264 不死鳥となって
「ネキュイアの海……? 海……!?」
解を得たエイジは、しかしその回答そのものに絶句した。
「海の向こうにいるというんですか!? 剣神アテナは……!?」
「私の聞く限りでは……」
エルフ族の長、聖弓院長は頼りなく語る。
「アルテミス神が、グランゼルド様たちに語ったところによると、日没する方角の海へ向けてひたすらに進めば、いずれかの世とこの世を分ける海峡に至るのだそうです」
その先を越えて広がる異界の海。
それがネキュイアの海。
「そこは、この世でありながらこの世でない、いわば冥界に近い海だと聞きます。神が住まうには相応しい場所でしょう」
「冥界の海……!?」
ついに明かされた事実であったが、エイジは途方に暮れた。
「海とは……、また厄介な場所に陣取ってくれたね……」
サスリア老婆も不快気に言う。
「そうですね……、海なんて、どうやって進んだらいいのか……!?」
これまでエイジの旅は、すべて陸路を行くものだった。
森に分け入り、山を登り、谷底まで下っていくこともあった。
しかし水の上を進んだことは一度もない。
いやエイジだけでなく、この世界の人類種すべてが海を渡っていく方法など知らない。
いたるところにモンスターが跋扈するこの世界。
当然海にも、魚やその他海棲動物を模したモンスターがウヨウヨしている。
地上ならば、どんなモンスターも蹴散らす自信があるエイジである。
しかし海の上ではどうにもならない。
仮に船に乗って、戦場で迎え撃つとしても、戦いの余波で船は必ず大破するであろう。
所詮人類種は陸の生き物である。
たとえ覇勇者でも、人類最強であろうと、海の中に投げ出されて生き抜くことはできない。
まして聖武器を持たぬ一般人では言わずもがなということで、海は禁足の領域となっていた。
遥か昔、イカダ程度の原始的な船を作り果敢に海に挑戦した者もいたかもしれない。
そうした者たちは例外なく海の藻屑となり、この世界の海運技術は芽吹くことがなかった。
だからこそ、エイジは解を得たのに途方に暮れるしかなかった。
「アテナの卑怯者め……! そんなどうしようもない場所に隠れているのか……!?」
「まさに人類未踏。お手上げだね。諦めるかい?」
そう聞いてくるサスリア老婆の顔を、エイジは見返す。
「……わかったわかった。そんな顔をおしいでないよ。アンタの覚悟はよくわかってる」
エイジの旅は、これまで幾度の不可能を可能にしてきた旅立った。
ここに来て諦める選択肢などない。
「それにね、アタシもまんざら無理難題じゃないとは思っている。なんてったってその場所には、既に一人辿り着いているんだから」
エイジの父。
彼がアルテミス神の助言に従ってネキュイアの海に向かって言ったのはたしか。
いかなる方法をとったのか。
しかしどんな方法をとったとしても、途中で海の藻屑となった可能性がずっと高い。
しかし誰もそんな想像はしていなかった。
切実な望みでも現実逃避でもなく、当たり前のようにその男は海を踏破したという確信が持てるのだ。
「あの人がどんな方法で海を渡ったか。考えるべきはそこからだな」
「急くのはいいけどねえ、坊や」
サスリア老婆が言う。
「たった今戦いが終わったばかりだろう。アンタに必要なのは先に進むよりも、立ち止まって呼吸を整えることさ。見てみな、あの子らを」
老婆が指し示す先には、いまだ涙が収まらないセルンとギャリコがいた。
「あの子らに悲しむ時間ぐらい与えてやりな。とにかくまずはゼルド坊やを葬ってやる。一時代を支え切った男の葬儀だ。それ相応の容儀を整えてやらねば」
「……お願いします」
「アンタも出席すんだよ。それぐらいは立ち止まってやりな」
サスリア老婆の言うことは一々もっともなので、エイジも逆らうことはできない。
「サスリアさん……、アナタはこれから……?」
「押し付けられちまったからね。もはや崩壊状態の聖剣院、アタシが立て直さないといかんだろう」
かつて勇者の職を務めた彼女になら、その資格は充分にあった。
「とりあえずケガやら何やらで役立たずのフュネス、スラーシャから聖剣を没収。セルンが覇聖剣をもって空席になった青分も含めて新たな勇者を選抜する」
「モルギアはどうするんです?」
「あの子は好きにやらせときゃいいさ。それが全員にとって一番いい」
エイジも同感だった。
サスリア老婆の下、崩壊した聖剣院が復活しようとしている。
「不満かい坊や」
「え?」
「母親を死に追いやった聖剣院だ。アンタはずっと憎んでいたんだろう。それが存亡の憂き目に立って、なおしぶとく生き延びようとしている」
それが不満ではないか。
サスリア老婆が語る。
「アタシはね、憎いよ。……聖剣院が憎い……! 自分勝手な理由であの子を死に追いやった聖剣院が許せない……! そしてそんな聖剣院に寄りかからなければ生きていけない、何もできなかった自分が許せない……!!」
「それが、書庫に引きこもった理由なんですか?」
本来なら元勇者である。
望めば、ただの名誉職であったとしてももっとよい役職を与えて貰えただろう。
それすら拒絶しカビ臭い本の海に埋もれたのは、彼女にとってせめてもの反抗ではなかったのか。
彼女の人生を弄んだ運命への。
「僕だってね、聖剣院など潰れてしまえと何度思ったか……。救いようがないですよ、この組織は」
「…………」
「でも、それでも、グランゼルド殿が生涯支え続けた組織なんです。聖剣院は」
聖剣院は、人間族を守るための組織。
そんな誰もが忘れてしまった戯言のような建前を、生涯信じ続けたのがグランゼルドではなかったか。
彼が剣に捧げた信念。愚直に信じ続ける。その信念そのままに……。
「聖剣院が、戯言の建前通りに再生し、ずっと続いていくならば、グランゼルド殿の魂も永遠に生き続ける。そう思いませんか?」
「…………」
サスリア老婆は、少しの間懊悩の沈黙を続けた。
そしてみずから沈黙を断ち切った。
「おい! そこの武器屋!!」
「ヒィッ!? ワシのことか!?」
いきなり聖鎚院長を呼びつける。
「我が聖剣院にも魔剣を売っとくれ! 千……、いや二千振りだ!!」
「そんなに!? いや売れと言われれば売るけど……、金のあるヤツに限ったことじゃぞ?」
「元聖剣院長や貴族階級から搾り取れば捻出できるだろうよ。ただし品質は最低限で。聖剣を持つ勇者を補強できればそれでいい。いいものは優先的に人間族の各国に回してやっとくれ」
「ご老体、それでは……!!」
居合わせた人間族の王たちが、戸惑いがちにサスリア老婆を取り囲む。
「そして新たな聖剣院代表者として宣言する。これより同族より頂く寄付金は一切遠慮させていただく」
「では、それではさすがに聖剣院の運営が……!?」
「これまで溜め込んできた富を切り崩せばしばらくは持つさ。その間の聖剣院の働きを見て、寄付を再開させるかの判断を各国にお任せしたい」
新たなる代表者の下に、聖剣院は新しい道を進もうとしている。
瓦礫の中から再生する。
灰の中から舞い上がる不死鳥のように。
エイジには、グランゼルドの魂が炎の鳥となって天に飛び立っていくかのように見えた。





