245 鬼神の行方
「叔父貴は最強のオニ族だ!」
サンニガが興奮気味に言った。
「おじいが言ってた! レイジの叔父貴は、おじいの息子の中でも一番呼吸スキルが使えて、それどころか歴代の長老と比べても段違いだったって! おじいのあとを継ぐのは間違いなくレイジの叔父貴だったって!」
エイジはオニ族の血を引いている。
隠れ神イザナギイザナミの夫婦神によって生み出されたというオニ族は、人類種の歴史に登場しない種族。
彼らは呼吸スキルの力をもって、武器を持たず素手でモンスターと戦うことができる。
それは、この手記に記されていた男の描写にも悉く合致する。
「何故……」
エイジは聞いた。
いつもの彼らしくなく、言葉が詰まりがちだった。
「何故その人は、オニ族の集落から出て行ったんだ?」
「わからない」
サンニガが答える。
「叔父貴が出ていった時自体、オレが生まれる前だったし。オヤジたちもわからないって言ってた」
彼女が、叔父貴と呼ぶならば、彼女の父親は兄弟と言うことになるのだろう。
この手記に記されている男の。
「でもオヤジはこうも言ってた。叔父貴には、他にヤツには見えないものが見えていたんだって。普通のヤツには遠すぎて見えない大きなものを叔父貴はずっと見据えている。そういう人だったって」
そして、その自分にしか見えない巨大なるものに誘われて彼は旅立った。
決して郷を離れてはならないというオニ族の掟を破って。
「面白い話じゃないか」
サスリア老婆が、キセルの煙を噴き出しながら言う。
「ずっと謎だった男の正体が、こんなところから出てくるとはねえ。エイジ坊も、伊達に失踪していたわけじゃないってわけかい」
「意味もなく過ごしていたつもりはありません……」
そう言うも、エイジの心はどこか上の空だった。
「サスリアさん、アナタが何故これを持っていたんですか? この書庫にあったものなんですか?」
「ああ、アタシがこれを見つけたのは偶然だ。この書庫の掃除中にポロッと出てきてね」
何気なく目を通し、書き記されたことの意味を察する。
彼女はそのまま手記を秘匿し、存在を明らかにさせなかった。
「一言といえども『邪悪なアテナ神』などと書かれた書物。公になったら焼却炉に直行さ。さすがにそうさせるわけにはいかなくてね」
「おばあちゃんファインプレー」
この書庫は、聖剣院の記録が最後に行きつく掃き溜め。
手記もそうしたルートを通ってたどり着いたのだろうが、何処から発しどのようなルートを通ってきたのか、書庫の番人であるサスリア老婆ですら推測しがたいという。
「エイジのお母さん……!?」
「元勇者であるとは聞いていましたが……!?」
ギャリコもセルンも、手帳を見詰めるエイジに声を掛けがたかった。
彼が、まったく匂わせることのなかった肉親の存在。
エイジはそこにどんな感情を伴わせているのか、まったくわからない。
「執筆者や登場人物はひとまず置くとして……」
それでも、エイジは冷徹に自分の道を突き進もうとする。
「この手帳で気になる点はやはりここだ。『邪悪なるアテナ神』」
聖剣を拝領した勇者なら、天地がひっくり返ろうと口にするわけがない言葉。
それを後世にも残るよう文字にしたためるまでしたとは、何かがあるとしか思えない。
「ここに書かれていたことが事実なら、僕の……」
一度、息を整える。
「……僕の父は、ある場所へ向かって行った。『アテナが歪めた世界を正す』ために」
その先のことは手記にも記されていたない。
「一体父はどうなったんだ? そこへ行って何をした?」
「それは誰にもわからない」
サスリア老婆が言う。
「そこに書かれたこと以外は何もわからない。アタシが聞きたいくらいさ。アンタ心当たりはないのかい? アンタの実の父親だろう?」
「僕は……」
エイジは鳴る喉を無理やり黙らせ、言葉を続ける。
「自分の父親に会ったことはない。顔も知らない。名前だって今日初めて聞いた。僕は、僕は子どもの頃ずっと……!」
「予想通りの答えだね。でも、きっとアンタが目指そうとしている場所は、アンタの父親が向かって行った先と同じなんじゃないのかい?」
推測の域を出ないが、サスリア老婆の指摘は的中しているであろう。
伝聞でしか窺えない父の人物像では、彼は凡人の伺いきれない先までを見通せる視野を持った人だという。
その眼力で、彼は神話の向こうにある真実にたどり着いたというのか。
エイジのこれまでの旅は、先人の切り拓いた道をたどってきただけだというのか。
「それでも……!」
エイジの動揺が止まった。
「僕らもそこへ行かなければならない。アテナの真実がそこにあるというなら、行ってすべてを解き明かす!」
「ならば、次の問題は『そこがどこか?』ということになるねえ。残念ながら手帳には具体的な場所まで記されていなかった」
サスリア老婆は、何度も手記を読み返したが、場所の特定に至る記述は結局出てこなかったという。
暗号が織り込まれているのでは、という深読みしたこともあったが、それもなかった。
「あの……! 思ったんだけど……!」
ギャリコが手を挙げる。
「書いてないんなら、書いた本人に聞けばいいんじゃない?」
本に書かれたことは所詮筆者の頭の中から出てきたこと、大元となる作者の脳内には、もっと豊富な情報が詰まっているに違いない。
「この手記を書いた人……!」
「つまり兄者のおふくろ……!?」
しかしエイジ当人の反応は鈍かった。
何も言わず口を引き結ぶだけ。
「…………他に知っている者がいるとすれば」
代わって喋り出したのはサスリア老婆だった。
「あの子が現役だった頃の同僚勇者。特に同世代で、任務でつるむことの多かった男……」
「それは、まさか……!?」
「お察しの通りさ。今は覇勇者と讃えられるゼルド坊やだ」
覇勇者グランゼルド。
エイジが新任を蹴ったために老いてなお頂点に留まり続ける剣の覇人。
たしかにエイジとグランゼルドは、親と子ほど歳が離れている。そのグランゼルドとエイジの親が同世代であることもあり得る。
「……母は、グランゼルド殿と親しかったんですか?」
「だからアンタに目を掛けてたんだろう。あの子にとっちゃあ戦友の忘れ形見だ。大切に育てたくもなるだろうよ」
そして。
「ゼルド坊も、よく応援に駆け付けた先で同僚にくっつく謎の男を目撃していたらしい。親交もあったそうだ。あの子なら、この手記の中にいる男がどこへ消えたのか知っているかもしれない」
「…………」
エイジはくるりと踵を返した。
「行くのかい?」
「サスリアさん、本当に助かりました。アナタのおかげで道が開けた」
「言っただろう、やるべき時に何もやらなかった人間は、老いて朽ち行くだけだ。アタシは今日、少しだけ過去を取り戻せた気がした。それで充分だよ」
サスリアは、かつて赤の聖剣を振るった元勇者。
老いて聖剣を手放し、衰え力を失った末に落ち着いたのが、誰も訪れることのない書庫だった。
人知れず消えていくはずだった衰者は今日、慰めを得た。





