344 戦乙女のセンス
――深夜。
黄金城、ウィニィの寝室。
寝台の上でウィニィが喘いでいる。
「う~~っ! ~~うくッ!」
シーツが乱れるほど身体を仰け反らせ、何かに抵抗するようにもがいている。
「――うわあああァッ!!」
ウィニィは飛び起きた。
金色の癖のある前髪が額に張り付き、白い首を汗が滴り落ちていく。
「はぁ、はぁ……ダメ、か……ッ」
そのとき、間続きの隣室から年寄りの声が聞こえてきた。
「ウィニィ様?」
「じい……」
「入りますぞ?」
老人が寝室に入ってきた。
〝じい〟ことエドガー卿は、ウィニィが生まれたときから彼の側近として仕える老騎士である。
世話役であり、教育係であり、護衛でもある彼は、ウィニィが最も信用する家臣であった。
エドガーは清潔な布を持ち、ウィニィの汗を拭き始めた。
「これは……お召し替えになったほうがよいですな」
「……じい。そこはよい」
ウィニィは胸元に伸びたエドガーの手を止めた。
するとエドガーは、歯の抜けた口が露わになるほどあんぐりと口を開けた。
「ウィニィ様……じいだけは、このエドガーだけはご信用なさいませ!」
「うるさい。信用の問題じゃない、恥ずかしいからやめてくれと言っているのだ」
エドガーは、ウィニィが女性であることを知っている数少ない人間だった。
エドガーは「他の者ならいざ知らず、自分の世話を拒絶するなんて!」とショックを受けたのだが、年頃のウィニィにしてみれば父母にだってそんなのされたくはない。
「ウィニィ様……じいに恥ずかしがることなどありませぬぞ? 人と思わず、花瓶か何かだとお思いくださいませ」
「若い女中ならともかく……じいが花瓶? 枯れ枝でも生けてあるのか?」
「おお! これは一本取られましたな。はっはっは!」
「もういい。着替えを手伝ってくれ」
「は」
エドガーがタンスから着替えの寝間着を出そうとして、それをウィニィが止める。
「そこじゃない。鎧下を出してくれ」
エドガーは、はたと手を止めた。
「……夜中ですぞ? どこへお出かけなさると?」
「知り合いのところだ」
「ウィニィ様。じいがそれに頷くとお思いですか?」
「黄金城内だ、問題ない」
「問題ないわけがございませぬ! たとえ黄金城の中であっても、王子が夜中にうろつき回るなどあってはなりませぬ!」
「うろつき回りはしない。会いに行くだけだ」
「まさか、逢引……?」
「そんなわけがあるか、バカじい!」
半笑いで咎めたウィニィに、エドガーはスッと身を寄せた。
「では、また恩寵の……?」
ウィニィは笑みを消し、小さく頷いた。
「今夜じゃないとダメなんだ。明日では間に合わない」
「わかりました。ご用意いたします。……じいはいかがいたしましょう?」
「部屋にいてくれるか? 僕がいるように振る舞ってほしい。あとは……母上のことが心配だが」
「じいが早朝、ご機嫌伺いに参りましょう。その際にミーネに警戒するよう伝えておきます」
「すまない」
「お任せくだされ」
――深夜の黄金城。
着替えたウィニィが足音をひそめて、影のように動く。
やがてある小部屋の前にたどり着くと、ウィニィはその部屋で間違いないかたしかめ、小さくノックした。
反応はない。
それでもウィニィは小さなノックを繰り返す。
すると部屋の中でわずかに物音がして、扉のほうへ近づいてくる気配がした。
「……どなた?」
若い女性の声。
ウィニィは扉に口をくっつけるようにして返答した。
「ベル、この間はごめん」
「え、ウィニィ?」
「夜更けにすまない」
「どう、したの?」
「すまない」
「謝ってるだけじゃわからないわ」
「……どうか、助けてほしい」
「……」
無言の逡巡がしばらくあって、やがて扉の鍵がガチャガチャと鳴った。
わずかに扉が開き、隙間から寝間着姿のベルがこちらを覗いた。
「他には?」
「いない。一人だ」
扉が開かれ、ベルの瞳が廊下の左右を見渡す。
「いいわ。入って」
ウィニィが部屋に入り、ベルはすぐさま鍵を閉めた。
