259 とっておきの呪殺
「――断ッッ!!」
その落雷のごとき一撃が、遥かなる巨人を両断する。
巨大な脚が右と左に分かれ、傾きながら陽炎のように消えていく。
「おっさん、スゲー!!」
「きっとまた巨人は復活する。でも、ヴラド様の言う通り術者の魔導に余裕がないのなら、これを何度も繰り返せばいつかは――って、ヴラド様!?」
ロザリーが驚いて彼のほうを振り向く。
首吊り公は尋常ならざる殺意を漲らせ、大いなる魔導に練り込んでいる。
「おいおい、呪殺でおっさんを狙う気じゃあねえだろうなあ?」
オズがそう言うと、首吊り公は「フン」と鼻で笑った。
「それも悪くないが……今さらだ、オズモンド」
「だったら大人しく見てろよ。この場で一番強えのはおっさんだ。一人でやれてるんだから、余計なことはせずに任せればいい」
しかし首吊り公は首を横に振った。
「それでは困る」
オズが不快そうに眉を寄せる。
「はあ? 困るってなんだよ。嫉妬か? 自分が一番じゃないと拗ねちゃうタイプ?」
「オズっ! 何て失礼なことを言うの!」
「だってよぅ、意味わかんねーんだもん! おっさんがへばったら首吊り公とロザリーが代わる。それが一番よくね? 俺、間違ってる?」
「それは……なぜですか、ヴラド様?」
首吊り公は濃い殺意と魔導で呪を織りながら、二人に〝困る〟理由を語った。
「確かに剣王がこれを繰り返せば、いつかは術者の魔導は枯渇するだろう。だがそれでは私は困るのだよ」
「だから、何でだよ!」
「術者の魔導は回復しないのか?」
「……あっ」
オズは首吊り公の言いたいことに気づき、言葉が出なくなった。
首吊り公が続ける。
「私の責務はハンギングツリー、ひいては獅子王国そのものを護ること。この術者があと何回、巨人の幻を出せるのか。術者がどこにいて、どれほど遠方まで幻を飛ばせるのか。それらはまったくわからん。確実なのはハンギングツリーの目前に巨人の幻を出現させることができるという事実だけだ」
「今回魔導が尽きても、回復したらまた来る、か……」
「その通りだ、オズモンド。それが何日後か何か月後か知らんが、再び私の街に厄災をもたらす可能性は決して低くない。であれば――」
首吊り公が袖をまくり上げ、露わになった手首の両方に傷をつけた。
赤い血が溢れてきて、ポタリと滴る。
「――私の他に二人の大魔導がいて協力してくれる、この千載一遇の好機。逃すわけにはいかん」
「いや、それはわかった。けどよ、どうやって遠くにいると思われる術者を……」
そこまで言って、オズは押し黙った。
首吊り公のやろうとしていることが、何となくわかったからだ。
今は〝ユーギヴの鍵〟は呼び出していないが、あの禁書から流れ込んだ知識の渦がオズの脳内で囁く。
「オズ……」
ロザリーに小声で呼ばれ、オズは首吊り公から少し離れた。
ロザリーがオズに囁く。
(ヴラド様は幻術を遡って呪殺を送り込むおつもりなんだと思う)
(ロザリーもそう思うか。理屈はわかるが……できるのかねえ、そんな神業)
(対大魔導用の呪殺じゃないかな)
(ああ……おっさんに使うはずだった奴か)
首吊り公の織り上げた呪が手首の血と混じる。
彼は両手首の傷を前に差し出し、何事か呟いた。すると――。
「何だ、これ?」
「蝶々?」
血は赤い霧となり、浮かび上がって赤い蝶となる。
蝶は次々に生まれ出て群れとなり、首吊り公の周囲を舞い飛ぶ。
そのとき、西門の方角から大きな地響きが起こった。
