338 羊飼いの夢―上
獅子王国南部、クレイドル。
王位争いから外れた王族にあてがわれる、安全で豊かだが小さく先のない領地である。
領都である小さい町に、領主ドロス=シェファ=ユーネリオン、つまりは先王弟の城がある。
――城、先王弟の自室。
「おお……ロザリィ……」
先王弟ドロスはベッドに腰かけていた。
隣のローテーブルには数か月前の王都紙ミストラルトリビューンがある。
ロザリーの王都凱旋を報せたもので、彼女の姿絵が一面を飾っている。
先王弟の帰還以来、姿絵が見える形でずっとこの場所に置かれている。
「なぜこのように儂の心を乱す……母親譲りだとでも……?」
先王弟は部屋の壁にかけられた大きな絵画を見つめた。
銀髪碧眼の美女が優しげに微笑んでいる――白薔薇ルイーズの肖像画である。
先王弟が目を血走らせ、息も絶え絶えに呟く。
「ぐっ、ロザリ……いや……もはやルイーズか? ルイーズなのか!?」
先王弟がカッと目を見開く。
「おお、なんということだ! ルイーズとロザリーが混然一体となって! うぐうううううう!! ……ふむぅ」
先王弟が動きを止めたそのとき、部屋の扉がノックされた。
返事を待たず、すぐに扉が開かれる。
「ご主人様。お客人が参られ――」
お気に入りのメイド――あの母娘によく似た顔つきの女は、ハッと目を伏せて謝罪した。
「――失礼いたしました。お片付けを」
「うむ」
メイドはそのままの姿勢でいる先王弟の下まで行き、その場でしゃがみ込んだ。
しばらくメイドに任せていて、やがて先王弟が口を開く。
「して。客とは誰じゃ?」
「――んく、ランスロー騎士団のドルク卿にございます」
「アーサーも一緒ではなく? 一人なのか?」
「はひ、おひとりれす」
先王弟は羊飼いの家名を戴く、王制の中心から身を引いた存在である。
他家の騎士団長と個別に会うなど避けるべき状況だ。
先王弟は〝遠吠え〟の騎士団長に関する記憶を思い起こした。
「用もなく押しかける男ではない、か。――もうよい、また汚してしまう。ご苦労だった」
メイドは手巾で口元を押さえ、首を垂れた。
「もったいなきお言葉……」
「会う。着替えを」
「承知いたしました、御主人様」
――応接室。
王族らしい豪奢な服に着替えた先王弟は、人懐っこい笑顔を湛えて部屋に入ってきた。
「これはドルク卿! お待たせして申し訳ない!」
ソファに座らず待っていた雷鳴の騎士ドルクは、これまた笑顔をもって応じた。
「先王弟殿下! 突然の来訪、お許しくださいませ」
「何の、何の! 貴殿が来たとなれば万難を排して会おうとも!」
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
「ま、ま、座られよ」
「殿下がお先に」
「そうか? では……」
先王弟がソファに座り、それを見届けたドルクが対面に座る。
「――して。用向きは?」
単刀直入に先王弟が尋ねると、ドルクは目を伏せ、言いにくそうに切り出した。
「先日の――我が主が王都でしでかした件でございます」
「ん、ん、あの件か」
「私は騎士団を預かる身、政務等々には関わらぬようにしているのですが。先日の件に関し、殿下にきちんとした形で謝罪と御礼をしていないと聞き及びまして……」
「そのようなこと気にする必要はない。直後にアーサー自身から反省の弁は聞かされておる」
「しかし、それではあまりにも――おい! 例の物を殿下の御前へ!」
ドルクの声に、彼の配下の騎士が丈一メートルは越えようかという大きな花瓶を運び入れてきた。
華美な装飾もさることながら、騎士三人がかりである。
相当な重量があることが窺えた。
花瓶を床に置き、騎士三人が部屋を出ていく。
騎士が消えたところで先王弟が立ち上がって花瓶の下まで歩き、花瓶の中を口から覗いた。
花瓶は口のすぐ近くまで、黄金の砂粒によって満たされていた。
「ふむ」
先王弟は花瓶に腕を突っ込んで粒をすくい、サラサラと指の間から落としつつ、言った。
「……卿は、儂が金に困っておると?」
「まさか! そのようなことは決して……」
「知っての通り、金はある。それにランスローからは毎年貢ぎ物もいただいておる」
「存じております! これは謝意を形にしたまでのことでございますれば」
「そうか。ならば頂戴しておこう」
「ありがとう存じます!」
深々と頭を下げるドルク。
そしてその頭が再び上げたとき、彼は秘め事を語り出すかのように囁いた。
「――実はもう一つ。貢ぎ物がございます」
「ほう?」
先王弟は片眉を上げ、ドルクの対面に座り直した。
ドルクが続ける。
「あの一件でアーサー様は猛省なさり……」
「アーサーが? ハッ、にわかには信じられんな」
「事実でございます。そしてアーサー様なりにお考えになり……一つの腹案を私にお示しになりました」
「腹案……?」
「策、と申し上げてもよいかと」
「策ときたか。怖いな、これは怖いぞ?」
先王弟は苦笑交じりにソファの背もたれに身を預けた。
ドルクは眼球をグルグルと動かし、部屋の中、それに壁向こうの気配を探った。
そして二人以外、誰にも聞こえぬ声で囁いた。
「――殿下。王位を狙いませぬか?」
瞬間、先王弟は頭に血が昇った雄牛のように目を血走らせた。
二人の間にあったテーブルを激しく叩いて立ち上がり、そのテーブルは音を立てて割れた。
「貴様ッ! よりにもよって、この儂に謀反を唆すかッ!」
しかしドルクは一切慌てず、先王弟に対して静かに言った。
「お鎮まりを。あなた様が、ではありません」
「何じゃと?」
「まずはおかけに」
不承不承、腰を下ろした先王弟に、ドルクが続ける。
「アーサー様の仰りようはこうです。殿下に最大の敬意を示すには、ロザリー卿を殿下に捧げ奉るしかない。しかし、エイリス王政下でこれは叶わぬ夢だと。なぜならエイリス王はロザリー卿を獅子王家のための新たな苗床と捉えている。ニド殿下、ウィニィ殿下。あるいはご自身の物になさることはあっても、先王弟殿下の順番が回ってくることはない」
「そのようなことは……わかっておるわ」
明らかに苛立った様子でドルクを睨む先王弟。
ドルクがさらに続ける。
「そこで。三度のキングメーカー御出馬とは、相成りませぬか?」
「!!」
前半部分、直接的な描写を極力排してお送りしております。
これでも運営様よりお叱りを受けた場合、シンプルに会話オンリーの形に修正することになるかと思います。
なんでそこまでしてこんな気持ち悪いシーン書くんだという話ですが、作者的には必要なわけでして。