――王子たるウィニィが深夜に若い女性の部屋を訪れる。
そのリスクを彼がわからないはずがない。
しかしその事実が、彼の「助けてほしい」に真実味を与えていた。
ベルは部屋の明かりをつけ、王子に椅子を差し出し、それからお茶の用意を始めた。
「すまない、遅くに」
「ええ。かなり遅いわね」
ベルがポットの保温カバーをめくって陶器を触ると、まだ人肌よりずっと温かかった。
お茶を入れながらウィニィに目をやると、彼は俯いて唇噛んでるようだった。
入れたお茶をもって彼の下へ行くと、ウィニィは王族らしい取り繕った笑顔を浮かべて、部屋を見渡した。
「部屋、キレイにしてるんだな」
「ええ。最近はアポなし突撃してくる同級生が多いから」
「あ、う?」
「ああ、皮肉じゃないの。ロザリーとか、アイシャとか」
「あ、そうなんだ。……いいなぁ」
「そう? あなたもロイドの家とか泊まりに行けばいいじゃない。護衛付きになるだろうけど」
「ロイド? ああ、そうだな……」
ベルはベッドに腰かけ、ウィニィを見据えた。
「それで? 何を助けてほしいの?」
親しくはしていないが、それでも三年間も同級生として接してきた。
そんなウィニィへのベルの評価は〝頼りない王子様〟だった。
その評価は変わらないし、今の彼を見てもそう思える。
助けてくれと言っても、どうせたいした話ではないだろう。
だが近衛騎士団に属する自分には、彼を護る責務がある。
これが王族間のしがらみなんかだったら手に負えないが、そうでないならできるだけ手を尽くそう。
そんなふうに考えていたベルに、ウィニィは予想外の話を切り出した。
「恩寵、って知ってるよな?」
「恩寵?」
「そう。聖騎士がごく稀に持つ、特殊な能力のことだ」
「それは知ってるけど……それが話したいことなの?」
「そうだ。これから僕の恩寵について話す」
「!」
ベルはウィニィが恩寵持ちであるなど考えもしなかった。
だからベルは固唾を飲んで彼の続きを待った。
「僕は――子供の頃から物事の真贋がわかった」
「しん、がん?」
「何の知識も経験もなく、物の本質がわかるんだ。骨董品が模造品ならすぐわかるし、その日初めて会った親子に血の繋がりがあるかも断定できる。空を雲が覆っていても雨を降らせる雲かどうかわかるし……小さい頃はよく、父エイリスの食事を眺めていたよ。毒が入っていないかってね。それで父に恩寵がバレたんだ。父に毒を盛られたとき、食べる前にその皿をひっくり返したから」
「!!」
「魔導についてもそうだ。子供の頃、僕は兄ニドや父エイリスが怖かった。恐ろしい魔導者であることがひと目でわかるからだ。ロザリーのことも大魔導だってわかってた」
「入学してすぐ?」
「うん。だから僕はロザリーのことが好きだったけど、その自分の気持ちを疑っていた。彼女が大魔導だから――兄や父に対抗できる魔導者だから、彼女が欲しいんじゃないかってね」
「そんなことが……」
「ここまでは前置き。問題はここからなんだけど、卒業してから僕はけっこう成長したんだ。これでも、僕なりにね。王族としても、魔導者としても……それがどうやら恩寵の成長にも繋がってしまった」
「しまった?」
「見たくなくても見てしまうんだ。未来の真贋を」
「未来の? わからないわ、どういう意味?」
「僕は……休戦協定会議の団長を降りた」
「ええ。もちろん知っているわ」
「それは、行けば殺されるとわかったからだ」
「なッ!?」
「昔はこんなにはっきりとは見なかった。でも今は『こうするとこうなる』というのがわかるんだ。特に自分の危機に関することは、とてもクリアに見える」
「未来の真贋を見極める……!」
ウィニィが項垂れつつ、頷く。
ベルはハッとして言った。
「どうしてロザリーがいるうちに相談してくれなかったの!」
「会議に行くと殺されると言ったよな? 未来の真贋は自分が死ぬシーンを夢や白昼夢で見る形でわかるんだけど……そのとき、僕はロザリーの名を叫ぶんだ。『助けてくれ! ロザリー!』って」
「あ、それって……!」