西門の外で白い煙が巻き上がり、竜巻のように天へ立ち昇っているのが見える。
それは遥かなる巨人の三度目の召還を意味していた。
「……逝け」
首吊り公が命じると、蝶の群れはひらりひらりと群れ飛んで、西門の外へ向かう。
実際の蝶と変わらない速度だが、赤い鱗粉の航跡を残して飛行する様は、誰が見ても恐ろしい凶兆を運んでいる悪神の御使いそのものだった。
「ぬっ!」
新たに現れ出た巨人に相対していた剣王ロデリックが、凶兆に気づき背後を見やる。
彼の右目に宿る【天駆ける翼のルーン】が輝き、赤い蝶の群れを調べる。
「首吊り公の呪殺……なんと緻密な……まだこんな術を隠し持っていたか」
剣王は巻き込まれぬよう、城壁の上へ跳んだ。
目前で白い煙が雲となり、遥かなる巨人の身体が現れる。
赤い蝶の群れは剣王の上を飛び越え、巨人の雲の中へ吸い込まれていく。
「……どうだ?」
剣王が様子を窺う。
するとしばらくして、巨人の身体がガタガタと揺れ出した。
山を越える大きさの巨人である、大地ごと街が揺れる。
首吊り公は合わせのために慎重にタイミングを計っている。
彼はとっておきであるこの呪殺に【運命の赤い糸】と名付けていた。
【運命の赤い糸】は対象の姿が見えずとも縁を手繰って相手を辿り、その心の臓に呪詛の鋏を差し込み命を刈り取る超高等呪殺である。
それだけに術の難易度は高いが、うまく織り上げれば顔も知らぬ相手の術を辿って呪い殺すことも可能。
幻の雲の中から鮮やかな赤い糸がピンと伸びてきて、首吊り公の左手小指と繋がった。
「――仕留める」
左手小指の糸を右手で手繰り、両手の間でビィン! と伸ばして、呪詛の鋏を送り込む。
「オズ、見て!」
「うおっ、顔!?」
巨人の上半身を包む雲に、巨大な蛮族らしき顔が大写しになった。
巨大な顔は最初は驚いた表情で、すぐにそれが苦悶の表情に変わる。
「幻が……苦しんでる?」
剣王は【天駆ける翼のルーン】をもって、呪殺が成る過程の一部始終を見ていた。
「ムゥ、見事!」
剣王が思わず唸るほどの完成度の呪殺が巨人の幻を生み出す術者を捉える。
次の瞬間、巨大な顔がグニャリとひしゃげた。
巨人を包む雲が散り散りになっていき、巨人の身体は霞のように薄くなって消えた。
オズが言う。
「やった……のか?」
ロザリーが頷く。
「そう見えたわ。呪殺が幻術の向こう側にいる相手へ届いたように見えた」
「……こっちのおっさんもやべぇな」
「オズ、失礼なこと言わないの! お見事です、ヴラド様! ……ヴラド様?」
首吊り公は呪詛の鋏を放った姿勢から動かない。
とても嫌な予感がして、ロザリーは首吊り公に駆け寄った。
「ヴラド様? ヴラド様ッ!」
ロザリーが肩を揺さぶると、首吊り公はロザリーのほうを見て、やっと口を開いた。
「〝骨姫〟。私は……」
「よかった! 呪殺が失敗してヴラド様に返ったのかと……!」
「そうではない。確かに捉えた。捉える前に破られた呪殺界のときとは違う。確かに捉えたのだ。捉えてしまえば剣王だろうがミルザだろうが巨人の王だろうが関係ない。抗うすべなく、死の運命が訪れる。それが呪殺だ」
「ヴラド様? 何を仰ってるのか……」
首吊り公はロザリーの手を払いのけ、西の城門を睨んだ。
「なのになぜだ! 貴様は確かに死んだのに、なぜ死なない!!」
西門の外から大きな地響きが起こる。
白い煙が巻き上がり、竜巻のように天へ立ち昇っていく。
ロザリーにとって、もはや見慣れたその光景は、まだ脅威が去っていないことを示していた。





