心の輝き
レオは乙女の指輪に願った。
その瞬間、一筋の光が天を貫いた。
闇は退き、厚い雲は散った。風が駆け抜け、灯されていたろうそく、ランタンの灯は瑠璃色から、温かみのある橙色に移り変わる。
「レオ!」
ユリウスとラウルがレオに駆け寄った。
「やった! レオ! やったんだね!」
ラウルがレオに飛びついた。
「ああ、ラウル……」
レオは立っているのもやっとというほど消耗をしていたが、ラウルに微笑みを見せる。
「レオ、指輪は?」
「……消えてもらったよ」
「そうか、ならこれで……」
「ああ……」
指輪を通してレオは知った。アステリアで見られたストーンハートの症状は、グルダニアから漏れ出た魔力による影響だった。
魔力の進行をせき止めていたセシリアの力が弱まったことが、ストーンハート発症の原因となった。その魔力の根本である「乙女の指輪」はレオの願いにより、虚空へと消えた。
指輪の消失。それこそがレオの願いだった。
「レオ」
「ユリウス……?」
ユリウスはピシリと姿勢を正し、左手を胸に当てる。本来右手を胸に当てるグルダニア式の敬礼だ。
「英雄レオ=レクセル、グルダニア騎士団を代表して、いやグルダニアを代表して礼を言う。お前のおかげでこの国は救われた!」
レオは笑った。
「よしてくれ、らしくないぞ」
「そうかもな。でも、事実だ。この国に今起きたことも、そして感謝の気持ちも……やれやれ正式な敬礼をしたいんだが、もう右腕が動きそうもない」
すでに魔力は払われた。ユリウスは右腕が重そうだ。
「右腕、残念か?」
「いや、最高だ」
ユリウスは天を仰いだ。
明るい空が見える。どれほどこれを求めたことか、ユリウスは胸がいっぱいだった。
それからレオをあらためて見た。
「レオ、どうしてお前はそこまで戦える? よその国のためのどうして?」
レオは少し驚いた。しかし、その問いにレオは戸惑うことなくこう答えた。
「男が戦う理由なんて決まっている、女ためさ」
ユリウスは面を食らったように目を丸くし「ああ、違いない」と言った。
「レオ、お前とはじっくり語り合いたい、祝杯を挙げてな……ただ、俺には時間がないらしい」
「……」
「できるだけゆっくり来てくれ、俺は待つことになれているからよ」
微笑むユリウスの顔にピシリとヒビが入る。彼が満足げに瞳を閉じると、彼はサラリサラリと崩れさり、その塵は風に消えた。
「ユリウス……」
やっぱり……。
「レオ!」
見るとラウルが微笑んでいた。その顔にはすでにユリウスと同じように乾いた大地がひび割れるような亀裂が生まれている。
「ラウル、すまない……俺は、約束を……」
「いいんだ! オイラ、こうなるってわかってた気がするんだ。それにこうなってほしかったって思う。これが自然な形だろ?」
ユリウスは言った。グルダニアで異変が起きて五年が過ぎたと。グスタフの記録によれば、異変が起きたのは聖暦864年……しかしそれは、レオの生まれる百年も前のことだ。
グルダニアは百年も前からすでにあの状態だった。多くの人々は「死にたくない」と願った。そして、乙女の指輪はそれを叶え続けたのだ。指輪がなくなった今、百年の時は一気にユリウスやラウルを飲み込む。
「ラウル……」
「レオ、ありがとう。やっぱりレオは強いんだな、オイラも大人になったら、レオみたいになるんだ!」
ラウルは笑った。そして、時がラウルを塵に変え、風が旅立たせる。
レオはただ一人、誰もいなくなった居城で彼らを見送り続けた。
★
その日、グルダニアから一陣の風がアステリアに向かい駆け抜けた。
風は厚く冷たい暗雲を彼方に追いやり、蒼穹と光を地に与え、温もり人に降らせた。
降り注ぐ、春の女神の胸に抱かれたような慈悲に人々は天を見上げる。
同時に、その風は病に伏せた人々の胸に絡んだ鎖を解き放った。
臥せる人々は命を脅かす絶望の足音が遠のくのを耳にする。
ある者は子を抱き、またある者は恋人を抱いた。
アステリアの王女アクセリナもまた病魔の去る足音を聞く者の一人だった。
今や消えんとしていた命の火は、薄絹にも似た風の口づけにより再び息吹を取り戻したのだ。
歓喜。
アステリア各地で声があがる。
その声は地を揺るがすほどに。
王もまた声を上げ、双眸を濡らす。
しかし、その喜びとは裏腹に、グルダニアに派遣された第一調査団は、この日を越えても誰一人としてアステリアに戻る者はいなかった。
彼の国で、何が起きて、如何なる功績が生まれたのか、不明のままであった。
ましてや一国の王女が、彼女の命を救うために戦ったたった一人の騎士がいたことやその名前など知るよしもない。
ただ王女はそれからも生きた。未来へと。
この歓喜に包まれた慶事の後、新たに第二調査団が編成された。
そこに志願した後のアステリア騎士団長エリオット=アールニオは晩年、有望な若い騎士を集め、ランプの淡い灯の揺れる卓を囲んではこの時のことを語ったという。
★
第二調査団はその国、グルダニアを訪れた。
二つの国を分かつ、穏やかで命に溢れた荘厳な森を抜けると清涼な風が頬を撫でた。
どこまでも続く蒼穹の下には、元は人々の営みが築かれていただろう朽ちた村があり、多くの果樹が茂り、動物たちの楽園だった。
調査団はそこで野営を張り、自然のままの果実を手にして口にする。
やがて、完成を間近にして放棄された巨大な建築物のある町を過ぎ、調査団は、王都グルダニアへと入った。
豊かな自然、果実、建築物、精緻な芸術作品、これほどのものがありながら、グルダニアには誰もいない。
なぜ誰もいないのか。記録すら見当たらない。
やがて、エリオット達はそこに辿り着いた。
天蓋を無くした朽ちた居城の王の間。
エリオットは立ち尽くした。
雲間からこぼれる光の中にたたずむ、赤い布が柄に巻きついた黒き剣。
その紅い布が、アステリアルベルが誰のものか、エリオットはすぐに理解した。
ほんのわずかな期間だったはず。それなのに、これほどにボロボロに……一体何が?
しかし、そこに刺さる見たこともない剣が誰のもので、誰がここに刺したのか、そこで何が起きて、何が成されたのか、知るすべをエリオットは持たなかった。
ただそこにあるのは、雲間から降る光のみ。
エリオットは崩れ落ち声を上げて泣いた。
晩年エリオット=アールニオはよく若い騎士に問いかけた。
「……お前達は自分が何のために剣を振るい、戦っているのか、考えたことはあるか?」
☆彡
旅人よ、心優しき旅人よ。
かの地で起きた一端を知る稀人よ。
もしこの先、君が旅を続け、その先で、彼の地での出来事を求める者に出逢ったならば、君が知る事、感じた事……何が起きて、何が終わったのかを語ってはくれまいか。
彼を待つ者に慈悲を与えるために……
完
本編はこれで完結となります。
レオ=レクセルの旅にお付き合いいただき誠にありがとうございました。
本作は「小説家になろう」で知ることが出来ました奇抜で柔軟性豊かな発想の持ち主である鈴木りん様の秀作「俺は改造人間」https://book1.adouzi.eu.org/n5487cl/の影響を受け描かれたものです。もし、まだ未読の方がありましたら、是非とも「俺は改造人間」もご覧いただけると幸いです。
あなたの目には……男の背中、見えました?