「そう。そこにロザリーがいないなら、さすがに彼女に助けを求めないはずなんだよ。きっとロザリーもその場にいるんだ。でも、間に合わない」
ベルの瞳がグルグルと回る。
「……つまり、ロザリーも近くにいるけど、暗殺者はもっと近くにいたってこと?」
「格好は近衛騎士団だった」
これを聞いてベルは仰け反った。
そしてすぐに身体を起こし、ウィニィに叫んだ。
「なぜ私に話したの! 私だって近衛騎士団よ!」
「さっき、次の予知夢を見たんだ」
「!!」
「僕は王宮に残っていても殺される。自室だ。暗殺者は、やはり近衛騎士団の格好をしていた。僕は殺される間際に叫ぶんだけど、それを聞いて近衛騎士団が部屋に雪崩れ込んでくる。その中にベルもいて、愕然として泣いていたんだ」
「そんなの……下手人だって泣く演技くらいするわよ」
「いや。ベルが駆けつけたときには僕は死んでた。死後のことまで見たのは初めてなんだ。恩寵が死後のシーンまで見せたことにはきっと意味がある……!」
「それが私を頼った根拠なの? 困るわ、まるで占いを根拠にされてるかのようだわ……」
「かもしれない。魔女騎士の占いに近いと考えてもらっていいのかも。でも、そのルートを辿ると決して外れない占いなんだ」
「ルートを変えるといいわけ?」
「と、思ってる。でも黄金城に残るルートもダメだった。死ぬのが一日遅れただけだった」
「っ! 日付けがわかるの?」
「ヒントが出る。僕の部屋は曜日によって花瓶の花の種類が決まっているんだけど、夢では真珠草だった」
「それっていつ?」
「印の曜日」
「……明日じゃない!」
「だから今夜のうちに来たんだ」
「なんてこと……下手人の顔は?」
「わからない」
「見えない?」
「いや、知らない顔だった」
「じゃあ偽者? 近衛騎士団のフリを?」
「わからない、全員の顔を覚えてるわけじゃないから」
「ああ。それはそうよね、私だって知らない顔がいるくらいだし……」
近衛騎士団は〝王の手〟の役割も持つため、素性を伏せた影の団員も所属している。
表の団員であるベルは、自分が知らない同僚が大勢いるであろうことは知っていた。
ウィニィが言う。
「とにかく、その場所を離れること。その未来はその場所にいなければ起こらない」
「でも、あなたと私で逃げたって……」
「ああ。きっとまた、次の夢を見るよな」
「王都から出るべき? それとも黄金城の中で隠れる? わからないわ、どうすべきなの……?」
ベルは座るために端に寄せていた毛布に、ボフッと顔から突っ込んだ。
そして毛布に顔を突っ込んだまま喋る。
「だいふぁい私、頭使うのと行動するの、同時にできない質なのに! あー! もー!!」
「だ、大丈夫か、ベル?」
するとベルは少しだけ顔を浮かせ、横目でウィニィを見た。
「……ウィニィ。増やしていい?」
「増やす? 何を?」
「仲間よ。どう考えても二人じゃ無理」
「仲間……近衛騎士団はダメだぞ? あと、暗殺者は近衛騎士団の外にもいると考えるべきだ」
「わかってる。人を増やすと心配事が増えるわ。でもね、たぶん私一人ではウィニィの役に立たない。頭を使える環境にしたいの」
ウィニィは腕組みして考え込んだが、すぐに結論を出した。
「……わかった。誰を頼る?」
ベルは答えず、再び毛布に顔を突っ込んだ。
「ベル?」
「聞かないでよ、誰が信用できるかわかんないの! 日頃、一番信用してる近衛騎士団が真っ黒判定されたんだから!」
「いや、そりゃそうか。すまない」
「……ウィニィはいないの?」
「じい、くらいだなあ……」
「ああ、エドガー卿……」
「昔から知ってるからね」
「結局、信用できるかどうかって年月なのかしら」
「かもね。長く付き合った上で信用ならない人物もいるけど、それって〝信用ならない〟っていう評価は信用できるわけだから」
「そうよね、今は〝信用できるかわからない〟が問題なわけで……」
それから二人はしばらく黙り込み、そしてある瞬間、同じ言葉を口にした。
「同級生か!」「同級生ね?」





