351 古祭壇
――リメスの古祭壇。
大草原にぽつんと現れる古い石垣は、いつからかそう呼ばれている。
かつて草原の精霊騎士が集う祭壇であったとか、あるいは皇国史にも残らぬ古代勢力の砦の跡であるとか言われている。
だがその正体は今もって不明であり、ただ古い石垣が残るのみである。
このリメスの古祭壇は皇国領ではあるが近くに大都市や要塞の類が存在せず、王国側から見ると敵国の領地ではあるがレオニードの門にほど近い。
王国皇国双方に不便のあるこの場所は、古来より両国の会談場所として機能してきた。
大草原のど真ん中で、四方に伏兵を配する建物や森がないことも大きい。
前回の会談――獅子侵攻後の休戦協定会議でもこの場所が使われていた。
――その、リメスの古祭壇。
古い石垣の上に大小様々な天幕が並び、さらには石垣の下の草原にまで広がっている。
特に会議場として使用予定の天幕は巨大だ。
天幕を支える支柱の数は百を超え、中心に立つセンターポールは高さ十メートルを超える。
ゆうに三百人は入る広さを備えた大天幕である。
しかし。
その天幕の生地をよく見ると、無数のなめし革を獣の形そのままに縫い合わせて作られた、乱雑でツギハギだらけの代物だった。
議場準備の責任者である皇国騎士が、忙しく動く部下たちを眼鏡越しに見つめている。
その表情は苛立っている様子で、その苛立ちの元が口から零れる。
「北部連合め。揃って大天幕を出し渋るとは……!」
北部連合とは連邦国家である魔導皇国の、北部諸国の集合体である。
北部諸国の多くは遊牧文化が根付いていて天幕をよく使う。
皇国使節団は旅程で使う天幕は持っていたが、議場として使用予定の大天幕はリメスに近い北部連邦に拠出させるつもりであった。
必要とする物と量を、彼自身が十分に時間的余裕を持って北部の諸国に通知した。
しかし、古祭壇には天幕のひと張りも届かなかった。
「政治だよ、政治」
「っ! 宰相閣下!」
突然姿を見せたウィズベリアに、騎士は今にも跪く勢いで頭を下げた。
ウィズベリアは黒と紫のロングドレスに剣を差した出で立ちである。
彼女は騎士の下げた頭に向かって言った。
「閣下はよせ、アラド。ウィズベリアと」
「……ウィズベリア様」
「うむ。北部連合は今も十六年前を忘れていない――そう、民に向けて姿勢を示さねばならんのだよ。王国と仲良く会談するなどけしからん! とな?」
「……皇都にも、ましてや獅子王国にも反抗する気は欠片もないくせに?」
「そうだ。気概を見せるというやつだな」
アラドは苛立ちを隠さずに言った。
「その気概が天幕を出し渋ることであると? 小さい、何とも小さい!」
「アトルシャンだけは気概で終わらぬだろうが、かの国はもはや存在しない。……間に合いそうだな?」
「はい。まさか魔女の【縫い針】を本物の裁縫に使う日がこようとは」
「うん。上出来だよ? フフフ……」
「ご機嫌ですな?」
「狩りは久々であったから。たまには巨塔を出るべきだ、卿もそう思うだろう?」
「皮を短時間でなめすのに魔女騎士を集めて薬学を総動員いたしました。たしかに、楽しい日々でありましたよ」
「フフ……」
と、そのとき。
「ウィズベリア様!」
声は上方、丸太とロープだけで作られた簡易的な見張り台の上からだ。
そこに立つ見張りの騎士が、ハイランド側を指差している。
「来たか。天幕、急げよ?」
「ハッ!」
アラドに見送られ大天幕を後にしたウィズベリアは、ハイランド側――馬や車を石垣に乗り入れるために急遽設けたスロープへ向かった。
王国使節団の到来を知った騎士たちが、忙しなく動き回っている。
その中で石垣の縁に立ち、腕組みしてジッと王国使節団のほうを見つめる騎士を見つけた。
ウィズベリアはその騎士の下へ赴き、彼にぴたりと寄り添い、耳元で囁く。
「どうだ、カミュ?」
プラチナブロンドの髪の若騎士――カミュは、ウィズベリアのほうをちらりとも見ずに答えた。
「まずいですよ、ウィズベリア様……あちらは百にも満たない。七十名前後です」
「フッフ。こちらは三百はいるな?」
「ええ。剣王にねじ込まれた剣王配下が二百名。ほぼ奴らのせいですがね」
「大した差ではないよ。互いに大魔導が一人ずつ。これを違えねば脅迫外交にはならない」
「そう願いますが」
「大魔導は誰が来たかわからぬか?」
「【鷹のルーン】で視力強化してますが――彼ら、飛竜回廊を出たところで止まってるんですよね。もうちょい来てくれれば見えるのですが、何をモタモタしてるのか……」
「ふむ……」
「あ、動き出しました! うん……うん?」
