締めつけていた。
そのときだった。
「ふふ……随分と騒がしいですわね」
議論の空気を裂くように、扉が開いた。
高らかな声が、会議室の重苦しい空気を一瞬で切り裂いた。
現れたのは、絹のドレスを揺らしながら優雅に歩く一人の美女。金糸の髪は精緻な螺旋を描き、王族の証である蒼玉の髪飾りが月光を受けて輝いていた。
皇帝の娘――セラフィナ・アイソレイト。
その姿を見た瞬間、幹部たちは慌てて立ち上がり、跪いた。
「セラフィナ様……!」
「ご機嫌麗しゅうございます……!」
だが、彼女は彼らの礼など意に介さず、扇を軽く振りながら鼻で笑った。
「ふふ……豚が跪いたところで、空気が澄むわけでもありませんのに。この部屋、香を焚いても足りないですわ。加齢臭と焦燥の混合香」
幹部たちは顔を引きつらせながら、黙って頭を垂れ続けるしかなかった。
皇帝は、驚きと苛立ちを隠しきれず、椅子から立ち上がった。
「セラフィナ。ここは戦略会議室だ。貴様の戯言を聞く場ではない」
セラフィナは、ゆっくりと皇帝に向き直る。その瞳は、まるで宝石のように冷たく、そして美しかった。
「まあ、父上。お言葉が随分と粗雑ですこと。陛下ともあろうお方が、娘に『貴様』などと。帝国の威厳を保つには、まず語彙の品格から見直されてはいかが?」
皇帝の眉がぴくりと動く。
「セラフィナ……何をしに来た」
「ええ、王国のことは色々と聞いていますけど、少々興味を持ちましてね」
皇帝の諫める声に欠片も臆することもなく、敬語でありながら、敬意の欠片もない、慇懃無礼。
そしてセラフィナは、ゆっくりと視線を巡らせ、ラヴィーネを見つけた瞬間、表情を一変させた。
「久しぶりですわ、ラヴィーネ。我が国の英雄」
その声は、先ほどまでの冷笑とは違い、甘く、艶やかだった。
「こんな集会場でも、可憐に咲く花。あなたは相変わらず美しいですわ」
ラヴィーネは、わずかに顔を強張らせながら頭を下げた。
「……恐れ入ります、セラフィナ様」
セラフィナは、にこりと笑いながら、ラヴィーネの頬に指先を滑らせた。
「どう? 私の直属になる気になりまして?」
その仕草は、いやらしく、挑発的だった。
まるで、自分の『コレクション』に加えるかのような目線。
ラヴィーネは、複雑な表情を浮かべながら、沈黙を保った。
(はあ、相変わらず……この方だけはどうしても苦手だ……)
ラヴィーネは、幼い頃からセラフィナの性格を知っていた。 醜いものや無能な者には容赦なく、冷酷に切り捨てる。だが、美しいものは愛し、有能な者は重宝する。
ラヴィーネには、美しさと有能さ、その両方を兼ね備えていた。だからこそ、セラフィナのお気に入りだった。
だがそれは、決して心地よいものではなかった。
「……私は、帝国軍の一騎士にすぎません」
「ふふ、謙虚ですわ。だからこそ、可愛いのですわ」
セラフィナは、満足げに微笑んだ。
その場にいた幹部たちは、誰もが息を潜めていた。この女が気まぐれを起こせば、帝国の方針すら変わりかねない。
ラヴィーネに決して劣らぬ文武両道、才色兼備。大陸に轟く傑物とまで言われる女。
だが、その実態は傲慢で自信過剰、そしてサディスティック。 ラヴィーネは、幼い頃から彼女の性格をよく知っていた。
「ところで、今も話題になっていたようですけれど、随分面白そうですわね、その男。アマンス、だったかしら?」
幹部たちが一斉に黙り込む。
セラフィナは、椅子に腰を下ろしながら、涼しい顔で続けた。
「ちなみに容姿はどうなのかしら? ブ男ですの?」
誰も答えられない。
「もし、ブ男でないのなら――私のペットにしようと思っているのですけれど」
その言葉は、あまりにも非道だった。
だが、彼女は堂々と、そして楽しげに言い放った。
ラヴィーネは、思わず息を呑んだ。
(まさか……この方が、アマンスに興味を抱くなんて)
彼女は、セラフィナの性格を知っていた。
気まぐれで、残酷で、欲しいと思ったものは何でも手に入れる。
アマンスが、彼女の興味の対象になった。それは、帝国にとっても、ラヴィーネにとっても、予想外の事態だった。




