261 葬魔灯バロール―1
ヒューゴの作り出した、小さな峰の上。
膝を抱えて顔を伏せ、泣きじゃくっている少年がいる。
「この子が? 蛮族、なのよね?」
「そのはずだが……まるで王国人のようだね。蛮族より小柄で、骨格も近い」
「何才くらいかな。十はいってないように見えるけど……」
「見た目は少年だが、これは魂の状態を示している。実際の年齢だとは考えないで」
「そっか」
少年はこちらの存在に気づいていないのか、顔を上げて確認する素振りもない。
「君が話すんだ」
ヒューゴに言われてこくんと頷き、ロザリーは少年の前に屈みこんだ。
少年の様子を窺いながら、ロザリーが尋ねる。
「あなた、名前は?」
すると泣き声が止んだ。
少年の顔がゆっくりと上がる。
蛮族とも王国人ともいえぬ顔立ち。
土気色の肌に生気は微塵も感じられないが、瞳だけが爛々と赤かった。
少年のひび割れた唇が動く。
『……バロール』
その瞬間、ロザリーの視界が暗転した。
闇の中でヒューゴの声が響いてくる。
「今回は今までとは違う」
「誘われも招かれもしないのに僕らは自ら飛び込んだ」
「僕らには義務がある」
「彼の心を汲み取り、彼の想いを果たす義務が」
「バロールとは何者で、いかにして死ぬのか」
「死してなお、彼は何を望み、何を求めるのか」
「ハジマリ、ハジマリ……」
ロザリーの意識は、バロールの過去へ旅立っていった。
――ガッ。バチィ。ドグッ。
(っ、殴られてる)
ロザリーが目を開けると、地面が頬のすぐ横にあった。
(横倒しに倒れてる。リンチを受けてる?)
暴力と共に、周囲から何人もの子供の声がする。
「低き者め!」
「忌み子!」
「人のように小さい!」
「なんでこんな奴がいるんだ!」
「「歪な子!!」」
(う、く。……バロールは抵抗しないの?)
バロールはまったく抵抗するそぶりを見せない。
身を丸め、ただ耐える。
やがて子供たちは飽きたのか、悪態をつきながらどこかへ行った。
それでもじっと身を丸めていると。
「もういないよ、バロール」
その声を聞いて、バロールは飛び起きた。
「よう、アトラ!」
アトラと呼ばれた蛮族の少年は、こちらを見て安心したように笑った。
ロザリーの心に、バロールの記憶が流れ込んでくる。
(この子はアトラ。ただ一人、バロールと対等に話してくれる人)
バロールが言う。
「今日はしつこかったなあ、あいつら。何かあったのか?」
アトラはバロールの傷を濡れた布で拭きながら答えた。
「……族長のアドゥに酷く叱られたのさ。訓練をサボってたのがバレて、そんなんじゃ一人前の戦士にはなれないってね」
「ああ、ね……お前は叱られなかったのか?」
「一緒に叱られたよ。でも僕はサボってない」
「そっか」
アトラは傷を拭く手を止め、振り絞るように言った。
「ごめんよ、バロール。君が殴られていても僕は見ていることしかできない。僕は臆病者だ、戦士になんてなれない」
「……そんなこと言うなよ、アトラ。たまには奴らに交じって俺を殴ってもいいんだぜ?」
「そんなこと! ……そんなことできないよ。バロールは何も悪いことしていないのに」
「いいや、俺が悪いのさ。〝低き者〟みたいに小さくて、〝低き者〟みたいな顔してるから」
「そんなの、子供は親を選べないじゃないか」
バロールはクッ、と笑った。
「選べたらいいのにな? でも仕方ないんだよ、生まれちまったもんはさ」
「バロール……」
「こんな小さくて醜い奴、やられて当然さ」
しかし、ロザリーは思う。
(でも、どこかで――ううん、本心では怒りを抱えている。今にも爆発しそうなほどに)
バロールはアトラと別れて寝床へと向かった。
集落を歩いているだけで敵意を向けられる。
さっき虐めてきた子供たちだけではない。
大人たちも、腰が曲がった老人すらバロールのことを噂する。
「忌み子」
「いてはならぬ」
「低き者」
「「歪な子」」
確かにバロールは歪だった。
巨人を祖と崇める蛮族の世界にあって人のように小柄で。
愚か者のような口ぶりで喋るのに、異様に思慮深く。
弱者のように振る舞いながら、その碧眼の輝きには誇りのようなものが垣間見え。
暴力から逃れることすら諦めているのに、大きな希望を抱えていた。
集落は山肌を削った平地にあり、彼の寝床は集落の脇にある洞窟だった。
ここに住めと強要されたわけではない。
彼自身が災いを避けるために選んだのだ。
男共が近づいてくれば、その大きな足音が洞窟の中で反響してすぐにわかるので、迷宮のように複雑な洞窟の奥へ逃れることができる。
洞窟には山を駆け上がってきた風が吹き込んで集落の臭いを運んでくるので、洞窟にいながらにして集落で起きていることを把握できる。
これで思わぬ獲物がとれて急にごちそうが振る舞われたときも、おこぼれを逃すことはない。
洞窟の片隅に敷かれた毛皮の寝床や木製の食器などを見て、ロザリーの中にバロールのこれまでの記憶が流れ込んできた。
それらを整理することによって、ようやくロザリーは彼が置かれた状況を理解してきた。
バロールに家族はいない。
父親はこの集落の戦士で、母親は父が捕らえて帰った〝低き者〟。
〝低き者〟とは山岳民族であるガーガリアン――〝高き者〟に対して、平地に住む人々を指した言葉だ。
母親はおそらくは王国人、もしかしたら皇国人なのだろう。
母親はバロールを生んですぐに殺されたと聞いた。
咎は〝低き者〟を生んだこと。
母親は〝低き者〟なのだからそりゃ子供も〝低き者〟だろうとバロールは思っているが、ガーガリアンにその考えがないことも理解している。
唯一の肉親である父親は、バロールがまだ赤子の頃に他の部族との争いで命を落としたようだ。
赤子の頃は他の子と体格にそこまで差がなかったのだろう、だから虐待されずに育てられたのだとバロールは考えている。
物心ついたときにはもう、暴力の中にいた。
集落の者たちはバロールのことを厄介者、忌むべき者として見ている。
それでも彼を集落から追い出さないのは〝集落で生まれた子はすべて集落の子〟という掟があるからだ。
また、バロールが集落から逃げ出さないのは、集落に生かされている自覚があるからだった。
「……んっ?」
バロールが何かに目を留めた。
持ち物はよく盗まれるので寝床には必要最低限の物しかなく、それらは朝使ってどこに置いたかまで覚えている。
なのに記憶にない物がある。
バロールの人生において、勝手に物が減ることはあっても増えることはない。
だから恐々と、その袋を持ってみた。
なめし革でできた小さな袋で、中に何か入っている。
またも恐々と手を袋に入れ、中身を取り出した。
――クチの実。
片手で持てるくらいの大きさで、硬い殻が特徴の木の実だ。
その殻は容器として使われ、これも真ん中に切れ目が入っている。
特によく使われるのは――。
バロールは木の実を捻って、切れ目から容器を開けた。
「――傷薬。誰だ?」