「どうした?」
「先頭が代わりました。若い、女の騎士?」
「ほう」
「馬車は三台。騎馬はそのほとんどが近衛騎士団のようです。先頭の女騎士だけが魔導騎士外套が違う。長い黒髪で、やはり若いな。この魔導騎士外套はたしか、王都守護騎士団……」
そこでカミュはハッと顔色を変え、身を乗り出して先頭の女騎士を注視した。
「騎士章は……やはり金獅子っ! っ、黒髪白肌、紫の瞳! 間違いありません! 〝骨姫〟ロザリー=スノウオウルです!!」
カミュが大声で言ったので、周囲は大きくざわついた。
隣に立つウィズベリアは、目を剥き、顎を上げて言った。
「白薔薇の娘。本当に来おったわ……!」
「皇国血筋の金獅子――エイリス王は〝骨姫〟がこの場で寝返る可能性を考えないのでしょうか?」
「だからこそだよ、カミュ」
「は?」
「王の言葉は重い。王が『寝返るかもしれないから会談に行かせない』なんてやろうものなら、〝骨姫〟も王国騎士もそちらに向けて動いてしまう。王は臣に疑いを持っていてもそれを悟られてはならぬのだ」
「なるほど。しかし、先ほどウィズベリア様も〝骨姫〟が来たことを驚いていたご様子でしたよ?」
「それは本人が望むか、という話さ。彼女にとって王国の騎士にいらぬ疑いを抱かせ、皇国騎士に淡い期待を抱かせる行動には違いないだろう? 知恵があるなら来ぬだろうと思っていた」
「〝骨姫〟は知恵が回らない?」
「あるいは。思い浮かんだ上でそれを鼻で笑う剛胆かだな。フフフ……」
笑いながら去っていくウィズベリアに、カミュが言った。
「ご機嫌ですね?」
ウィズベリアは顔だけ振り向いて彼に言った。
「アラドにも言われた!」
「ハハ。それは失礼いたしました」
カミュはハイランド側に向き直り、ぼそりと呟いた。
「ってことは、やっぱりご機嫌ってことじゃないか。〝骨姫〟に会いたかった? いや、まさかな……」
大天幕へ戻るウィズベリア。
その彼女の前に、一人の女騎士が立ち塞がった。
「……何用か?」
ウィズベリアが問うても女騎士は答えない。
「暇ではないのだ、ココララ。用がないなら行くぞ?」
するとココララ――かつて剣王一味として獅子王国に侵入した女騎士は、通り過ぎようとするウィズベリアのドレスの袖を、すれ違いざまに掴んだ。
ウィズベリアが足を止め、袖を掴んだ手をじろりと見下ろす。
するとココララはサッと手を引っ込めた。
ウィズベリアがため息をついてから、彼女に問う。
「……剣王配下のことか」
「ハッ。彼らは〝骨姫〟を攫ってでも皇都へ連れ帰る気でおります」
「ほ~う?」
ウィズベリアの黒い瞳に星が宿り、魔導が高まる。
ココララに顔を近づけ、圧をもって尋ねる。
「なぜそれを剣王配下のそなたが私に明かす? 私がそれを認めると思うてか?」
ココララは大魔導の圧に晒されても、表情ひとつ変えずに答えた。
「いいえ。あなたが彼らに『認めぬ』と一言いってくだされば止まると。そう思い、ご相談しました」
「……フン。なるほどの」
ウィズベリアの魔導が収まり、彼女が冷たくココララを見据える。
「私は何もしない」
「っ! なぜです!」
「ひとつ。お前たちが〝骨姫〟を攫えるとは思えぬ。ふたつ。仮にそうなったら、そのときに対応するまでのこと」
「休戦協定のための会議です! 事が起こること自体が友好の妨げとなりましょう!」
「ココララよ――」
ウィズベリアが再びココララに顔を近づけ、彼女の頬にぺたりと手を当てた。
「――お前たちの同行を許したのは、そうせねば剣王ロデリックが収まらぬからだ」
「わかっております」
「ロデリックの意図など知らん、知りたくもない。だが――そなたは同行した剣王配下の筆頭としてここにいるのであろう?」
「……はい」
「であれば、部下の手綱はしっかりと握っておけ。さもなくば……そなたごと屠ることになりかねぬ。わかるな?」
「っ、わかります! しかし、今回同行した騎士は私の部下ではなく、私より年嵩の騎士ばかりで! 若輩の私の命令を聞かぬところがあり――」
「――知るか、馬鹿者め」
「っ!!」
「そなたは剣王よりこの役目を引き受けたのであろう? ならば果たせ。果たせぬなら受けるな」
「~~っ! たしかにバカでした! あなたを頼るなんて!」
「フフ、その意気だ。いよいよとなれば、そなたの能力を使えばよい。お前の部下は年嵩の、男ばかりだ。よく効くだろうよ?」
そう言って、ウィズベリアが去っていく。
ココララは歯噛みして、誰にも聞こえぬ声で言った。
「誰が使うか。あなたがかけた呪いなど……!」





